Yahoo!japanのトピックスから。大阪府のJR片町線(学研都市線)の四条畷駅について、四條畷市から「條」の字が違うことから駅名変更を要請しているものの、JR西日本としては変更の費用を出して頂けるなら応じるということなのですが、その費用数億円。よって駅名変更されないままであるという記事がありました。
この記事、産経新聞に掲載されたもののようで、四條畷市としては7年前から「四条畷」とあるものは「四條畷」に変更をお願いしているところ、その殆どが変更に応じて頂けたが、市の玄関でもあるJR片町線(学研都市線)の駅名だけは応じて頂けない。その理由としてJR西日本としては変更費用を自治体、この場合は四條畷市が負担するなら変更に応じるという回答で、とても四條畷市としては負担出来る金額ではなく、市としてはお願いするしか無い・・・と頭を抱えているそうです。
実際、駅名変更にはキッチリやろうとするとかなりの費用がかかります。旅客接客用としてまず運賃表。現在四条畷駅以外の運賃表に「四条畷」とあるモノは全て書き変えねばなりません。シール貼付で済ませられますが、それでも300駅から400駅はありそう。
また全国のJRの駅に備えられる運賃台帳を直さねばなりません。現在は99%は機械で発券するのですが、それでもごく稀に手書きで乗車券を発券することがあります。そして内部的になりますがその機械、つまり販売システムの改修をせねばなりませんし、今は自動改札機のデータもそう、また乗務員の持つ時刻表、各駅の「何々方面」などの案内サイン・・・、数多いですね。
さて、この四条畷駅、四條畷市ではなく大東市にあります。尤も市境ギリギリの所で、下り場内信号機は四條畷市内にあり、構内の一部は四條畷市にかかっているともいえますが。
なぜ四条畷駅が「四条畷」駅になったのか、私なりに推定してみました。あまりこちらの方面の資料は持ち合わせがないもので。
四条畷駅。駅開業は1895年(明治28年)に浪速鉄道という私鉄により開業致しました。駅開業当時の地名は讃良郡(1896年北河内郡に改称)四条村。そして近くには楠正成公縁でもある四條畷の戦いがあった場所があり、駅名を「四条畷」としたのではないかと思います。
で、四条村の境界向うは同郡甲可村で、この甲可村が1932年(昭和7年)に自治体の名前を変える事になりました。その名がなんと「四條畷村」。ここに四条畷駅が四條畷と異なる名称になり、そして四條畷には無い四条畷駅というある意味、話題提供ネタとなることが始まったというワケです。
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四条畷駅を開業させた浪速鉄道のこの線路は、2年後の1897年には関西鉄道(かんせいてつどう)に移管され、関西鉄道は名古屋まで線路を伸ばし、また大阪市内の網島駅に線路を伸ばしてこの四条畷駅を、つまり片町線を名阪間の列車が走ったものでした。
ところで四條畷市というと、元MBSのSアナウンサーを連想します。今はテレビに出ておられるそうですね。以前は「すみからすみまで」をよく聴いていました。条件電話、これ面白かったです。