次代を拓く、チャレンジ精神!
(先日の当社の感謝祭には、こんな可愛い多くの皆さんがいろんなコンテストにチャレンジをしてくれました。それぞれのコンテストで、大賞や優秀賞を決める審査をする訳ですが、以前から、審査にいつも頭を痛めていたのです。)
こんにちわ。今日もあっという間に過ぎ去りました。今年もこないだのこと、新年を迎えたのに、はやもう九月になり、紅葉の秋を迎えようとしています。一日が、本当に飛び去っていくような早さで終わっていき、こんな調子だと、一生を終えるのは、本当にすぐ来てしまいそうで、危機感(?)を感じている毎日です。
当社も、ここ3年前より、いろんなことにチャレンジをしているのですが、そうしたチャレンジの過程で、いろんな審査を受けてきました。設計、施工による住宅のコンペでの審査や、国の補助金がらみのプレゼンテーション審査、県下の産業振興計画における県産材の加工販売における助成金の審査など、今あらゆる団体や、国の公の機関が、民間の英知や技術を活用して広く県下や国内に、利益を生み活かす為の、チェック機関として審査を行っているのです。
こんな社会の大きな変化の時代こそ、あらゆるチャンスを生かしてチャレンジをして、行動を起こして行くべきだと私どもは考えています。
(当社も、いろんなイベントや、コンテストに参加をし、審査を受けていました。この写真は、昨年のCO2削減のコツカツコンテストの模様です。このコンテストで「地球再生賞」という素晴らしい特別賞を頂きました。提出課題は、「古民家再生で、世界を洗たくしちゃろうぜよ」というタイトルで、チャレンジをしたのです。)
当社も日本の良き伝統文化を育み、未来を築く子どもたちに、引き継いで頂くためにいろんなイベントの催しを通じて、いろんなコンテストを行っています。その中で、私自身も審査をおこなったりします。しかしその都度、悩みに悩み、あえて、心を鬼にして選ばしていただいているのですが、合わせて、大変多くの貴重な心を教えてもらっているのです。
(子供たちと接していると、どのようなことにも深い興味を持ってチャレンジをし挑戦をしているのです。こうした純粋な心で、思うがまま感ずるがままでのたち振る舞いに、いつも元気づけられます。こうしたあくなき探究心を私たち大人はいつしか忘れ去っているのです。大人である私たちの成長が止まっているのです。どの顔にも夢があり希望があるのでしょう。目が輝いています!)
そしていつも感じることは、審査をしつつ、よく考えてみると、どのような作品を選びどのように勉強うをして、その作品から何を学んでいるかを、審査するこちらが、審査を受ける皆さんから審査をされているのだという事をいつも感じているのです。
すごい発想や、すばらしい作品は、審査する側が、常に勉強をし、柔軟な考えの中で新しいものを社会に貢献というキーワードと、一人の人の為にというキーワードをしっかりと持って審査をしていくことが大切だと感じています。
(アート大賞で受賞の場面ですが、よく見ると会場のみなさんや、受賞を受けている皆さんから、私が審査をされているのです。まともな審査ができているのか話す内容に共感できたのかなど・・・そうして一段と大きく成長していっているのです。問題は審査する側が成長できているかどうかです・・。)
ともすると自身の考え方の、かたい殻の枠にはまった、ドグマにとらわれて、審査する人間の枠にはまりこませて、純粋無垢な清流を濁らせてはならないという事です。審査される側からの人間に、審査員失格の烙印を押される事の無い様に、自分自身を戒めながら、いつも望んでいます。
(子供達の感性は、本当に鋭いものがあります。また未知の、すばらしい、意外な可能性に満ち満ちています。そうした素晴らしい感性の芽を、私たち大人が無残に摘み取ってしまわないようにしなければなりません。器の大きい子供の感性は、私たち大人をしのぎます。自分の小さな器に合わないからと言って、軽く見下げるようなことがあっては、決してならないのです。要注意です。)
審査員ABCといっても、一人ひとりの見解や判断で違い、同じもの事でも、人によってすべて変わって来ます。ゆえに、何を最も高く評価をし見ていくのかは、審査員の人間性であり、生き方になってきます。つまり審査する人間の人間性、生き方が問われているのです。
そんな考えに落ち着いて、審査に悩むのは当然だったのだと、子供たちの作品審査に思い悩む自分自身を、少しは理解できた一日でした。
