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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

世にも恐ろしいほど無情な出来事・着物ビジネスの怪しさ

2018年01月12日 | 思索と考え
 既にマスコミニュースで大きく伝えられており、今更でもないですが、成人式の晴れ着が着られなかった、というニュース。
 伝えられれば伝えられるほど、不愉快で腹の立つニュースです。
 以前、とある総理大臣が「こんな人たち」と表現されましたが、世の中には「こんな人」がいるんですね。

 この、「はれのひ」の社長Sが、計画的に資金を騙し取ったのか、経営上の失敗で夜逃げしたものなのかは分かりませんが、成人式の当日に着付けを期待して店舗や会場まで行った人に、大きく路頭に迷わせたのは事実です。
 さらに、計画的な詐欺にせよ、経営上の失敗にせよ、成人式前日には店を引き払っていたというので、直前の動きは「計画的」です。
 なんとも悪質。このSという社長は大きく非難するに値しますが、ここでは個人名を挙げるのは控えます。

 この、はれのひ事件のニュースを見聞きし、以前あった、愛知県に本店を置く着物商いのことを思い出しました。以下は若干の偏見もありますが、その辺りは割り引いてご覧ください。

 その思い出したという着物屋、屋号は忘れた(というより積極的に覚えていない)のですが、名古屋駅前地下街にも店舗を持ち、店先から地下街通行人に片っ端から声をかけていきます。私は当然無視していきますが、その着物屋が強制的・高圧的な売り付け商法で、警察沙汰にもなったのかな、これはこ公取委の扱いだったのか、ニュースになりました。
 テレビCMにも出していて、そんなニュースに触れ、あの通行人に片っ端から声かけていくのは、そのためだったのか、と理解した次第です。

 そういうことと、それとは別に私の母が着物関係のある団体に旅行に誘われたのか、何か食事会に誘われたのか、無料招待を受けたそうです。しかし母は参加しませんでした。聞けば、どうも着物売り付けがあるみたいなので参加しなかった、という話。
 そうです。無料で何かしらの利益供与を行い、それとセットで着物を売りつけるのが、着物ビジネスらしいです。

 この話と、名古屋駅前地下街にも店舗を出していた着物商売とが結びつき、どうも着物の商売はどこか胡散臭い集団ではないのか、という認識が私の頭の中のどこかにあり、そんな中でのはれのひ事件のニュース。
 私の頭の中にある、胡散臭い着物ビジネスとが結び付きました。

 さらに加えて腹立たしいニュースの続きは、メルカリなどインターネット上のフリーマーケットで大量の晴れ着が出品されているということです。
 同一アカウントで大量の晴れ着。はれのひとの関係はまだ分かりませんが、どう考えても怪しすぎます。

 はれのひの社長Sという人物の人格を疑います。同じDNAだと思うと余計に腹が立ちます。
 こういう人物が着物ビジネスに参入してくるんですね。私の中の怪しさとつながります。

 これは偏見であることは分かります。老舗と新参ものの違いでしょうか。老舗の着物やさんと、新参のビジネスだけで着物を扱うものとは分けて考えた方がいいと思います。

 ツイッターで見かけたwebサイトで、こちらは中々説得力がありました。⇒「はれのひ」事件は起こるべくして起きた、着物ビジネスの闇
 この文章の中で「着物ビジネスのぼったくり体質」という点はとても同感です。


 このはれのひ事件で、横浜市と八王子市では、着物を着て参加できなかった人のために成人式をもう一度開催しようという話があるそうです。
 このニュースで、少しは救われた気持ちにはなりますが、そんな成人式には着物で、という風潮自体がどうか、という意見からわざわざ税金から支出する成人式のやり直しは必要なのか?という意見もあるようです。
 着物の成人式の是非はともかく、「着物を着て成人式に出たい」という人の気持ちも大切にしたいです。

 しかし、それでも個人所有の着物を、はれのひに預けてそのまま行方不明になっているという人もいます。Sを探し出し、引っ捕まえて、在り処を言わさせねばなりません。

***
 着物ビジネスは、今や成人式向けの晴れ着販売なりレンタルなりの商売に重きがあります。
 暫く前、荒れる成人式が問題になる頃、成人式は止めようか、という意見が出始めたことがあります。これに対して着物販売業から猛烈な反対がありました。成人式が中止になれば、着物屋の販売機会が無くなってしまう、というもの。
 実際に、成人式ビジネスがここまで大きくなった裏には、着物業界からの猛烈なアタック(というか促進)があり、成人式が定着した感があります。
 元々は戦後間もない頃に、若者への将来の希望を明るくしたい、という意図から始めたものですが、後年これに着物業界が乗ったようなもの。なので成人式の存廃は着物業界の盛衰を左右します。

