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ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

今年の収穫

2009-06-18 18:57:56 | フランスの生活
今日の天気は最高気温28度

去年は、サクランボがまったくならず、ミラベルの実もならず、インディアン・ビーン・ツリーには花が咲かず、まったく不作の年だった。今年のサクランボの収穫はまあまあ。去年はご近所でも、1軒を除いて、まったく実がならなかったそうだが、今年はどの家でもサクランボの収穫があったようだ。

我が家には桜の木が3本あり、豊作とは言えないものの、どれにもまずまずの数の実がなった。一昨年は豊作で、毎日食べられるだけの量を摘んでは食べていたら、ある朝起きてみると、すっかり実がなくなっていたことがあった。どうやら鳥の仕業のようである。今年は、それはなかったのだが、雨でかなり実が傷んだのが残念。数日続いた雨が止んで外に出てみたら、すっかり実が落ちていた。(写真は3週間前に撮ったものです)

周囲の様子からすると、インディアン・ビーン・ツリーは今が花の時期のようなのだが、我が家の木にはほんのわずかしか花がついていない。また、いちじくは、前年かなり短く剪定してしまったため、昨年は実がつき始めたのが9月。とうとう寒くなり始めるまでには大きくならず、実を食べることはできなかった。今年は収穫があるといいのだけどな。それにしても、フランス人は食べられる木が好きなことだ(でも、インディアン・ビーン・ツリーの「豆」は食べられません)。

マツケムシ退治

2009-04-27 12:42:00 | フランスの生活
今日の天気はときどき

わたしの移動の速度にブログの更新が追いついていなくて、すみません。

4月17日にスペインからフランスに移動する。ぎりぎりまで移動の日を決めることができなかった。この日の夜にはチャンピオンズ・リーグのアーセナル対ヴィジャレアル戦があって、この試合を近くのバーでみんなで見てからお別れ会をしようというリッキーの提案の誘惑をきっぱりと振り切ることができなかったからである。いい試合を見逃したのは残念だったが、この試合を見ていたら、きっとその夜は飲めや歌えやの大騒ぎ、十分な睡眠時間を取ることもできずに、翌日12時間の車の旅はさぞかしつらいものになっていただろう。

車を買い替えた甲斐があり、今回の移動は久々にドラマなしの順調な旅。車に信頼がおけるというのはいいものだ。

お隣のブライアンが前もって庭の手入れをしておいてくれたおかげで、フランスの家の芝はそれほど伸びていなかった。でも、前庭の松の木にマツケムシの巣が4つもできていた。英語ではprocession caterpillarと呼ばれ、スペインやフランスでは子供やペットに害を与えるものとして、春先に非常に警戒されている。ブライアンがお隣のパトリスに相談したところ、ご近所のロジェが来て、枝を切り取り始末してくれることになった。ロジェは樹木外科術専門家だそうだ。

マツケムシ退治には、ロジェとロジェの13歳になる息子のトマとパトリス、それにブライアンが集まった。ロジェがはしごを使って、巣のできた枝を切り落とし、予め火をつけておいたゴミ焼却器に投げ込む。実に手際のいい作業で、15分ほどで4つともすべて始末し終えた。お礼はアペリティフでいいということだったので、ウィスキーをロジェとパトリスに振舞う。フランスに到着して早々、ちょっとしたご近所のイベントであった。




ラス・ミモサスの変身

2009-02-11 15:51:55 | フランスの生活
今日のペドロランドは雲ひとつない青空。ぽかぽか22度、でも強風

ベニドルム旅行は、午前11時に近くのバー、ラス・ミモサス(われわれはホアキンのバーと呼んでいる)集合であった。このバーへはいつも夜か、土・日の昼間にイギリスのサッカーの試合がテレビ放映されているときにしか行かないのだが、平日の朝10時に来てみると、普段とはガラリと変わり、スペイン人のバルに変身していた。

