mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

明日から生レバー提供禁止・そんなに生肉が人気なの?

2012年06月30日 | 思索と考え

 本日は、2012年6月30日です。明日から飲食店での生レバー提供禁止だそうですね。そこでここ数日ほど、生レバーを提供している焼肉屋では連日、大賑わいだそうで、どこも「行列のでいる店」と化しているとか。

 そもそものこの措置は、昨年の「ユッケ」食中毒事故に端を発し、生食用の肉がほぼ流通しておらず、食中毒菌に冒され易いことから、厚生労働省では提供を自粛するのを求めたものの、今月に入って正式に、食品として提供するのを禁止となったのだそうですね。

 私、とにかく肉は食べません。嫌いではないですけど、あまり好みではないですね。とくに「焼肉」と呼ばれている、あのタレをつけて頂く、網焼きというのですか?、あれは肉の美味しい成分が下へ垂れ、そして煙がもうもうで、私は苦手です。

 そして昨年のユッケ食中毒事件。あれで分った事は、今日の日本ではユッケに限らず、肉を生で食べる人が多いらしいこと。とても信じられません。「肉はよく焼いて食べろ」と言われてきました。ステーキのレアでさえ怪しい部分があるのに、生ですか?私の知らないところで常識感が変わっているのだな。

 生レバー提供禁止は、結果的には当然でしょう。やっぱり肉は焼かなきゃ。食中毒を引き起こす菌があること思うと、危ないです。しかしそれを厚生労働省が一方的に禁止とするのはどうなのだろうか。余計なお節介だと思うんです。でも今はなんでも手に入り便利な社会になって、生きるための五感(嗅覚など)を働かす能力が弱まっている事を考えると、この措置は妥当なのかもしれません。

 ところで昨年の食中毒で発端となった、韓国料理のユッケ(??)、これも禁止なのですか?よく分りませんが。ユッケは生の肉ではありますが、かけるソースに松の実やにんにくが入ってそれが殺菌効果があるといわれており、韓国では伝統の料理です。日本で形だけまねれば食中毒の再来でしょうけど、食の精神も引き継いで提供すれば、大丈夫だと思うのですけどね。

 韓国語ミニ知識。ユッケ「??」。魚のお刺身「???(センソンフェ)」。どちらも最後「?(フェ)」で終わっています。これ「生食肉」の意味で、ユッケを日本後に直訳すると、「肉の刺身」です。ユッケなぞ食べたことないけど、韓国語学習で覚えました。


関電・余力3%未満の逼迫時は新快速半分に・JR西日本

2012年06月29日 | 鉄道

 昨日の京都新聞web版、及び本日の神戸新聞web版記事からです。関西電力の電力余力3%を切った場合の電力逼迫警報が発令された場合には、アーバンネットワークの新快速電車を一部、間引きして運転するとのことです。
京都新聞記事→http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120628000135
神戸新聞記事→http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005173406.shtml
JR西日本プレスリリース
http://www.westjr.co.jp/press/article/2012/06/page_2098.html 夏季における節電の取り組みについて

 この措置、両新聞記事によれば、「正午~午後3時の間、節電対策として1時間当たり上下各4本運転している新快速電車を、上下各2本とする。(神戸)」とあり、15分間隔、時間4本で走る新快速を時間2本にするわけで、さらに京都新聞記事では「正午から午後3時を中心に米原-姫路間の新快速の運行を減らす」とあり、30分間隔の米原~姫路間の列車が間引き対象(運休)になりそうな気配です。

 米原~姫路間は約2時間30分かかるので、正午~午後3時にかかる列車全てなのか、この時間帯だけ走る列車なのか、なにが運休対象になるのかは分かりませんが、本当に米原発対象ですと、個人的に影響が出そう。

 関西電力の前日に発表する、翌日の電力需給計画で、余力が3%未満となった場合には、政府が「需給逼迫警報」を発令し、その場合に新快速電車の計画運休を行うとの事。また駅では券売機やエスカレータを止めるとのことで、当日の段階で警報が解除されれば、通常ダイヤに戻すとのことです。


