最終通し(その4日後、木曜日)上演時間66分。さらにタイムオーバー
有り得ない現実に震えた。こんなことは初めてだった。いつもなら稽古を積み重ねることで流れがスムーズになり、完成度と共にタイムは短くなる。僕の予測では最終通しが58分。公演日には56ページ56分のいつものペースに追いつくはずだった。稽古をすればするほど下手になる? 有りえない現実に突き当たった。何とかなるはずという目論見は見事に崩壊していた。
なんとなくプロジェクトX失敗バージョンのような書き出しだが、実話である。原因を一言でいえば、頑張りすぎの力み過ぎ。軽やかなパス回しで相手につなぐはずのセリフや動きを、もたもたと自分の手元でこねくり回す。いつからこんな芸風になったのかしら。自分のチームの現状を改めて突き付けられ、僕は腹をくくった。
「もう一度、こいつらとやり直そう」
上手くいって成功しても、行かなくて失敗しても、意味のある成功、意味のある失敗にしようって宣言。あまりのプレッシャーに、認知症か?って大ボケを繰り返す作者&メインキャストであるコスモの冷却。位置決めにも積極介入し、技術的失敗を防ぐ。「位置決めやることリスト」とか、「大会期間中の行動計画表」も白血球的介入で製作し配布。僕がこれだけ直前に動くということは、チーム力が低下しているってことなのだ。一人一人は精一杯。彼女らを責めるつもりは毛頭ない。責めて解決できる問題ではないのだ。要するに
「県立伊丹の稽古は、半分死んでいた」ってことだ。
どう、この自覚。意味あるでしょ?いやいや、意味ないって言い張る意味が分からないって出来事。講評で頂いた「少し背伸びした世界を描こうと頑張っていたけどやりきれなかったって印象」ってのが現実。ショッキングな出来事だが、僕は全然凹んでない。なんでかって? 現役が誰も凹んでないから。意味ある敗北。彼女らはこの言葉をきちんと受け止めてくれている。意味あるようにしようとしている。そこなのだ。
答は絶対に目に見える形で出て来る。そこに言い訳する気なんて毛頭ない。不思議にぶれてない自分たちのこと、信じてみようと思っている。