カウンターやテーブルに座ったスペイン人作業員たちがコーヒーやコカコーラやビールを飲んでいる。フランスパンのサンドイッチを食べている人もいた。普段、イギリスのニュースやサッカーの試合が映っているテレビ画面には、スペインの朝のワイドショー番組が流れている。アルゼンチン人のモニカがカウンターでスペイン人男性たちの相手をしていた。

わたしたちはイングリッシュ・ブレックファーストを注文したのだが、目玉焼き2つ・ソーセージ2本、ベーコン2枚、ベークドビーンズとトースト2枚にオレンジジュースとコーヒーがついて4ユーロ99センチモ(583円)なり。かなりのボリュームに圧倒された。ソーセージはスペインのソーセージにしては癖がなくておいしかったし、ベーコンはイギリスのバックベーコンで、厚くて大きかった。

スペイン人たちはタバコの灰も吸殻もゴミはみな床の上に落とす。イギリス人の夫はなんと汚い連中とさげずんでいたが、それが習慣なのだからしかたがない。わたしも最初に旅行でスペインに来たときには、おつまみのオリーブの種をぺっぺと床にはき捨てるスペイン人にはショックを受けたものだ。スペイン人たちが去った後、モニカが丁寧に床を掃き掃除していた。先日の夜、やはりこのバーで、エルサルバドール人のウェートレス・アウラがおつまみにオリーブを持ってきたとき、一緒に種を捨てるための小皿もくれたのには感心した。イギリス人用の配慮なのだろうか。

写真は、ラス・ミモサスのタパス用ショーケース。注文すると皿に1人分取り分けて、電子レンジで温めた上、小さなバスケットに入ったフランスパンのスライスをつけてくれる(これは別の日の夜に撮ったもの)。


フランスに到着

2008-09-08 12:34:06 | フランスの生活
今日は

火曜日の夜のフェリーでイギリスを出発し、フランスの家に水曜日の午後到着した。今年2月に夫が(実際に見もせずに)衝動買いした中古のアルファロメオ・スパイダーをフランスの家に運ぶのが、今回の目的である。本当は5月にイギリスを離れたときに、この車でフランスに行くはずだったのだが、オイル漏れのための修理に出したらエンジンがかからなくなってしまい、それきり8月中旬まで修理工場にとどまっていた。やっと直って、晴れて今回のフランス行きにこぎつけたというわけ。

フェリーがサン・マロの港に到着し、いざ発進というときにエンジンがかからない。バッテリーがすっかり上がっていたのである。港湾係員たちが4人かかりで車を押してフェリーの外に出すと、あとは勝手にしてくれという感じ。幸い、故障サービスの保険をかけておいたので、救援サービス会社に電話したら、地元の修理工場から救援車が1時間ほどで来て、車をスタートさせてくれた。まさかこんなに早く故障救援サービスのお世話になるとは思わなかったが、加入しておいてよかった。燃料計があてにならないので(イタリア車の電気系統はまったく信頼がおけないので有名であるが、この車もその例外ではない)なかなかスリリングな旅だった。1日に2件、しかも2件目はガソリン切れで救援サービスを呼ぶようなことになったら、顰蹙ものである。

わたしたちがイギリスに行っていた2週間半、こちらは連日晴天続きで暑かったそうだ。が、この日はナントの北辺りから500キロほどずっと雨が降り止まず、やっと我が家の近くで雨が上がったと思ったら、夕方からまた雨。というわけで、イギリスから雨を連れてきたと文句を言われている。

この夜は、2軒隣のブライアンとメリルのところに2週間スコットランドから遊びに来ていたマンディーにとってフランス最後の夜でもあり、マンディーとの短い再会を祝って、5人で食事に出かける。ブライアンがラ・ショミエールに予約を入れるため電話をしたところ、17日まで夏休み休業中だそうだ。いかにもフランスらしい。で、結局予定を変更して、ベトナム人の中華料理店でバイキング料理を食べることにした。

写真はフランスの家のツツジ。なぜか1つだけ花が咲いていた。狂い咲き?

