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ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

3カ国便利度比べ

2006-08-15 12:57:00 | 異文化・風俗・習慣
フランスは朝型人間の国だと思う。わたしはロンドンのオフィス時間に合わせて仕事をしているので、開店は午前10時。テレビはイギリスの放送を受信しているので、プライムタイムは午後10時から。そこで、寝るのも自然と遅くなる。というわけで、夜型人間のわれわれにはフランスの生活はたいへん不便だ。

フランスの朝の部は12時に終わり、午後2時までの長い昼休みに入る。起床が遅いと、朝食をとってまごまごしているうちに、あっという間に11時になってしまう。ちょっと離れた町まで買いものに行くとなると(フランスの田舎に住んでいると、どこでも「ちょっと離れた町」になってしまう)、着いたら閉店時間ということになりかねない。幸い開いていても、店員の頭の中は、昼飯はどこに行って何を食べようか、早く行かないと満員になってしまうぞということでいっぱいだから、懇切丁寧なサービスを受けることは不可能である。フランスの午前の部というのは、わたしたちにとっては無きに等しいものだ。

ある土曜日の朝に大型店舗の密集した工業団地に行ったのだが、ここも12時になると一斉に閉まってしまう。1店くらい開いていたら、さぞかし繁盛すると思うのだが。家に帰るとなると、片道1時間弱かかるので、出直す意味がない。となると、やはりそこで働く人たち同様、レストランに行くしかないわけだ。で、典型的なフランスの2時間ランチになるわけである。お腹が空いているので5コースというわけではない。5コースもあれば店が開くまで2時間つぶせるだろうというわけだ。で、レストランのほうも12時から2時の間は殺人的な忙しさとなる。それぞれが異なった時間に昼食をとったら、給仕するほうだって、丁寧なサービスができると思うのだが。

そこへ行くと、スペインのシエスタのほうがずっと便利だ。午後2時から4時あるいは5時までと休みは長いが、午後2時まで営業している午前の部でだいぶ用事がこなせる。夕方の営業時間はおまけのようなものだ。さすが夜型人間の国である。夜型人間に便利なようにできている。

が、もっと便利なのは昼休みのないイギリス。もっとも、フランスでもスペインでも大型スーパーマーケットチェーンは昼休み無しで終日営業のところが多い。要するに店員の配置をシフト制にして、昼休み時間をずらせて取らせればできることなのである。なのに、どうしてみんなで一斉に2時間ランチを取らないといけないのか?

おまけにフランスは月曜日休業のところが多い。銀行が月曜日休業なので、その影響らしい。今日は聖母マリアの被昇天の祭日で、日・月・火と3連休である(フランスの銀行は月曜日の代わりに土曜日営業なので)。おかげで、また水道料金の支払い手続きをしそこなった。

日本のような便利な国に住んでいるとなかなか気づかないことだろうが、世の中にはまだまだ不便なところがたくさんある。そしてその不便なところには先進国と呼ばれているところも含まれているのだ。

ヨーロッパ歌の祭典

2006-05-22 11:18:20 | 異文化・風俗・習慣
ときどき土曜日に毎年恒例のユーロビジョン・ソング・コンテストが行われた。今年で51回目だそうである。イギリスではみんな馬鹿にしきっているのだが、それでも毎年必ず話題にはなるという伝統の行事である。スウェーデンのアバもこの大会出場がきっかけとなって、世界的なスターになった。セリーヌ・ディオンがスイス代表として出場したのも有名である(作詞・作曲の国籍が問われるだけで、歌手は別の国の出身でもよい)。

今年の開催国はギリシャだった。前年の優勝国がその年の大会を主催するというのが規則で、あまりにも費用がかかるため、以前は、元ソビエト連邦国など経済的な余裕のなかった国々が優勝しないように努めていたという話もある。