 それらもあって、はれのひのビジネスの胡散臭さは胡散臭いなりに、「さもありなん」と思う次第です。

一方的な思想による方策で不便

2018年01月07日 | 思索と考え
 千種区の星が丘、長久手街道と名東本通の分岐に挟まれた三角地帯に、おそらく住宅都市整備公団の管理だと思いますが、マクドやYAMADA電機がある一角があります。その星ヶ丘のYAMADA電機へ行くべく地下鉄の階段を登り、地上へ出た所は、このような鉄柵の通せんぼ。


 いえ、これは以前から存じているものですが、このような設置理由は直ぐに分かります。自転車の敷地内進入防止です。
 よくこうしたショッピングセンターの周囲に自転車が無造作に置かれるのはよくある光景です。
 特にここは地下鉄駅ですので、自転車でここまで来て後は地下鉄、という方もいるもので、そのため、この敷地内に自転車を入らせない措置であります。

 このような障害物を置いて、歩く人は身をくねらせて通れば良い、という発想なのですが、これは明らかに健康な人の発想ですね。
 私のような脳出血後遺障害の身では、体をくねらせるのはかなり「難しい」もので、この程度の障害も本当に「障害物」です。

 あまりにも一方的な思想のみでの策で不愉快を覚えます。
 さらにここ、広場に入ったら、マクドやYAMADA電機のある建物には、数段の階段を登ります。
 この階段の手すりが無いです。

 もう一つ、不親切なのはYAMADAから出てきて、階段を降りるとき、この階段の私の進路に対して左手の位置に相当する手すりではないですが、手すり代わりになる柵がありました。私は階段を登るのは何とかなっても降りる時が怖いので、右手が杖を持ちますので、左手で手すりや壁に手を添えます。
 しかし、その部分はこうなっていました。


 つまり、店舗の幟がなびいており、この手すりに掴まって歩くことは全く思想に入っていなさそうです。
 これでも以前訪れた際はこの幟、手すりギリギリに置かれて、手すりにつかまって歩くことは全くできませんでした。
 今回、なぜか幟が僅かにこの方向に対して右にずらされており、手すりに左手を添えてこの階段を降りることができました。

 この自転車進入防止策、改めて広場側から見てみると、こんな感じ。


 横梁の隙間から通ろうとすると、さらにこのような障害の棒。意地にでも自転車を進入させまい、とする意思が見え見えです。


 この一角、道路との境界もこのようになっています。




 開口部全てがこうで、バリアフリーどころか車いすの方の利用は全く考慮されていません。
 恐らく建物の方に、車いす用の通路が有るかと思いますが、大きく迂回です。
 尤も、この部分で車いすの方がやって来る可能性はまず無いですが、YAMADA電機で大型家電品を購入して、自力で運ぶ人が難渋することになります。
 あ、たまにいますよ、パソコンなど大きな箱を自力で運ぶ方。

 このような自転車進入防止を目的とした障害物設置は、各所で見られますが、この星が丘のYAMADA電機・マクドのある一角だけは、極端です。
 あまりにも一方的な発想で、物事の「多様性」の思慮が全く無い、寂しい結果です。

 この星が丘のマクド、YAMADA電機の有る一角はこんな感じ。三叉路の歩道橋から撮影。


 結局、この一角へは車いすではたどり着けない構造なので、斯様な措置になったと思われます。

※脳出血後遺障害の身になり、健康な方は全く信じられないでしょうが、お辞儀一つするのが大変です。
 平衡感覚に関わることは全てアウトで、頭を動かすことすら不安定です。
 自転車進入防止の柵をすり抜けるような体をくねらせる動きは、体が(頭が)着いて行かないです。
 横歩は、それ自体は可能ですが、直前まで前方に歩んでいた状態から、体を横向きにする動きが出来ないんです。
 曲がるのが大変、なんて信じられないでしょう。
 百貨店おエスカレータは、乗り降りは多少危ない所があっても可能ですが、エスカレータで次の階へ行こうとするとき、180度向きを変えます。それができないんです。

 神社の鳥居、境内へ入る時は、一旦立ち止まり、前へ倒れないように杖で支えて会釈できますが、逆に境内から出るとき。
 鳥居で振り向いて、神社の方向に一礼するのが、とても難しいです。
 クルリと曲がるのがきつい上に、続いて一礼の動き。
 あれは健康な人だからこそできるものです。
 難しい、という感覚は、健康な方には信じられない話だと思います。