7月1日は1秒余計に入る・閏(うるう)秒挿入

2012年06月28日 | 季節・暦

 今度、日本では7月1日の一日の長さが、86,401秒になります。つまり閏秒(うるうびょう)挿入。

 昔はこんなのなかった。閏といえば旧暦の月とか、四年に一回の2月29日。地球の時点に基づく時の計測が、測定機器の進歩で大変正確になり、そのため自転速度が一様でないことがわかりました。

 地球の自転は、約23時間56分04秒で一回転します。「あれ?24時間ではないのか?」と思われる向きの為に。地球は自ら回転しながら、太陽の周りを回る公転軌道を行きます。地球のある地点で丁度真南に太陽が来た時、次にまた太陽が真南に来るのが一日の定義ですけど、自転の間に公転軌道を回る分だけ、その地点を真南に来るにはもう少し回してやる必要があります。それが約3分56秒の差となります。

 その自転速度が一様でない為、結果的にこの一日の長さも微妙に変わることとなります。大変些細な値ですので日常生活には影響はありませんが、計測機器には影響する事もあり、この実際の時刻と、日常運用している時刻との差を1秒を越えない様にするため、日常運用している時刻、「協定世界時(UTC)」といいますが、1秒近くのズレがある時に協定世界時から1秒を加えたり、逆に1秒を引いたりします。

 それが今度、協定世界時2012年6月30日23時59分59秒から始まる1秒間の次に、本来は存在しない6月30日23時59分60秒から始まる1秒間を挿入するものです。日本標準時は協定世界時に9時間を加えますので、我が国では2012年7月1日8時59分59秒の次に8時59分60秒が入ります。

 電波時計は自動的に修正されましょうが、普通の時計は7月1日以降1秒進みます。手動で修正せねばなりませんね。


6月大祓の休暇・明治6年・但し実施せず

2012年06月27日 | 季節・暦

 今年ももう6月27日。一年の折返しがすぐ目の前です。結局半年が過ぎてしまった・・・のは、読んでいる人の感想ではなく、書いている私の感想。

 その昔、日本が律令制で国家の体を為し始めた頃、国家と民の穢れを払う宮中の行事を年二回行う事が定められました。一つは年末(大晦日)、もう一つは一年の折返しとなる6月の末日(晦日)。一年で最も寒い時期と最も暑い時期に邪気や災難を祓うもので、当時は祭祀と政(まつりごと)が一体となっていたもの。これを大祓(おおはらえ・おおばらえ)といいます。

 やがてこの大祓は中国伝来の「追儺(ついな)」の行事とも結びつきます。旧暦の時代ですので6月の大祓は立秋前日の節分に、また12月の大祓は立春前日の節分に日にちがほど近く、いわゆる「鬼」が登場するなどの行事に変化していきました。冬の節分の豆まきなども追儺、夏の茅の輪くぐりも追儺の神事として今日に伝わっているものです。今年の旧暦6月晦日(今年は大の月となり30日)は、8月17日になります。

 この年二回ある大祓も、12月の方は国家そのものの安寧、そして個人の穢れ祓い、6月の方は個人の穢れ祓いと健康祈願の意味合いが強かったようです。

 そして明治6年1月1日、日本ではこの日から太陽暦に変更されました。明治の改暦です。旧暦より約一ヶ月早まる事になりました。この明治6年1月7日、官職(公務員)向けに太政官布告が出されました。

  • 明治六年一月七日太政官布告第二号
     休暇日ヲ定ム
     自今休暇左ノ通被定候事
     一月一日ヨリ三日迄 六月二十八日ヨリ三十日迄 十二月二十九日ヨリ三十一日迄