これまでは一番の山場である得点発表の部分しか見なかったのだが、今年は初めて最初から最後まで合計24カ国の歌を聞いた。

ウクライナやクロアチアのような民族色豊かな歌と演奏もあれば、ドイツ代表のテキサス・ライティングというグループのカントリーウェスタンという意外な選択もあった。どの国も衣装やらダンスやら歌以外のショー的要素に力を入れている。今年は、特に足の長い女性たちが途中でスカートを剥ぎ取って衣装変えしたり、自慢の足を披露する場面がやたらに多かった。が、やはり一番目を引いたのは、フィンランドのヘビメタ(?)バンドである。全員、『ロード・オブ・ザ・リング』の妖怪たちまがいの格好で現れた。花火が炸裂するほど、舞台効果も凝っている。もっとも、歌のほうは全然記憶に残らないほど、印象の薄いものであったが。一方、フランスは、質素な白いドレスを着た女性が男性チェリストだけを従えて、淡々と歌うというものであった。「ソングコンテストなんだから歌で勝負だぞ」という姿勢の表れと取れないこともないが、実のところ、「こんな馬鹿馬鹿しいことに時間と金を費やせるか」というやる気のなさから来るのだろう。いかにもフランスらしくて、わたしとしては好感が持てた。

最後の1時間は、投票結果の発表である。各国の電話投票の結果が、ヨーロッパ各国から中継で報告される。投票には歌の出場をしなかった国も含めて、30カ国が参加しているが、この部分は馴れ合い主義の典型である。政治色が反映されることもあり、フランス・ドイツの意思に反して、イギリスがブッシュ政権に組してイラク戦争に突入した年には、イギリスの得票はゼロであった。(もっとも、歌手がひどかったことも大きな原因ではあったが)。

スカンジナビア国、旧ユーゴスラビア国、旧ソ連国がお互いに投票しあう。曲に投票するというよりは、好きな国に一票を入れるという感じである。最初からどの国がどの国に入れるかは予想するに難くない。中には、「美しいわたしたちの隣国に12点!」とまではっきりと身内びいきを表明する国さえあった。まったくやる気のない(歌手にも歌唱力がなかった)フランスが1点でも得票するかどうか疑問に思っていたのだが、もちろん、お隣のモナコが8点を入れたので、最下位は招かれた。最下位はマルタである。島国の悲しさか?

結局優勝したのは、妖怪バンドのフィンランド。来年は、ユーロビジョン・ソングコンテストではなくて、ユーロ仮装大会になるかもしれない。

母の日とサマータイムの始まり

2006-03-27 12:52:45 | 異文化・風俗・習慣
昨日はイギリスの母の日であった。イギリスの母の日は、キリスト教の復活祭の日付と連動しているため、年によって異なる。

この習慣は、復活祭に先立つ四旬節の真ん中に、故郷の教会(母教会)を訪れることがキリスト教徒として正しいことと考えられていた頃の習慣に基づくということだ。当時はふるさとを離れて奉公に出ていた人が多く、母の日は故郷に戻り、家族とひと時を過ごす機会となっていたそうである。日本のお盆休みのようなものなのだろう。

また。昨日は夏時間の始まりでもあった。午前2時に1時間繰り上がり、午前3時となる。つまり、1時間失うわけだ。幸い、夏時間への切り替え・夏時間からの切り替えは日曜日に起こることになっているので、仕事に遅刻したりというような混乱が起こる心配はあまりないのだが、一度だけ失敗したことがある。友人が訪ねてくることになっていたのだが、その日に夏時間に切り替わることをすっかり忘れていた。玄関のベルが鳴ったときには、まだ寝巻き姿だった。

かつてはイギリスとヨーロッパ大陸の国々とでは、夏時間になる日・夏時間が終わる日が異なり、これも混乱のもとであった。そもそも1時間時差があるところにもってきて、別々の日に夏時間へ(から)切り替わるものだから、いったい時差が何時間なのか全然わからなくなる。これでは困るということで、同じ日に夏時間へ(から)切り替わることになった。

夏時間になると、午後8時になってもまだ明るい。得をしたような気分になる。が、その代わり日の出は1時間遅くなり、午前8時少し前である。かつて、ロンドンまで1時間半かけて通勤していた頃はこれはなかなかつらかったが(冬の間は全然太陽を見ないことがよくあった)、今では日が昇ってから起きればいいのであまり気にならない。

イエス様見つけた!

