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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

中央防波堤埋立地の境界問題で大田区は裁判へ

2017年10月30日 | 地理・地名
 ANNニュースからです。東京湾の埋め立て地で、所属区が未定である中央防波堤の調停で、大田区は東京都の調停案を不服として裁判に訴える方針を示したとのことです。

ANNニュース。画像をクリック。


 この中央防波堤の境界問題については、先日も弊ブログで書きました。
⇒10月17日投稿:東京湾の中央防波堤埋立地帰属区は江東区86%

 中央防波堤の敷地のうち14%部分が大田区とした点を大田区長、さらに区議会として不服として裁判に持ち込むもの。

 ここ前記記事でも書きましたが、元々は大田区に属する漁民がノリ養殖の漁業権を持っていた水面で、漁業補償を受けて中央防波堤の埋立地が出来上がっています。江東区としては、その漁業補償で権利は消滅し、江東区の沿岸から進んだゴミ処理場としての埋立地が沖合に進んだ一つなので、江東区の領有であるとは江東区の主張。

 私は、以前大田区に少しいたこともあって、大田区の方に親近感があるので大田区側寄りの心境ですが、どうもマスコミの論調は、江東区側に意を持っているようです。
 交通として、東京ゲートブリッジで若洲の方面と結ばれ、さらに海底トンネルで13号地お台場と結ばれています。いずれも江東区ですが、さらに臨海トンネルで大田区の城南島とも結ばれており、東京ゲートブリッジから臨海トンネルのルートは、湾岸道路の迂回路ともなります。

 この領有権裁判、どのような決着になるのかは、それこそ裁判の推移ですので、分かりません。
 地裁だけで済むのか、最高裁まで進むのか、これで最終的な境界と僚友の確定になります。

東京湾の中央防波堤埋立地帰属区は江東区86%

2017年10月17日 | 地理・地名
 東京湾の埋立地で中央防波堤というところがあります。場所はここ。


 この画像の下の端が羽田空港で、13号地お台場の沖合に位置する人口島です。
 この人工島はゴミ埋め立てによって成立した人工島で、今は一般の人は立ち入れられないです。
 ただ島の中を幹線道路が通り、通り抜けだけなら入れます。

 この人工島を知ったのは、昭和も末期。
 都営バス路線図で、13号地お台場の東京テレポート駅から出ている、波01系統が陸地を超えて海の方へまっすぐ伸びて、島だけで何も無い所が、中防合同庁舎停留所。
 後で知ったのは、この中防合同庁舎は、都環境局の庁舎で、中央防波堤という新しい陸地にあり、13号地お台場からは海底トンネルを通り至る、ということ。
 さらにこの中防合同庁舎へは都の関係車両でなければ行けない、ということで、路線バス愛好者の間では、不思議なところで割と知られれているところでした。都バスは誰でも乗れますので、バスではこの中防合同庁舎まで行けたわけです。

 で、この中央防波堤、元々は海で所属する区はありませんでした。当然ですが。その地が陸地化すれば帰属問題が生じ、陸地となって約40年、帰属区未定のまま現在に至っていました。理由は至極簡単、だれも利用しなかったですし、だれも利用できませんでした。埋め立て用地ばかりで他に使いようが無かったです。
 しかしここにきて帰属問題が出てきたのは2020年東京オリンピック。ここでカヌー競技が行われることとなり、それを機に街づくりをしようとする動きが、帰属を主張する江東区と大田区双方から出されました。
 とすると、この中央防波堤はどこの区に属するのか、更に言えば江東区と大田区の境界は・ということになります。

 江東区としては、東京ゴミ戦争の問題から、東京が巨大化する過程で江東区の沖合にごみ埋め立て地が設けられ、ゴミ収集車が頻繁に通ってきた結果故、中央防波堤も江東区のものだ、という主張。
 大田区としては、大田区在住の漁民が代々東京湾でノリ養殖を行ってきた範囲に、この中央防波堤ができたので、大田区のものだという主張。
 江東区のゴミ問題は、たしかに頷けます。夢の島が出来て、それがいっぱいになると更に沖合に新埋立地ができ、それが若洲となり、いっぱいになると、沖合に中央防波堤となる新しい埋立地と進んできました。

