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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

銀座の観世能楽堂・4月20日開館

2017年01月20日 | 能楽
 Twitterで情報を知りましたが、能の観世流、主な公演の場とする観世能楽堂が閉鎖されて一年半、東京都中央区の銀座に多目的複合ビルの中に観世能楽堂をも設置した建物を建設しておりますが、この観世能楽堂が4月20日に開館し、当日は観世宗家の他に、各流からお祝いの演目が出されれとのことです。
 東京新聞報道です。
記事:<能楽>銀座から日本文化発信 観世能楽堂 清和宗家が抱負
 新しい場所は、銀座六丁目の旧松坂屋銀座店の跡地。
 銀座松坂屋は、今一つ松坂屋らしくない店舗展開で、銀座の一等地にありながら、今一つの営業成績で閉店となりました。
 この跡地に多目的複合ビルを建設することとなり、観世流も流儀の施設として渋谷区松濤の超高級住宅地の中に観世能楽堂がありましたが、この観世能楽堂を銀座の複合ビルに移転することなったものです。
 渋谷区松濤の旧観世能楽堂は、施設の老朽化もあり、改装するには費用がかさみ、噂ではヨドバシカメラの会長さんが土地を購入したとは、伺っています。真偽のほどは分かりません。

 今年の能楽界で大きなエポックとなる出来事です。

狂言の大蔵流茂山千五郎家が代替わり

2016年04月12日 | 能楽
 京都新聞web版からです。今年9月に、京都市に居を構える、狂言大蔵流の茂山千五郎家が当主名の当代十三世千五郎が隠居名の五世千作を名乗り、千五郎の長男・正邦が十四世千五郎を襲名するとのことです。
記事:代替わりも和やかに 狂言大蔵流、茂山千五郎家

 私も結構長いこと、能楽を見ていますね(能楽=能と狂言のこと)。
 茂山千五郎の狂言は、名古屋ではあまり観る機会は多くはありませんでしたが、観世会など、ちょっとグレードの高い能の会では、よく出演され、私の能の黎明期から拝見しており、その当時の千五郎は、2013年に亡くなられた十二世千五郎。
 なので、茂山千五郎と言えば、四世千作の顔を連想します。当代の十三世千五郎は、本名の正義で演じられていました。
 その当時は三世千作(十一世千五郎)も健在で、一度だけ、何かの狂言会で拝見したことがあります。
 そういう記憶がありますので、千作-千五郎-正義という名の方がしっくりします。

 そもそも、ゆずり名、とか当主名とかという習慣が知らなかった頃なので、あくまでご本名だと思っていました。当時の能のシテ方観世流宗家は観世元正でしたが、その養父は観世左近で、この観世左近も観世流の当主が時々使っていた名前であることを後になって知りました。

 この京都の茂山千五郎家は、「お豆腐狂言」の名でも知られています。
 お豆腐狂言とは、豆腐が主題になった狂言ではなくて、お豆腐という食材は、豪華な器に載せられ、高級な料亭でも供されますし、一方で粗末な器でも盛られて、長屋の晩御飯にもなることからの例えで、どんな場所でも二人いれば狂言が演じられます!という茂山千五郎家狂言のキャッチフレーズです。
 なので、市民に親しまれ、こんな選挙啓発ポスターがありました。千五郎師と正邦師。

2007年の統一地方選挙。

青陽会定式能を拝見しました・12/26

2015年12月27日 | 能楽
 昨日は、青陽会定式能があり、拝見してまいりました。帰宅後にブログ書くつもりでしたが、年賀はがきのあて名を書いていたら疲れてしまい、沈没。
 今日の更新になってしまいました。
 いえ、裏面は阪急電車の写真で、表面の宛名だけを書けばいいのですが、まだ文字を書くには麻痺が残っていますので、一苦労・・・。

 という言い訳は兎も角、名古屋の観世流による定期能「青陽会」も、上演回数が減り今年は三回。その三回目が昨日でした。
 しかも能は二番だけと、一時より縮小されました。
 やはり能の世界自体が縮小になっているようです。
 今年はお世話になった先生(能楽師)が亡くなり、お弟子さんも結果的に止められる方もいて、こうして世界の底辺自体が小さくなっていくんですね。

