宮代NOW(出来事編)

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身代神社の池周辺を親水公園として整備 宮代町

2010年08月30日 18時24分13秒 | 宮代ニュース
宮代町の名前の由来の一つとなっている身代(このしろ)神社脇の身代池周辺が親水性のある空間として整備されることとなった。



身代神社は、旧須賀村の鎮守で、創建は仁治3 年(1242)3 月に勧請されたと伝えられる。



宮代町は旧須賀村と旧百間村が合併して誕生したが、そのおり、旧百間村の鎮守・姫宮神社の「宮」と、旧須賀村の鎮守・身代神社の「代」をとって、宮代町とした。



身代神社には須賀島集会所があるほか、梅林などがあり、近在の人の憩いの場ともなっている。



身代神社の脇にある身代池は古代蓮がわずかに花開かせるほかは、葦が茂り、野鳥や昆虫などの楽園となっている。



こうしたことから、自然を最大限残しながら、親水性のある、憩える空間として整備する要望が多いが、具体化していなかった。



今回、埼玉県の補助が具体化したことから整備に着手することtなったもの。



なお、身代(このしろ)神社の名前の由来については「伝承として、ある武将が奥州に落ち延びる際に武将の姫が追っ手に捕えられそうになり、そのとき、村人がコノシロという魚を焼いた。この魚は焼いた時の匂いが人を焼いた時と同じであるといわれ、追っ手に対して「姫は死んでしまった」ことにし、救うためであった。無事に追っ手から逃げることのできた姫はたいそう感謝をし、コノシロにちなんで身代神社を祀ったという話が伝わっています。また、神社の脇にある身代池には、オイテケ伝承や龍神伝承が伝わっています。」(郷土資料館編「みやしろ 歩け 歩け」より)