2006-02-13 18:29:52 | 異文化・風俗・習慣
もしかしたら、あるかなあと思って台所の引き出しを探してみたら、ありました!やっぱり、わたしもそんなに罰当たり者でもなかったのだ。高校時代のカトリック教育がどこかに残っていたのに違いない。

これが、スペイン版フェーブです。スペインで、1月6日の公現節(3賢人の日とも)に食べるケーキ(というか、わたしが買ったのは、パンにドライフルーツの飾りがついているくらいのものだった)の中に入っているおまけ。

人間の記憶とは全く当てにならないもので、出てきた赤子姿のイエス・キリストは唯我独尊ポーズではなかった。くつろぎのポーズ(なんか子供っぽくないのだけど)って感じ。周りの緑や茶色っぽいのはたぶんわらで、これは飼い葉桶の中のイエス様という設定なのだろう。ペルーのイエス様の話を聞いたら、わたしのイエス様も褌(赤ではないとは思っていたけど)姿だったような気がしてきたのだが、しっかりパンツでした。

クリスマスの終わり

2006-01-07 03:01:31 | 異文化・風俗・習慣
のち今日(6日)はクリスマスの12日間の最終日である。イギリスでは近年、だんだんとクリスマスの始まりが早くなり、最近は9月にクリスマスカードやクリスマスクラッカーが店頭に現れるようになった。それにしたがって、クリスマスはずいぶんと長くなってきたが、今日が正式なクリスマスの終わりということになる。今年は「クリスマスを短くするキャンペーン」というのを促進する団体が、派手な電飾で家をピカピカに光らせている家庭に、「御近所の迷惑」であるということで、苦情の手紙を出したというようなニュースも聞かれた。クリスマスの商業化にはうんざりしてきたが、2~3週間くらいクリスマス気分を楽しむのは許されるのではないかと思う。なにしろ、年に一度なのだから。

というわけで、クリスマスツリーをはじめとするクリスマスの飾りを取り外す日ということになる。6日を過ぎても、クリスマスの飾りをつけたままにするのは、縁起が悪いのだそうだ。このへんは、3月4日以降雛人形を出したままにしておくと、娘が嫁に行きおくれるという日本の習慣に似ているかもしれない。というわけで、我が家もクリスマスツリーをしまい、居間に飾ったクリスマスカードを全部まとめて処分した。このブログの壁紙もクリスマスものをやめ、冬らしいものにしてみた。

スペインでは今日は公現日で祭日である。この日に東方の三博士(三賢人とも)がベツレヘムを訪れ、キリストに贈り物をしたのにちなんで、スペインでは贈り物の交換をする。イギリスでは、12月25日の朝にプレゼントを開ける。オランダでは、12月6日の聖ニコラスの祝日(サンタ・クラウスの日)に子供にプレゼントをあげるのが習慣だそうだ。

多国籍化の進んだペドロランド近辺では、子供たちは12月25日と1月6日の両方にプレゼントをもらうが、最近聞いた話によると、マドリッド辺りでも同じような英西折衷の習慣が定着しつつあるそうである。

1月6日には、スペインでは三博士にちなんだ「3人の王のケーキ」というのを食べる習慣があるが、はっきり言ってこれは期待はずれであった。わたしがパン屋から買ったのは、ドーナッツ型(リース型と言ったほうが高級に響くかもしれない)パンであり、上にアンジェリカなどのドライフルーツの飾りが少しついていただけだった。クリームが入っているという説もあるが、これはマドリッド・バージョンかもしれない。わたしの買ったのには、中には何も入っていなかった。いや、忘れてはいけない。実はおまけが入っている。小さな瀬戸物でできた、赤ちゃん姿のイエス・キリストが入っているのだ。幸い、パン屋のおにいちゃんがスペインの習慣に疎いだろうと見て、この秘密を予め教えておいてくれたのでよかったが、知らなかったら、イエス・キリストを喉に詰まらせて死んでいたかもしれない。あるいは、ケーキを切り分けるときに、イエス・キリストが真っ二つとか。キリスト教徒でないとしても、あまりいい気持ちはしない。で、このイエス・キリストに当たった人には、幸運が訪れる(喉に詰まらせていなければ)ということである。手作りのクリスマスプディングに硬貨を入れ、これにあたった人は将来金持ちになれるというイギリスの習慣に似ている。

