時事解説「ディストピア」

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クリミア独立から1年を経て

2015-03-25 00:14:18 | リビア・ウクライナ・南米・中東
1週間前に掲載されたものだが、参考になるのでメモ代わりにここに引用する。
その後、クリミアの歴史をざっと説明し、今回の事件についてコメントをしたい。


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クリミアとセヴァストーポリが自らの歴史的祖国であるロシアと再統合してから、18日で丸1年になる。
すでにロシア史の新たなページとなったこの出来事が、ロシア全体にとっての祝日である事は疑いない。
しかし23年の長きにわたりこの日を待ち望んだクリミアとセヴァストーポリの人々にとっては、特別の感慨がある。

あれから1年がたった今、ドンバスの例がはっきり示すように、
もしロシアの助けがなかったら、クリミアもドンバスと同じ状況に陥っていただろう。


そればかりでなく、状況はずっと恐ろしく、流血の大惨事となったに違いない。
ウクライナのジャーナリスト、アリョーナ・ベレゾフスカヤ氏は、そのように指摘している。


セヴァストーポリとクリミアは常に、ウクライナにとって手に負えない「継子」のような存在だった。
力ずくでのウクライナ化に従わず、政治状況の変化にもかかわらず、自分の伝統と歴史を尊んできた。
外からやってきたいかなる過激主義者も、ここに根付くことはなかった。



セヴァストーポリでは、町の防衛のため、命令や強制によってではなく、一般市民が自ら立ち上がった。
なぜなら、彼らの心の中では、ロシア魂というべき力と感情が、反撃する覚悟が生きていたからだ。
それらは、クリミアとセヴァストーポリ防衛の歴史によって育まれたものだ。
ここ数年、戦闘的ナショナリズムの傾向をますます強めてきたウクライナ当局への抵抗が、
第三のセヴァストーポリ攻防戦と呼ばれたのも決して偶然ではない。


2013年11月、首都キエフで、所謂「マイダン」が始まり、クリミアは、これに抗議の反応を示した。
セヴァストーポリでは実際すぐに、EUへの統合に反対し、関税同盟に賛成する「69番書簡」が現れ、
町を代表する人々がこれに署名した。その後、組織されたのが社会運動体「レスプーブリカ(共和国)」である。

2014年2月、キエフで国家クーデターが起こった。
セヴァストーポリとクリミアは、そうしたできた自称ウクライナ当局の合法性を認めなかった。

セヴァストーポリの中心広場、ナヒーモフ提督広場では2月23日(ロシアにおける祖国防衛者の日)、
集会が開かれ、自分達の市長としてアレクセイ・チャルィ氏を選出した。

同じく23日の夕方、義勇軍の組織が開始され、
クリミア北部境界線防衛のために、セヴァストーポリの特務部隊「ベルクート」が前面に出た。
彼らは前日「民族主義のウイルス」が蔓延したキエフから戻ったばかりだった。

こうして、まさに「祖国防衛者の日」、クリミアではロシアの春が始まったのだ。


ウクライナ軍は、サバイバルを図り,
軍人達は、参謀本部やセヴァストーポリ郊外のベリベク軍事飛行場に立てこもった。
キエフからは、武装したナショナリストで満員の「友情列車」を送るとの脅迫があった。

集会に参加していた一般の人々は日一日と増えて行ったが、
ロシアが今後どういった措置をとるのか、知らなかったし確信を持って知ることはできなかった。
しかし彼らは信じていた。セヴァストーポリに続き、シンフェローポリでも26日、集会が開かれた。
そして27日、クリミア最高会議の建物に、ロシアの三色旗が翻ったのだった。




しかしその当時でさえ、クリミアの人々は、
ロシアが自分達を護ってくれると100%信ずることができたわけではなかった。
ロシアとの再統合は、余りにも実現不能なものに思われた。彼らは、余りに長くそれを持ち続けたからだ!


そして住民投票を実施し、ロシアとの再統合の問題が完全にはっきりした時初めて、
クリミアの人々は、実現が可能だと信じるに至ったのだった。


しかし、住民投票より前に、セヴァストーポリとクリミアはすでに、ロシアへの再統合に賛成していたといえる。
町や村では、ロシアの三色旗が配られ、
人々はそれを、バルコニーや窓に、自分達の歴史的選択のシンボルとして掲げていたからだ。


3月16日の住民投票で、人々は「自動小銃を突きつけられて」
無理やり賛成投票をしたのだという作り話は、欧米が乱暴に作り上げたプロパガンダであり、
キエフの新政権にコントロールされたウクライナのマスコミにより故意に広められたものだ。


真実はどうだったか。クリミアの人々は、まるでお祭りにでも行くように投票に出かけた。
観測筋によれば、ソ連邦崩壊以後、これほど高い投票率はなかったという事だ。
それは、キエフのクーデター政権に従うことをよしとしない自由な人々による自由な選択だった。