 これ、今日の年末年始休日の始まりとなる決まりですが、12月29日~翌年1月3日までと6月28日~6月30日までと二期に亘って規定されています。年末年始の方は、まさしく年末年始休みですね。6月末の方は、こうして考えると大祓の休みとも考えられ、年末年始休みはこの大祓の理由も当初はあったと考えられます。

 この6月末の休みは、きちんと実行されたかというと、同じ明治6年にこんな太政官布告が出されました。

  • 明治六年六月二十三日太政官布告第二百二十一号
     第二号布告中六月二十八日ヨリ三十日迄ノ休暇取消

 明治6年6月23日に出されたもので、1月7日の布告のうち、6月28日~30日の休みの規定を取り消すもので、要するに6月28日~30日の休日は一度も実施されなかったわけです。5日前に急遽、取り消されたわけですね。

 今年は日本で太陽暦が始まって139年。139年前は徳川幕政時代と明治維新政府とのそれぞれの習慣が交錯していたでしょう。6月にも一時とはいえ、こんな休みを設けたその時代背景、やがて国家神道へとつながって行く一端だったのかも知れません。

※※※
 6月の大祓のことを「水無月祓(みなづきばらえ)」といい、同名の能の曲があります。


宝塚市に歌劇町が・宝塚歌劇100年の2014年に町名変更

2012年06月24日 | 地理・地名

 讀賣online関西発、2012年6月23日付けからです。宝塚歌劇団の本拠地、宝塚大劇場のある兵庫県宝塚市の町名が、宝塚歌劇団創立100周年を迎える2014年に、今の栄町から歌劇町に変える方針であるとのことです。
記事→http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120623-OYO1T00362.htm

 宝塚市長の弁で、「街の好感度を上げてくれた市の宝を最大限支援したい」とのこと。今後の流れで、地元の了承を得、来年の4月に市条例に基づく住居表示審議会に諮り、市議会に提案した後、可決了承を得て、2014年4月に実施したいとのことです。

   ◇   ◇   ◇

 兵庫県宝塚市歌劇町・・・。たしかに今、「たからづか」といえば、殆どの方が宝塚歌劇を連想するでしょうね。甲子園と言えば野球場というほどに。

 そんなことから宝塚大劇場のある栄町が歌劇町にしたいとのことで、栄町は1~3丁目までの全てなのか、それとも大劇場のある1丁目だけなのか。

 その大劇場のある1丁目も地図で確認すれば、大劇場の横を通る阪急今津線がもう町界で、その向うは武庫川町。ガーデンフィールズのあることろ。つまり一番外れ。

 そして栄町1丁目は花の道をソリオ阪急の手前までで、宝塚駅やソリオ阪急のあるところは2丁目、さらにその向う(北西)は3丁目で、その先は西宮市。


大きな地図で見る

 実は宝塚市の名称自体も、ひょっとして歌劇団由来ではないかと思っています。

 宝塚歌劇団は元々は、箕面有馬電鉄が線路の終点にお客を呼ぶ為に、温泉がある地に遊園地やプールのある娯楽施設を造り、夏以外はプールがつかえないので、その場所をミュージカルなどの上演の場としたのが始まりです。

 そして専属の歌劇団を養成してその名が宝塚少女歌劇団、後に「少女」を外して今の宝塚歌劇団となりました。

 宝塚市は、1951年に小浜村が町制施行の際、名称も変え、宝塚町(たからづかまち)となりました。宝塚の名は旧町村にはなく、いわゆる小名や単なる地点名にあったらしいですが、古い地形図では武庫側の右岸、つまり大劇場の対岸に宝塚温泉街があり、地名注記として「宝塚」の名が見えます。そこは良元村の区域。良元村は1954年に宝塚町と対等合併(合体)で、新たに宝塚市が設けられました。

 なので、1951年に川辺郡小浜村の町制で宝塚町となったのは、温泉もあり既に有名な存在である宝塚歌劇団の名前でもある宝塚から付けたのではないかと思います。この市名由来は市史などで確認していませんので、あくまで推定です。