mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

久田観正会の能・道成寺

2010年11月30日 | 能楽

 11月28日は名古屋能楽堂において、久田観正会の大会、つまりお社中の発表会がありました。いわゆるお素人さんの会で、しかし能が三番と、しかもこれまでの会を拝見しましても、しっかりした能です。

 今年は名古屋に拠点を置く、久田観正会の先代主であった、久田秀雄二十七回忌追善の能でもあり、演じられた能は、俊寛、羽衣、道成寺、でした。道成寺、そうあの釣鐘が落ちてくる能です。今回はその道成寺を目的に能楽堂へ出かけました。今回はいつもと違い、脇正面に座りました。いつもの中正面では鐘後見の動きが見づらく、後見の動きや鐘を吊る様子を見たく、脇正面です。

 まずいつもの通り、囃子方と地謡方が登場し所定の場所に座し、揚幕が上がって狂言方四人により釣鐘が運ばれ、その狂言方によって鐘が吊られます。搬入したさおを抜き、鐘に巻いた綱を解いて、その綱を別の竿にかけて舞台天井の滑車に通します。もう一人の狂言方が滑車を通した綱を鉤型が付いた竿で引っ掛けて抜き、綱は鐘後見の手へ渡り、鐘後見によって、釣鐘が上がります。五人がかりの相当重たいものです(約150kg)。この竿で滑車を通す作業は、膝を舞台に付けたままの不安定な姿勢で行う、一つの型となっています。

 ここまでが準備段階です。

 この鐘を吊る作業、今回の観世流と宝生流では、能が始まる前の後見による作り物搬入として行われておりますが、金剛、金春、喜多の三流は、曲が始まってからワキの道成寺僧侶からの命を受けて、寺男が「重いな、重いな」のセリフを言いながら狂言方が運び、舞台で鐘を吊ります。吊る時でもセリフが入り、見ていて楽しいです。

 さて能の道成寺です。久しく途絶えていた道成寺の釣鐘が再興なり、故あって女性は近づけないようにと寺男に命じます。そこへ白拍子という女性が鐘に近づき、大音響と共に鐘が落ちてしまいます。なんとかして持ち上げた鐘からは蛇体が現れた、というお話。

 寺男たちが寝静まった夜、白拍子は釣鐘に近づきます。乱拍子と言われるこの場面は、小鼓の気迫ある掛け声と長い長い時間の静寂。時折「ポ」と小鼓の手でシテは足のつま先を上げたりし、さらに時折掛け声と笛のアシライがあります。要するに音が全くない時間が続くのですが、ここが能の素晴らしい所で、音の無いのが音なんです。普通の方には非常に退屈でしょう。実際に28日も咳をしたり姿勢を変える音がしていました。私はこの乱拍子こそ道成寺の真髄だと思っています。

 続く急ノ舞は、全く一転してテンポ早く舞います。歩幅は大変短く、極めて早い足使いで、やがて鐘入り。両手を挙げて足拍子を踏んで飛び上がって鐘落下。となるはずでしたが、シテの方が飛び上がって着地してから鐘落下でした。シテの体を慮ってのことでしょうか。

 この日は脇正面の舞台に近い所に座りまして、さすがにこの位置では鐘落下の音はすさまじかった。僅か数列の違いでこんなに違うんですね。他のお客さんは騒いでおりましたが、私は鐘後見と後見の動きを見るために微動だにしませんでした。

 今回道場寺のシテを勤められた方は75歳の方。前日11月27日の中日新聞夕刊に「極限の舞台・75歳が挑む」として記事が載っていました。15年ぶり再演ということで、15年前にも演じられていたのですね。当時はまだ熱田神宮能楽殿のころで、私これ観たような記憶があります。その時は病み上がりだったから今回の方が体力がある、というとおり、気迫がこもった舞台でした。

 ただ・・・、新聞記事になったことで、しかも「入場無料」に誘われたのか、道成寺の前の羽衣の途中から人がぞろぞろ入り、空いている座席へもぐりこむ人は少なかったものの、後ろの立ち見で、ひそひそ話が多かったのはとても残念でした。

 道成寺の主後見、久田観正会の主である久田勘鷗(かんおう)師の動き、お素人さんのシテに対してとても優しく、芸にはとても厳しい御方だと、改めて感じました。この師匠あってこの会が成らせられると思います。


久しぶりに佐良直美さんの声を聞きました

2010年11月29日 | ラジオ・テレビ

 「佐良直美」さんという方、ご存知でしょうか。以前も以前、私が子供の頃にテレビによく出ておられた方で、歌手として後に俳優になられた方。1980年ごろまでテレビで見かけたかな。