元日の商店・休業の動き

2017年12月31日 | 思索と考え
 ラジオでの話題は、年末年始にまつわるものが多くなりました。その中で複数の局で話題にしておりましたが、元日のお店(商業施設)は休業の動きが広がっているそうです。さらに加えて、某局でのコメントに「お正月に出かける若い人たちには信じられないでしょうけど」という前置きで、かつての正月元日は、商業施設は基本お休みであったものであるとも話していました。
 検索するとこのような記事がありました。産経新聞。
産経記事:末年始の営業は必要か 休業日設定の動き広がる

 正月に出かける若い人たちは、「元日でもお店が開いているのはごく当たり前」でしょうね。わざわざカギ括弧でくくったほど、ちょっと特殊な事情なのであります。
 以前は、元日は基本、お店は全てお休みでした。それが10年くらい前かな。ダイエーが元日営業を始めて、あれよあれよと他の業種にも広がり、初売りの日程と重なり、元日から3日間は、お歳暮時期に匹敵するくらいの商戦となっています。

 お店が開いている、ということは店員さん=従業員は出勤しなければならず、その従業員さんの家族への負担もあり、福利厚生の点でも元日を休業とするところが増えている、ということだそうです。

 少し前に、デリバリーサービスなど、スマホなどで指一つで商品が注文でき、さらに届けられるのは、実際に配達する人がいてこそ実現できるものです。
 正月(1~3日)に出かけて、食事や買い物ができるのは、皆が正月を迎える中、出勤した方がいてこそ買い物や食事が出来るものです。その辺りを忘れてはなりません。
 そういうことは気にしないからこそ、正月のお店の休みは、不自然に不親切に感じる世代が増えているのでしょう。


 名古屋の百貨店も、かつては元日は全て休業、丸栄と三越が2日から営業で、老舗の松坂屋は三ヶ日はお休みで4日からの営業でした。
 それが松坂屋は元日だけお休みで、2日から営業。福袋も2日の発売で、また大行列になるのだろうな。
 本当に様変わりです。


***
 ということで、年末の挨拶です。いろいろ持ち越している事案があり、このところちょっとブログ更新が開いてしまうことがありました。
 最近も、下書き竹しておいて、推敲せずそのままだったものを先ほど仕上げまして、遅延気味です。
 このPC作業している部屋が寒いので、なかなか身を入れて出来なかったりします。

 新しい年ですが、ブログは続けていくつもりですが一つ心配事があります。
 このgooブログは、OCN時代からOCNの有料サービスを継続していますが、その有料の料金をOCNから払うことができなくなり、gooのナントカカードを使えとか、ややこしいことを言ってきていますので、移行期限の1月末には、どこかへ再度移行しようかと考えております。
 まだどうするのか決めておりませんが、方針が決まればまた書きます。

 読者様へ一年のお礼と、来る年のご多幸、ご健康、ご活躍を祈念申し上げます。

けじめがつかない(つけない)心のご時世

2017年12月24日 | 思索と考え
 このところ、人の心が壊れかかっていることに触れる投稿が多いですが、やっぱりこういうのは気になりますので、もう一度お付き合いください。
 24日は東山植物園散策に出かけてまいりました。クリスマスイヴですが、日曜日恒例の植物園散策です。
 園内にある也有園には、旧尾張徳川家の家臣であった家の門が移築され、お正月には、この家に伝わる門松を建てています。
 このような特徴ある門松。




 根本。


 24日、訪れたところ、根本がこんなことになっていました。

 
 まさしく、あーあ、というところ。



 
 これは、おそらく軽い気持ちでやったことだと思います。地面の砂を靴でごちょごちょといじるくらいの感じ。白い砂はどんなんだろうかと、やったのだろうと思います。
 女性はこういうことはしません。恐らくは悪ガキかその父親でしょう。父親?大人ではないのか、といわれそうですが、今の子どもの親世代は必ずしも公衆のけじめがつくひとばかりだとは言い切れません。

 全く後がどうなるのかを考えずに、軽くやったことでしょう。砂をただいじるだけの軽い仕業。それがこのような醜い結果になるという、至極当然の思考が無いです。

 この「けじめ」というと動物園でよく見る光景。
 動物園内のベンチで、子供が靴を履いたままベンチに立たせて写真を撮る、という光景をよく目にします。
 あるいは、夕方の動物園正門から地下鉄東山公園駅へ至る道路の歩道で。ここには小休止用にと植え込みを囲むようにベンチがあるのですが、こどもは歩きながらそのベンチに登ったり下りたり。
 親は注意しませんね。
 世の中、どうなっちゃのでしょうか。先日の飲食店や引っ越し業者でのドタキャン(土壇場でキャンセル)といい、人の良識が売れたものです。



