貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

田原市潮音寺②芭蕉の愛した杜国を弔う山頭火など!

2024-07-06 10:38:24 | 日記
田原市潮音寺②
 夢にまで杜國を見て泣いた
というほど杜國の天分を
愛した芭蕉は、貞享4年10月、
「笈の小文」の途中、
鳴海より門弟越人を伴い、
愛弟子の悲境を慰めようと
二十五里の道を引き返し、
保美の閑居に杜国を尋ね得る。
 再会した師弟が
そのとき詠みあったのが、
この三吟の句。

 翌日杜國の案内で同行三人は、
伊良湖崎に吟行の杖をはこんだ。
 芭蕉の名句、
「鷹一つ 
  見付てうれし 
    いらこ崎」 
は、このとき詠まれたもの。
 翌年2月、
杜國は伊勢に渡り芭蕉と落ち合い、
吉野の花を愛でた後、
各地を吟行。
 5月にこの地に戻る。
 この旅が、
後の『笈の小文』として刊行される。
 その2年後の
元禄3(1690)年3月、
杜國は、望郷の念と吉野の思い出を
胸に寂しくこの世を去り、
潮音寺原に葬られる。
 行年30余歳。
 現存の墓碑は
没後54年の延享元(1744)年に
建立されたものであり、
師弟三吟の句碑は、
杜國を慕う地元の有志により
明治28(1895)年に造られたもの。
<杜国墓碑>

 明治44(1911) 年5月30日、
河東碧梧桐は潮音寺を訪れ、
杜國の墓碑を供養。
 山頭火の句碑も建立。
「あの雲が 
   おとした雨に 
     ぬれている」
<自由律俳人山頭火の句碑>


 行(ぎよう)乞(こつ)の僧として
雨の日も風の日も、
ただひたすら歩き続ける山頭火は、
雨とも一体となり、
自然の中に溶け込もうとする
禅の境地が伺うことができる。
「波(なみ)音(おと)の 
    墓のひそかにも」
 旅日記によると、
昭和十四年四月十九日、
知多半島の師崎より船にて
福江港に着き、港近くの宿に一泊。
その翌朝、
伊良湖岬に向う途中潮音寺を訪れる。
俳人杜國の墓に詣でた時に一句詠む。


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