 今回の上演曲目です。
仕舞
 西王母 角田尚香
 経正  村井郁子
 野宮  前野郁子


 隅田川 シテ・星野路子 ワキ・高安勝久 ワキツレ・橋本宰

仕舞
 清経  久田勘吉朗
 花筐  松山幸親
 通小町 祖父江修一

狂言
 萩大名 大名・今枝郁雄 太郎冠者・鹿島俊裕 庭の亭主・大橋則夫


 殺生石 シテ・伊藤裕貴 ワキ・椙元正樹 アイ・佐藤融

 隅田川
 その名の通り、隅田川の渡し場が舞台で、物狂いの女がやって来たことから話は始まります。
 女は、息子を探しにこの隅田川の渡し場までやってきたのですが、そこでは一年前に子供が亡くなり、その供養があると言います。
 それを聞いた女は、その話は我が息子だと言い、大念仏で息子の塚で弔います。
 するとどこからともなく子どもの声で「南無阿弥陀」と聞こえてきます。
 それは息子の霊で、夜空が白み始めるとともにふっと消える、という内容。

 物狂いの女がシテ(中心人物)で、能の隅田川は、子どもの役に、能楽師の子どもが担当する「子方」が出るのですが、今回はどんな事情があったのか、子方無しの演出でした。
 番組表にも名前が載っておらず、不思議だな?と思いました。
 このことをお世話になっている東京の先生にお伺いしたら、昨今は子どもの稽古事情もあり子方を出さないこともありますよ。とのことでした。
 能楽の家に生まれると、隅田川や鞍馬のような子方の出る曲を経て能の修行の過程となるのですが、こういう所も能の底辺の縮小なのかもしれません。


 狂言、萩大名
 よく知っている演目です。訴訟あって京に上っていた大名は、仕事も終わり家来の太郎冠者に何か遊山を言いつけます。太郎冠者は下京に庭を持った亭主がいるので、そこはどうかと提案します。
 その亭主は和歌が好みで、庭の拝観と引き換えに和歌を詠む、というのが習わし。
 しかし田舎大名のこととて、和歌の嗜みは無く、太郎冠者に萩の花を詠んだ和歌を教えられるも覚えられず、太郎冠者の仕草で思い出させよう・・・ということになったものの、大名はハチャメチャな行い。
 和歌を詠む途中で、太郎冠者は場を抜けてしまい、亭主に歌の続きを求められるも窮地に陥ってしまう・・・というオチ。

 この時の和歌が「七重八重 九重とこそ思いしに 十重咲きいづる萩の花かな」ですけど、私、覚えてしまいました。

 大名の失敗の場面では、若い女性のキャッという笑い声が響きました。

 殺生石(せっしょうせき)
 那須野原で、飛ぶ鳥も落ちる不思議な石があります。そこを通りがかかった高層がおかしいことだ、と思い見ていると一人の女が出てきて、その石は生あるものを殺すので近寄ってはいけない、と言います。
 女は続けて、昔、都の女官である玉藻の前であったが、実は狐の化け物でそれがばれてしまい都からここまで逃げてきたが、ついに討たれてしまい、その霊魂が石に取り憑いている、と話します。
 そして私(女)はその玉藻の前ですよ、告げてどこかへ消えます。
 高僧は仏道に導こうと法要を行うと、石が割れ、中から狐の精霊が現れ、高僧の仏法により悪事は働かないと約束をし、那須野原に消えていきます。

 見どころは大きな作り物の石が出ます。
 プラネタリウムドームを四等分した二つ分の囲いを舞台に出して、そこへ女である前シテが入り、装束替えをします。
 そして石が割れて、中から狐の精霊をした後シテが現れる、というもの。

 付祝言(つけしゅうげん)は猩々。

般若面は出ませんが

2015年07月21日 | 能楽
 7月26日は、このところ、毎年夏の恒例となっています、名駅薪能があります。
 会場のタワーズガーデンにも、PRのポスターが出ていますが、このポスターは般若の面が大きくデザインされています。


 しかし当日の演目では、般若面を用いる曲はありません。
 26日の能は、観世流宗家による船弁慶です。

 船弁慶は、頼朝に追われる義経は、弁慶などの一行と共に西国へ逃れる道すがら、摂津の大物まで来たところで義経のいい人である静御前を、この先の多難な前途を憂い、都へ返すことにして、別れの酒宴を致し、静を帰した一行は瀬戸内海を船出します。
 海上沖合へ出たところで、雲行きが怪しくなり、なみも高く、暴風雨の状態となります。
 波間に、壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門であった平知盛の亡霊が現れます。
 知盛の亡霊は、船上の義経を海に沈めようと画策しますが、弁慶の祈祷で知盛の亡霊は波間に消えてゆきます。

 こういうあらすじの能で、前場の静と、後場の平知盛の亡霊を、主役であるシテが勤めます。
 これを26日は、観世流宗家の観世清和師が勤めます。
 静の役には、若女という女性でも少し年齢の行った能面、平知盛の亡霊には怪士(あやし)などの怨念がこもった能面を用います。

