mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

四條畷市と四条畷駅・駅名の改称は当面ムリ

2010年01月31日 | 地理・地名

 Yahoo!japanのトピックスから。大阪府のJR片町線(学研都市線)の四条畷駅について、四條畷市から「條」の字が違うことから駅名変更を要請しているものの、JR西日本としては変更の費用を出して頂けるなら応じるということなのですが、その費用数億円。よって駅名変更されないままであるという記事がありました。

 この記事、産経新聞に掲載されたもののようで、四條畷市としては7年前から「四条畷」とあるものは「四條畷」に変更をお願いしているところ、その殆どが変更に応じて頂けたが、市の玄関でもあるJR片町線(学研都市線)の駅名だけは応じて頂けない。その理由としてJR西日本としては変更費用を自治体、この場合は四條畷市が負担するなら変更に応じるという回答で、とても四條畷市としては負担出来る金額ではなく、市としてはお願いするしか無い・・・と頭を抱えているそうです。

 実際、駅名変更にはキッチリやろうとするとかなりの費用がかかります。旅客接客用としてまず運賃表。現在四条畷駅以外の運賃表に「四条畷」とあるモノは全て書き変えねばなりません。シール貼付で済ませられますが、それでも300駅から400駅はありそう。

 また全国のJRの駅に備えられる運賃台帳を直さねばなりません。現在は99%は機械で発券するのですが、それでもごく稀に手書きで乗車券を発券することがあります。そして内部的になりますがその機械、つまり販売システムの改修をせねばなりませんし、今は自動改札機のデータもそう、また乗務員の持つ時刻表、各駅の「何々方面」などの案内サイン・・・、数多いですね。

 さて、この四条畷駅、四條畷市ではなく大東市にあります。尤も市境ギリギリの所で、下り場内信号機は四條畷市内にあり、構内の一部は四條畷市にかかっているともいえますが。

 なぜ四条畷駅が「四条畷」駅になったのか、私なりに推定してみました。あまりこちらの方面の資料は持ち合わせがないもので。

 四条畷駅。駅開業は1895年(明治28年)に浪速鉄道という私鉄により開業致しました。駅開業当時の地名は讃良郡(1896年北河内郡に改称)四条村。そして近くには楠正成公縁でもある四條畷の戦いがあった場所があり、駅名を「四条畷」としたのではないかと思います。

 で、四条村の境界向うは同郡甲可村で、この甲可村が1932年(昭和7年)に自治体の名前を変える事になりました。その名がなんと「四條畷村」。ここに四条畷駅が四條畷と異なる名称になり、そして四條畷には無い四条畷駅というある意味、話題提供ネタとなることが始まったというワケです。

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 四条畷駅を開業させた浪速鉄道のこの線路は、2年後の1897年には関西鉄道(かんせいてつどう)に移管され、関西鉄道は名古屋まで線路を伸ばし、また大阪市内の網島駅に線路を伸ばしてこの四条畷駅を、つまり片町線を名阪間の列車が走ったものでした。

 ところで四條畷市というと、元MBSのSアナウンサーを連想します。今はテレビに出ておられるそうですね。以前は「すみからすみまで」をよく聴いていました。条件電話、これ面白かったです。


四条河原町阪急・秋に閉店

2010年01月30日 | 京都

 先日、有楽町マリオンにある西武百貨店が閉店を決めたことが伝えられましたが、昨日、京都新聞web版他によれば、京都の四条河原町阪急が、この秋に閉店するということです。四条河原町阪急の運営者であるエイチツーオーリテーリング(H2O)で28日、発表されました。

 閉店の理由として、店舗面積が狭く事業展開に限りがあることの他、10年ほど前に開店したJR京都駅構内のJR京都伊勢丹の影響が大きかったそうで、売り上げが最盛期の三分の一にまで落ち込んでいるのだそうで。一昨年のリーマンショックの影響が大きかったということ。

 私としてはあまり・・・というか殆ど・・・縁の無い所でありますが、四条河原町交差点の南東角に建つ大きなシンボルではありました。この百貨店は1976年の開店で歴史が浅いんですね。売り場に入ったこと無いので存じませんでしたが、主に若者向けファッションを扱っているそうで、若者文化の多種多様で、必ずしも一店で事足りるのではないでしょうし、その辺りのニーズに応えるにも売り場面積の狭さが足かせになっていたかも知れませんね。

 四条通、河原町通、いずれも一階前はいつも賑わってるように見えますが、それは待ち合わせの方々ばかりだそうでして、実際新聞社サイトの見出しにも「一番いい待ち合わせ場所が・・・」というのもあり、それなら店の前が賑わっていても中にはあまり関係がなさそう。

 上で私にはあまり縁が無いと書きましたけど、二度だけ7階だったかなレストラン街は利用しました。スポンサー付きの行動の時に行きまして美味しく頂きましたけど、う~ん平日の夕食時間でしたが一寸空き気味だったようです。下の売り場でもそんな感じだったのかな。

