伝わる心・・・!!
(この写真、じっくりと見つめていると、何かを感じるでしょう・・。小鳥のさえずりでしょうか・・。澄んだ空気のさわやかな匂いでしょうか・・。左上の二本の電線が、非常に全体を引き立たせています。こころの底から、生きるすばらしさ、自然の魅力が、湧きあがってくるようです。作者の感動の心が伝わってくるのです。)
こんにちわ。蒸し暑い毎日がウソだったように、朝晩が急に、肌寒く感じるようになりました。秋は心の栄養を蓄えるときです。仕事や、時間の合間を縫って、自分流の自分づくりを趣味を生かして、して行ってみてはいかがでしょうか・・。
先日、車の中で、それとなくラジオを聴いていると、アナウンサーとのやり取りで、こんな事を語っていました。「・・・自分が感動した分しか人を感動させることはできないんです・・・。」 「やはり人は、何かに感動するという事は、とても大事なことですね~。」
こういったやり取りの一言が、私の耳に飛び込んできたのです。
『感動すること。』 そういえば、私も、古民家とかかわりだしてからは、急に色んな事に感動することが、多くなりました。いや、物の見方や、感じ方が古民家によって全く変わってしまったのです。
古民家の不思議なパワーは、人の五感を活発にしてしまう不思議なパワーを持っているのでしょう。
匂いや、触感、味覚や、鳥のさえずりや、風の音などの聴覚、自然等の風景や物事を見る視覚。
そうした五感が、活発にフル活動して、見えない裏側のものを見たり、声なき声を聞いたりと、生きていく上での、あらゆる物事に感動したりしていくのです。
新しいものを発見したり、自身の周囲を見る目が変わったのか、感動することが最近多くなり、充実した日々を送っていけれるようになっているのです。
(元朝の初日の出を、まじかに控えた写真です。・・いかがでしょうか・・!さざ波の音、潮の香り・・、何よりもこのオレンジの光線が、見る人の人生を輝かせ、将来を祝福してくれているようです。そして、今まさに太陽が出でんとする・・。明日への限りない希望と勇気が、ふつふつと湧いてくる感動の写真です・・。このように、感動する心は、見る人にそのまま大きな感動を与えるのです。)
考えてみれば、それまでは、あまり感動するという事が少なかったようです・・。いや、人間として少し傲慢になっていたのではなかったかと思います。
科学文明が進み、人間の英知や、技術では、できないことはない。昔の時代をはるかに進んだ時代を生きている。その最先端の建築という仕事に携わっている事に、自負を持っていたのです。この自負が、どう間違ったのか「思いあがり」となってしまって、「感動の心」を失っていたのかもしれません。
(こうした感動の心を、私は、古民家の古木から教えて頂きました。人間は、いや、自分自身の存在は、自然を含め、周りの多くの生きとし生きる物事によって、生かされているのかもしれません。 それが感じられると自然と感謝と感動の心が、心の底から湧いてくるのではないかと思います。 けっして、自分一人で存在しているのではないのです。)
「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、「人の幸せ」を考えると、お家は、創る人や住まう人の考えで、幸せづくりのほんの一部分であったり、幸せづくりの大きな基盤であったりします。
その違いの大きなキーポイントが「感動」や「ときめき」ではないかと思います。お家を創る側も、住まう側も、心をときめかせながら一緒になって作り上げる。そして、木の生命力や魅力や昔の職人たちの技に感動する・・。出来上がるものは当然違って来るのです。
(田舎には、多くの感動するものがあります。いやそうした感動の連続で成り立っているのが、田舎かもしれません。現代人が忘れ置いてきた、宝物がいっぱいに詰まっているのです。新しい田舎の宝庫を開く時を迎えているのです。心配なのは、都会かぶれの行動で、田舎の魅力を潰すことです。)
ラジオで話されていた「自分が感動したことしか、人を感動さすことはできない。」この一言の重みを、しっかりと心に刻み、夢とロマンをさらに高く掲げて、感動の輪を広げていく行動にチャレンジしていきたいと思っています。
