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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

取水制限と給水制限

2016年06月15日 | うんちく・小ネタ
 今年の梅雨は、梅雨に入ったものの、少雨傾向が続き、国土交通省の地方機関である関東地方整備局は、16日から利根川水系からの取水制限を行うとの発表がありました。
 これに関して、渇水の水道でよく使われる言葉として「取水制限」と「給水制限」がありますが、この二つはどう違いのか、ということをあるラジオ番組で話されていました。
 これ意外と混同、というか区別されている方は少ないのかもしれませんね。

 取水制限というものは、水道水利権を得ている水道事業者が、水源となる河川から水を取り入れる際の流量を制限(減らす)するもの。

 対して、給水制限とは、水道の需要者(各家庭・工場等)へ送水する流量を制限するもので、基本的にはポンプ送水を行っているところではポンプ圧力を減圧させます。
 減圧給水なので、各家庭などの水道の蛇口からは水は出ますが、その水の勢いは減ります。高台などでは水が出なくなることもあります。
 この減圧給水でも制限を与える場合は、時間給水となります。通常は24時間給水が行われますが、これを時間を区切って給水を行うもの。いわゆる「断水」というものが行われます。

 かつて愛知用水では、平成6年の夏に深刻な異常渇水が起き、19時間断水が行われたことがありました。
 愛知用水の水利権を得ている、木曽川水系の王滝川の牧尾ダムの貯水率が極端に減り、そこで、19時間断水という強烈な断水を行いましたが、数日で木曽川の水利権を得ている名古屋市から分けてもらい、19時間断水は解消されたことがありました。
 この時の断水している地域の方の話では、給水区域全て水が出ないのではなく、水道管の保持?のため、部分的に水道管に水が流れてはいないけど、水が来ているそうです。
 これは、完全に水道管から水が無くなると、具合が悪いことがあり(赤さびなどが混じるのか?)で管理上、水を残したままにしてあるそうです。断水のおかげで水道のイロハが分かりました。

 関東地方では当分は、まとまった雨が水源地の山間部では降りそうな様子が見られないことから、渇水は当分続きそうとのこと。

 余談ですが、平成6年の19時間断水の際は、名古屋市の東隣接の日進市も断水エリアとなり、名古屋市営地下鉄鶴舞線の日進車庫が日進市にあるため、車両の洗車機が使えず、鶴舞線車両の洗浄が行われないまま使われたことがありました。
 また、赤池駅では駅のトイレが使えず、駅員は一駅隣の平針駅まで電車に乗り、トイレを使っていたという話も聞きました。

エイプリルフールは午前中だけ

2016年04月01日 | うんちく・小ネタ
 今日は4月1日、エイプリルフールです。毎年エイプリルフールネタを書いていましたが、今年は、頭の余裕が無く、企画ができませんでした。
 そこで、エイプリルフール自体を、私の浅学から。
 暦に関することが発祥と伺っていますが、暦ネタとせず、雑学ネタとしました。

 諸説あるうち、従来、年初を4月1日(に相当する日)としていたものが、ある時代に1月1日が年始となり、これに反発した国民が「四月バカだ」と騒いだのが始まり、というのが一説にあります。
 ただ暦の変遷からすると、年代が合わないので、「一説には」としておきます。

 日本でも明治5年12月2日の次の日に太陽暦が施行されて、突然明治6年1月1日になり、それは世の中が大混乱だったそうです。年末の忙しさを通り越してお正月になってしまったわけで、まるで「ウソたっだ~」かのように。なので暦の変更説はありえますが、どうも年代が合いません。

 このエイプリルフールから派生した言葉で、フランス語に「ポワソン ダブリル」という言葉があります。
 ポワソンは魚、ダブリルは、不定冠詞(des)を付けた、四月(avril)で、「d'Avril」つまり、合わせると「四月魚」。
 ここでいう魚とは鯖のことで、鯖は利口ではない(=バカ)ので、4月になると誰でもつかまえられてしまう。

