大和高田の夫の実家から帰る途中、いつもとは違う道を走っていると、何やら
ら歴史のありそうな古さびた神社に行き当たりました。和邇(わに)下神社。
天理市の櫟本(いちのもと)という所です。木偏に楽とはあまり見かけ
ない字ですが、イチイ(櫟)の大木が生えていたので付いた名前だとか。
この木の別名はアララギ。俳句のアララギ派というのは、ここからつけら
れているのでしょうか。古代からある木で、榊の代用にも使われたとか。
古代豪族和邇氏の地であったこの辺りには相応しい地名に思われます。
大和平野のこの辺り、柿本人麻呂の墳墓のあるという柿本寺や、
在原業平が住んでいたらしい、有名な筒井筒の跡がある在原神
社や、その他ちょっと歩けば萬葉集や古事記にまつわる場所や
史跡のある、古代史好きにはたまらない宝箱のような地域です。
伊勢物語の色男在原業平が、昔この辺りでガールハントしてたなんて、
考えるだけでも面白いですね。
和邇(ワニ)というとあの川にいる鰐を連想しますが、発音が同じだけ
で別に関係はないのでしょう。神社の一隅に、日本書紀に出てくる影
媛という女性の伝説が書かれていました。「泣きそぽち行くも 影媛あ
われ」。後の武烈天皇に求愛されたのをはねつけたので、恋人を殺され
た影媛が、髪振り乱し裸足で恋人の葬列を追いかけていく様を詠ったも
のだそうです。哀しくも情熱的な女性の姿が浮かんできます。物部氏の
姫様だったようですが、影媛という名前もなにやら魅力的ですね。