11月28日は名古屋能楽堂において、久田観正会の大会、つまりお社中の発表会がありました。いわゆるお素人さんの会で、しかし能が三番と、しかもこれまでの会を拝見しましても、しっかりした能です。
今年は名古屋に拠点を置く、久田観正会の先代主であった、久田秀雄二十七回忌追善の能でもあり、演じられた能は、俊寛、羽衣、道成寺、でした。道成寺、そうあの釣鐘が落ちてくる能です。今回はその道成寺を目的に能楽堂へ出かけました。今回はいつもと違い、脇正面に座りました。いつもの中正面では鐘後見の動きが見づらく、後見の動きや鐘を吊る様子を見たく、脇正面です。
まずいつもの通り、囃子方と地謡方が登場し所定の場所に座し、揚幕が上がって狂言方四人により釣鐘が運ばれ、その狂言方によって鐘が吊られます。搬入したさおを抜き、鐘に巻いた綱を解いて、その綱を別の竿にかけて舞台天井の滑車に通します。もう一人の狂言方が滑車を通した綱を鉤型が付いた竿で引っ掛けて抜き、綱は鐘後見の手へ渡り、鐘後見によって、釣鐘が上がります。五人がかりの相当重たいものです(約150kg)。この竿で滑車を通す作業は、膝を舞台に付けたままの不安定な姿勢で行う、一つの型となっています。
ここまでが準備段階です。
この鐘を吊る作業、今回の観世流と宝生流では、能が始まる前の後見による作り物搬入として行われておりますが、金剛、金春、喜多の三流は、曲が始まってからワキの道成寺僧侶からの命を受けて、寺男が「重いな、重いな」のセリフを言いながら狂言方が運び、舞台で鐘を吊ります。吊る時でもセリフが入り、見ていて楽しいです。
さて能の道成寺です。久しく途絶えていた道成寺の釣鐘が再興なり、故あって女性は近づけないようにと寺男に命じます。そこへ白拍子という女性が鐘に近づき、大音響と共に鐘が落ちてしまいます。なんとかして持ち上げた鐘からは蛇体が現れた、というお話。
寺男たちが寝静まった夜、白拍子は釣鐘に近づきます。乱拍子と言われるこの場面は、小鼓の気迫ある掛け声と長い長い時間の静寂。時折「ポ」と小鼓の手でシテは足のつま先を上げたりし、さらに時折掛け声と笛のアシライがあります。要するに音が全くない時間が続くのですが、ここが能の素晴らしい所で、音の無いのが音なんです。普通の方には非常に退屈でしょう。実際に28日も咳をしたり姿勢を変える音がしていました。私はこの乱拍子こそ道成寺の真髄だと思っています。
続く急ノ舞は、全く一転してテンポ早く舞います。歩幅は大変短く、極めて早い足使いで、やがて鐘入り。両手を挙げて足拍子を踏んで飛び上がって鐘落下。となるはずでしたが、シテの方が飛び上がって着地してから鐘落下でした。シテの体を慮ってのことでしょうか。
この日は脇正面の舞台に近い所に座りまして、さすがにこの位置では鐘落下の音はすさまじかった。僅か数列の違いでこんなに違うんですね。他のお客さんは騒いでおりましたが、私は鐘後見と後見の動きを見るために微動だにしませんでした。
今回道場寺のシテを勤められた方は75歳の方。前日11月27日の中日新聞夕刊に「極限の舞台・75歳が挑む」として記事が載っていました。15年ぶり再演ということで、15年前にも演じられていたのですね。当時はまだ熱田神宮能楽殿のころで、私これ観たような記憶があります。その時は病み上がりだったから今回の方が体力がある、というとおり、気迫がこもった舞台でした。
ただ・・・、新聞記事になったことで、しかも「入場無料」に誘われたのか、道成寺の前の羽衣の途中から人がぞろぞろ入り、空いている座席へもぐりこむ人は少なかったものの、後ろの立ち見で、ひそひそ話が多かったのはとても残念でした。
道成寺の主後見、久田観正会の主である久田勘鷗(かんおう)師の動き、お素人さんのシテに対してとても優しく、芸にはとても厳しい御方だと、改めて感じました。この師匠あってこの会が成らせられると思います。