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(この写真、じっくりと見つめていると、何かを感じるでしょう・・。小鳥のさえずりでしょうか・・。澄んだ空気のさわやかな匂いでしょうか・・。左上の二本の電線が、非常に全体を引き立たせています。こころの底から、生きるすばらしさ、自然の魅力が、湧きあがってくるようです。作者の感動の心が伝わってくるのです。)
こんにちわ。蒸し暑い毎日がウソだったように、朝晩が急に、肌寒く感じるようになりました。秋は心の栄養を蓄えるときです。仕事や、時間の合間を縫って、自分流の自分づくりを趣味を生かして、して行ってみてはいかがでしょうか・・。
先日、車の中で、それとなくラジオを聴いていると、アナウンサーとのやり取りで、こんな事を語っていました。「・・・自分が感動した分しか人を感動させることはできないんです・・・。」 「やはり人は、何かに感動するという事は、とても大事なことですね~。」
こういったやり取りの一言が、私の耳に飛び込んできたのです。
『感動すること。』 そういえば、私も、古民家とかかわりだしてからは、急に色んな事に感動することが、多くなりました。いや、物の見方や、感じ方が古民家によって全く変わってしまったのです。
古民家の不思議なパワーは、人の五感を活発にしてしまう不思議なパワーを持っているのでしょう。
匂いや、触感、味覚や、鳥のさえずりや、風の音などの聴覚、自然等の風景や物事を見る視覚。
そうした五感が、活発にフル活動して、見えない裏側のものを見たり、声なき声を聞いたりと、生きていく上での、あらゆる物事に感動したりしていくのです。
新しいものを発見したり、自身の周囲を見る目が変わったのか、感動することが最近多くなり、充実した日々を送っていけれるようになっているのです。
(元朝の初日の出を、まじかに控えた写真です。・・いかがでしょうか・・!さざ波の音、潮の香り・・、何よりもこのオレンジの光線が、見る人の人生を輝かせ、将来を祝福してくれているようです。そして、今まさに太陽が出でんとする・・。明日への限りない希望と勇気が、ふつふつと湧いてくる感動の写真です・・。このように、感動する心は、見る人にそのまま大きな感動を与えるのです。)
考えてみれば、それまでは、あまり感動するという事が少なかったようです・・。いや、人間として少し傲慢になっていたのではなかったかと思います。
科学文明が進み、人間の英知や、技術では、できないことはない。昔の時代をはるかに進んだ時代を生きている。その最先端の建築という仕事に携わっている事に、自負を持っていたのです。この自負が、どう間違ったのか「思いあがり」となってしまって、「感動の心」を失っていたのかもしれません。
(こうした感動の心を、私は、古民家の古木から教えて頂きました。人間は、いや、自分自身の存在は、自然を含め、周りの多くの生きとし生きる物事によって、生かされているのかもしれません。 それが感じられると自然と感謝と感動の心が、心の底から湧いてくるのではないかと思います。 けっして、自分一人で存在しているのではないのです。)
「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、「人の幸せ」を考えると、お家は、創る人や住まう人の考えで、幸せづくりのほんの一部分であったり、幸せづくりの大きな基盤であったりします。
その違いの大きなキーポイントが「感動」や「ときめき」ではないかと思います。お家を創る側も、住まう側も、心をときめかせながら一緒になって作り上げる。そして、木の生命力や魅力や昔の職人たちの技に感動する・・。出来上がるものは当然違って来るのです。
(田舎には、多くの感動するものがあります。いやそうした感動の連続で成り立っているのが、田舎かもしれません。現代人が忘れ置いてきた、宝物がいっぱいに詰まっているのです。新しい田舎の宝庫を開く時を迎えているのです。心配なのは、都会かぶれの行動で、田舎の魅力を潰すことです。)
ラジオで話されていた「自分が感動したことしか、人を感動さすことはできない。」この一言の重みを、しっかりと心に刻み、夢とロマンをさらに高く掲げて、感動の輪を広げていく行動にチャレンジしていきたいと思っています。
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