夜になると、「ああ今日もなんとか終わった。ようやく布団に入れる」などと、うれしく思って、一日が終わることを大喜びしている。
そうやって何気なく過ごす一日一日に、私は確実に歳を取り、感じて考えて過ごしていることを、惜しむことなく忘れてしまう。私の人生は、重さのない感じた考えたことの見えない山積でしかないのに。
5/26(日)に日本の南の海上で発生した台風一号は、今日、温帯低気圧に変わった。
傘を差して家を出る。台風ではなくなったとはいえ、今日も雨。
このところ、身体なのか、気持ちなのか、疲れが取れない感じがする。のんびりできる時間もあるのに、なんだか休んだ気がしない。重く感じる体で家を出ると、雨だけど、ベタベタせずに、ひんやりした空気が心地いい。
道路の横断歩道のあたりにできた水たまりが細長い銀色の川のように見えて、その水面にたくさんの小さな透明な王冠があちらこちらと跳ねまわっている。
紫陽花の色は鮮やかで、学校の裏側の、いまはまだ誰もいない部室の静けさ、翳っている窓とそこに差し掛かる青々とした木々の枝葉との遠近感が、思い出す自分の高校時代のように、近くて遠く、幼い頃からこの距離をずっと眺めてきたような気がする。
空気なのか気持ちなのか、いろんなものの輪郭がくっきりと見える。そのことに目が覚めるような気持ちになる。体に芯が通り、足取りがしっかりする。見るということに強い意思はなかったけれど。見ているということは生きているということなのだとふと思う。
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