 歌は「世界は二人のために」が有名で、子供の頃はテレビ普通に見てましたので、歌謡番組ではコミカルな話題やしぐさが多かったです。また俳優でもあり、TBS木曜午後8時のドラマ「ありがとう」「肝っ玉かあさん」に出ておられ、その役が歌手と同じくコミカルな役どころが多かったという印象。これ結構、地でやっていたのかな?なんて思っていました。

 この「ありがとう」は幾つかシリーズがあり、最初のシリーズは脇役だったと思いますが、金田龍之介さんがカレー屋の大将の役どころだったシリーズでは、カレー屋そっちのけで家の二階で、江戸から伝わる太鼓を近所の人に教えていた、という場面をよく覚えております。

 当時は有名人でしたがなぜかパッと消えてしまい、気が付いた頃には「どうしたのか」とも思いましたけど、芸能界はそんな人も多いそうで、気にはしつつも過ごし、やがて私がテレビから離れる生活となっていました。

 そんな日々が続いていた昨日、もう何十年かぶりに佐良直美の声、聞きました。NHK-FMラジオの「日曜喫茶室」。昨日のテーマは何やったろ?途中から聞きましたので。俳優の中村メイ子さんに続いて二人目のお客様として佐良直美さん登場。紹介の言葉には犬のしつけ云々で、アニマルなんとか、とか言われていたような。電車の中でしたので聞き取れず。(Wikipediaではアニマルファンスィアーズクラブとあります)

 えらい年取りはった声です。動物の行動とか犬の話していて、そして俳優としてのお話も。もちろん前述の「ありがとう」の話もあり、俳優としての心構えなどを動物のしつけの話と絡めてお話されていたようです。小型の携帯ラジオがどうしてもFMの感度が悪く、聞き取りにくいんです。

 12時半頃から1時過ぎまでしか聞けませんでしたが、久しぶりの佐良直美さんの声。ざっと30年ぶりかな。なにか昔(そんな昔ではないですが)の人がラジオ・テレビに出られて懐かしく嬉しく思うようになったということは、私も年をとったのだろうか。


三宮・光の回廊を少しだけ

2010年11月28日 | 神戸

Img_0187  このところ文章だけの投稿が続いて、そろそろご近所から「画像でも載せろ」とかいわれそう。そこで今年で三回目となる神戸市の三宮駅前、前というか上ですね、ミント神戸やJR神戸駅、そごうなどを結ぶペデストリアンデッキ(施設間連絡歩道橋)を、光の帯で繋ぐ「1000m光の回廊」があります。早い話、三宮駅前のイルミネーション。

 これまで単独でクリスマスツリーなどはありましたけど、三宮駅前のペデストリアンデッキを光で彩って盛り上げようという趣旨で始められたそうで、三宮駅南・光のデッキ回廊委員会の主催で行われております。(←リンク先は公式webページ)

 今年は11月20日から12月25日まで。そこで行ってみました。いや「行った」ではなく、「寄った」でしょうか。何故か昨年一昨年とカメラ写しておらず、やってること忘れて地下街を通ったり、カメラ持っていなかったりだったかな。

 そごう前の歩道橋階段。デッキ部分はこうして欄干をイルミネーションで飾っています。

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 JR三ノ宮駅前。阪急・阪神・地下鉄・ポートライナーは「三宮」ですけど、JRだけは国鉄時代から「三ノ宮」です。

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 神戸新聞会館「ミント神戸」を向うに。画像左側をデッキは続いています。

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 神戸新聞会館と名乗ってはおりますが、神戸新聞社は今は入っておりません。震災で全壊した旧神戸新聞会館を、商業・オフィス複合ビルとして建て直し、愛称が「ミント神戸(M-INT KOBE)」。神戸新聞社は今はハーバーランドに移っています。

 デッキからそごう前。

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 おまけ。この撮影した日、久しぶりに神戸市役所展望フロアへ行ったところ、満月の次の月が東の空に上り、向うに見える運河を照らしていましたので、写してしまいました。

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撮影:2010年11月23日


神戸電鉄粟生線・2011年に存廃判断

2010年11月27日 | 神戸

 神戸新聞web版記事からです。神戸電鉄粟生線については、神戸市近郊の鉄道でありながら、乗客の現象で年間で12億円もの赤字を出し、廃止も選択肢に入るかという状態であることを何度か書きました。

 粟生線を活かすため「粟生線活性化協議会」を発足させ、利用促進に結びつく事業を行いはじめたところ、地域公共交通の活性化・再生法に基づいた支援事業として国庫の補助を受けるべき分が例の「仕分け」で、今年度と来年度のみとなり、それ以降は打ち切られる事となったことは先回の記事で書きました。

