mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

附祝言は祝言です

2009年05月18日 | 思索と考え

 前回「恵美寿会の山姥を見ました」記事の関連する感想続きです。

 Y氏が勤められた恵美寿会の山姥。これはしっかりした舞で、山姥の生き様を充分表現できたことは前回書きました。今回は主催者側に対して、見所(客席の事)で見ていた側から、些か感じたことを書きます。

 ◆道行き・着セリフ省略
 前回でも書きましたが、曲が始まって冒頭のワキの謡とセリフの大部分が省略されたです。このワキの役割は、単なる能舞台から場所の舞台へと場面設定にあることです。これが省略されると、前後が繋がらなくなり、今回のように「なぜここで暗くなるの」「急にシテが出てきた」という印象が残ってしまいます。

 ◆地謡の声が小さい
 これは宝生流の流儀でしょうか。地謡の声が小さく感じております。謡の声というのは「太く」と教わっており、高くても低くても響くような声で謡うものなのですが、ちょっと小さくて聴き辛く感じました。

 あまり宝生流の舞台を拝見する機会は少ないのですが、以前も同様に感じており、これが流儀なのかな。尤も地謡の声が小さいのは、名古屋の観世流でも時折似たような印象を感じております。先生方の力量でしょうか。

 ◆附祝言はもっと後で
 今回別項にしてわざわざ記事を書いたのがこれ。Y氏演ずるシテ山姥が橋がかりで留拍子を踏んですぐ、ほぼ一呼吸後に、地謡からの謡が始まりました。附祝言です。

 附祝言というのは、最後の曲が祝言性を持たない曲ですと、その日の能の会を目出度く舞い納める為に、祝言性のある曲の最後の一節を地謡が謡うものです。元々は祝言のために半能を演じていたほどで、それの省略形が附祝言です。

 ですので、本来はワキなどの立ち方に続き、囃子方も舞台から去って、残った地謡方がやおら謡い出すのが附祝言の本来なのですが、なぜかどの会も(観世での舞台でも)囃子方が去る頃に附祝言を謡い、落ち着きが無いように感じております。

 それが今回はまだシテが橋がかりにいる途中で謡い出すものですから、余韻もクソも無い。シテの舞が上出来であっただけに、この雰囲気ぶち壊しには正直腹が立ちました。主宰者のI先生、猛省を促したい。

 

 ちょっと厳しい事を書いてしまいましたが、「間(ま)」を大切にする能にあるまじき行為で、能楽ファンとして残念に思いましたので、問題提起の意味でも記事にさせて頂きました。


恵美寿会の山姥を見ました

2009年05月18日 | 能楽

 昨日17日は宝生流の衣斐先生社中による恵美寿会がありまして、能二番を拝見しました。特に能・山姥は、某国際交流団体のメンバーでもある私の知人がシテをお勤めになられました。今回の記事はその山姥観能記(というほどでもないですが)です。

 その知人Y氏は、以前に学生時代から稽古をしているという話は伺っていました。しかし昨年、偶然にこの恵美寿会の番組表を目にすることになり、舞囃子の演者に同名の方の名が載っており、本人に訊ねてみたら「私です」ということ。

 Y氏と出会ってかれこれ12年。私も能好きであることは先方も知っていたのですが、ずっと内緒にしておられたようです。いくら私が見巧者でも所詮は素人、市井に住む一能楽ファンに過ぎませんので、早くに「恵美寿会に出ているよ。来てね!」とお話が欲しかったです。

 という長い前置きはこのくらい、山姥のあらすじは、都の芸人百萬山姥は信州善光寺詣でを志し、従者とともに旅の途中、山中で辺りが急に暗くなってしまい、一行は行き詰まってしまう。そこへ里の女が現れ自らの庵に案内し、そこで百萬山姥に山姥山廻りの芸を所望する。とまどう百萬山姥に里の女は、自分が真の山姥であると話し、やがて本当の姿を見せると言い残して姿を消す。
 そして本当の夜になり月光の下、山姥はその姿を現して山廻りの様を見せる。四季折々の様子を謡い、山の峰、谷の向うを渡り、やがてその場から消えて行く。・・・というお話です。

 Y氏の舞台はしっとりと山姥の自然の中に生き続ける、どこかはかない物悲しさを上手く表現出来ていたと思います。声もしっかりとしており、緩急の抑揚を十分に表現し、五番目の能独特の激しさも感じられました。

 ただこれはY氏の責めではありませんが、冒頭の部分で省略箇所があった事です。本来はワキのセリフである名乗り、道行き、着セリフが省略されてしまった事です。ワキの大きな役割として、「私は誰々で、今何処にいて、今どうしている」という部分が略され、いきなり「不思議やな暗くなってしもた」では、観ている私は「何でいきなり暗くなるねん?」と突っ込みたくなりました。(まぁお話は解ってはいますが)

 ということで舞台の写真です。お素人さんの会ですので撮影は可能でした。この画像は橋がかりから舞台へと渡るところ。

Img_0009

 後場で山姥の正体を現した。

Img_0046

 「山姥山廻り」

Img_0075

 演能時間は1時間30分。地謡の前列にお座りの方には社中のお素人の方もおり、お疲れ様でした。

 この恵美寿会でのお話は、次の投稿「附祝言は祝言です」に続きます。