フランス的終結

2008-08-12 13:25:59 | フランスの生活
今日は

日曜日に毎年恒例(らしい)の近所のバー常連のお食事会があった。このバーはフランスによくあるおやじバーの典型で、ブルーノのレストランが閉鎖した後、わが村で唯一のバーとなっている。この日は、朝から晴天で、気温も30度近くまで上る暑さ。バーテンダーで経営者のジャン・ピエールが世話役となり、バーの常連とその配偶者たち、総勢20名がデュエラ水車敷地内にあるレストランで昼食を共にした。

22ユーロの定食メニューは、テリーヌ・魚のスープ・ムール貝のいずれかの前菜、パエリャかステーキかのメインコースにデザートということであった。が、実際に行ってみたら、魚のスープもムール貝もなくなっていて(まだ午後1時だというのに)、代わりにトルティーリャ(スペイン風オムレツ)か生ハムとメロンということだった。

わたしたちはイギリス人カップル2組と一緒にドミニック(ドミ)とその妻モーモー(フランス人の愛称にはこの手のものが多いらしくて、バー常連の中にはジージーとドゥードゥーという人もいる)の近くに座った。ドミとモーモーはフランス国境近くのスペインに別荘を持っていて、スペインびいきでスペイン語を話す。ドミは長距離トラックの運転手でイギリスに行くことも多く、英語も多少話す。というわけで、フランス語とスペイン語と英語が入り混じり、何語を話しているのかよくわからなくなることがしばしばだ。こうなると1つの言語に波長を合わせることができなくて、聞き取るのがさらに難しい。

個性豊かなフランス人たちと傍若無人のイギリス人1人(ピーターのこと)がいると、注文をとるのはやさしくない。経験のなさそうな若い男の子が注文を取りにきたが、すっかり客に圧倒されて、いいようにされていた。特にドミとモーモーの迫力は普通ではない。なんでフランス人がフランス人にスペイン語で話すの?

なかなか飲み物も食べ物も出てこないし、料理はプラスチックの皿に出てきたというので、メインコースが始まる前くらいから、ドミとモーモーがウェイトレスに文句を言い始めた。お粗末なサービスに満足しないのは、すばらしい根性だと思う。イギリス人たちも感心していた。日本人やイギリス人だったら、絶対に黙ってお粗末なサービスに甘んじていただろう。

モーモーのもう1つの不満は、定食はチーズとデザートの両方が普通なのに、チーズはなくてデザートだけだったこと。おまけにそのデザートも、2種類のケーキだけで、アイスクリームは売り切れということだった(でも、隣のテーブルにアイスクリームが行くのをわたしは見た)。かわいそうに、パンやペーストリーの嫌いなメリルはデザート無しだ。

コーヒーはセットメニューに含まれていないかったのだが(水のように薄いワインも含まれていない)、みんなが不満を述べ立てたら、店側が妥協して、コーヒーはただになった。

お勘定の段になると、1人27ユーロ50サンチームだと言う。プラスチックの皿で、ラ・ショミエールより高いのはとんでもないと再び不満爆発。ドミはこんな粗末なサービスと食事に金は払わないという。シェフ兼マネージャーが出てきて、経営者ではない自分には権限がないので、交渉には応じられないということだった。結局、食い逃げするわけにもいかないので、15ユーロが適当であろうというドミとモーモーにしたがって、われわれも15ユーロだけ払うことにした。ドミはレストランの持ち主と火曜日に会って話をつけると言う。

このレストランの建物と敷地はわが村に帰属するそうだ。それをレストランの持ち主にリースしているということである。だから、村民はかなり強気なのかもしれない。この日バーの常連とは別にレストランに来ていた女性はモーモーの友達のようだったが、彼女は村長の秘書だということである。

