三島緑の会第11次隊に参加して
小島 善明
思い出しましたです。
1995年、「三島泉ライオンズクラブ10周年記念式典」会長須田徳男様でした。記念講演『故遠山正瑛先生の「沙漠を緑に」「やればできる」「やらなければ なにもできない」熱弁に‼』翌年、三島泉ライオンズクラブ会員8人、須田さん、鈴木喜久夫さん両御夫妻が参加しての恩格貝に、現在の道路事情と違いデコボコ道で、胃腸の選択状態でした。植樹場所は、スコップを担いで40分、水湖より巾バケツリレーで588本ポプラ植えました。皆若かったですので頑張りましたです。!!
「どうなったのかなと心配?」して翌年、別隊に参加しまして現場に、しかし、悲しいかな枯れており、死んでいましたポプラでした!!残念!!やはり水の問題!!
しかし、何とか続けて行きたく思い須田様に相談に「鈴木正広さん」「鈴木喜久夫さん」私と3人で事務所に伺いました。気持良く「やりましょう」の一言でNPO三島緑の会が2002年10月に設立されました。
2004年6月、第1回の沙漠緑化活動19名での参加でして、今年2015年第11次隊として3人での参加でした。富士吉田隊(大正寺アミダ38次9名)との合同隊、8月19日から25日迄天候に恵まれ20日「故遠山先生記念館」での大正寺若住職の法要が行われまして、先生に又来ましたと報告させて頂きました。1996年の時と違い記念館の前には「ぶどう狩り」が、又その横には「ドーム型の健康スポーツセンター」が建設中でして、恩格貝も世界が注目しての沙漠のオアシスになって参りました。「故遠山先生」の「夢通恩格貝」が少しずつ実現しております。
21日はアミダ隊の枝切り作業でした。しかし、私はどうしても24日(月)の商談が有り、23日には三島に帰る事に御願いしてあり、間瀬様に午後今回の合同隊の植樹場所「第10次隊の後の所」でした。記念植樹3人分育てる事が出来ました。この時だけ急に「飛砂」が、岩達さん、勝山さんに手伝って貰い私の分1本植える事が出来ました!!感謝です。
夕食会も富士吉田大正寺アミダ隊との皆様との交流も出来ました。王明海さんとの同テーブルで「酒友」と紹介されまして白酒の「満杯」「満杯」には参りましたです。
22日朝食後、皆様に後の植樹活動御願いし、タクシーで包頭空港へ→北京→成田に午後10時20分到着し、成田に宿泊し23日無事に三島に帰って参りまして、24日(月)の商談に間に合いました。
今回、11次隊に参加させて頂き会員の皆様の御協力のお陰です。沙漠でのリフレッシュ「空気の美味しさ」「心の癒し」「心の洗濯」いつも感じます。
第12次隊も体の許す限り恩格貝に行きたいと願っています。
「満天の星」を最高ですので!!
