自然を知り、自然の恩恵に浴する
津波の脅威によって、昔からの海沿いに栄えてきた街々に、人が住まなくなり消えようとしている・・・・・?!こんな状況が、高知県の県都を中心に県下各地で起こっているようです。・・・・又、甲斐なくその場で留まって生活を余儀なくされている方々も、日々津波の脅威を感じながら生活をしているようです・・・・・・。はたして、こんなことで良いのでしょうか・・・・?
確かに、南海地震での津波被害から、人命を守る手立ては絶対に必要です。特にいざというとっさの時に、避難する行動を起こせる様に、日ごろから訓練をして体に覚えこますとか、避難場所への最短距離や、混雑しないルートを考えておくとかそうした命を守るために万全の態勢を取っておくことは、非常に大事なことです・・・・・・。一方で最も大切なことは、そうした津波被害が想定される居住地であっても、今までに数々の自然の恩恵や恵みを受けて育ち幸せを満喫してきた地域であるということです・・・・・。そうした地域を津波被害の恐ろしさから限りある人生を恐れおののきながら毎日を送ることが、はたして本当に良い事なのでしょうか・・・・・・。私はそうは思いません。
考えてみれば、数百年に一度の割合で甚大な大災害をもたらしてきた地震被害は日本の全国至る所に散らばっているようです。私たちの先祖は、過去数千年もの間、そうした被害を受けながらも、その地での大きな海の幸や山の幸の計り知れないたくさんの恩恵をも受けてきたのです・・・・。そうした中で、大自然に感謝をし、自然を守り大切にして崇めてきたのでしょうか・・・・、全国いたるところに鎮守の森を作り、自然や人間の力の及ばない神々に感謝と日々の無事安穏を祈っていたようです・・・・・。そうした中で今日の素晴らしい日本の国が築かれていったのも事実なのです。
そうした過去の恩恵やこれからの恩恵をすべて捨て去り、そうした素晴らしい郷土・海の街を捨て去ることが、本当に正しい事でしょうか・・・・・。私にはどうしてもそうは思えないのです・・・・。今一度生きることの原点に立ち返って考えてみる必要がありそうです。
仏法では、『衆生諸遊楽』と言って、人生の生きる目的を教えてくれています。『この現実の社会こそが、人間として最高の生きがいを見出す場でありそこでこそ本当の意味で、遊び楽しむことができるのですよ』と言われているのです。そうすると、私は恩恵多き海辺の町に住み、週末や、余暇には、高台に古い文化と自然を学ぶ古家をセカンドハウスにして、いざというときには避難ができ生活ができるようにして、行く方向に人間の英知を使っていくことが大切ではないかと思います。もちろん、命を守るということは大前提あるのは当然のことです。
本物の木の家・ http://www.iwaki-mitown.jp/
古民家ときめき再生 http://iwaki-mitown.com/
皆様ランキングに参加しましたので おかまいなければ ポチッ!!をお願いします。
「今度の地震では一人の犠牲者もださないよう・・・云々」
そんなこと本気で思っている人間はそんなことは言わないし、本気で心配している人間は
「人は何かすると助けられる」などと考えないものです。
まず助かりたくば、自分が逃げることを本気で考える。
ところが他力本願になり、正常化バイアスがおき大丈夫よえなどと訳のわからない安心感で逃げ延びれないものなんですよ。
自分が本当に九死に一生をえたらそのことがわかるのですが、そんな機会はまずない!だからわからないですね。経験しないとわからないものです。
国は予想も出来ないのに、お抱えの地震学者を頼り、どんどん被害想定をあげて、住民を不安に落としいれ、そのための予算とバラまきを計画する一方です。
我が町も津波タワーだの高台移転だの騒いでいますが、自分の生活の中からどう非難するかなど、地域で話し合ったなど思えない計画ばかりです。
そもそも高台移転したところで、年が立てば人は便利さに負けまた低いところへ下りて来ることは、東北を見てもわかること、一時だけなんですよ。
いまやそれより福島原発の放射能汚染がどうにもこうにもならないのに、そのことは一切報道しないのですから、もうむちゃくちゃですわ。
当てにならない不安におののかずゆったり暮らす、そして何かあった場合は現状はあきらめて直ぐに非難し、もう一度やり直す。
それが生きるということだと思いますがね。