 そしてこの中央防波堤の帰属は、江東区86%、大田区14%という東京都の裁定が出ました。
ANNニュース(画像クリック)


 14%とされた大田区からは異議が出され、調停に持ち込まれる見込みであるとのことです。

***
 東京都民でもない私は、どうでもいい話でありますが、この中央防波堤が江東区というのはどうも違和感を覚えます。
そもそもフジテレビなどがある13号地お台場が江東区なのも、これを知った時は意外な感じがしました。
臨海部は港区や中央区の持ち場だと思っていました。
江東区も、豊洲(新市場ではないところ)や辰巳の臨海埋立地に新しい住宅地が出来ていますが、その延長線上のような感じなのでしょうか。

 東京都特別区内では、中央区と千代田区の間でも境界未定地があります。
 旧江戸城外堀を埋めた場所に高速道路が通り、その下部が商業利用地となると、土地の帰属問題が発生しますが、元が水路でしたので、帰属問題は確定せず、今もそのままになっています。

 こういうのは地理的に関心がある事柄です。

 中央防波堤、個人的には大田区であってほしいと願う気持ちではありますが。


“海の京都”って何だ!?

2017年09月18日 | 地理・地名
 私が書いているもう一つのアメーバブログのブログ友さまに京都検定を受けられている方がいまして、何かと話題になったりします。その中で京都検定の地理的出題範囲には、京都市内だけでなく京都府下全域にわたる、ということで、京都検定には宮津とか福知山の方面の事柄も出題されたりするんだそうです。
 私の「狭い」京都の範囲は、せいぜい「上ル下ル」地域で、そんな京都市でもないところの京都検定はどんなものだろうかとボヤいたら、昨今では「海の京都」という言葉もあるくらい、あちらの地方は頑張っているそうです。

 そこで「海の京都とは」で、検索しました。要するに京都府でも日本海側の地域のことなのですが、京都府庁でも「海の京都事業」のページがあり、地域の観光オフシャルサイトに「海の京都観光園」というものがありました。

 しかし素朴に思います。海の京都って、何だろう。京都府の丹後地域でも北部の日本海側に面した地域の町おこしであることは十分わかります。私は(私だけでしょうが)京都というものは、所表記に「上ル下ル」が書かれる所が京都で、それ以外は京都やおへん、という洛中の人のような感覚があります。少し広がって、むかしの御土居の範囲。もう少し広がって京都市内までが京都で、宇治や亀岡は京都ではない、という感覚の持ち主にとって「海の京都」はいささかビックリする表現。

 この海の京都、何となく、「北名古屋市」や「西東京市」、或いはコケましたが「南セントレア市」のような感覚と共通な因子を感じます。ネームバリューに頼った、安易な名前ではないかと思います。
 京都府北部の日本海側地域は、風光明媚で優れた地域ですが、それは京都市の京都たる文化とは違います。それを同じ「京都観光」でくるめるのはいかがなものかと思いますね。
 北丹後、略して北丹地域で良いのではないかと思います。

 ちょっと「海の京都」が気になって、ブログを書きました。

東京に“青山一丁目”という所は無い

2017年06月27日 | 地理・地名
 マイナビニュース・旅と乗り物記事からです。東京の地下鉄に、青山一丁目駅がありますが、実際にはそんな町名や丁目は無いというお話。
記事:鉄道トリビア 青山一丁目駅の所在地は昔も今も「青山1丁目」ではない

 この記事を拝見して、目からウロコが落ちる思いでした。そうなんです、港区に青山という通称名はありますが、正式な地名(町名)として定められてはおらず、過去にもありませんでした。
 地方自治体の変遷を調べている過程で、東京や京都など蝶の変遷も調べる結果となり、角川書店の日本地名大辞典によれば、「青山」という名称は、広域的な名称であるのみの記事で、過去の自治体名や町名であったとの項はありませんでした。