三島緑の会「第11次緑の協力隊」に参加して
勝山 純一
今回の参加者は、小島氏、岩達氏と、私の三名と、少しさびしい感は有りましたが、富士吉田の大正寺のアミダ隊との合同で総勢13名での活動となりました。
飛行機も、ほぼ予定通り、遅れる事なく、無事恩格貝に着きました。
21~23日が緑化活動の日で、1日目は、植樹作業を行い、特に三島からの我々は午前中に記念植樹を行い、全体で243本のポプラの苗木を植えましたが、いつもながら現地スタッフの間瀬氏とか、現地の人達の早くからの水撒きして下さり、とても楽に植える事が出来ました。
夜は、夕食後、王明海氏が国の要人との会議が有ったとかで、要人と共に酒宴で盛り上がり、親交を深める事が出来ました。
2日目は大正寺隊の植林地の剪定作業を行い、スッキリとした森になりました。
3日目は、立派なアミダ隊の森を見学した後、大正寺隊はラクダツアー行き、残りの我々と数名は三島の森の剪定作業を行いスッキリとした林になり、その間に、以前に植えた他の植林地にも行き、状況を見てきました。記念植樹の時に付けたネームプレートをさがして、その木が芽吹いているのを見ると、何故か、なつかしく、うれしくなり、現地スタッフに感謝感謝の思いです。
前日までに剪定した枝を集めて植林地の砂止め作業を行い、夜は満天の星を観に沙漠ナイトツアーに行き、日中の疲れを癒す事が出来ました。
毎回ですが種々な人との出会いが有り自分の糧になります。今回は特に大正寺さんの皆様とは同じ宗派の門徒という事もあり、遠山正瑛師の御参り、女性が歌った仏教讃歌など、何かとても始めてとは思えない親しみを感じました。とは言え、話を聞くとやはり参加者が高齢化しており、少しでも若者の参加を呼び掛けなければと、痛切に感じました。
このツアーを組んで下さった皆様に御礼申し上げます。
第11次三島隊に参加して
岩達 讓
三島隊には2004年6月に初めて参加して以来、10年間恩格貝に通ったことになります。その間植林を通じて沢山の人との出会いと交流があり、非常に有意義でした。今回は阿弥陀大正寺隊の皆さんと合同で243本のポプラを植え、他の隊の事情なども知ることが出来ました。
今回は、恩格貝に4泊したので余裕があり、滞在2日目に記念すべき第1次三島隊が植林した場所(鳥漫線13の道路標識がある所)に1人で行き、その生育状況を確認してきました。植林した当時は24名の隊員で合計840本植えたと記憶しています。そのほとんどの木が活着していますが、植えた場所により生育状況が極端に異なり、概して砂丘の奥の方が生育良好で、高さ8メートル以上に成長しています。
一方、道路に近い所に植えた木は、高さ2メートル以下で枯れた苗木の一部がそのまま残っていました。現地所長の間瀬さんによると地中に固い層があると根が伸びることが出来ないので、生育不良になるとのこと。
樹形を整えるため、滞在4日目の午後に枝打ちをしようと勝山さんと話していたところ、間瀬さんと大正寺隊の2名の方が応援して下さり、とても有難かったです。枝打ちをするとボプラは真直ぐに伸び、成長のスビードもあがると間瀬さんから教えてもらいました。
木が成長して砂の移動が止まったせいか、樹間に草や灌木が生い茂り、水を奪い合ってポプラが枯れるのではと心配しましたが、根が地中深く伸びているから大丈夫らしい。それでも森の見栄えを良くするために、少し下刈りをして、乾燥防止と腐葉土になるように木の根元に被せておきました。
中国も8月は日本と同じ夏休みらしく、北京から中学生の団体が【林間学校?】で恩格貝を訪れ、砂丘をにぎやかに歩いていました。こちらはちょうど植林の真最中で、誰かが大声で「お前ら降りてきて1人1本植えていけ」と言いましたが、日本語が通じるわけもなく、強い風と飛砂の音にかき消されてしまった。
中国には今までボランティアという概念も言葉もなかったが、20年位前に上海あたりから、「義務工作」とか「志願工作」という言葉が発生したそうです。北京の中学生達にも日本人ボランティアが無償でこの地に木を植え、現在の恩格貝が出来、現在も沙漠緑化に協力している事実をきちんと教えてほしい。
思格貝滞在期間中、満天の星を見ることを楽しみにしていましたが、雲の多い日が続き、滞在3日目にようやく叶いました。夜10時ごろ、みんなで砂丘へ行こうということになり、五里明沙の「三島の森」ヘバスで行き、砂丘の頂上に寝転が、星空観賞をしました。
第1次隊の時はホテルの噴水前で、ビニールシートを敷き、ビールを飲みながら変わらぬ星空を眺めていました。あの頃は仕事に明け暮れて疲れ果て、息抜きのつもりで応募したのですが、恩格貝で星を見ていたら、体が宇宙に吸い込まれるような感覚になり、日本での煩わしいことなど小さいことだと思えたのです。本当に救われました。
三島緑の会には、2004年の第1次隊から今回の第11次隊まで、緑の協力隊を企画され、派遣させていただき大変お世話になりました。一生の想い出が出来ました。とても感謝しております。