負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

大丈夫 ・・・ 好転

2013-11-23 16:16:28 | 原発震災避難者


遠足



心配は やさしさの表現ではありません。


心配するのなら

代わりに「 大丈夫 !! 」 と腹を決めて

「 ありがとうございます 」

・・・ と 感謝する習慣をつけましょう。


心配の種が芽生えたら

すぐに

「 大丈夫 」 ・・・ と ささやきかけましょう。


明るく感謝して

「 大丈夫 」 で生きていけば

すべては ・・・ 好転していきます。







反省 ・・・ 行動

2013-11-23 11:30:01 | 原発震災避難者


遠足



ただ言葉で

あれが悪かった ・・・ という反省なら サルでもします。


反省とは

行動がともなって ・・・ はじめて 反省になります。


行動がともなわない反省は ・・・ 必要ありません。

いたずらに自分の心を いじり回すだけです。


問題の見方を変えて

違う方向に進めるのが ・・・ 反省です。








一日の最後の仕事 ・・・ ありがとうございます

2013-11-23 08:30:09 | 原発震災避難者


遠足



夜眠ることは 一日の最後の仕事です。

最後は 有終の美で飾らなければなりません。


今日であった人に

・・・ ありがとうございます。

今日使わせていただいた道具に

・・・ ありがとうございます。


そして

明日は きっと きっと ・・・ いいことが待っています。

・・・ ありがとうございます。

・・・ ありがとうございます。







いつか必ず死ぬのですから ・・・

2013-11-23 05:22:15 | 原発震災避難者


遠足



人間

生まれたからには いつか必ず死ぬのですから

せめて それまでの時間は

ゆっくり ゆっくり

いのちを楽しんで 生き ( 逝き ) ましょうよ。


大丈夫 何もこわがることはありません。

大丈夫 何も不安に思うことはありません。


すべて 収まるところに収まります。


・・・ 大丈夫です。

・・・ 安心して下さい。







痴識 ・・・ 知識

2013-11-22 22:00:38 | 原発震災避難者


遠足



私たちは

知識をいっぱい身につけようとして ・・・ 学びます。

学力をつけなくては

世の中で役に立つ人間にはなれないと考えて

親は 子どもに教育を施そうとします。

その結果

今や高校生の半数以上が

最高学府にまで進学するようになっています。

学力は 知識をつけることと思っています。


でも

いくら知識を身につけても

それだけでは ・・・ 何の役にも立ちません。

知識バカなってしまうのがオチです。


最高学府を優秀な成績で卒業した人たちが

今 誰が見てもバカなことを平気でしています。

また

学歴の高いお母さんほど

子どもや夫を ・・・ できそこないにしてしまうといいます。

これは

せっかく身につけてきた知識を

人を比較し 批判する道具にするからです。



知識は体験を通したとき はじめて智慧に代わります。

体験がなければ 痴識にしかなりません。


そして

身につけた学力は体験を通して

楽力に変えていかなければなりません。


学力は 知識をひけらかすためにあるのではなくて

自分を そして まわりの人を楽しくするためにあるのです。







しつけ ・・・ 躾

2013-11-22 20:00:47 | 原発震災避難者


遠足



家庭のしつけが厳しかった人で

楽しそうに生きている人は ・・・ 一人も知りません。


家庭で教えなければならないのは

「 ありがとう 」

「 いただきます 」

「 ごちそうさま 」

「 おはようございます 」

「 いってきます 」

「 ただいま 」

「 ごめんなさい 」

という人間の基本的な約束事だけで十分です。


あとは 親が身をもって示していけば

子どもは ・・・ それをまねていきます。


学ぶとは ・・・ まねることなのです。







いい調子 ・・・ 胃々腸し

2013-11-22 18:00:54 | 原発震災避難者


遠足



胃袋の調子と腸の調子がいいことを

「 いい調子いい調子 」 ・・・ といいます。


いっぱいおいしいものが食べられて

食べたものが速やかに消化されて

・・・ いちばん調子のいいときです。


昔から

ご飯を食べているときに

子どもに注意したり お説教することは

・・・ 戒められてきました。


小言をいうのなら

まず食べさせてからにしなくてはいけません。

それも 食べたすぐあとでは駄目ですよ。

食べたものが消化されるまで

しばらく待ってから

・・・ 小言をいわなければなりません。


そうこうしているうちに

だいたいの腹立ちはおさまってしまいますから

結局 ・・・ 何もいわなくてもいいことになりますね。