 そのため、神戸電鉄としては補助が打ち切られる2011年度中に粟生線を続けるのか、それとも廃止するのか、の判断を固めたということです。先回の記事では「廃止も視野に入る」から「廃止の声が聞こえてきた」と書きましたけど、存続か廃止かの瀬戸際にまでなってしまいました。

 しかし粟生線廃止ですか。輸送人員は1992年がピークで今はその半分ほど。沿線はそんなローカル色豊かな風景は先の方へ行ってから。新興住宅地があちこちに見える沿線ですが、その新興住宅地の方々がどうも乗っていただけないようです。並行する神姫バスにお客さんが流れている他、神戸市営地下鉄の西神中央駅などにも流れております。やっぱりこの辺りはマイカーでしょうか。車窓から見える住宅も、自動車が二台停められるスペースが用意されているお宅が多く、その神戸市営地下鉄の駅へはマイカー送迎が多いです。

 どうも粟生線はアテにされていないような様子が伺えます。

 そんな粟生線でも大変に込み合う区間はありまして、鈴蘭台~西鈴蘭台間。ですので仮に廃止が決断されても鈴蘭台~西鈴蘭台間は存続するでしょう。いや存続しなければならないと思います。西鈴蘭台駅前は地域の核ともいえる街づくりがなされており、西鈴蘭台駅がなくなってしまえば鈴蘭台駅へと流れましょうが、鈴蘭台駅はそんなバスも送迎の車も捌けるスペースはありません。 

 粟生線は一部複線の他は単線区間。複線化工事が進められていましたが、一部区間が完成しただけで、工事はストップ。バブル崩壊と阪神・淡路大震災の影響です。そんな工事中断区間を行くと、なにか切なさを感じるものがあります。

***2012年2月9日追記
 その後、2011年末の判断は、兵庫県の支援を検討することとし先送りされ、その県からの支援策がと発表されました。またこの支援策で粟生線は向う5年間の存続はほぼ固い模様です。
弊ブログ記事:http://blog.goo.ne.jp/mitake3067/d/20120209


緊急地震速報には限度があります

2010年11月27日 | 気象・自然など

 昨日、総務省の行政評価で、一般向けに発表するようになってからの緊急地震速報は、今年1月末までに発した12件のうち、対象地域に間に合ったのは僅か1件だったと分かり、改善するよう気象庁に勧告したという。

 緊急地震速報は、地震計で地震を感じ、それが最大震度予測が5弱以上の場合、震度4以上になると予測された地震である場合に発表され、NHKなど放送ではチャイム二度鳴って、緊急地震速報の内容を伝えます。

 その最大震度が5弱となった地域に間に合ったかどうかが12回の内の1回ということで、「改善しなさい」なのですが、これは限度がありますよ総務省さん。

 緊急地震速報の原理は、実際に地面を揺らす地震動は、地震波の性質のうちS波と呼ばれるもので、3~4km/sの速度でやってきます。地震波はこのS波とは別にP波と呼ばれるものがあり、これは5~7km/sと速い速度でやってきます。(「km/s」は毎秒何キロメートルの速度の意味)

 この速度差からP波が先に地震計のあるところへ到達します。三箇所以上の地震計でP波の成分を検査し、S波で地面を揺らせて震度5弱以上になると判断されれば緊急地震速報が発せられます。三箇所以上とは震源地を求めるためです。

 ですので、地震が起きてみないことには緊急地震速報は出ません。地震が発生し、一番近い地震計に揺れが伝わる頃には、震源地近傍では既に揺れているわけです。これよりも早く緊急地震速報を出すには、地震発生前に出さねばならないことになります。何やら落語の「手遅れ医者」を思い出しました。いつでも「手遅れじゃ!手遅れじゃ」で片付ける医者。ある日、梯子から落ちて骨を折った患者さんが運ばれて来ました。そこでも

  「先生、どうなんです」
  「手遅れじゃ」
  「先生!この人はまださっき落ちたばかり。いつ運んだらいいのか!」
  「落ちる前に運んでこい!」。

 P波の波形を検査する演算処理速度を速め、0.1秒でも早く緊急地震速報を発する努力は必要ですが、それには限度があるものです。

 ちなみに緊急地震速報12回のうち間に合った1回は、2008年9月11日の十勝沖地震だそうです。こうした海溝形の巨大な地震で事前に地震が分かるようにしたいことから、このシステムが開発されたわけです。

 これとは別に震度5弱以上の地震が発生したにもかかわらず、緊急地震速報が発せられなかったのは5回あったとのこと。これも震度4か震度5弱かは、その土地の微妙な性質の違いによるもので、きっちり震度5弱と予測するのもこれも困難な話です。その辺りは土地毎の誤差と理解しなければならないと思いますが、漏れが無いように震度を多めに予測すると、今度は「震度5弱の地点が無かったぞ」の批判にもつながり、難しいところです。