 もうひとつ、縁が無いけど縁がある話、前の四条通下には阪急の河原町駅があります。この駅コンコースから地上へ出る階段が非常にややこしい。そこでどうしても利用する階段が限られますけど、その一つが阪急百貨店地下一階を通るルート。途中で折り返す所があり、そこは百貨店通用口でして、まだこのルートを知らなかった時は「通っていいモノだろうか?」と引き返したことがありました。

 京都市一番の繁華街、四条河原町の阪急百貨店が閉店するということで、阪急電車のマルーンによく似た外観ともお別れでしょうか。建物はこれまで四条河原町阪急がテナントとして入ってる形だそうで、百貨店部分の閉店後もレストラン街はエイチツーオーリテーリングの関連会社により営業が継続されるそうです。なお正確な閉店日は未定です。


尾張一宮駅に特急列車停車は必要か

2010年01月29日 | 鉄道

 暫く前に私のこのブログ、2009年5月26日投稿「忌まわしき尾張一宮駅10時43分発【ボヤキ】」に検索からのアクセスがありました。その検索キーワードとは、

“尾張一宮駅に特急列車停車は必要か”

とまぁ、何ともストレートなキーワード。吹き出してしまいました。そこで今回のエントリタイトルにしましたけど、そこで検索にあったYahoo!知恵袋に、「特急しらさぎは全列車尾張一宮駅に停車するが、ひだは何故通過する列車があるの」というような内容の質問がありました。

 尾張一宮駅。私が現在最も多く利用している東海道本線の駅で一宮市にあります。特急列車の停車ねェ・・・。優等列車の停車駅選定は難しいモノがあり、単に利用者の多寡だけでは決められないものでして、その列車の設定目的に応じて個別判断するのが一般です。

 このYahoo!知恵袋にあった「しらさぎ」は、新幹線連絡を含んで名古屋地区と北陸地方を結ぶ特別急行列車で、全てのしらさぎが尾張一宮駅を停車します。名古屋「地区」のとおり名古屋近郊も含まれると考えられ、一宮市も岐阜市も対北陸の需要の為に停車しています。ならば稲沢市の稲沢駅はどうなのか、清須市の清洲駅は・・・、と言い出すとキリが無く、そこで駅利用者数や駅勢圏内の人口を加味しているのでしょう。

 さて、「ひだ」です。「ひだ」も新幹線連絡を含んで名古屋地区と高山本線を経て高山方面を結ぶ特別急行列車ですが、尾張一宮駅には上り下りとも各10本中7本が尾張一宮駅を通過しております。つまり停車するのは上下各3本で、特急「ひだ」の大多数が急行「のりくら」の格上げ列車である事を考えると、尾張一宮駅利用者にとっては不便になっておりますね。しかしなぜ「ひだ」は通過する列車が多いのだろう?。

 いや、かつては「ひだ」も全列車が尾張一宮駅に停車していました。それがダイヤ改正の度に通過列車が一本増え一本増えして今や停まるのは上下各3本。思うにこれ、高速化の措置でしょうか。1分でも所要時間を短縮させたい、そんなダイヤ編成の想いがあるのでしょう。

 ところで二昔も三昔も前、東京⇔西鹿児島間急行の「桜島・高千穂」号という、鹿児島本線経由の「桜島」号で24時間を、日豊本線経由の「高千穂」号で28時間を超える運行時間の今では伝説の列車がありました。東海道区間は昼間通るからなのか、この列車は尾張一宮駅に停まっておりました。何故尾張一宮駅に停まってたの?。一宮市など尾張西北部地方は毛織物産業が盛んで、そこに従事する工員・女工さんたちは九州など西日本出身の方が多く、そこで「桜島・高千穂」も尾張一宮駅に停まっていたのだと聞いたことがあります。

 昔は集団就職という時代があって、3月も下旬になると中学卒業したての方々が揃って尾張一宮駅ホームに降り立ったものだそうです。定期列車の他、集団就職専用の列車もあったほどで、一宮市や尾西市の繊維産業を支えてきました。

 さて、尾張一宮駅10:43発の快速、投稿してその後1度乗りましたが、さすがにブログ記事にしたほどで頭に記録され、乗り遅れることはありません。しかしこの快速を2分早出しさせる大阪しなの、どうにかならないのか。関西へ向かう時にすれ違いますけど、遅れっぱなし。数分のレベルからダイナミックに1時間も遅れるなど、定時運転率4割程度。西日本のアーバンエリアの乱れがそのまま引きずっています。余談ですけど、この大阪しなのの遅れで、中央本線木曽区間のダイヤも乱しているんでっせ。


稲沢市コミュニティバスの断面輸送量

2010年01月28日 | 稲沢市コミュニティバス

 二日前に稲沢市コミュニティバスについて、稲沢市地域公共交通会議の資料を見ながら、本年7月の一部変更について書いてみました。

 運行の変更にあたって当初は現経路の途中で分割し、一運行系統の延長を短くして所要時分も短くするという、ある意味暴挙な案が示され、それが可能か、分割する地点でどの程度跨って乗られるお客さんがいるのか、OD調査(※)の結果に基づいた案なのかという意見があり、稲沢市で昨秋OD調査が行われてその結果も資料として報告されております。

