もしかしてブログを継続的に読んでくださっている方、もしかしていらっしゃったら、私、整理が得意だと思いますか?
思いませんよねー。思えないですよねー。
でも実は、超不得意なんです。
不です、不。
「でも実は」に一瞬だまされませんでしたか?
私、ものすごい忘れんぼなのですが、そのための予防策を蜘蛛の巣状に張る、ということはできるんです。だからものすごい忘れんぼの割にはミスはそれほどしてない(あくまで忘れんぼの割には、ですが)と自負しております。うんたぶん。
でもそのための策を効率化する、というのがなかなかできない。忘れるのが怖いので念には念には念を入れてしまう。そして作業に没頭してしまって、要領良く、ということができていない。そのとき没頭したら、あとはケロッと忘れる。
資料やノートはぜんぜんきれいじゃない。自分がわかればいいと思って。ぐちゃぐちゃすぎて、自分でもあとで読むのが嫌になるのだけれど。それで手っ取り早く隣の人に聞いちゃったり。ハタ迷惑な奴です。
そんなふうだから、他の人が、自分のためのメモなのに、ちょーきれい☆にしているのを見ると驚愕する。自分がすごい欠陥人間のような気がしてくる。
文章力もきっと同じで、私はもしかしたらちょっと変わっている(ときどき言われる。近頃けっこう気にしている)のかもしれないけれど、その分、整理上手な人より少しは奇妙な文章が書けるかもしれないいつか、そうよ、そもそも、生物は混沌のスープから生まれたんだから、混沌は大事なのよ、ということにしていた信念、というか、信じ込んでいた言い訳も、ものすごい勘違いなのではないか、と急激に不安になってくる。
思い返せばピアノを習っていたときも、先生のところへ行って、ぜんぜん上手じゃない、と、わかると(自分でわからないところがすでにだめなのですけど)、文章も同じなんじゃないか!?と思って、とてもがっかりしてしまって、文章の練習をすればいいのに、文章力があるんだと思い込みたいがために、ピアノを必死で練習しようと奮起する、という、いかにも整理が苦手なひと的思考回路なのだった。
考えてみれば、整理とは、断ち切ることなのだ。本当だったら分けられないものを、バッサバッサと切って分類していく。だから決断力が異様に弱い私が整理が苦手だというのも、もっともなことなのだった。それとも整理が苦手だから決断ができないのか?
ともかく、私の中で、ものごとはずるずるずるずるだらしなくつながっていて、おまけに自分の感情もずるずるずるずるだらしなくつながりっぱなしで、そういう人間にはそういう人間の良さがあると思い込もうとしてきたけれど、ほんとにそうなのかな?と、こういうとき(他の人のちょーきれい☆なノートやメモを見つけたとき)、激しく動揺する。
整理ができないということは、そうやって、いつもムダなものを大量に持ち歩いている、ということで(実際、私の鞄はいつも重い、そしてブログの記事は長くなっていく)、いまやるべきことに力を注ぎきれず、そもそも、いまやるべきことをひとつに絞り込むこともできないから、時間ばかりが過ぎていく。
アクティブで遊び上手な人(大抵お酒も強い)というのは仕事もできる。そういう人は、捨てるのも上手。ぱっぱっぱっと決める。さっさっさっと動く。私が20年くらいかかる成長をたぶん1年くらいですましている。決断が早いから。そして普段、文章のフの字も考えないのに「きみ、これ、ちょっと、書いてみ」とか言われたら、さらさらさら〜とセンスの良い文章を書いて、「きみ、文才もあるんだねぇ」とか言われて、本人は別に文章に興味はないので「えー、そうですかぁ」みたいになる。そして私は地団駄を踏む。天よ、二物も三物も与えやがって!て。
そう考えてくると、私もそろそろ整理上手を目指すべきときなのではないかと思う。家を買ったので、これまで以上に、というかこれまでは最低レベルだった「稼ぐぞ」という気合が最高レベルに跳ね上がっているし、そうなると、「できる人」にならなければいけないのだ。
できる人になって、決断も速くなれば、文章にも良い影響があるかもしれない。何について書くか、ぽんぽん決められるようになるかもしれないし、ブログのレベルアップ方法を編み出したり、詩を書くためにどんなことをすればいいか、などなど、すばらしく有効なPDCAできるかもしれない!
と、能天気な私は、落ち込んだ後にかえってテンションがあがってしまうのでした。「だめな人間→これからよくなる可能性がたくさんある」という考えにハッピーになってしまって。まだ何もしていないのに。
さて、ではそれを実現するために、一体なにからどう手をつけたらいいのだろうか……。
追記
稼がなきゃ!と思ったら、今度は気合を入れて文章を書こうとしている私……。仕事じゃないのに。やっぱりとんちんかん。

かわいいはかわいいの分類の箱にすぐ入れられる。
思いませんよねー。思えないですよねー。
でも実は、超不得意なんです。
不です、不。
「でも実は」に一瞬だまされませんでしたか?
