>>こういう程よい付き合いというものがなくなり、隣人というものもなくなった。
たまたま顔を合わせれば、お愛想笑いだけで、内心では故(ゆえ)のない疑いの目で隣に住む住人を観察している。
庭と縁側がなくなったせいである。
*「昭和恋々」*久世光彦<<
程よい近所づきあいって言うのは難しいですね
お隣さんやご近所と親しくするほうが良いのには決まっていますが、あまりプライバシーにまで踏み込まれる程には付き合いたくないし
かといって顔をあわせたときに「おはよう」「こんにちは」だけでは寂しいですし
どの程度が程よい近所づきあいなのでしょうか
映画「3丁目の夕陽」のような近所づきあいはもう無理なのでしょうか
たまたま顔を合わせれば、お愛想笑いだけで、内心では故(ゆえ)のない疑いの目で隣に住む住人を観察している。
庭と縁側がなくなったせいである。
*「昭和恋々」*久世光彦<<
程よい近所づきあいって言うのは難しいですね
お隣さんやご近所と親しくするほうが良いのには決まっていますが、あまりプライバシーにまで踏み込まれる程には付き合いたくないし
かといって顔をあわせたときに「おはよう」「こんにちは」だけでは寂しいですし
どの程度が程よい近所づきあいなのでしょうか
映画「3丁目の夕陽」のような近所づきあいはもう無理なのでしょうか
爺のバラ公園の閲覧に感謝致します。
山口県玖珂郡和木町の読み方は「くがぐん・わきちょう」と読みます。
大企業を抱えた、豊かな町で平成の大合併を何処ともしていません。そう言う意味では、町と市の近所ずき合いは無いと言う事ですかね~!?
最近は核家族化で、近所付き合いも少なくなり、合ったときの挨拶くらいで味気ない世の中になってきていますね~!
良し悪しは別にして、「向こう三軒・両隣」がなつかしいですね~!
今じゃ冠婚葬祭のときに呼ぶ程度だけどね。
昭和40年代までは出かけるときに隣に声かけて留守を頼んだものだったけど。
玄関にカギかけるってこともなかったし。
井戸がなくなって井戸端会議ができなくなったのがそもそもの近所との無縁かと。
いまや死語の世界にはいってしまった「向こう三軒・両隣」
子供の頃には東京にも残っていましたっけ。
庭と縁側が無くなり井戸端という物は若い世代では時代劇の中のことだけになってしまいました。
ワンドアツーロックやOコムが常識となってしまった、嫌な世の中です。
近所の方とは雑談程度はやはりしますね。
ですが、田舎のようには行きません。
せいぜいで道端でという感じでしょうか。
ただ、時に共同作業があったりとますので、
そんな時は通り沿いの各戸から皆さんお一
人は出てきますので、雑談の輪は結構大き
いです。こちらはそんな程度かなぁ~。
東京では共同作業があっても有志以外の人は出てきません。ましてや道端会議など見たことも無いです。
ただ、子供を介した(同級生の親同士など)道端会議は見かけますけどね。
新しい時代のコミュニケーションの
あり方ですね
手紙や葉書も出しますが、ブログの会話も
魅力あります 現代の井戸端会議かな、
行って帰り行って帰りですか。