mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

最高裁判所裁判官国民審査その後

2009年08月31日 | 思索と考え

 昨日の総選挙、予想はされていましたが、見事な歴史の変換点となる結果が出ました。この総選挙についてはあえて書きません。書いたらアクセスは増えるでしょうが、私そこまでの論者ではないので・・・。

 で、エントリタイトルの「国民審査」ですが、一昨日にこの「国民審査を考えてみる」と題して、少し書いてみました。私の考えです。しかしこの国民審査は、大切な制度ですが全く活かされていないところに形骸化された問題点があります。

 今回、私もブログ作ってから初めての総選挙、つまり国民審査でもありました。この所何やら所用多く、いつでも読めるように国民審査資料を選挙公報と共にカバンにいれ、木曽へも神戸へもお供させましたが、結局資料に目を通すことはありませんでした。つまり白紙な状態で望む事になってしまいました。

 そこで、もうかれこれ何回目かの総選挙、つまり国民投票で、初めての棄権をしました。最高裁判事の顔も業績も信条も知らぬまま、白紙で出すわけには私自身の信条が許しませんでした。

 私の住まう所では、投票所ではまず受付で名簿と対象し、選挙区の投票用紙を交付されます。名前を書いて投票箱に入れ、次に投票所入場券の半券で比例区と国民審査の投票用紙を交付されます。その際、半券を渡す際に「国民審査は止めます。資料読んでないので・・・」と言い、初めての棄権をしてしまいました。

 比例区の名前を書いている時に後でゴチャゴチャ言うてる声が聞こえましたが、そう有ることではない行為で、事務的に「どうするべ」と困っていたのかも知れません。これ棄権(拒否)することは認められていますので、投票したくなければハッキリその旨言うことです。

 もっと言えば選挙の方、例えば衆議院総選挙の場合、選挙区だけ、或いは比例区だけ棄権する事も出来、この両方も棄権出来ます。そして投票総数からは除かれます。そんなことなら初めから投票所へ行かなくても同じですけどね。でも選挙に行ったという事実は残ります。(実際にそんな人がいるらしい)


CBCラジオ放送岐阜中継局

2009年08月30日 | ラジオ・テレビ

 2日前の弊ブログ記事、「久しぶりに三代澤さんを聞きました。」の文中で、CBC中部日本放送のラジオ、岐阜中継局の周波数を603kHzとなぜか間違って書いてしまいました。コメント頂いた馬並さんの指摘でハッと気付きましたが、正直なところ本当に思い込んでおりまして、お恥ずかしき次第です。

 そのエントリのコメント返信でも書きましたけど、NHK東京第一放送に周波数を合わせることが無くなったニ年ほど前からだと思いますが、まぁよくも大胆な勘違いをしていたモノですわ。

 で、そのCBCラジオ岐阜中継局。周波数639kHz、出力500wで岐阜県各務原市川島町から岐阜県方向に向けて送出されております。

 送信所のある地域や電波送出方向では、CBCラジオ本局の1053kHz出力50kwが十分受信出来る地域なのですが、地形の関係からか信号強度が弱まるらしく、結果同じ周波数で朝鮮中央放送が彼の国から送出され、夜間の受信感度がかなり落ちてしまうことが頻繁でした。これは岐阜県だけでなく、私の住まう一宮市でも、もっと言えば名古屋から北の方は大体そんな傾向の様です。

 そこで特に受信感度が弱まる岐阜県中西部向けに、10年前に岐阜中継局が新設されました。この岐阜中継局は川島町の西の端、東海北陸道のすぐ近くに建っており、ぶっちゃけ話、私の家から約4km北の地点です。

 さてここから私が不思議と思う話です。上に書いた通り、CBCラジオ岐阜中継局の電波は、4km先から送出されております。しかしながら私の家では、どうもこの岐阜中継局の受信感度が高く、昼間はほぼ常に弱く「サー」という音がしており、CBCラジオを聞く時は(最近その機会が少しだけ増えました)、1053kHzの本局に合わせております。

 この岐阜中継局は、南の方向には電波が飛ばない様に絞りを入れているのでしょうか。そんな岐阜中継局ですが西の方向には電波がかなり飛ぶようで、私がいつも携帯しているラジオでも、関ヶ原町内での東海道本線乗車中に、窓際に置いていても十分聞けるほどです。それでも山中の新幹線交差付近でほぼ限界となります。

 当地一宮市では、北からの電波はどうもことごとく弱めてあるような傾向で、岐阜放送ラジオ(ぎふチャン)1431kHzも岐阜市北西部の送信所から飛んでくる間に弱まってしまうのか、音声がどこか違う様に感じます。これは電波が弱いのか主調整での音声周波数成分がそうなっているのか、どうなのだろう。

