貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

寸善尺魔と寸魔尺善

2018-02-08 08:14:31 | 日記
寸善尺魔と寸魔尺善

平成30年2月8日(木)

「とにかく、齢を重ねることは、未知との

出会いと発見の連続である。

 無論よいことばかりではなく、苦しい

ことの方が多くて、太宰が好んで使った

『寸善尺魔』という懐かしいことばも

思い出されるが、とにかくそれらの経験

が与えてくれる驚嘆、気付き、自己発見・・

・・そして小説のネタ!」

というくだりに意識が釘付けとなる。

 特に、「寸善尺魔」。

 太宰が好んで使っていた言葉だと。

 太宰の本を好んで読んでいた時もあったが、

この四字熟語を気にもとめなかった。

 「とかくこの世の中、よいことは少なくて、

悪いことのほうが十倍も(はるかに)多い」

という意。

 ほんとにそうかな?

 加齢をただただ重ねてきたわたしだが、

「寸魔尺善」というのがこれまでの実感だ。

 猪苗代湖の麓山神社の体験も然り。

 そうして、安積町へ。

 初の天性寺。

2017(平成29)年6月4日 10:15~

広く整備された駐車場



もの凄い広い駐車場があり。

 ほんとうによく整備されている。 

天性寺



  昨日訪れた大慈寺と縁があるという。

 やはり、お導きかな?

 若い副住職さんが草木に水まきをされ

ている。

 笹川の暴れ地蔵堂を参拝していると、

気さくに、「開けましょう。」と声を

かけてくださり、暴れ地蔵の小冊子を

下さる。

暴れ地蔵堂



笹川の暴れ児蔵の説明



持ってきて下さった小冊子



 その昔、地区を流れる阿武隈川が洪水に

なったとき、川上から数多くの木が流れて

きた。一人の百姓がその木を持ち帰り、

薪割りの台に使っていたところ、いつの間

にかその木が神棚に上がっており、よく見

ると、かすかながら目と鼻が刻まれていた。

 庄屋さまに見てもらったところ、お地蔵

様に間違いないというので、これをお寺に

納めたところ、村で流行っていた病気が収

まり、お地蔵様が信仰の対象となった。

 いつの頃からか、このお地蔵様を村中に

引き回す風習が生まれ、お地蔵様も子ども

たちと暴れるのを喜んでいるようなので、

やがては親しみをこめて「あばれ地蔵」と

呼ばれるようになったという。

 今年も11月2日に子どもたち6名で、

家内安全、交通安全を祈願して、地蔵の周り

打ちをするという。一軒一軒廻るそうだ。

「そう言えば、先日NHKで、暴れ地蔵と子ど

もたちのことを観ました。こちらのことだっ

たんですね。」とお話しすると、

「よかったら、11月2日にいらっしてくだ

さい。」とお誘いを受ける。

 芭蕉句碑のことをお話しすると、

「住職に聞いてきます。」と社務所の方へ

行かれた。「読経が始まるので‥・。」という

ことで、住職さんとは渡り廊下の窓越しで挨拶。

郡山版の「碑散策」の記事のコピーを持って

来て、句碑まで丁重に案内して下さる。

新聞のコピー





六地蔵と参拝少女



次回へ。