【勿体(もったい)】態度などが重々しいこと。威厳があること。
【勿体無い】(有用な人間や物事が)粗末に扱われて惜しい。有効に生かされず残念だ。
大辞林より
今後のこと、それとともにこれまでのこと、考えていて、
もったいない、という言葉には、何かが想定されている、とふと思った。
高校生の頃、「この時間がもったいない」と思った場面を覚えている。
必死で何かを目指していたわけでもなかったのに。
30年ほど経ったいま、あの頃のあれは、一体何に対してもったいなかったんだろう、と思う。
私は一般的には真面目な人間に分類されるほうだと思うけれど、時々、その真面目さがアリバイ作りのように感じたりする。
「いえいえ、私はその時間、真面目にやってましたよ」と言いたいだけの真面目さ。始末が悪いのが、それが他人に言い訳するためではなく、自分に言い訳するためであることだ。他人を欺くより、自分を欺くほうが、より勤勉である必要があるから。そして自らそれがアリバイ作りであることに気づいていない。
私は研修会社に勤めているため、よくレンガ職人の話を聞く。
旅人が、レンガを積んでいる三人の職人に出会って、「あなたは何をしているんですか?」と順番に尋ねていく。
一人目は、壁を作っているんだ、と不満と疲れを見せて応える。
二人目は、家を作っているんだ、仕事だから、と応える。
三人目は、大聖堂を作っているんだよ、と誇らしげに応える。
みんなやっていることは同じなのだけれど、モチベーションが全然違うよね、という話。
私が陥りがちなのは、一番目の、しかも勤勉なレンガ職人になってしまうこと、かもしれない。
目的もなく、ただひたすらレンガを積んでしまう。形を成さない壁ばかりあちこちにできる。邪魔でしかない。
一番大事な「何のために」が抜けていて、無駄なことを勤勉に行なって疲れるくらいなら、サボっているほうがまだよほどいいのではないか。体力が温存できて、いざ必要とされる時には力を発揮できる。
「もったいない」も、そこに目的があるからこそ生まれてくるはずの言葉で、なのに「もったいない」と感じる私は、タマネギのように、剥いても剥いても明確な目的などなかった。
でも、もしかしたらまだ形になっていない目的が無意識に想定されていたのかもしれない。それと引き比べて、もったいないと感じたのかもしれない。そこでイメージされたものは何だったのか。あらためてそんなことも気にかかる。
その時に想定されていた、もったいなくないこと、は、きっといまも大して変わっていないのではないかという気がするから。
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