「 ご飯を食べているときには アレコレいうな 」

ということの深い意味を

昔のお母さんは ・・・ よく知っておりました。







楽力 ・・・ 学力

2013-11-22 15:00:34 | 原発震災避難者


遠足



学力は ・・・ 楽力にしなければいけません。


しかつめらしい理屈ばかりの学力は

・・・ 捨てたほうが世のためです。

そんなものは 百害あって一利なし。

何の役にも立ちません。


人を楽しくさせる学力は ・・・ すばらしい力です。

楽しい人と一緒にいると 自然とエネルギーが高まります。

みんな幸せな気分になります。


まわりのエネルギーを高めることのできる人は

・・・ すばらしい人なのです。

これこそが 本当の学力のある人というものです。


理屈ばかりこねくり回して

・・・ まわりを暗くするような人はいりません。

こんな人は

いくら知識があっても 学力があるとはいいません。



これからは ・・・ 本当の楽力 = 学力をつける時代です。







金しだい ・・・ 金でゆけぬは極楽

2013-11-22 12:00:06 | 原発震災避難者


遠足



事業の成否 ・・・ 金しだい

政治の運営 ・・・ 金しだい

選挙に勝つのも ・・・ 金しだい

宗教繁盛 ・・・ 金しだい

女にもてるも ・・・ 金しだい

すべての幸福 ・・・ 金しだい

・・・・・・・・


これらはむろん 一面の真実であるかもしれません。

だが

全面の真実でありえないことは

・・・ どなたにもお分かりでしょうね。



金ほしや地獄の沙汰も金しだい

金でゆけぬは極楽の道



金銭で買えぬもの 動かせぬものがあります。

・・・ ゲンとしてあります。

心の尊貴だけは

万能の ( ? ) の金銭をもってしても ・・・ どうにもなりません。


むろん 自分の心を金に代えて売る人もいます。

だが そういうのは

魂の低劣な人 とるにも足らぬ人物であり

その人生に真の幸福がありえないことはいうまでもありますまい。


この極楽とは あの世のことではなくて

現世における幸福という意味に解すべきでしょう。


幸福とは ・・・ 究極的には 心のもちかたひとつできまるもの

その心は 金銭や物質から独立した

これらによって支配されないものです。


大金があっても不幸な人

金が少なくても幸福な人がいます。

すなわち

「 金でゆけぬは極楽 ・・・ 」 ということになるわけですね。

明日は知れぬから今日の感謝 ・・・ といったところでしょうか。







手の楽しさ ・・・ 感謝

2013-11-22 09:00:56 | 原発震災避難者


遠足



詠み人知らずの三十一文字 ( みそひともじ ) に ・・・


今朝もまた箒 ( ほうき ) とる手の楽しさよ

はかなくなりし人にくらべて


・・・ というのがあります。



「 はかなくなりし 」 には

「 儚くなりし 」 ( 死んでしまった ) と

「 掃かなくなりし 」 の二つの意味を含ませています。

箒ときたから ・・・ こう受けたわけです。


・・・ 死んでしまった人は

箒をとって庭をはくことも もはやできない。

そういう故人たちに比べてみたら

今朝もまた生きて目ざめて 庭はきができる楽しさ。

ああ 生きているとは

なんとありがたい うれしいことか ・・・


生きていること自体をよろこびとせよ

・・・ そう教えている歌だと思います。


「 手の楽しさ 」 という表現がいいですね ~。


手こそは 人間の特性をあらわすものです。

その手をつかうことこそは ・・・ 生きていることのあかしです。

死ねば この手もなくなるんだゾ~ ・・・ ですよ ね。


「 箒とる手 」 は 一つの例で

鍬をとる手

ペンをもつ手

箸をもつ手

子を抱く手

お尻をふく手

介護する手 ・・・ なんでもよいわけです。


その手に ・・・ 楽しさと感謝を見出します。







欲がつもれば道を忘れる

2013-11-21 20:00:08 | 原発震災避難者


遠足



このごろの世相を見ていますと

欲ゆえに道を忘れた行いがふえる一方であるように見えてなりません。


企業エゴは つのる一方です。


企業エゴよりももっと元に ・・・ 政治家や政党のエゴがあります。


明治のころには

「 政治家になることは私財を失うこと 」 だったそうですが

当節は 政治をやると ・・・ 財がふえるらしい。


だからこそ

議席をうるために あのような大金 ( 資本 ! ) を投じ

選挙違反を堂々とおかす勇気 ( ? ) をもっているのです。


欲ふかき人の心と降る雪は

つもるにつれて道を忘れる


「 欲がつもれば道を忘れる 」 ・・・ ということですね。

まことに ・・・ 嘆かわしい限りです。







カッコイイ ・・・ キセル

2013-11-21 17:24:52 | 原発震災避難者


遠足



「 カッコイイ 」という言葉が生まれてから

もうどれくらいなりますか?