引越し解約料金値上げに見る便利さの影

2017年12月19日 | 思索と考え
 引越しを申し込み、それを直前にキャンセルする人が多くなり、キャンセル料を大幅に引き上げる方向なのだそうです。MSNニュースから。
MSNニュース:引っ越し解約金、大幅値上げへ…直前の解約増で

 これ、CBCラジオの朝PONの中でも解説として取り上げていましたが、そんな引越しのような大きな出来事が、そんな直前にキャンセルされるのか?などという話題がありましたが、その直前キャンセルの大きな理由は、web(ネット)だそうです。
 スマホや@Cから、比較サイトを見ながら、気軽に複数ポンポンポン、と申し込み、その中から適宜、業者を選んで、他の業者は気軽にキャンセルなのだそうです。

 この図式、類似のものがありました。飲食店の無断キャンセル。⇒12月16日記事:人の心を踏みにじる酷い奴・飲食店の無断キャンセル
 こちらも、スマホやPCで複数の店をポンポンと予約し、当日の時間になって、その中から適当に選んで宴会、そしてそれ以外の店は無連絡でキャンセルだそうです。

 引っ越し業者は、引っ越し当日に向けて、車両、人員を手配します。正規社員もあれば臨時社員(アルバイト)の場合もあります。
 少なくとも、申し込みのあった引越しには、資材・人材を予めから投入させます。
 それを直前の日にキャンセルされても、それら資材・人材は他へは回せません。


 これら総じて言えることは、インターネットや携帯電話など、便利な危機が登場して、人としての要素がすっかり変わってしまいました。しかも単に「変わった」ではなく、何とも軽薄な人が増えたことか。

 たとえば携帯電話と待ち合わせ。携帯電話が普及する前、どこかで待ち合わせをしようとすると、電話等で事細かに打ち合わせします。時間は?、場所は?、人が多い時の目安は?等々。
 これが携帯電話の登場で、日時だけは決めますが、場所は漠然としたものだけになってしまい、「後は当日、携帯に連絡するね」になってしまいます。
 ここでも、人の思考が軽薄になりました。

 さらに携帯電話、かつて誰かに電話しようとすると、家の電話にかけることになります。本人が突然出るラッキーなことは少なく、家の方とお話して、話したい人に取り次いでもらうことになります。
 家人はこの取次の会話で、家族がどんな人と付き合っているのかが分かります。

 それが携帯電話の登場で、直接本人に連絡がつきます。従来あった、その家人との会話の能力は必要無くなります。そこでも人は軽薄な思考になります。

 さて引越しや飲食店のネット予約、比較サイトに掲載の料金表を見て、深く考えずにポンポンポンだそうです。
 飲食店では昨今、食べログというサイトがあるそうで、そこでの評判だけで店を選んだりするそうです。
 そして予約もネットでポン!
 飲食店側も、電話予約をされると、確認先の電話番号が控えられます。

 webの世界にいる私が言うのもナンですが、本当にwebの便利サービスは人をダメにします。軽薄な思考以上です。
 スマホによるwebゲームの一つ、ポケモンGOをどうしても止められないのか、ポケストップを探しながらであったのか、本市(一宮市)では昨年、ポケモンGOをしながら自動車を運転していた者が、横断歩道で小学生をひき殺した、という事件がありました。
 自動車運転中はポケモンGOを中断できないほどに、思考が軽くなってしまった結果です。


 鉄道・バスの交通機関でも「行き方・乗り換え検索」で、出発地と行き先地を入力するだけで、その途中のルートのみならず、運行時刻、運賃、さらに最近ではバスの時刻まで検索可能になっています。
 私はどうもこのルート・乗り換え検索が大嫌いで、乗り換え・ルート検索はやったことはありません。
 使うのは、検索ではなく、時刻・運賃資料としてのweb情報で、ルートは自身で調べます。
 それができない人が増えているようです。


 飲食店でも、引っ越し業者さんでも、当日、右から左へサービスを提供できるわけではありません。
 自身が知らないところで、人は一生懸命準備に動いていうものです。
 具体的にどんな動きをするのかは知る必要はありませんが、それぞれの分野で持ち前の能力を発揮して、予約したお客さんのために動いている人がいる、ということだけは忘れてはなりません。