詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

世界の数

2019年02月24日 | 雑記
世界はひとつ。

じゃない。

生きている人の数だけある。
これまで生きてきた人の数だけある。

そのひとつひとつの世界は、
いろんなことを知り、感じ
考えることによって
ひろがり
深まり
豊かになっていく。

横に
縦に
斜めに
放射状に
円形に。

・・・・・・・
会社の宿題。
毎月本を3冊読まないといけない。
仕事に関係のありそうな本。

今月は3冊目の選択に失敗した。
3冊目用として、2冊会社から借りてきていたが、どちらも、いまの私にはダメだった。

そこでやけになって、自分の興味で読みたいだけの、少し前に買っておいたピーター・ドラッカーの『傍観者の時代』を、宿題をサボる子どもの心境で読んでいて、ふと、上記のような世界の数を思った。

ふと、そんなことを思うに至った箇所
「ヨーロッパの紳士方は手仕事はしなかった。手仕事をしないことの証拠として、爪を二十センチも伸ばしていた清王朝の高級官僚ほどではなかったにしても、かなりそれに近かった。」

P.F.ドラッカー著『傍観者の時代』ダイヤモンド社
Part1 第3章 エルザ先生とゾフィー先生より

・・・・・・・
少し時間が経ち、書いたことを読み返してみて
実際は、私には、知りたくないと思っていることもたくさんあると気が付いた。

きっとみんなそうで、
そもそものその人の知りたいことの傾向として
自然と得られていくものにも偏りがあるし
もっと知りたいと願うことも偏っている。
そうしてひろがっていく世界はいびつだ。
いびつな世界がごろごろ転がっている世界。

ぶつかったり
離れたり
すれ違ったり
隣り合ったり
競争したり。

本を読むと、
ものすごく奇妙な形の世界や
ものすごく深い世界や
ものすごく複雑な世界を
わたし自身のにじみによって
味わうことができる。

それも結局は私の中の世界。
よく言われていることではあるけれど。
ふとそんなことも思った。

世界の中の私、と普段は思っているけれど、よく考えれば、私の世界の中にしか私は生きられない。
私の世界の中の世界にたくさんの世界があって
その中にも私の世界が含まれている。

鏡の中の世界と思いきや、メビウスの輪のような。
全体に含まれていると思いきや、自らが全体を含んでいるかのような。

そんな今日も暮れていきます。
街にはもう光は残っておらず、光の影法師とでも呼びたくなるような、ほの明るさが残っているだけ。
建物に、ポツポツ明かりが灯り始める。
コメント
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