時代相を端的に表現した

うすっぺらな流行語であるといえます。


表面だけの姿を

末梢的な感覚で評価する形容詞で

これが広く使われるのに並行して

心の「カッコヨサ」を求める態度は うすれ 消えゆく一方です。


キセルさえ心のヤニを掃除せず

ガン首ばかり磨く世の人


金属製のガン首は

外に出ていて人に見えるし 磨けばすぐにピカピカ光ります。

だから人は これを磨くことは怠りません。

だが 中のヤニを掃除することは

見えないところだけに 怠りがちになります。


真に大切なのは こちらのほうでこそあろうに ・・・


キセルを扱うのと同じように 人は自分自身を扱っています。

そういう人が多いです。


表面だけを飾り 磨いて

心のヤニを掃除しようとはしません。

これでは 汚いヤニがたまる一方ですが ・・・ 。







人の道 ・ ケモノミチ ・・・ 2.政治家

2013-11-21 15:24:07 | 原発震災避難者


遠足



政治家を 政治家なるがゆえにエライと思うのではありませんが

かれらはいわば

この社会の骨組みをつくることを任とする人たちです。


そういうかれらに誠が欠けるなら

社会全般に誠が乏しくなること やむをえぬ自然なでしょうね。


政治家たちに 「 まこと 」 や 「 まごころ 」 が

乏しい現実 ( と 私は思いますョ ) を

・・・ 情けなく感じるものです。



絵にかきし餅は食われず世の中は

誠でなけりゃ間にあわぬなり



選挙のたびに 「 公約 」 なるものをひっさげて登場あそばすかれら

この公約が 「 画餅 」 の見本のように見えてしかたがありません。


食えない餅をかいてみせて

「 食わせてやる 」 と約束 ( ? ) して当選するのこそ

誠がない ・・・ 何よりの証拠です。

そういう政治家は

「 間にあわん 」 そうです。 ・・・ 役に立たないといいます。


国民のあいだに政治への不信が広がるのも

また ・・・ やむをえないなりゆきでしょうか ?


「 誠の道ぞ人のゆく道 」 ・・・

上に立つものが ・・・ 人の道を歩まず
 
ケモノミチに近いような道を歩くのでは ・・・ この世は暗い。


もう少々でもいい ・・・ 誠の量をふやしてほしいものです。







人の道 ・ ケモノミチ ・・・ 1.誠

2013-11-21 13:22:38 | 原発震災避難者


遠足



「 道 」 というコトバを

人間に肉体の足ではなくて 心がとおるべき道

倫理 道徳のスジミチという意味で用いるのは

・・・ 東洋に独特の現象でしょうね。


「 人の道 」 というとき

それは 常に道徳面の心の道を指しています。


また

そういう形而上の道がありうるのは 人間の世界だけのこと。

「 けものみち 」 などといって動物にも道はありますが

それは つねに物質的な道。

心の道というようなものは かれらにはありえません。



梁 ( はり ) つたう鼠の道も道なれど

誠の道ぞ人のゆく道


「 人の道とは せんじつめれば誠の道 それに尽きる 」

・・・ と説いています。



誠とはなんぞや ?

説明すればきりがなく けっきょく説明のしようがなく

そして 説明しなくたってわかる言葉でもありますね。

だから ヤボなセンサクはやめにして ・・・


ただ

「 まこと 」 ( 真・実・誠 ) とか

「 まごころ 」 ( 真心 ) というようなコトバが

国語辞典において影がうすくなっています。


そういう世相の現実を

指摘しておきたい ・・・ と思うのです。

                     ( 2.へ )







正道・邪道 ・・・ 2.大いに迷うべし

2013-11-21 06:05:11 | 原発震災避難者


遠足



問題は 何が正道で 何が邪道であるのか ・・・ ということです。

その判別が容易ではありません。だから ・・・


ともすればあらぬ方へとふみ迷う

教えがたきは人の道なり


という歌が生まれることにもなるわけですね。


何が正道であるかは

人に教えられてわかるばあいもありうるけれど

つねにそうとばかりゆかず

自分の足で トコトンまで迷って 袋小路に追いつめられて

窮したあげく ゆくべき道のありかに気がつく

というケースもまた おおいにありえます。

いわゆる 人生の岐路に立ったばあいは

まずは ・・・ たいていこんなものです。


「 努力するかぎり人は迷うものだ 」

とゲーテが言っているとおりで ・・・

迷って横道に入るから

正道の所在をみずから悟ることができる

失敗するから 成功がありうるのです。

いわゆる 「 負けておぼえる相撲かな 」 ・・・ ですよ。


だから

ワザと横道に入ることはよろしくないけれど

まっすぐのつもりで横へ入ってしまったということなら

・・・ 大いに迷ってよろしいのです。

大いに迷うべし ・・・ ということでしょうね。