私、ものすごい忘れんぼなのですが、そのための予防策を蜘蛛の巣状に張る、ということはできるんです。だからものすごい忘れんぼの割にはミスはそれほどしてない(あくまで忘れんぼの割には、ですが)と自負しております。うんたぶん。
でもそのための策を効率化する、というのがなかなかできない。忘れるのが怖いので念には念には念を入れてしまう。そして作業に没頭してしまって、要領良く、ということができていない。そのとき没頭したら、あとはケロッと忘れる。
資料やノートはぜんぜんきれいじゃない。自分がわかればいいと思って。ぐちゃぐちゃすぎて、自分でもあとで読むのが嫌になるのだけれど。それで手っ取り早く隣の人に聞いちゃったり。ハタ迷惑な奴です。
そんなふうだから、他の人が、自分のためのメモなのに、ちょーきれい☆にしているのを見ると驚愕する。自分がすごい欠陥人間のような気がしてくる。
文章力もきっと同じで、私はもしかしたらちょっと変わっている(ときどき言われる。近頃けっこう気にしている)のかもしれないけれど、その分、整理上手な人より少しは奇妙な文章が書けるかもしれないいつか、そうよ、そもそも、生物は混沌のスープから生まれたんだから、混沌は大事なのよ、ということにしていた信念、というか、信じ込んでいた言い訳も、ものすごい勘違いなのではないか、と急激に不安になってくる。
思い返せばピアノを習っていたときも、先生のところへ行って、ぜんぜん上手じゃない、と、わかると(自分でわからないところがすでにだめなのですけど)、文章も同じなんじゃないか!?と思って、とてもがっかりしてしまって、文章の練習をすればいいのに、文章力があるんだと思い込みたいがために、ピアノを必死で練習しようと奮起する、という、いかにも整理が苦手なひと的思考回路なのだった。
考えてみれば、整理とは、断ち切ることなのだ。本当だったら分けられないものを、バッサバッサと切って分類していく。だから決断力が異様に弱い私が整理が苦手だというのも、もっともなことなのだった。それとも整理が苦手だから決断ができないのか?
ともかく、私の中で、ものごとはずるずるずるずるだらしなくつながっていて、おまけに自分の感情もずるずるずるずるだらしなくつながりっぱなしで、そういう人間にはそういう人間の良さがあると思い込もうとしてきたけれど、ほんとにそうなのかな?と、こういうとき(他の人のちょーきれい☆なノートやメモを見つけたとき)、激しく動揺する。
整理ができないということは、そうやって、いつもムダなものを大量に持ち歩いている、ということで(実際、私の鞄はいつも重い、そしてブログの記事は長くなっていく)、いまやるべきことに力を注ぎきれず、そもそも、いまやるべきことをひとつに絞り込むこともできないから、時間ばかりが過ぎていく。
アクティブで遊び上手な人(大抵お酒も強い)というのは仕事もできる。そういう人は、捨てるのも上手。ぱっぱっぱっと決める。さっさっさっと動く。私が20年くらいかかる成長をたぶん1年くらいですましている。決断が早いから。そして普段、文章のフの字も考えないのに「きみ、これ、ちょっと、書いてみ」とか言われたら、さらさらさら〜とセンスの良い文章を書いて、「きみ、文才もあるんだねぇ」とか言われて、本人は別に文章に興味はないので「えー、そうですかぁ」みたいになる。そして私は地団駄を踏む。天よ、二物も三物も与えやがって!て。
そう考えてくると、私もそろそろ整理上手を目指すべきときなのではないかと思う。家を買ったので、これまで以上に、というかこれまでは最低レベルだった「稼ぐぞ」という気合が最高レベルに跳ね上がっているし、そうなると、「できる人」にならなければいけないのだ。
できる人になって、決断も速くなれば、文章にも良い影響があるかもしれない。何について書くか、ぽんぽん決められるようになるかもしれないし、ブログのレベルアップ方法を編み出したり、詩を書くためにどんなことをすればいいか、などなど、すばらしく有効なPDCAできるかもしれない!
と、能天気な私は、落ち込んだ後にかえってテンションがあがってしまうのでした。「だめな人間→これからよくなる可能性がたくさんある」という考えにハッピーになってしまって。まだ何もしていないのに。
さて、ではそれを実現するために、一体なにからどう手をつけたらいいのだろうか……。
追記
稼がなきゃ!と思ったら、今度は気合を入れて文章を書こうとしている私……。仕事じゃないのに。やっぱりとんちんかん。

かわいいはかわいいの分類の箱にすぐ入れられる。
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