というわけで、ついにお祭り気分も終わり、通常生活が始まることになる。

なんかへんだぞ、ハロウィン

2005-11-02 00:48:25 | 異文化・風俗・習慣
ときどき今日(11月1日)は、カトリックの国では万聖節(すべての聖人の祝日)にあたり、国民の休日である。朝からとても静かだ。この日には、スペイン人はみな先祖の墓参りに行く。最寄の駅と墓地の間で臨時シャトルバスが運航されるほどのにぎわいである。この日に先立って、墓の掃除に出かける人もいる。こうしてきれいになった先祖の墓に切花を供え、故人をしのぶわけである。

この万聖節の前夜がハロウィンなのだが、ここカトリックの国、スペインでもだんだんハロウィンの祭りが盛んになってきた。以前、わたしの運営しているハリー・ポッター関連の掲示板で、魔法使いや魔女がクリスマスを祝うのは変ではないか?という議論があったが、カトリック教徒がハロウィンを祝うのもかなり変である。要するに、クリスマスやバレンタインと同じで、商業が絡むと宗教の違いも関係なく、盛り上がるのだ。特に、子供が菓子や金をもらえるとなれば、当然のことである。

地元の英字新聞にハロウィンに向けての子供への注意が載っていた。一人で、トリック・オア・トリートに行ってはいけない、親か友達と一緒に行くようにしよう。トイレに行きたくなったら、自分の家か友達の家まで我慢して、見ず知らずの人の家のトイレを借りてはいけない。お菓子をもらったらその場で食べずに、家まで持って帰って、親に食べても安全なものかどうかを判断してもらってから食べよう、などなどと注意事項が続く。

でも、なんかおかしくないか?これほど見ず知らずの人には用心せよと言いながら、それでもその見ず知らずの人から菓子をせびろうと言うのである。その人を信じられないのなら、どうしてその人から菓子をもらおうとするのだろうか。ハロウィンは昔昔、地域社会の中で人々が密接なつながりを持っていた頃、子供が地域社会の共有の財産であった頃の習慣なのだろう。隣の人の顔すら見たことがないような現代の都会の生活の中に、それをいきなり放り込んでもなんだかおかしいのは当然のことのように思う。

聖ヨハネの夜

2005-06-24 20:35:37 | 異文化・風俗・習慣
今日、6月24日は聖ヨハネの祝日である。もっとも、国民の祭日ではないようだ。その前夜の昨夜は、アリカンテ地方一帯の浜辺で、先週の日曜日に設置されたオグエラと呼ばれる張りぼての飾りに火がつけられた。バレンシアの火祭りやイギリスのガイ・フォークス・ナイトの夏版というわけだ。

オグエラが焼かれた後、真夜中の12時から花火大会や歌・踊りが繰り広げられ、夜明けまでお祭り騒ぎが続くのだそうだ。海に入って前の年の厄を落とし、新しい年を新鮮な気持ちで迎えるというみそぎの習慣もあるという。昨夜は一晩中暑かったので、たぶん多くの人たちがこの古い習慣を喜んで実行したのではないだろうか。

この聖ヨハネの夜祭りは夏至を祝う異教徒の祭りがもとになっており、キリスト教到来後、夏至にもっとも近い聖人の祝日に形を変えたそうだ。それがたまたま聖ヨハネの祝日・6月24日にあたったということである(その当時は聖人も少なかったのだろう。今では365日、必ず誰かの聖人の日になっている。2人の聖人の合同祝日という日もある。それでも足りないので、11月1日は全聖人の日ということで、もれた聖人も集めてお祝いする)。というわけで、祭りそのものは聖ヨハネとは全然関係がないのだそうだ。祭り好きのスペイン人のことである。理由はいらない。

沈黙の行列(3)

2005-03-27 01:17:21 | 異文化・風俗・習慣
今回の行列で気がついたのは、山車には車輪のついた脚がついていることだ。行列が停まっているときには、担ぎ手たちは肩を休めることができる。あるいはこの山車だけなのかもしれないが。