 ま、CBCを聞く機会はそう多くはないですが、聞く際には大体1053kHzに合わせております。でもNHK第一から移動する時はこの岐阜は近くて手間がかからないという思いもありますけどね・・・。(NHK名古屋729kHz→CBC岐阜639kHz)


最高裁判所裁判官国民審査を少し考えてみる

2009年08月29日 | 思索と考え

 衆議院議員の総選挙では、明日が選挙期日、つまり投票日です。今は選挙期間中ですのであまり危ないことは書きませんが、総選挙と同時に行われる「最高裁判所裁判官国民審査」、これが何とも不思議な存在です。

 つまり最高裁判所とは、時には現行法律が憲法に違反しているとの憲法判断を行うことがあり、それゆえ「違憲立法審査権」を持つ裁判所としては最後の人権の砦となるべき裁判所です。

 その裁判所の裁判官が、砕けた表現をすると「ちゃんと仕事してるか」「こんな奴が最高裁判事でいるのはおかしい」などと国民の側から監視しなければならず、その監視の判断として「国民審査」があるわけです。

 何しろ人権の砦としては最も高い位置にいるものです。それだけに時の政府の意向だけで勤められてはいけません。それで定期的に「国民審査」を通じて国民からの判断を仰ごう、という主旨なのですが、これが事実上活かされていませんよね。

 私、裁判員制度は殆ど反対です。殆どということは少しは賛成なわけですが、所謂「総論賛成各論反対」というところでしょうか、裁判員制度の趣旨の一つは、国民の生の意見を裁判判決に活かそうということですね。であるならば、その前に一つやるべきことがあるではないか。

 それがこの最高裁判事の国民審査を、もっと生きた制度にすべきです。

 この国民審査、二つの意味で骨抜きです。一つは個々の裁判官にとって、国民審査の機会が少ない。二つ目は、あの国民審査用紙への記入がとても曖昧。

 一つ目の機会が少ないというのは、本来的な理想を言えば、国民審査は毎年やりたいところです。しかしそれでは経費もかかり、そもそも国民の側の負担もあったりして、全国規模で行われる衆議院の総選挙で国民審査も行うという「慣例」が出来てしまいました。そのため先回から間隔が1年足らずから今回の様に先回から4年の間が空くこともあります。

 そして裁判官は毎回審査を受けるわけではなく、最高裁判所裁判官に就任して、最初の国民審査で一回目、そして10年を経てからの国民審査で二度目、そしてまた10年・・・という間隔です。

 最高裁判所裁判官になる方って、結構お年を召しています。そのため事実上、就任直後の審査のみで二度目以降の審査を受ける方は殆どいません。しかも就任直後の審査でも、総選挙との時期のタイミングで極端な話、最高裁判所での判決を一度も出さないまま国民審査を受ける人もいて、これでは審査しようにも資料がありません。下級裁判所での判事であればその当時の裁判資料がありますが、法曹以外から就任した裁判官は本当に資料がないことになります。

 もっと言えば、就任して以後、国民審査の機会が訪れず、一度も審査を受けないまま退官する裁判官も過去には何人もいました。

 二つ目。総選挙に行かれた方は御存知ですが、あの審査用紙には審査を受ける裁判官の名前が縦書きで印刷され、止めさせたい裁判官の名前の上部に「×」を付ける、ただそれだけのやり方です。私これが気に入らない。逆に言えば何も印を付けなければ、その裁判官は信任という意味で、この用紙には「分らない」という意思は反映のしようがありません。

 この二つの理由で全く形骸化したものの代表格のようですが、何度も書く通り人権の最後の砦となる機関でもあり、国民との接点を保つ意味でも、また裁判員制度を本当に生きた制度とする為にも、この国民審査の制度を生き返らせたいものです。


高原に咲くコスモス・木曽開田高原

2009年08月27日 | 木曽・御嶽

 もう八月も終わりに近づき、月の初めと今頃とでは日の入りも早くなり、確実に秋の気配です。今年は真夏といえる時期が少なかったからか、「もう秋?」というのが正直なところです。

 秋の花、俳句の世界では朝顔も秋の花ですが、もう少し私のような無粋な人間でも秋らしい花と言えば、コスモス。「秋桜」とも書くことがあり、こちらは山口百恵さんの曲で知られるようになりました。