 青山は、元々からの御府内で、一説には、徳川家康とともに関東に入った旗本青山大膳亮が、家康と共に鷹狩りに訪れたこの地で、馬で走り回った地域の土地を与えよう、と発した言葉から青山は頑張って馬で走り回り、今の青山の地を拝領された、という話です。なので青山は人名由来の土地で、青山家に拝領されたことで武家地となり、町名は付けられず、通称「青山」となったものだそうです。

 明治維新で武家地から公地となり、風光明媚な地から文化的な施設や建物が集まり、賑わいを見せ始めて、やがて東京市電(後の都電)の電停に「青山一丁目」停留場が設けられ、電停名がそのまま地名化するの法則で、青山一丁目と通称されるようになり、後に東京高速鉄道地下鉄(現:東京メトロ銀座線)の駅名は、電停名をそのまま引き継ぎ「青山一丁目」駅となったものだそうです。

 青山一丁目駅に深くは感じていませんでしたが、この記事で「青山」と言う地名(町名)は無いのは存じていましたが、今まで頭の中で繋がっておらず、改めて目からウロコが落ちる思いでした。

 単なる「青山」はありませんが、「北青山」「南青山」という住居表示による町名はあります。南青山は、パソコン黎明期で関連雑誌の出版社があったところで、何かと物の例えに現れた地名です。

“築地”って、ブランドなのですか

2017年06月26日 | 地理・地名
 東京都議会議員選挙が始まりました。東京都民でもないので、私には全く関係無いですが、「首都決戦」などともマスコミで言われており、自ずと私の目耳に入ります。

 東京都の小池知事が選挙告示前に、東京都中央市場の築地市場移転問題で、新市場として豊洲市場を開場し一旦移転、そして現:築地市場を整備の上、一部の業者に築地に戻ってもらいう、という方針を示しました。
 その理由として「築地ブランドを守る」ということだそうですが、素朴な疑問として「築地」ってブランドなんですか?私は中央区の一地名だと思っておりますが。
 ただ、役割を地名を代名詞にする点では、築地と言えば市場になりますが。

 この「築地ブランド」という言葉が、私は異様に感じました。築地で取引される食品が良いのは、築地のブランドではなく、あくまで中の卸や仲卸の方の役割によるものです。仲卸は「〇〇商店」の看板を掲げて商いを行っています。この「〇〇商店」こそがブランドではなかろうかと思うんです。

 築地の商店の人たちは、豊洲移転派と豊洲残留派の双方の意見があるそうですが、この築地が良い、という理由の中には、この築地市場の猥雑性もあるのではないかと思います。
 食の築地ブランドを守るために、築地市場を建て替えここも市場機能を保たせる、ということだそうですが、そもそも市場は一か所に大きなものがあってこそ中央市場で、これを分けて市場機能が果たせるのだろうかと思います。
 そもそも生産者も、どちらの市場に搬入すればいいのか、迷います。

 仲卸の業者さん、豊洲市場へ移って、それから築地市場が整備されたからと言って、すぐに再移転できるとは限らず、こういうのも「住めば都」、豊洲市場でそこそこ営業を続ければ、「ここで良いだろう」という気持ちに至るだろうと思います。

 それに築地市場の「良さ」は、古くて猥雑性の所で培われたもので、綺麗、きっちり、ピカピカの築地だと、どんなものだろうか。現在のような雰囲気にはなり難いと思います。
 築地市場へは中に入ったことはありませんが、四半世紀前に外観から見ただけですが、古そうなくたびれた建物、中も衛生的にはどんなものだろうかとも思いますが、そんな猥雑性のところで「築地は良い良い」となっているもので、築地を食のワンダーランドとして、テーマパークとして運営するのなら兎も角、中央市場の分場としては機能しないと思います。

***
 余談ですが、築地市場は、鉄道貨物輸送で鮮魚が搬入される構造です。市場の一角に、国鉄時代は東京市場駅がありました。当然貨物専用です。この東京市場駅の側線が市場内部に延びて、そのままセリ場につながっていました。カーブした建物がその名残です。
 そうした遺構も食のワンダーランドの中で、歴史遺構として展示してほしいと思いますが、その部分は、環状二号線の予定地にかかるので、取り壊しが必至だろうな。