昨日投稿の「メーグル」に書いた通り、11月23日は、観世流久田勘〓(區に鳥)先生主宰の久田観正会社中による能がありました。お目当ては、卒塔婆小町・一度之次第と、菊慈童・遊舞之楽の二曲です。
卒塔婆小町は一度之次第の小書き通り、「次第」はシテ登場の一回きり。つまりワキの高野山の僧が都への途上、鳥羽の辺りで老婆と出会い、その老婆が卒塔婆に腰掛けるのを見咎めることから曲が進んで行きます。通常は先にワキの僧が次第の囃子で登場しますが、これをカット。いきなりシテの老婆が登場する次第で始まり、シテは幕から舞台まで橋掛かりを10分あまりかけての歩み。こうした演出で、シテの老婆は実は趣のある奥深い人物であることが伝わってきます。その老婆は実は後年の小野の小町なのですけど。
シテの方は名誉師範披露ということで、実力が備わった方でした。橋掛かりを10分もかけての歩みは、道成寺の乱拍子にもひけを取らないほど集中力を必要とするでしょう。声もしっかりとし、昔の栄華をしみじみと語り現在の境遇を嘆く様子は、もう十二分に年老いた小町そのもの。鳥羽(京都市伏見区)の光景が思い出されます。尤も今の地は建物ばかりが並んでいる所なのですが。
次に菊慈童。こちらは観世流の稽古本にも収録されている曲で、比較的易しい曲内容です。しかし曲の易しさと曲趣を表現するとでは大きく違い、それなりの実力が無ければ舞うのが結構難しい曲でもあったりします。
小書きの遊舞之楽が、正直申し上げますとよく分からないのですが、途中の舞事の部分、通常は楽(黄鐘調と盤渉調)がありますが、少し異なった囃子あり、その辺りに小書きという特殊演出であったかと思います。
中国の昔、魏の頃、レッケン山から不思議な水が湧き出のでそれを見てこい、との勅命を受け勅使がやってきます。すると菊花乱れる中ならひょっこり少年が現れ、聞くとその少年は実は700歳もの長生き、長生きどころか老けていない。それは周の時代に遡りますが、ちょっとした行き違いで周の王から遠ざけられました。事情を知った王は過ちを悟り、とある詩を少年に送りその詩を菊の葉に移すと、葉の露が霊水となって700年経った今日でも若々しいという。
そんな目出度さを舞で表し、やがて山中へ消えて行くという、そんなお話が菊慈童です。シテは女性の方でしたが、柔らかい動きがとても慈童らしく、さわやかな秋のヒトコマです。