そのほかの人たちはというと、何人かは飲み物代だけ払ったり、ジャン・ピエールを含め数人は全額27ユーロ50サンチームを払ったそうである。このへんのばらばら加減がいかにもフランス人らしいような気がした。日本人だったら、たぶん大勢にしたがっていただろうし、イギリス人だったら協議の上、統一した行動に出ていただろう(そうでないと抗議の意味がない)。というわけで、思い思いの行動を取り、お開きとなった。それでも、相互間に敵対関係とか苦い感情はないようである。ただ単にサービスに対して自分が適当と思われる対価を払ったというだけのことのようだ。ただ1つだけ共通するのは、誰ももう2度とこのレストランには行かないだろうということだ。

我が家のうさぎ

2008-08-02 13:27:36 | フランスの生活
前に我が家ではまだうさぎが出現していないと書いたが、その後うさぎが頻繁に出没するようになった。彼らはどうも暑さに弱いようで、朝と夕方を好み、特に日陰が好きなようである。草をはむときも、日陰を選んでいるようだ。

うちでも庭の草(クローバーが好み)を食べているのだが、お隣には各種野菜が植えられた立派な家庭菜園があるので、たぶんお隣のほうがうさぎたちに人気があるのではないだろうか。でも、田舎のフランス人のことだから、絶対に猟銃を持っているだろう。ピーター・ラビットの父親のように、うさぎパイにならないことを祈っている。

フーポー

2008-07-10 17:33:36 | フランスの生活
今日はときどき一時

スペインでよく見かけるのだが、hoopoe(これは英語名、ヤツガシラと日本語では言うそうだ。里芋みたい。)がたまにフランスの我が家の庭にもやってくる。わたしのコンパクトカメラでも写真が撮れるほど近づくことができたが、それでもまだぼけぼけかな?泣き声がトレードマークなのだが(英語名はここから来る)、フランスではまだ聞いたことがない。フランスのフーポーは物静かなのだろうか。

業務連絡です。今までのメルアドが復活しました。再びmichie@tongarashi.comアドレスをお使いいただけます。


花火大会

2008-07-08 16:46:52 | フランスの生活
この日の締めくくりは花火。予告では10時半からということらしかったが、実際に始まったのはやはり30分近く後の11時ちょっと前。花火を見るためだけに繰り出してきた人も多かった。

新しいカメラには花火専用モードが付いているので、それを利用して花火の写真に挑戦。前々からかえる師匠のブログで花火の写真いいなあと思っていたのだ。終わってみたら、200枚近くの手ぶれ写真があったという師匠のお言葉の意味がわかりました。もっとも、わたしは酔っ払ってはいなかったけど。やっぱり花火の写真って難しい。一番難しいのがタイミング。どの辺りにどのくらいの大きさの花火が出てくるかを予想してカメラのズームを調整し、シャッターを押す。どうも音が鳴ってからシャッターを押すのでは遅すぎるようだ。というわけで、最後は下手な鉄砲も数打ちゃ当たる式になってしまった。これは数ある写真の中からまあまあ見るに耐える4枚。本当にデジタルはありがたい。大容量のSDカードのおかげで、ディスクが一杯になる可能性も心配しなくて済んだし。やっとタイミングがつかめてきたぞと思ったら、花火大会の終了だった。

スターマインも色とりどりの大がかりな花火もなかったけど、小さな田舎の村の花火大会にしては結構立派だったと思う。税金が一瞬にして吹っ飛んだという気がしないこともなかったけど、みんな喜んでいたし、まあいいか。祭委員会のみなさん、お疲れ様でした。2週間連続で楽しいイベントをありがとう。


ダンス

2008-07-08 16:43:19 | フランスの生活
キム・ジアンで食事をした後デュエラ水車に行ってみると、レストラン前に設けられた大きなテントの中ではすでに食事が終わって、ダンスが始まっていた。バンドの生演奏つきである。フランスの熟年女性たちはこんなところでうさを晴らしていたのであった。

会場は風船などで飾り付けられていたが、懐かしいものを見た。青と黄色の化粧紙の花である。昔学校で運動会の飾りつけのために紅白の花を作らされたあの化粧紙そのものであった。真ん中を糸かゴムで止め、適度にしわを入れながら脇を広げていくあの作り方もそのままだ。