時事解説「ディストピア」

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アジアの平和を乱す米韓軍事演習(その2)

2015-03-06 00:47:41 | 北朝鮮
私は、今年の1月には北朝鮮の方から対話を投げかけてきたこと、
合同軍事演習の臨時中止と引き換えに核の実験も控えると呼び掛けたこと、
それにも関らず、米韓は軍事演習に踏み切ったことについて、先日指摘した。



北朝鮮の軍備は脆弱であることはよく知られている。
いまだにソ連製の兵器をいくつか用いており、最新鋭の通常兵器の前では歯が立たない。


それゆえに、一撃で壊滅的なダメージを与える核兵器に依存するしかないのである。


これは裏返せば、自国の安全が保障
(これは日本のようなどこからも攻撃される気配のない国とは違い、
 正真正銘の安全保障だ)されれば、核放棄の可能性もあるということを意味する。


実際、北朝鮮は過去、何年にもわたって、軍事演習の中止を非核化の条件にしてきた。

にも関わらず、このことは特に重要視されることもなく、
代わりに、軍事演習の反発として北朝鮮が威嚇をすると、
待ってましたとばかりに連日、朝も昼も夜もニュースとして報道される。


ここ10年の日本の言論・報道は、こういう状況なのである。

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今年8月、朝鮮半島は解放と分断70年を迎える。

第2次世界大戦の終結とともに朝鮮人民は祖国の解放を成し遂げたが、
それと同時にもたらされた分断の責任はすべて米国にある。


米国は、ソ連に分割統治を主張し、南に一方的に軍政を敷き、自治組織を暴力的に破壊し、
南だけの単独選挙を強行し、朝鮮全土の資本主義化を狙って朝鮮戦争を起こした。


3月2日に開始された米韓合同軍事演習は、そうした米国の本性をあらわにしている。

「キー・リゾルブ」演習と「フォール・イーグル」演習では、
昨年も核戦略爆撃機が爆弾投下訓練を行い、
韓国・浦項では沖縄米軍のオスプレイも参加して、上陸作戦を実施している。


一体どこに核爆弾を投下しようとしているのか、
どこに上陸しようとしているのか、一目瞭然である。

平壌に爆弾を落とし、
元山に上陸しようとする侵略戦争の予行演習に他ならない。
こんな不当で危険極まりない軍事演習はただちに中止すべきである。




米軍とともに侵略演習を展開している韓国軍の指揮権は、
いまなお在韓米軍司令官の手にあり、朴槿恵大統領には何の権限もない。



その朴大統領は3月1日の独立運動記念日に、朝鮮に対し
「核が自身を守るという期待から抜け出し、
 平和と体制の保証を受けられる開放と変化の道を歩むべきだ」と主張している。

これは米国の朝鮮に対する強要をオウム返しに言っているにすぎない。

独立運動記念日にもかかわらず、
韓国が米国に従属していて独立・自主ではないことを自らが認めたに等しい発言である。



そして、その暴言は、
先に核攻撃という脅威を及ぼしているのが実は米韓側であることを示している

朴大統領の暴言は軍事演習と軌を一にした朝鮮に対する脅しであり、
核侵略戦争を強行するとの前触れと言っても過言ではない。



朝鮮半島の平和と自主統一を願う私たちは、米韓両国がただちに軍事演習を中止し、
関係改善のへの条件と環境を整え、朝鮮が繰り返し呼び掛けている対話に真摯に臨むよう強く要求する。

(http://chosonsinbo.com/jp/2015/03/0305yh/)
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沖縄のオスプレイが北朝鮮侵攻演習に利用されている。

このことを指摘したメディアや学者、知識人がどれだけいるのだろうか?


沖縄には、ピーター・カズニアック氏などの良心的アメリカ人と協力して
基地撤廃運動に参加している人間もいるが、本当に手を取り合うべき相手は別にいるのではないか?


結局、これもまた反共政策の賜物で、冷静に考えれば世界中でテロリストを支援し、
軍隊を派遣し、国内では世界でもトップレベルの経済格差と貧困をもたらしている
かの国もまた、北朝鮮と大差ないはずなのに、一方の国は免罪され、他方の国は悪魔化される。


アメリカの核兵器は一切削減されないのに、北朝鮮の核兵器だけは削減するよう求める。
善意で言っていることかもしれないが、これは結果的にアメリカのアジア戦争に加担するものだ。



世界史の教科書では、アフリカ史と中東史、東南アジア、南米史の記述が少ない。
この地域の現代史を書くと、アメリカやフランス、イギリスが悪役になるからである。


私は北朝鮮は完全無欠の天国だと言っているのではない。
客観的に見て、アメリカのアジアへの脅威こそ、非核化へと踏み切れない原因なのに、
なぜ、どのジャーナリストも学者もメディアも強く訴えないのかということを問いたい。

(もちろん、ごく少数、この件について述べる人間もいるが、本当に少数な上、影響力がない)


本当にアジアの非核化を目指すならばすべきことをしない。そのことを言っているのである。

アパルトヘイトは、なぜ栄えたのか

2015-03-06 00:42:17 | リビア・ウクライナ・南米・中東
1.

