
三島緑の会 福石 忠(一枚目写真の右端が筆者)
桜植樹の3月27日は晴天で作業は順調でした。前日は雨降りの後、雪が降ったそうです。
我々は午後の作業開始で植樹地には雪はありませんでしたが、宿泊地の秋保温泉(ホテル緑水亭)には残雪がありました。
遠くは岩手県から熊本県まで20人が植樹に参加しました。山元町八手庭(ハデニワ)地区の斉藤さんの所有地の外周に20本のミシマザクラの苗木を植えました。
今回の植樹地は農地だったらしく、地が柔らかく植えやすかった。前日の雨や雪の影響もあったかな? 一人1本ではいつも農作業をしている私には物足りなく感じますが、参加者の大半は後期高齢者であってすれば仕方がないことでしょう。
60本の未植の桜苗木は現地の関係者が植えてくださるそうです。
八手庭の鈴木さんと、斉藤さんは同級生で、協力してこの植樹を受け入れてくださった。
震災後の東北は、現在かなり復興したが、この地区では若者を寄せ付ける産業もなく、ますます高齢化している。
人を呼び込むための震災復興の先を行く未来プロジェクトとして広場の周りに桜を植えたいと願い、今回の植樹を申し出たそうです。
沙漠実践協会の幹部達の話によれば、公共施設のある場所でも土地所有者の同意がなかなか得られず植樹地の選定に苦労したそうです。
斉藤さんの旧家が植樹地のすぐ上にあり、植樹後見学させていただきました。
いかにも旧家らしく大きな邸宅と立派な松、蔵、井戸が残っていました。
参加者の半数は30年前の砂漠緑化実践協会を立ち上げた直後。苦労して中国へ行った人達で、当時の思い出を懐かしそうに話し合っていました。
小生は2011年に初めて恩格貝へ行ったが、それでも現在までに中国の環境が大きく変化していることを知っています。
然しながら、彼らの行った時はもっともっと酷い環境だったことが話の内容で判ります。でも私には羨ましい体験談でした。
現在では、中国側の政治的環境の変化で砂漠緑化に行くことが事実上困難な状況にあり、沙漠緑化以外の活動の道を探っている様子を聞き、それもやむを得ないことかと思います。
奄美大島のマングローブを植えようかとの提案もありました。実現できれば素晴らしいことだと思います。
山元町の関係者はいつも三島緑の会を前面に出し感謝の言葉をいただきますが、今回は緑の会からの参加は小生1人であり。また、単に植樹作業をするだけですからその他の参加者から嫉妬されていないかと気になります。
私の名前を呼ばれるたびに恥ずかしい気持ちでしたが、多大な協力をしてくれている小島さんことを話題にされ嬉しかったです。
3月28日には、参加者から提案があり、秋保神社の見学は止め、津波の上陸地で震災遺構のある荒浜海岸を見学しました。
新たに作られた防波堤があり、生き残った松に加え堤防近くに若い松が多数植えられていました。
震災による死亡者名の入った石碑や観音様の像が建っていました。改めて被災者にお悔やみを申し上げます。
本年正月元旦には能登半島大震災が発生しています。日本に住んでいれば誰でも地震被害を受ける可能性があります。
でも、日本人はその度に立ち上がってきたのです。日本人には互いに助け合っていく美徳があります。私はこの美徳を大切にしたいと思います。
以上