詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

あまかわ

2020年05月13日 | 
晴れた朝には
都心の高層ビルからでも
富士山がくっきりと見える
鳥のように森やビルや高速道路を飛び越えて
目は一瞬で辿り着く

同じ場所で見下ろすと
あまり手入れのされていない
ざっくばらんなわたしの手がある
爪があり薄い甘皮が
名残惜しそうに爪にくっついて
1ミリほど伸びている

富士山を照らす光が
ビルの無数ある窓の1つに差し込んで
爪と甘皮にうっすらとつやのカーブを描く
抵抗のない証しに
まだまだ父の娘だという気がしてくる
もう父はいないし
わたしは四十も過ぎているのだけれど

同じ光
それでまた街を見返す
活発に活動する人々の活躍
音のない景色の中に
ひとつひとつ念入りに隠されていると思う

ワクワクするグラフや
激しく行き来するドキュメント
小さな頭の中にグローバルを
いっぱいに詰め込んで
うめき嘆きよろこんで

無数の表情が毎日ひっそりと捨てられ
経済といううねりになって地球の色を変えるらしい

本日はメーデー
闘ってきた人たちの姿は
よく語られよく見えない
この窓から見える動きは
列なして流れる車
風に揺れる木々
川に撒かれた銀色のリボン
そして鳥
移り変わっていく空
それは立体物なのか
わたしは立体的なのか
入り込めなければ平面と言うのか
そう思ったときわずかなうねりが生まれる
自分の手元と遠い景色しか見えないわたしの
胸の中の色を少しだけ変える

意味があることを探すなんて
愚かなことだった
意味なんて
同じ光の中で
富士山と自分の甘皮とを交互に見つめる
夕方にはシルエットになっている

太陽が落ちてしまうと
見えなかった人たちの呼吸のように
明かりが無数に浮かび上がって
ビルの形をなぞる
義務や制約が加える疲れでわたしは少し元気になり
貸した本が戻ってきていないことを思い出した
どうも規則正しくはみ出してしまう
富士山でさえ夜に紛れていくのに


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