 4月は禁漁期で、冷蔵庫も無い時代故、お魚が頂けず、そこで転じてあり得ないことを指す言葉で「ポワソン ダブリル」でからかうようになった、と伺っています。
 
 そこで登場したのが、お魚の形したお菓子。パイとかチョコレートでお魚を象ります。
 なので、3月末に近づくと、この「ポワソン ダブリル」のお菓子が多く販売されるのですが、何でも商機に結びつける日本ですけれども、なぜか、この「ポワソン ダブリル」菓子は普及しないようです。
 昨今はイースターさえも商に結びついているそうですが。

 あ、それとエイプリルフールの有効時間は、午前中だけです。
 4月1日正午以降は普通に(正直)に過ごさねばなりません。
 弊ブログ、過去の4月1日記事はそのままで、年中見られてしまいますが。

公開空地

2016年03月28日 | うんちく・小ネタ
 一宮市民病院の北側道路、車両が通るアスファルトの部分は、幅5mほどですが、病院の前だけ、(見た目)歩道幅がぐんと広くなり、病院前の緑地帯とそのまま続いています。

 この道路幅が、


 病院前だけこうなります。


 上の画像、中央の二条の金属のライン右側が、道路と病院敷地境界で、ラインから右側は病院敷地です。歩道と同じ平面で、表面仕上げも同一で、歩道空間と一体となってます。
 病院の北側はこのような広場に駐輪場がありますが、ここには広い駐車場はありません。


 正面玄関近くの敷地内の公園。


 このような空間を公開空地(こうかいくうち)と言います。


 2年前にここに入院していた時、身内が来ると(お見舞いに来ていただくと)異口同音「駐車場が混んでてたいへんだぁ」というセリフが伴います。
 入院前、市民病院は建て替え工事をしていたのは知っていましたが、入院半年前からとても体調が悪く、自転車に乗れない状況が続いていましたので、建て替え工事が完成してことが知らないまま入院で、どのようなレイアウトなのか、全く分かりませんでした。
 なんで駐車場を設けないのだと、いうところで、病院内のQ&Aにも同様の質問があり、それに対する総務課からの回答は、「新しい病院建物の建蔽率を確保するため、敷地内に一定の公に解放された空地を設ける必要がありますので、ご了解ください」というもの。

 公開空地とは、いわゆるオープンスペースのことで、建築基準法に定められている制度、この公開空地をもうけることで、容積率や高さ制限の緩和がなされます。
 一宮市民病院は新しい建物は11階まであり、この11階建てでは制限があり、通常では高さ制限でこの高さの建物は建てられません。
 そこでこのような公園のような空地を設けて、高さ制限を緩和して11階建て建造物が建てられるようにしてあるもの。
 近年の大規模開発による高い建物は、どこもオープンスペースがあります。
 最近オープンした大名古屋ビルヂングにも北側にオープンスペースがあります。

 一宮市民病院の公開空地。中島通側から。ベンチが置かれ、公園としての機能がいっぱい。
 病院建物に沿って自動車が並んでいますが、ここは駐停車禁止のところ。通院の人が乗り降りする場合に限って停まれるだけなのですが。


 中島通側の公開空地。公開空地内のスペースにバス停留所を設けたもの。


 金属のラインが、道路敷地と病院敷地の境界。
 なのでバス停設備は全て道路用地内ですが、この場所にバス停を移設した際は、「病院敷地に停留所を移設」ということでした。

 バスペイです。


 前記の通り、市民病院のレイアウトを知らなかったため、公共交通会議で「病院敷地内にバス停移設」とは病院前までバスが入るものと理解していました。
 入院して点滴が外れたらリハビリ開始で、車いすに載せて、いろいろ連れて行ってくれました。その際にバス停前まで来て、病院正面ではなく、バスルートは中島通からは外れず、停留所の票柱などが病院敷地に設けたのが分かった次第。
 このバス停が設けられるのも、公開空地によるものです。
 バスペイ(路線バス停車スペース)で歩道幅が狭くなりますが、公開空地に歩道機能を与えているもの。