 なので、般若は用いません。
 なぜ、ポスターに般若面を用いるのだろう。
 たしかこれまででも、ポスターに般若面が用いられていた記憶です。
 ポスターに般若面があると、当日の能でも般若面が出てきそうに思うのですが。

 般若面が、能面らしいデザインをしているから、深く考えずにポスターに用いた、という所なのかな、と推察しました。

 細かい事を知る者の悪い癖でしょうか。

 ここに仮設の能舞台を設けます。後方のミッドランドスクエアの方向に正面からの向きになります。


 私の好きな脇正面から中正面はこの角度になります。


 さて、当日は名駅薪能には行くかどうか、わかりません。
 通りすがらに見ることはあると思います。
 体調もあり、夜遅くなる訳にはいかないので。

 それにしても、毎年凄い人です。
 腰かけられる座席券は、既に申し込みを締め切っておりますが、かなりの倍率で抽選と伺っています。
 普段の能楽堂の能の公演は、結構空席がありますけど、演者の違いだろうか。
 東西の名手が来て演じられますので、それなりに関心はあります。
 ただ、生声ではなく、音響装置を用いますので、その点で興味は薄れてしまいます。(環境で音響装置を用いねばなりませんが)
 しかも、当日席では舞台からはかなり遠いですし。
 落ち着いて能を観るなら、やっぱり慣れた能楽堂です。

青陽会能を拝見しました

2015年07月19日 | 能楽
 本日は、名古屋の観世流能楽師で構成される定期能「青陽会能」を観てまいりました。
定期能ですが、今年2回目。
余計なことですが、謡・仕舞を稽古する方が減っているのに連動するかのように、青陽会能の上演回数も減り、今年は僅か三回。その三回も能は一番か二番と、かつてに比べれば随分縮小されました。
私が能を観始めたころは、年4回で、毎回能が三番狂言一番でした。

今日の上演曲目。演者名の敬称略。
仕舞
 敦盛 星野路子
 花月 久田三津子

舞囃子
 龍田 吉沢旭
 通小町 清沢一政

仕舞
 清経 伊藤裕貴
 野守 久田寛鴎

狂言
 蚊相撲 大名:佐藤融 太郎冠者:井上松次郎 蚊の精:鹿島俊裕


 羽衣 天女:久田勘吉朗 漁師:高安勝久、椙元正樹

附祝言は高砂キリ

 観能ですが、狂言の蚊相撲。大名(という名の人より少し秀でた立場の者)が新参の召し使いを雇いたいがために、太郎冠者に街道へ出でて、だれか見つけて来いと命じ、見つけてきた者はなんと蚊の精。
 大名は、流行りの相撲を取ると言い出し、新参の召し使い(蚊の精)と相撲をとるも、蚊の精は、蚊の本性を出し、大名にブスッ。
 これはたまらんと、大名倒れる。相手は蚊の精だとわかり、ならばと大きな団扇を用意し、蚊の精が向かってきたところで団扇を仰ぐと、蚊の精はプーンの音を残して退散。
 大名、勝ったぞ勝ったぞ、と単純そのもの。

 という内容の狂言。

 能・羽衣は有名です。
 富士が見える、羽衣の松原で、漁師が松の枝にかかる美しい衣を見つけ、自分のものにしようとする。
 その衣は天上界の天人のもので、地上に降りてきた時に一休みで、松の枝に掛けたもの。
 天人はその衣がないと天上界へ帰れない。だから返せと。漁師、嫌だ。そんな押し問答の末、漁師は衣を返すことに。
 衣を纏った天人は、舞を見せて、天上界へ帰る、という内容。

 この天人が主役(シテ)で、これを、久田勘吉郎師。まだ若手です。
 名古屋の観世流の軸の一つとなる久田観正会の将来を担う一人。

 動きがやわらかく、天上界の天女が十分に感じられた能です。

 気になったのは、漁師の役はワキ(脇)なのですが、舞台にワキともう一人の漁師ワキツレの二人が登場し、ワキは後見座に釣竿を置きますが、本来はこれをワキの後見が片づけに出ます。
本日はそれが無く、普通にシテ天人が舞台に登場した際にシテ後見が舞台後方の後見座に置かれた釣竿を引きました。
「引く」とは後見によって、舞台から撤去することです。
ワキ後見によるものが、ワキの後見が出ないということは、本日は、ワキの方は他に来られていなかっただろうか。
高安流は必ずしも大きくはないので、こういう些細なところに流儀の行く末を心配してしまいます。

 能の羽衣では、正式な能でもワキツレを省略し、漁師はワキ一人の場合もありますので、ワキツレが出た分だけ、よしとしましょう。
モノゴトはポジティブに考えなきゃ。

能が終わって、着席していた席から。