旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

日野原重明先生とプライマリケア

2017-08-03 21:06:11 | 学会活動
ぼくは 3年間東京での研修を終え、栃木県にある自治医科大学病院の血液科シニアレジデントになりました。それから血液病学を勉強している間は、日野原先生との接点がなくなりました。

卒業して10年くらいしたときに、突然高久史麿教授(当時)からのお勧め(命令ではなく?)で大分県立病院三重療養所に赴任しました。9か月で自治医大にもどったときに、中尾義久学長が話があるので、学長室に行ってこいと言われ、恐る恐る訪ねました。兼務でいいので、新設の地域医療学教室のチーフをしてほしい、とのことでした。

手探りで始めました。自治医大第一期生の吉新通康君(現、地域医療振興協会理事長)が相棒でした。

このとき客員教授が5名着任されました。そのひとりが日野原重明先生でした。

吉新君が申請してくれた「わが国におけるプライマリケアの研究」がNIRA(シンクタンク)の補助金を受けることができ、米国、英国、北欧へ調査に行きました。ぼくは米国を担当し、聖路加国際病院におられた日野原先生にご助言をお願いしました。

そのとき米国東海岸の総合内科(general internal medicine)でなく、西海岸に活発な家庭医療学(Family Medicine)を視察するように助言をいただきました。あとでわかったのですが、川崎医大のスタッフには前者を勧め、ハーバード大学関連施設に短期留学したのでした。ぼくたちはシアトルのワシントン大学、UCSFのサンフランシスコ校、サンタローザ郡立病院家庭医療学センターを視察しました。

ワシントン州立大学にはWAMIプログラムがありました。この大学の医学部は当時、ワシントン州、アラスカ州、モンタナ州、アイダホ州、4週で唯一の医師養成機関であったのです。日本のへき地医療とは規模が違います。その後、確か7回ほどワシントン大学を訪ねました。終生の師と仰ぐ巣ミルクシュタイン先生とも出会いました。

サンタローザではその後長く友情を育むことになるジョナサン・ロドニックと会いました。

これらの出会いの詳細はまた、別の機会に記します。

日野原先生によってぼくの人生は大きく方向転換していきます。

日野原先生から教えられた最大のことは、プライマリケアの大部分は「地域住民のセルフケア」であるということです。これが涌谷町での活動の原点であったと思います。