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(先日の当社の感謝祭には、こんな可愛い多くの皆さんがいろんなコンテストにチャレンジをしてくれました。それぞれのコンテストで、大賞や優秀賞を決める審査をする訳ですが、以前から、審査にいつも頭を痛めていたのです。)
こんにちわ。今日もあっという間に過ぎ去りました。今年もこないだのこと、新年を迎えたのに、はやもう九月になり、紅葉の秋を迎えようとしています。一日が、本当に飛び去っていくような早さで終わっていき、こんな調子だと、一生を終えるのは、本当にすぐ来てしまいそうで、危機感(?)を感じている毎日です。
当社も、ここ3年前より、いろんなことにチャレンジをしているのですが、そうしたチャレンジの過程で、いろんな審査を受けてきました。設計、施工による住宅のコンペでの審査や、国の補助金がらみのプレゼンテーション審査、県下の産業振興計画における県産材の加工販売における助成金の審査など、今あらゆる団体や、国の公の機関が、民間の英知や技術を活用して広く県下や国内に、利益を生み活かす為の、チェック機関として審査を行っているのです。
こんな社会の大きな変化の時代こそ、あらゆるチャンスを生かしてチャレンジをして、行動を起こして行くべきだと私どもは考えています。
(当社も、いろんなイベントや、コンテストに参加をし、審査を受けていました。この写真は、昨年のCO2削減のコツカツコンテストの模様です。このコンテストで「地球再生賞」という素晴らしい特別賞を頂きました。提出課題は、「古民家再生で、世界を洗たくしちゃろうぜよ」というタイトルで、チャレンジをしたのです。)
当社も日本の良き伝統文化を育み、未来を築く子どもたちに、引き継いで頂くためにいろんなイベントの催しを通じて、いろんなコンテストを行っています。その中で、私自身も審査をおこなったりします。しかしその都度、悩みに悩み、あえて、心を鬼にして選ばしていただいているのですが、合わせて、大変多くの貴重な心を教えてもらっているのです。
(子供たちと接していると、どのようなことにも深い興味を持ってチャレンジをし挑戦をしているのです。こうした純粋な心で、思うがまま感ずるがままでのたち振る舞いに、いつも元気づけられます。こうしたあくなき探究心を私たち大人はいつしか忘れ去っているのです。大人である私たちの成長が止まっているのです。どの顔にも夢があり希望があるのでしょう。目が輝いています!)
そしていつも感じることは、審査をしつつ、よく考えてみると、どのような作品を選びどのように勉強うをして、その作品から何を学んでいるかを、審査するこちらが、審査を受ける皆さんから審査をされているのだという事をいつも感じているのです。
すごい発想や、すばらしい作品は、審査する側が、常に勉強をし、柔軟な考えの中で新しいものを社会に貢献というキーワードと、一人の人の為にというキーワードをしっかりと持って審査をしていくことが大切だと感じています。
(アート大賞で受賞の場面ですが、よく見ると会場のみなさんや、受賞を受けている皆さんから、私が審査をされているのです。まともな審査ができているのか話す内容に共感できたのかなど・・・そうして一段と大きく成長していっているのです。問題は審査する側が成長できているかどうかです・・。)
ともすると自身の考え方の、かたい殻の枠にはまった、ドグマにとらわれて、審査する人間の枠にはまりこませて、純粋無垢な清流を濁らせてはならないという事です。審査される側からの人間に、審査員失格の烙印を押される事の無い様に、自分自身を戒めながら、いつも望んでいます。
(子供達の感性は、本当に鋭いものがあります。また未知の、すばらしい、意外な可能性に満ち満ちています。そうした素晴らしい感性の芽を、私たち大人が無残に摘み取ってしまわないようにしなければなりません。器の大きい子供の感性は、私たち大人をしのぎます。自分の小さな器に合わないからと言って、軽く見下げるようなことがあっては、決してならないのです。要注意です。)
審査員ABCといっても、一人ひとりの見解や判断で違い、同じもの事でも、人によってすべて変わって来ます。ゆえに、何を最も高く評価をし見ていくのかは、審査員の人間性であり、生き方になってきます。つまり審査する人間の人間性、生き方が問われているのです。
そんな考えに落ち着いて、審査に悩むのは当然だったのだと、子供たちの作品審査に思い悩む自分自身を、少しは理解できた一日でした。
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