 そんなコスモス、今月半ばと先週末に、長野県木曽町の開田高原へ行った折り、咲き乱れていました。高原の秋は早いですね。そんなコスモスの画像から何枚かを投稿します。尤もコスモスを撮りに行ったワケでは無いので(ソバの花です)、そう何枚もは写しませんでしたが。

 御嶽の稜線を背にしました。撮影8月23日です。

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 同じ花を森を背に。

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 この日は御嶽の姿がよく見えました。午前中は旧三岳村黒沢口登山道にいて、そして昼過ぎにここ開田へ来ました。太陽が左から射して幾分半逆光ですが、御嶽の山肌、沢や峰などの様子がこの時間でもよく見えるほど。

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 上の画像、よく見るとなにやら変な斑点が。鳥でした。絞りをずらして数枚写しており、こちらには大きく写ってしまいました。折角の御嶽の姿が・・・。

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 そして隣はソバの花。この日のソバは又いずれ投稿するつもりです。(同じネタで引っ張る・・・)

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 壱面咲くコスモス畑。

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 今咲いてるコスモス。これからのコスモス。咲き終わったコスモス。まだまだ見頃は続きそうです。

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 ここのコスモス、8月14日はこんな感じでした。

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 ある一角だけたくさん咲いていた程度で、コスモス畑のところはまだ早かったです。

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 コスモスというと、名古屋の東山植物園でも9月に入ってから花が咲き出しますが、こんな一面「コスモス!」というところはあったかな。奥まった所のお花畑ではいろんな花で畑になっており、コスモス一種類の畑ではなかった様に記憶しています。

 集団交渉ではありませんが、数多いと存在感、いや威圧感が増すって本当ですね。なんだか話が脱線してしまいましたが、秋告げの花のようであり、秋を象徴する花でもあり、そんな秋桜のコスモス、良いですね。


栄のジュンク堂ロフト名古屋店へ入ってみました

2009年08月26日 | 書店・図書館

 本年7月12日に弊ブログで「ジュンク堂書店が名古屋栄に出店」と題して投稿した栄のジュンク堂が、8月14日に予定通りロフト名古屋の地下一階で開店し、先週に行ってきました。ちょうど開店から8日後でした。

 あそこのロフト、私にとっては本当は避けたい場所でした。というのは、店内の照明がどうもちらついて見え、頭が痛くなりやすいんです。脳波測定のフリッカー検査を受けているようで、これはあの照明の色なのか、壁面材の色なのか、この両者の調和なのか、はたまた照明器具の周波数が私の脳波と衝突しているのか・・・。

 というわけで少しだけ足が重いけど、なにしろジュンク堂さんの店舗ですので、行って見てきました。滞在時間は予定10分だけ。

 南側の入り口から、例の照明の下を通ってエスカレータで下へ降りると、そこは普通の蛍光灯での照明。一瞬にして目の奥のシコリがひく思いがし、やはりロフトの店内照明は私には合っていないようです。

 そして床は木目模様の床材を、建物の床よりも数センチ高めにして敷き、その上に書棚を並べたという、同じジュンク堂京都BAL店のよう。床材を敷いてあるのは、下に色々なケーブルが敷設されているのだろうか。また歩く時の柔らかさが良く、京都BAL店の雰囲気がいいのもこの木目の床材かも知れません。ただこの木目床材のため、エスカレータの場所では必然的に勾配を付けざるを得ませんね。

 そして予定10分ですので、とりあえずの見どころ(品数並べ具合)として、鉄道の書籍、コンピュータ関連、鉄道の雑誌、この三点をチェック。まずは雑誌コーナーの鉄道が置いてある場所は、これはイカンな。通路(書棚と書棚の間隔)が狭い。ジュンク堂さんにしてはなぜかここの幅が狭く、私が行ってカバンを通路において、雑誌を手に取り、落丁乱丁立読み痕跡チェックをするのには些か狭いです。空いていればいいのですが、発売日ともなれば人が多く、しかも最近は鉄道趣味の裾野が広がり、立読みする奴が多いんです。買えよ!。

 鉄道の書籍、う~~ん、微妙な品揃えだな。ここの通路はそこそこあって、心理的にゆとりが出ますが、京都BALの半分程度。そしてコンピュータ関連は・・・、ここで時間切れでした。書棚二本分を充てていたような記憶で、あとはどんな揃え方なのか、アプリと言語をどう分けているのか、関連する雑誌を近傍に置いてあるのか、そんなこんなは次回でした。

 初回にさらりと見た程度では、雑誌コーナー以外はまずまずの好印象。今後どの程度足を運ぶ事になるのか。ただ毎月21日の鉄道雑誌購入には使えなさそうです。