凄いです。
凄すぎます。
地震直後のテレビ映像は、まるでSF映画を見ているような?
あまりにもリアルタイム過ぎて、全く実感がわきませんでした。
昨日の地震直後なんか、何処か遥か遠くの国で起きた他人事の様な気持ちで、野次馬根性で仕事を放り出してテレビの前に釘付け・・・・・。
そんな不届き者のヨシゾーですが、今回の震災でお亡くなりになられた方々には心からお悔やみ申し上げます。
合掌・・・・・・・・・。
また、命からがら避難された方々も、これからは大変な避難生活が待っていると思います。
ヨシゾーが今すぐに出来る事はこのブログを通じて「希望を持って頑張ってください。」と言う杓子定規の言葉しか思いつきません・・・・・・。
そんな不届き者のヨシゾーですが、実は仙台に義兄が住んでおり、安否が確認できたのは今朝でした。なんでも、避難していて一晩車の中で過ごしたそうです。
幸い住まいのマンションは幸い被災を間逃れたようですが、停電のため電子ロックが作動せず、マンションの中に入れない状態となっているようです。
避難生活を送るくらいなら北海道に戻って来いと言いたいのですが、今はその移動手段さえも無いようです。
また、実家のある浦河も津波の被害が出たようで、テレビのニュースでは何度も浦河港の様子が出ていましたが、ヨシゾーが幼少の頃遊んだ造船所の船揚場付近で船が沈んでいたり、周辺の家の前に津波で流されたゴミが散乱しているのを見ると、なんだか知り尽くしている場所だけに、変な気分になっちゃいました。
そんなヨシゾーは浦河港にある市場から道路1本挟んだ裏にある家で生まれました。今は浦河の道路拡幅で立ち退いたため、この場所に生家はありませんが、幼少の頃は裏玄関を開けると港という立地条件。なので、記憶はありませんが1968年の十勝沖地震では裏山に避難し、1982年の浦河沖地震では生家で震度6を体験し、家中の物がひっくり返って、部屋から出るのも一苦労した思い出があります。
ま、そんな体験も今回の災害から比べると、へみたいなものですね。
最後に、テレビ放送に一言。
”悲惨な被害映像”ばかりが繰り返し流されていますが、実はヨシゾーの頭の中には三陸地方の地図がインプットされて無いため、どれくらい広範囲で被災しているのか、テレビを見ているだけでは全くわかりません。リアルタイムに速報を次々と放送するのも構いませんが、もう少し整理して、どのあたりが、どれくらいの被害状況なのか?もっとわかり易く被災状況を伝えて欲しいですね。
原発も心配・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
そして、もう一度、合掌