自分流で、地域とかかわる!!
(いろんな諸会合で 、忌憚なく発言をして、会の充実と、意識の向上と、何よりも目的とする事が、大きく前進していくためには、全員参加の組織にしていかなければなりません・・・・・・。そういった意味でも多くな方々の意見や、提案は非常に大切になってきます・・・・・・。)
いろんな団体の会合に出ていると、一方的な主催者側の詳しい話はあるのですが、参加した皆様の意見や質問事項がほとんど出てきません・・・・・。
(組織にあっても、ただ受身の形だけでは、何の効果も、メリットも生じません・・・・。積極的にかかわり、意見を言って多くの方々とのコミュニケーションを交わすことで、活性化への前進の動きが始まっていくのです・・・・・。 )
中には何にも質疑も、意見も出ずに、会議や研修会を終えるシャンシャン会議や、研修がほとんどのようです・・・・・・。そんな中で、私自身は、いかなる会合でも参加をすると、必ず何かを質問し、意見を言わせてもらっているのです・・・・・・。
何のための会議か、何の為の研修かを、考えてみると、私的には質問をし、私なりの意見や、考えを共有していくためには、必ず必要なことで、そうした行動を常に取っています・・・・・・。
(人は、常に考えて 行動していく!行動しながら、考える!…そうした癖を身につけて行くことが大切ではないかと思います・・・・・・。人の何らかの行動や、アクションには、それ相応の意味があります・・・・・・。そうした意味を深く咀嚼して、人を思いやって、行動していくことが、自身の大きな宝物になっていくようです・・・・・。)
最近は、そうした会合に良く参加される皆さんは、私の事あるごとの発言に慣れ親しんだようですが、最初のころは、『また、片岡が理屈をいいゆう・・・・・。』と皆さんから厳しい目で見られ、非難も多くあったようですが、反対に、『良い事を云うてくれゆう・・・・、おかげで皆さんの意見や発言が多くなってきて良かった・・・・・。』などのお言葉も頂き、賛否両論でした・・・・・。
( どんなときにも、発言をして、意見を言っていくと、時には、ピント外れの事を言っている事があるのですが、しかし、そんなことがあったとしても、思った事解らない事、もう少し詳しく聞きたい事などそうしたチャンスの時こそ、発言をしていくことが大事だと思っています・・・・・。)
こうしたシャンシャイ会議や、シャンシャン研修会は、全国的なようで、会合後の意見や質問もほとんど出ません・・・・。こうした傾向が、良い傾向かどうか・・・・。私は、どうも昔からの官高民低?の『長いものには巻かれろ』的な考え方が、皆さんの心の中を占領しているのではないかと心配をしています・・・・・・・。しかし、今は、民主で、民衆が、主体者であり主人であります。そして、官は、その主人を支え、サポートをし、サービスを提供していく存在なのです・・・・。
(そうした会議は、常に会員のためであり、庶民のための会議でなければなりません・・・・。その為に、喧々囂々の議論はあってしかるべきで、ない方が、おかしく不思議なのです・・・・・。)
そのように考えて行くと、その主体者が、その地域の事を考えて、問題点や要望事項をどんどんと発言していく、そして各協会の役員さんにも、より質の高い執行部になって行動していってもらう事が、出来るようになるのではないでしょうか・・・・・・。
(地域に、わが心の中に、いかに美しく、素敵な花を咲かせるか・・・・・・。この一点に皆さんの総合力を生かしていくための集いであり、集まりでなければなりません・・・・・・。)
庶民の一人一人が、地域の事を考え、その地域をよくしていくのは、そこに住む一人一人が最も大切だという事を、認知して粘りづよく守り、守り合い、フォローしあっていく行動を起こして行く事が、大事だと思っています。そして、つねに、自身の弱さと闘っているのです・・・・・・。
(庶民の、いや人間の幸せをただひたすらに願い、行動を起こして行った釈尊です・・・・・・・・。人間には、みな平等に、どのような人間にも自分自身の力で自分自身を最高に輝かす術を、保っているというのです・・・・・・。社会の平和と人の幸せのために行動をしていってこそ、最高の自身の幸福を、勝ち取っていくことができると、釈尊 は教えているのです・・・・・・・。)