今日の行列はたいへん小規模なものだった。ブラスバンドもなく、旗持ち・ナサレロ・鼓手・山車という簡素な構成である。お菓子を配る子供たちもいない。しかし、街頭が消えて真っ暗になったときにはちょっと不気味なくらい、厳かな行列だった。キリストの受刑を翌日に控えた木曜日にふさわしい行列だったように思う。山車を担ぐ男性たちのしぐさは、キリストが自らの十字架を担いでゴルゴダの丘に登って行った姿にも似ていると言う人もいる。この行列の最後、山車の後を多くの一般の人たちが従って歩いて行った。

というわけで、今回は山車は細い横道を通って行ったので、あまりいい写真が撮れなかった。わたしは行列の先回りをし、もう少し写真を撮り直したかったのであるが、連れの3人が早くバーに生きたそうだったので、断念した。それもそのはず、3人ともトイレに行きたくてたまらなかったのだ。入ったバーはスペイン人の若い男の子と女の子のたむろするバーだった。エレクトロニック・スコアボード付きのダーツ板などもあったりして、ちょっと変わったバーだった。帰り道にもう1軒、今度はイギリスのバーに立ち寄って、家に帰る。

沈黙の行列(2)

2005-03-27 00:58:23 | 異文化・風俗・習慣
こうして陣取った場所は肉眼で見るのには絶好の場所だったのだが、写真を撮るにはちょっと近すぎた。写真中央の男性は鼓手の一人である。単調かつ厳かなリズムを刻むドラマーたちに先導され、山車がやってくる。このドラマーたちは、年齢的には3歳から19歳くらいまでの男の子たち。3歳の先頭鼓手はほとんどやる気がない。沿道からお母さんが出てきて、シャツのすそをズボンにたくし込んだり、いろいろと世話を焼いていた。

写真中央に見える竿のようなものは、道路に張り渡された電線を持ち上げるためのものである。山車が電線に引っかかるのを防ぐため。

ちょうど教会裏に行列が差しかかったところで、街頭が一斉に消えた。辺りは真っ暗になり、山車の上に飾られた十字架上のキリストの姿だけが暗闇の中に浮かび上がる。

沈黙の行列(1)

2005-03-27 00:47:55 | 異文化・風俗・習慣
一昨日(3月24日)、またピラール・デ・ラ・オラダーダに復活祭の行列を見に行く。この日は、「沈黙の行列」の日であった。名前からして、あまり華やかそうなパレードではない。本当は、火曜日か水曜日が多くの山車が出て、よさそうだったのだが、火曜日は連夜の外出で疲れていたし、水曜日は現在はまっているテレビ番組とかちあうので、行列見物を見送った。この町では、聖週間の始まりの日曜日から1週間、月曜日を除く毎日、行列が行われている。毎日異なった同一教会員団体(日本の祭りで言うと、町内会に当たるのではないか)がそれぞれ山車を出し、異なったルートを通って、最後に教会前広場で全部の山車が集まるというパターンのようである。

この日は、近所に住むイギリス人男性・リッキーと彼のいとこで、イギリスからこの日到着したばかりのミシェルも行列を見に行くことになった。行列の始まりは午後10時半ということだったのだが、早めに行って、行列ルートを確認し、バーで飲む。10時25分頃になると、バーのプロジェクタのスクリーンが下りてきた。フットボールの試合でも見せるのかと思ったら、なんと行列の模様を映し出した。もう行列が始まっている。時間にはおおまかなスペインのことだから、予定通り10時半には始まるまいと油断していたわたしたちは、急いでビールを飲み干して、町庁舎に向かう。ここにはもう誰もいなくて、早足で教会前広場を目指す。太鼓の音が聞こえてきた。横道を通って、行列の前に回る。

今夜のナサレロは、一様にエンジに黒の衣装を身に着けている。ナサレロとは、山車に付き添う人たちを指し、自分の犯した罪を悔い、神の許しを請う人たちがこの役を務めたそうである。自分の正体を隠すために、目のところだけ穴の開いたとんがり帽の覆面をかぶったと言う。今でも、この伝統は受け継がれているのか、あるいは町内会で役を振り当てるのか?この役はもっぱら女性ばかりのようなので、たぶん町内会で決められたのだろう。貸し衣装屋のウィンドウに、マンティーリャの行列の時のナサレロの衣装が飾ってあった。