1月26日、午後4時より三島市本町呉竹会議室で第3回理事会を行いました。
第11回東北被災地へのミシマザクラ植林については、塩害などで植える場所が見つからず、中止にすること。中国クブチ沙漠への植樹活動については、中国地方政府との協議が成されず延期することなどを了承しました。
2025年度通常総会を4月29日(火)に行うこととし、花街道の花植え、友誼団体との協力協同の推進、パークゴルフ、交流会などで会員同士の親交をさらに深めることなど協議することになりました。
理事会終了後の5時30分から、新春、会員の集いを行いました。
豊岡武士三島市長からごあいさつをいただき、佐藤晴理事長が理事会の報告、岩達譲会員(日本沙漠緑化実践協会理事)から中国クブチ沙漠植樹再開の見通しなどについてお話をいただきました。
堀井毅会員の音頭で乾杯をした後、会食に入り歓談にふける傍ら、多くの会員がカラオケで得意の歌声を披露、互いに拍手喝さいで盛り上がり、和やかな内に7時40分散会しました。
11月24日(日)、三島市水と緑の課による今年2回目の花街道の花の植え替え作業があり、当会もボランティアで参加、三島緑の会コーナーにビオラ約1000株を植えました。
前回の9月1日(日)は生憎の降雨で中止になりましたが、今日は、花街道周辺の紅葉もすっかり色づき晩秋の装いを感じる好天でしたが、当会からは会員、賛助会員8名が参加しました。
今回、植え替える花は「ビオラ」。三島緑の会コーナーに一列3段で約300列、約900株を植えました。作業は、午前8時30分から始めてから9時25分頃終えました。
今年もあと1ヵ月余り、近年は秋を通り越し一気に冬になりそうな気象状況になっていますが、今年はどうでしょうか。
参加者がやや少なく、作業に時間が掛かるかと思いましたが、手際よく作業を終え、いつものように記念写真を撮って、清々しい気持ちで現場を後にしました。
4月24日午前11時より、中国恩格貝「クブチ沙漠」に500万本以上のポプラを植樹し緑の大地を切り開いた日本砂漠緑化実践協会の元会長故遠山正瑛鳥取大学名誉教授の没後20年法要が、同先生の生家である山梨県富士吉田市「大正寺」で行われました。
この日、終日冷たい小雨が降り続けたあいにくの天気でしたが、当会もチャターしたマイクロバスで14名の会員・賛助会員が参加しました。
法要には、日本砂漠緑化実践協会からの参加者や地元の人と当会を合わせ約40人が参加、法要後に没後20年のため改装した先生の墓地に参拝しました。
その後、寺内で参加者全員で昼食をしながら歓談、故人の遺徳を偲びました。
大正寺を後に帰路に就き、ハーブ庭園旅日記、富士河口湖庭園、忍野八海を回って16時30分過ぎ、出発場所の三島市役所前に帰着しました。
小島善明事務所:佐々木太一記
ミシマザクラ、河津桜の植林の視察に高橋さんと行きました。
寺嶋葬祭会館駐車場拡張のため、ここへ植えた木は植え替えしてありました。
まとめて10本以上植え替えしてありましたが、ミシマザクラは高く育っていました。
浅生原公会堂に植えたミシマザクラ8本は育っていました。
小平農村公園のミシマザクラも12本育っていました。
牛橋区民館のミシマザクラ10本は、ほとんど同じ高さできれいに育っていました。
普門寺に植えたものは余り育っていませんでした。高橋さんの話では、この場所は強風が吹き、土地も石ころが多く、しかも津波が8メートルも襲寄せた場所で塩害も悩まされ育たなかったようです。
老人ホームに植えた筈のミシマザクラは確認できませんでした。他団体が植えた河津桜が3本育っていただけでした。
戸花山には、ミシマザクラも河津桜も多く育っていました。
視察を終えてこれから10年、20年にわたりそれぞれが大きく育ち、きれいな花を咲かせてくださいと願いながら帰ってきました。
なお、昨年(第9回目)植樹した花釜区交流センター(旧JR常磐線跡地)のものは、ミシマザクラ、河津桜ともあまり大きく伸びてはいませんでしたが、いずれもきれいに育っていました。
三島緑の会 福石 忠(一枚目写真の右端が筆者)
桜植樹の3月27日は晴天で作業は順調でした。前日は雨降りの後、雪が降ったそうです。
我々は午後の作業開始で植樹地には雪はありませんでしたが、宿泊地の秋保温泉(ホテル緑水亭)には残雪がありました。
遠くは岩手県から熊本県まで20人が植樹に参加しました。山元町八手庭(ハデニワ)地区の斉藤さんの所有地の外周に20本のミシマザクラの苗木を植えました。
今回の植樹地は農地だったらしく、地が柔らかく植えやすかった。前日の雨や雪の影響もあったかな? 一人1本ではいつも農作業をしている私には物足りなく感じますが、参加者の大半は後期高齢者であってすれば仕方がないことでしょう。
60本の未植の桜苗木は現地の関係者が植えてくださるそうです。
八手庭の鈴木さんと、斉藤さんは同級生で、協力してこの植樹を受け入れてくださった。
震災後の東北は、現在かなり復興したが、この地区では若者を寄せ付ける産業もなく、ますます高齢化している。
人を呼び込むための震災復興の先を行く未来プロジェクトとして広場の周りに桜を植えたいと願い、今回の植樹を申し出たそうです。
沙漠実践協会の幹部達の話によれば、公共施設のある場所でも土地所有者の同意がなかなか得られず植樹地の選定に苦労したそうです。
斉藤さんの旧家が植樹地のすぐ上にあり、植樹後見学させていただきました。
いかにも旧家らしく大きな邸宅と立派な松、蔵、井戸が残っていました。
参加者の半数は30年前の砂漠緑化実践協会を立ち上げた直後。苦労して中国へ行った人達で、当時の思い出を懐かしそうに話し合っていました。
小生は2011年に初めて恩格貝へ行ったが、それでも現在までに中国の環境が大きく変化していることを知っています。
然しながら、彼らの行った時はもっともっと酷い環境だったことが話の内容で判ります。でも私には羨ましい体験談でした。
現在では、中国側の政治的環境の変化で砂漠緑化に行くことが事実上困難な状況にあり、沙漠緑化以外の活動の道を探っている様子を聞き、それもやむを得ないことかと思います。
奄美大島のマングローブを植えようかとの提案もありました。実現できれば素晴らしいことだと思います。
山元町の関係者はいつも三島緑の会を前面に出し感謝の言葉をいただきますが、今回は緑の会からの参加は小生1人であり。また、単に植樹作業をするだけですからその他の参加者から嫉妬されていないかと気になります。
私の名前を呼ばれるたびに恥ずかしい気持ちでしたが、多大な協力をしてくれている小島さんことを話題にされ嬉しかったです。
3月28日には、参加者から提案があり、秋保神社の見学は止め、津波の上陸地で震災遺構のある荒浜海岸を見学しました。
新たに作られた防波堤があり、生き残った松に加え堤防近くに若い松が多数植えられていました。
震災による死亡者名の入った石碑や観音様の像が建っていました。改めて被災者にお悔やみを申し上げます。
本年正月元旦には能登半島大震災が発生しています。日本に住んでいれば誰でも地震被害を受ける可能性があります。
でも、日本人はその度に立ち上がってきたのです。日本人には互いに助け合っていく美徳があります。私はこの美徳を大切にしたいと思います。
以上