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勇気ある発言

2020-07-25 10:44:16 | Weblog
 勇気ある発言

 マスコミは、他人の過ちを言う事を、『勇気ある発言』と言うが。
 本当は、自分の過ちを認める事が、『勇気ある発言』ではないかと思う。
 本当は、他人の過ちを言うより、『やれ世間では、彼女いない歴が何年だとか、年齢と一緒だとか言うが。私は、友達いない歴が年齢と一緒ですから。誰か私と友達になって下さい』という方が勇気ある発言なのではないかと思う。(『南米でオーパーツ探している場合かよ!!』さくら剛)

 他人に謝罪させることを、『勇気ある発言』ではなくて。
 自分が謝罪する事が、『勇気ある行為』なのではないかと思う。

 韓国人は、『勇気ある行為』なのでしょうかと思う。
 本当は、謝罪する事の方が、勇気ある行為なのに。

 いや、本当は、『不眠症だ』と言いたいのですよ。
 でも、逃げてばかりではダメだから。

 私の書いた文章を、ブログにあげる事は、少し勇気ある行動で。
 何か、「他人に馬鹿にされるのではないか」とか「非難されるのではないか」とか思うのですよね。
 『自分が小さく見える』と。
 他人の事を、『悪だ』と言っていた方が、自分が大きく見える。

 スピリチャルな進化が何を意味するか分からない。
 でも、『真摯な謝罪を』と。
 でも、それをすると、「自分が傷つくのです」。
 自分の罪を認める事は、勇気ある行動で、と。
 「他人の罪を言う方が簡単だ」と思う。

 『犯罪者に、謝罪を要求すると、再犯する』と。
 「謝れるぐらいなら、刑務所に入る事にはならない」という方が正しいと思うが。
 自分の罪を認める事は難しく、勇気ある行為だから。
 「真面目に生きる方が難しい」。
 悪い事を他人のせいにして、暴れまわる方が簡単だ、と思う。

 『反戦運動には行きたくないわ。平和の集いには行きたいわ』と、マザー・テレサが言ったという話があるが。
 『望む事に焦点をあててごらん』と。

 「ノート一冊、『ありがとう』という単語を書くより、人に『ありがとう』と100回言う方が、幸せになれる」と思う。
 「人が望んでいる事を、与えれば良いのに」と思う。
 自分の望んでいる事を、人にさせるのではなくて。

 みんな人に、『謝ってもらいたい』と思っている。
 だけど、それを、人に与える事は、勇気ある行為で、と思う。

 本当は人の罪を言うより、自分の罪を認める事の方が、『勇気ある行為』だから。
 そこを逆さに考えている限り、幸せにはなれないだろう、と思う。
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