前回、冷戦期にアパルトヘイトを全面的に支持する不届き者が
日本で大学教授をやっていたことに触れたが、彼の著書を改めて読み直すと、
ネルソン・マンデラを共産党ゲリラの親玉とみなし、彼の入獄を当然視する記述がみられた。


今でこそ黒人差別運動の英雄として世界中から愛されているマンデラだが、
この時期はテロリストのボス、監獄にぶち込むのは当然の報いと言う人間もいたわけだ。


反共とは、ここまで人を堕落させるのかと、学問の威厳を傷つけるのかと改めて思い知らされるが、
これは梅津教授個人の問題ではなく、まさにこの反共主義こそアパルトヘイトを存続させてきたのである。



あまり知られていないが、南アフリカ共和国は人種主義と反共主義を国是とした国家だった。


韓国のパク・チョンヒ、インドネシアのスハルトが有名だが、
アメリカが支援する国家は、いずれも強烈な反共主義のもと民衆弾圧を行ってきた。

南アフリカ共和国も例外ではなく、反共の砦として国内の弾圧と近隣国への侵攻を行ってきた。


世界史の教科書や入門書には、いかにも世界各国が南アフリカの人種隔離政策を非難し、
制裁を加えたかのように書かれているが、実際にはその後もビジネス上の付き合いは続いており、
また先のアンゴラ内戦でもアンゴラに軍を侵攻させたのは、南アフリカとアメリカなのである。


要するに、南アフリカ共和国は、アフリカを共産主義化させないために生かされた。

アフリカで社会主義国が誕生させないこと、
万が一誕生した場合、その国を攻撃し、速やかに政権を転覆させること。

これを条件に国内で行われているあらゆる弾圧にアメリカ発の免罪符が与えられたのである。



2.

一般的に「アパルトヘイト」は「引き離す」という意味のアフリカーンス語だと説明される。

ヘイトは接尾語で、英語のnessのようなものである。

しかしながら、偶然にして、この言葉はアパートヘイト、
すなわち「apart(別々に)」「hate(憎む)」と解釈することもできる。


アパルトヘイトとは、単に白人と黒人を分離させることではない。
より正確に言えば、部族ごとに居住区を定め、引き離す政策であり、
これは部族主義を助長させ、各部族の団結を防ぎ、また黒人同士を衝突させるものである。


南アフリカ国内では、ズールー地区が白人政権の傀儡役を背負った。
アパルトヘイトの撤廃なしの市民権の付与。これを要求したのである。


梅津教授は、これを得意げに利用して
「ANC(マンデラが率いた組織)に反対している部族もいる!
 黒人に市民権を与えれば、自ずとアパルトヘイトは形骸化するだろう。
 そのようなゆるやかな変革を望む人間が対話の相手としてふさわしい」と主張する。



梅津和郎教授が『新現代アフリカ史』で述べていることは、
白人政権にとってコントロールしやすい部族を祭りたてることが望ましいということだ。


これは言ってみれば、鳩山由紀夫ではなく安倍晋三と対話せよ、
基地は撤廃しなくても、沖縄の開発援助をすれば、長い目で見れば、
県への負担はなくなっていくだろうという言説と全く同じものだ。



そして、こういう言説がさも正しいかのように宗主国や属国、
すなわち民主主義国の学者やジャーナリストを動員して……というよりも、
その国の保守派に共鳴する人間たちが自発的に協力してプロパガンダを作っていく。


3.

民主主義国の恐ろしいところは、
プロパガンダが政府の強制ではなく、
個人の協力によって成り立っているということだ。


そのため、その工作活動には、一定の正当性がある。

アメリカやフランス、イギリスで未だに人種差別や宗教差別があるのも、
民主的に、保守的な思想や言説がばら撒かれているということが背景にある。


それどころか、一国の元首が、そのようなカルト集団のメンバーだったり、
あるいは彼らに支援されていたりするところも少なくない。

この場合、首相や大統領は自発的にプロパガンダを流すように呼びかけるのだが、
仮に共産主義国がそれをすると、「自由の侵害だ!」と騒ぎ立てるわけだが、
これが民主主義国になると、「我々に意見するのは言論の自由の侵害だ!」となるわけである。


このように、強制なら悪で協力なら善だという強烈な思い込みは左翼もまた共有するものだ。

強制だろうと非強制だろうと、肝心かなめの言説の内容に則って考えるべきなのに……だ。



4.

梅津和郎教授を見て思うのは、
日本の学者が現在進行形で政治や経済に悪い意味でコミットしているということだ。


実際、この手の悪党は北岡伸一(政治学者)や浜田 宏一(経済学者)のような
政府お抱えの学者だけでなく、民間の大学にもいくらでも存在する。


何だかんだでドイツ近現代史や日本近現代史の研究者が、
この70年間で目覚ましい活躍と発展を遂げたのも、保守派とは一歩おいたためだと思われる。
(そのために、マルクス的だと、容共的だと同業の反共左翼から攻撃されたわけだが……)


私は何も、学者は皆共産化しろーと言っているのではない。

コミュニストならすべて悪だという偏見に則った学者は、
その思想的差別主義のために、悪政に関与する疑いがあるし、実際にそうなっている
と言いたいのだ。


容共はあくまで共産主義者の言うことにも耳を貸す程度のもので、主義者になることではない。

私が言いたいのは、学者である以上、その人物の思想的立場ではなく、
その主張の内容を客観的に判断した上で、批判してみせろということなのである。

手紙を読む前に差出人がコミュニストだと知って、封すら開けずにゴミ箱に捨てる。
そういう行為は事実の守り手であるはずの学者がすることではないと言いたいのである。