令和7年7月21日(月)
小松市: 小松天満宮

加賀藩三代藩主
前田利常公が小松城に
穩居された時(1657)に、
前田氏の氏神である
北野天神を城北に当る
この地に社殿を造営。
<凝った神門>

小松天満宮となる。
東は靈峰白山を望み、
東は靈峰白山を望み、
西は安宅の海岸に続く
梯川の畔にあって
今も厳かな風致を保っている。
<願掛け撫で牛>

最近、浮島化される。
社殿は
社殿は
北野天満宮の社頭を
四分の一に縮めて造られる。
<社殿>

当時の名工山上善衛門
(加賀藩のお抱え大工で、
瑞竜寺・妙成寺・那谷寺など
の造成に携わる。)
の手に成ったもの。
昭和36年、
昭和36年、
神門と共に江戸時代の唐様建築の
代表的なものとして
国重要文化財に指定される。
当社は、
<千年大祭碑>

その創建の由来からみて
前田家代々の尊崇が篤く、
祭神が文学の神と仰がれたことと、
初代別当が近世を通じて
連歌の第一人者
であったこと等重なり、
絵画、書蹟、文書、典籍寺
貴重なものが多く
宝物殿に保管されている。
<十五重の石塔:秘話あり>

能順は、
晩年まで小松天満宮と
北野天満宮を兼務し、
京都と小松を往来している。
丁度芭蕉が小松に来た時、
能順も小松に来ていたという。
~つづく。
~つづく。
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