 なお一宮市民病院の駐車場ですが、どこかにあるらしいですし、少し離れた第三駐車場からは駐車場送迎バスがあります。

街道の宿場の中心施設は問屋場

2015年08月12日 | うんちく・小ネタ
 東海テレビの午前の番組に「スイッチ」という番組があります。情報ワイド番組の位置づけで、2年前の入院中に、この番組があるを知りました。
 その中に、不定期ですが東海テレビの高井一アナウンサーによる「はじめまして」のコーナーがあり、2年前に見たときは、物づくりの体験、今は街道を行くというサブタイトルで、旧街道を歩いておられます。
 名古屋と中山道の垂井を結ぶ美濃街道に続き、今は中山道を垂井から東へ向かって歩いています。
 今日の放送で、やっと鵜沼の宿に着きました。加納の宿から鵜沼の宿はざっと17kmあり、かなり離れています。

 そして気になるのは、それぞれの宿場で、本陣や脇本陣を紹介しています。
 本陣。脇本陣が宿場の中心かのように。

 宿場で一番の中心は、問屋場(といやば)です。
 そもそも宿場は、文字で書くと「宿」場で、旅人の宿泊施設が多く集まったところ、という認識の方が多いですが、宿場の宿屋はむしろ付帯設備で、宿場の最重要施設は「問屋場」です。
 問屋場は人馬の継立の業務を行うところで、幕府公用の書状や物品を次の宿場に移送する業務を行うところです。
 また大名行列の人足と馬を取り次ぐ業務もあり、幕府の意志を全国に伝送させる重要な業務を行っていた場所で、人・物品の移動が暫し止まるところなので、宿屋も集まり、宿場の町が出来てきました。
 「宿場」なので、大名が宿泊する華やかな施設で、本陣・脇本陣が中心のイメージなのだろうと思います。

 しかし宿場の業務で最重要施設は問屋場です。

 この江戸時代の宿場、明治維新で王政復古により、宿場の以前の名称であった「駅」を復活させ、「宿」を「駅」と改めました。
 明治初期の地形図で、鉄道も無いのに「何々駅」とあるのは、街道の旧・宿場です。

信号機の橙色の青は元は緑だった

2015年04月09日 | うんちく・小ネタ
 先日、ラジオで「信号機の進めを表す橙色は緑色なのになぜ青色というの」というテーマを取り上げ、その前段階として道行く人に訊ねていました。

 私、信号機の橙色は赤・黄・青と思っていますし、そう見えますが、青を緑と言う方がいるそうですね。
 そこで、緑色なのになぜ青なの?というのが、趣旨でしたが、掘り下げていくと昔は本当に緑色だったそうで、道路交通の規定にも「緑・黄・赤」と規定されていたそうです。
 ここからな日本語の妙で、古来からのやまとことばには緑色を指す色の言葉無かったそうで、白と赤の中間色は「あお」で表現されていた。新緑のことを「青葉」というのも、緑は最近になっての言葉で、有名な句に「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」も目に新緑とならなかったのもやまと言葉には無かったものだそうです。

 そういうわけで、信号機の橙色も緑色なのに、「あお」と呼ばれ、やがて本当に青色電球に変わった、ということだそうです。

 この話を伺い、今、青色に見えても不思議では無かったわけで、私の色彩感覚がおかしいかもしれませんが(若干の色覚異常はあります)昔から緑色には見えませんでした。

 現在は、言葉の通り「青色」に近いものになっており、改めて言われれば、緑色にも見えないことはないなぁ、と思うようになりました。

 首都圏の国電常磐線の色「エメラルドグリーン」も「あお」色という方も「みどり」色という方もいました。
 一宮市内にある、のっぺらぼうの信号機。

 あおに見えるのだけどなあ。

 LEDの発光体で、信号機本体は大変薄く、まるでのっぺらぼうです。

***
 この元は緑色だったことを聞いて、鉄道における信号現示を表記する表示方法の「青色」を「G」とする理由が分かりました。
 Gは「Goo」だと思っていましたが、「Green」のGだったのでした。そういえば、赤は「R」、黄は「Y」ですので、それらとの整合性はとれます。

 ちなみに進行は「G」、減速は「YG」、注意は「Y」、警戒は「YY」、停止は「R」です。