※ OD調査:Origin(起点) Destination(終点) 調査  区間流動量調査

 調査日は2009年9月11日、12日、30日、10月1日、5日、6日の六日間。細かい数字は稲沢市地域公共交通会議2009年12月22日の第11回資料を見ていただくとして、私が目を引いた数字としては、当たり前と言えば当たり前ですが、東西幹線の国府宮駅停留所は、各停留所とは満遍無く流動があります。無いのは隣接の市民病院停と小沢停のみ。

 またヨシヅヤ新稲沢店停とアピタ稲沢店停は、アピタの方が乗降客数が多いのですね。あと尾西病院停も乗降が多く出ておりますが、私がこれまで乗った便では一度しか乗車がありませんでした。

 OD表を見ていて、南北幹線の平和町の方面では何とも白々としており、極めて利用が少ない事を示しています。路線の引き方に問題があると考えますが、断面輸送量としてはどのくらいなのか?、また東西幹線も最混雑区間と言えるのはどこなのか?、OD表を基に断面輸送量を出して見ました。以下の表です。単位は一日あたりの人数。

クリックで拡大。
Inazawaod

  資料のOD表は一日あたりの数字で四捨五入してあり、それを基に数えておりますので、値には0.1~0.3程度の誤差があります。また追加便(満車になった際に手配するタクシー)では調査は実施しておらず、当然数字には含まれません。

 この表から東西幹線の「最混雑区間」は祖父江行きでは城見ヶ丘⇒美術館・保健センター間、稲沢行きではヨシヅヤ新稲沢店⇒市役所南間。また城見ヶ丘⇒小沢ももうの一つ山となっています。南北幹線では往復とも奥田駅⇔奥田郵便局となっています。また南北幹線では平和町方面から大里駅停及び奥田駅停で輸送量段差があり、意外とここで鉄道に乗り換える需要があるように読めます。

 しかし南北幹線。平和支所・らくらくプラザから先の方では極めて利用が少ないですね。1日で1人を下回る数字は、一日何便か走っても何方もお乗り頂けない日もあるという意味です。

 例えばヨジヅヤ平和店から須ヶ谷まで0.2人という数字が出ております(逆は0)。運行回数は一日3.5往復(平和町行き3回、稲沢行き4回)、調査期間は6日間、そのうちの1日にお一人の方が乗られたものと推定でき、6日を1で割り0.166・・・。小数二桁で四捨五入し0.2人。運行回数は一日4回(稲沢行きが4回)で6日間24回運行してやっとお一人という数字です。

 この平和支所・らくらくプラザ~ヨジヅヤ平和店間は0.8から0.9という数字は、一日3.5往復、つまり7回走ってもお客が乗ってこない日があるということで、いままでこのブログで祖父江町コミュニティタクシーの事をさんざん「惨憺たる結果」と評してきましたが、祖父江のタクシーはお客がいなければ走らずに済みますけど、南北幹線では定期運行でお客がいようがいまいが走らねばならず、むしろ南北幹線の平和町地域の方が深刻かもしれませんね。

 決して人口が少ない地域ではないですし、かつては名鉄バス三宅線が通っていた地域でもあり、やはり現状の冗長過ぎる路線の引き方が避けられているのでしょう。やはり一度乗ってみなければなりません。


ロウバイ満開・東山植物園

2010年01月27日 | 東山植物園での花・植物

 東山植物園のロウバイです。三週間ほど前に東山植物園でロウバイが咲き始めたロウバイを投稿しました。その後です。もうすっかり咲き誇り、枯れ野の中に黄色い花いくつかで全体が膨らんだ様に見えます。

 しかしその一方で、満開になると香りが少し減るのですか?。咲き始めの頃よりもあの好い香りが少なく感じました。1月24日の印象です。

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 場所は也有園の武家屋敷門そばのソシンロウバイ。

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 24日は昼間ランの館で演奏会があり、その後に行きましたので夕方到着。当然光線不足なままの撮影です。

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 暗い画像だけではナンですので、1月16日撮影分を。

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 場所は同じ武家屋敷門そばです。

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 やはり晴天下の黄色い花は綺麗ですね。

 1月16日にも東山へ行ったのにはワケがあり、搬出を待つ蒸気機関車C62がどうなっているのかと、翌日に柵の中へ入っての公開があるということで、前日の様子を見てきました。こんな画像ですいませんが、柵は既に取り外して撤去されていました。

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 その外された柵は無造作に置かれていました。

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 そして一週間後の1月24日。部品取り外しが行われてるのか、蒸気機関車の周りが覆いで囲まれていました。

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 植物園では奥の梅園で梅が咲き初めているそうで、雪が多かったもののやはりこの冬は暖冬傾向、春の訪れは早そうです。