あれから1年、その間、セヴァストーポリとクリミアは、困難な移行期を経験した。
しかしすべては、一時的なもので克服可能なものであり、現在ドンバスで起きていることと比べるべくもない。
ドネツク及びルガンスク州、両人民共和国では、何千もの一般住民が犠牲となり、
同じく何千人ものウクライナ軍人が戦死し、
何万人もの人々が負傷し、更には何十万もの人々が難民となっている。


その人生を狂わされた人々は数え切れない。これが今のドンバスの現実だ。

こんなことがあった後、ドンバスの人々は、かつてのように
もうウクライナの一部として暮らすことは決してできないだろう。



ウクライナ当局が、ドンバス住民の自決・自治に関する避けられない決定を先延ばしにすればするほど、
この地方をウクライナの一部として残すことはより難しく複雑になる。
もちろん、経済危機と戦争によりヒステリー状態にある、
ウクライナという国自体がバラバラにならなければという前提での話だが…


こうしたことを背景に考えれば、ポロシェンコ大統領の「クリミアをウクライナに戻す」という発言は、
明らかに実現不可能なたわごとの様に思われる。なぜならクリミアの人々は、一年前同様今も、
ロシアへの再統合に対し、同じ選択を下すだろうからだ。

続きを読む http://jp.sputniknews.com/russia/20150318/35133.html#ixzz3VJY6zHH1
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かなり前の記事で述べたことだが、私はこのクリミア・東ウクライナ問題は、
ウクライナ対ロシアや親キエフ派と親ロシア派の争いではなく、
中央政府と地方自治体との戦いだと考えている。



ノヴォロシア(ドネツク・ルガンスク共和国)も、そもそもは地方の議会が前身となったものであり、
この地方が異議を唱えたのも、ドンバス地方の炭鉱を閉山させるとキエフ政府が発言したことに由来する。


EUへの統合は、すなわちIMFの受け入れ、
その帰結としての新自由主義の導入、
弱国にとっては、現地の再植民地化を意味する。




とするならば、当然、現地の議会や政治家、社会運動家が反対するわけだ。
ちょうど、今の沖縄の米軍基地問題のように。



そもそも、クリミアは1783年にロシア帝国に併合され、ロシア革命後はソ連の自治共和国になった地域である。


ウクライナがクリミア領土となったのは、スターリンが死去した直後の時期、
つまりフルシチョフが権力を握った1954年である。北方領土がロシア領になった時期よりも遅い。


そういうわけだから、この地域は元々はロシアの土地であり、実際にロシア系の人間が多い。
これは東ウクライナにも通じる話ではあるが。


実のところ、このウクライナへの領土割譲は当時のソ連法や住民の意思を無視したものだった。

ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国憲法第33条には、
ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国の国境の変更に関する全権はなく、住民投票の実施を発意する全権があった。

つまり、住民投票というプロセスを経ずして割譲は認められないはずだった。


しかし、クリミアはフルシチョフの独断で勝手に割譲されてしまったし、住民投票が行われたことは一度もないのだ。

のちに、1978年にセヴァストポリの住民は、勝手な併合に断固として異議を唱えている。
同市議会は、1994年にロシアへの併合に関する決定を行ってもいる。

要するに、この地域のウクライナからの独立は地域全体の総意であり、これまでにも何度か議論されてきた。
その帰結が去年の住民投票であり、ロシアへの回帰だったわけである。実際、住民はロシアへの再帰を喜んでいる。


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クリミアの住民たちは、ロシア連邦の一員になったのを喜んでおり、ウクライナへ戻ることを望んではいない。
Forbes誌が、西側の研究機関が実施した多数の世論調査の結果を引用して伝えた。


Forbes誌は、クリミア半島がロシアの一員であることに住民は満足しているため、
米国と欧州はクリミアの住民「救済」に関する発言を止めるべきだと指摘している。

記事の中では、「各世論調査は、ウクライナ人であろうとロシア系であろうとクリミア・タタール人であろうと、
地元の住民たちが、ロシアの一員として生活する方が、ウクライナの一員であるよりもいい、
ということに同意したことを証明している」と述べられている。

その他にもForbes誌は、様々な研究機関や世論調査センターの世論調査データを引用している。

例えば、米国の調査機関Gallupが2014年6月に実施した調査によると、クリミアの住民82・8パーセントが、
クリミアの地位に関する住民投票の結果は、住民の意見を実際に反映したものであるとの確信を示している。
回答者の73.9パーセントが、ロシアへの編入によって、住民の生活が向上したと考えている。

続きを読む http://jp.sputniknews.com/russia/20150323/71995.html#ixzz3VJfe9aaD

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このような歴史的背景をガン無視して、「親ロシア派」などという
あたかもテログループが同地域を支配しているかのような誤解を生ませる報道をしてはならない。