mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

線路横断

2009年04月21日 | 思索と考え

 C新聞に19日掲載され、A新聞では前日の18日に伝えられた事で、C市のあるおエラい方が、自宅と向いにある畑の間にある鉄道線路を踏切でもないのに横断していた、ということが報じられていました。

 その報じられ方がいかにも非難めいた文章で、一方的な見方だけの報道に不愉快を覚えました。

 確かに線路を踏み切りでもないのに横断するのは危険極まりない事、絶対にやってはならない。さらに今回の事象では線路際の柵を一部外して、跨いで越えていたことに非を追求する姿勢で、それはそれでもっともではあります。

 ただ物事を見るには、空間的にも時間的にも広く開かねばならない。今回報道されたことの具体内容は報道されている以外は分りませんが、一般論で考えますと、踏切でもないのに線路を横断することは、慣習法という形で場合によってはあるのです。

 古来より人々が往来している道の中には、道路法の適用を受けない「赤道(あかみち)」と呼ばれる道があります。その道の途中に鉄道線路があると、そこは踏み切りには設けられないことがあります。でも道の延長上で往来する事を得る権利(既得権)で線路を横断している所があるのです。この線路横断箇所を「赤道」と言うこともあります。

 さて今回の件。自宅と畑の間は、線路と線路伝いの道路があるだけでほぼ隣接と云ってもよさそう。或いは自宅と畑は鉄道線路が敷設される前は一続きだったかもしれません。そして30年以上前に鉄道会社で柵の一部を外せるように小細工してくれたと言うおエラい方の話。

 多分、線路に柵のない頃は、暗黙のうちに横断する箇所が何箇所か出来、その一つが今回のおエラい方の畑の前だったでしょうか。そこへ設置された柵で横断出来なくなり、いつも使う通路故に横断できるようにしたのではないのかな。違っているのかも知れませんが、一般論で考えられる事柄で推理してみました。

 何でも境界をはっきりさせる現代は、息詰まってなりません。その点昔は物事の境目というのがあいまいで、ある意味ざっくばらんなところがありました。それはそれで問題もありましたが、どこか人間らしい人間が住まう社会であったのではないかと思います。