言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

スムート=ホーリー法

2011-04-30 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.286 )

★スムート=ホーリー法の成立

(中略)

 一九三〇年スムート=ホーリー法は、アメリカ史上最も悪名高い法律である。一九二〇年代のアメリカは「狂騒の二〇年代」と呼ばれるほど、華やかなりし時代と考えられている。たしかに多くのアメリカ人にとってはそうだったが、じつは農家はちがっていた。アメリカの農業の生産高と生産性は上がっていたにもかかわらず、平均的な農家の所得は二〇年代を通じて減り続けていたのである。そこで、ハーバート・フーバーは大統領選挙運動中に、農家を守るために輸入農産物には高率の関税をかけると公約した。当初は農産物だけの予定だったが、やがて他の産業も保護しようということになる。今日では民主党の方が共和党よりも保護主義的だが、一九二〇年代後半から三〇年代にかけて関税引き上げを声高に要求したのは、共和党の方だった(*2)。リード・スムート(上院議員)もウィリス・ホーリー(下院議員)も共和党である。
 そして一九二八年の大統領選挙で、フーバーは民主党候補のニューヨーク市長アル・スミスを僅差で破る。ハーディング、クーリッジ時代の余勢を駆っての勝利だった。翌二九年三月に大統領に就任したフーバーは、さっそく農産物の関税引き上げを実現しようと、特別議会を招集する。ところが議会の主流派、とりわけ北東部州出身の議員は、工業製品まで含めたもっと過激な関税引き上げを目論んでいた。
 こうして幅広い品目の関税引き上げを定めた法案が、下院を通過する。ところが上院では議論が紛糾し、結局可決されないまま一九二九年半ば過ぎに特別議会は会期切れとなった。しかしいずれアメリカが引き上げに踏み切るとみて、先手を打って関税引き上げを実施する国も少なくなかった。そうこうしているうちに、一〇月に大暴落が起きる(図12・2参照)。議会が再招集された三〇年六月は、大恐慌の真っ最中だった。大恐慌を目の当たりにして一部の議員が保護主義に鞍替えしたため、ついに同年六月にスムート=ホーリー法は上院を通過した。法案は大統領が署名して初めて成立するが、その前に大統領の元には、千人以上の経済学者が署名した請願書が届けられている。この法案は重大な結果を引き起こすから署名を思いとどまるように、という内容だった。経済学を生業とする人々はほぼ例外なく自由貿易を支持しているのであって、それは当時もいまも変わりはない。フーバー自身も、この法案にいささかの懸念を抱いてはいた。これほど広範な関税引き上げを実施したら、貿易相手国が報復措置に出ることは目に見えていたからである。だが大統領は逡巡を断ち切ると、法案に署名する。かくて史上最悪の部類に属する法律は、一九三〇年六月一七日に成立。二万品目以上の関税が一気に引き上げられ、内三〇〇〇品目以上については実効税率が六〇%に達するという事態になった。予想されたとおり、他国は報復関税で応じる。アメリカの輸入と輸出は急速に縮小した。

★保護主義は労働者を保護しない

 スムート=ホーリー法は大恐慌の原因となったのか、という議論にはいまだに結論が出ていない。経済学者や歴史家には、この法律が大暴落を引き起こしただけでなく、大恐慌を悪化させたと主張する人も少なくない(*3)。法案が法律として制定されたのは一九三〇年六月だが、投資家はすでにそれを見越していたからだ。経済学者のロバート・シラーは、一九二九年一〇月二八日のニューヨーク・タイムズ紙一面で同法が可決の見通しと報じられたことが、引き金になったと指摘する(*4)。これが駱駝の背を折る一本の藁となり、翌二九日の史上最悪の暴落(暗黒の木曜日と呼ばれる二四日より下げ幅が大きかった)を引き起こし、大恐慌につながったと考える専門家は少なくない。
 スムート=ホーリー法が株式市場に与えた影響について最も詳細に分析したのは、ジュード・ワニンスキーだろう。主著『世界はこう動いた』には、法案成立までの経緯、メディアの反応、各国の対応、株式市場の動向などの日々の変化が克明に記されており、サスペンス小説を読むような興奮味わえる(*5)。
「一九二九年一〇月二九日には、ワシントンからもたらされるニュースはどれも、共和党と民主党が一致協力して関税法案を可決する見通しであることを示していた」
 保護貿易主義が大恐慌を招く、と経済学者が考える理由は何だろうか。答えは、企業が海外市場でシェアを失うからであり、またアメリカの労働者が安価な輸入品の恩恵を受けられなくなるからである。つまり高い関税は、労働者の実質所得を押し下げることになる。スムート=ホーリー法が可決されてから二年足らずのうちに、世界の二五ヵ国が自国産業保護のためと称して報復関税を課すようになった。一九二九年のアメリカのGDPは一〇四〇億ドル(名目、インフレ調整前)で、財の輸出は五二億ドルだったが、三年後の一九三二年にはGDPは六八〇億ドルに縮小し、輸出はわずか一六億ドルにとどまっている。
 スムート=ホーリー法が大恐慌の原因となったかどうかはさておき、この法律が雇用を創出しなかったこと、輸入を堰き止めて実質所得を減らしたことは、火を見るより明らかだ。今日、アメリカの雇用を守る目的で、中国や日本やその他あれこれの国からの輸入品に高い関税をかけようと主張する人が少なからずいる。しかしこういう人たちは、スムート=ホーリー法成立後に何が起きたかをとっくりと見るがよい。アメリカでは何百万もの職が奪われ、一九三三年には失業率が二五・一%に達した。これは、現在の四~五倍である(*6)。保護貿易主義は、けっしてアメリカの労働者や産業を保護してはくれない。最近ある業界団体は、スムートとホーリーを「アメリカ史上最も気の滅入る二人組」に選んだ(*7)。この卓抜な命名に、乾杯。


 関税引き上げを内容とするスムート=ホーリー法の成立にいたる経緯と、成立後の状況が記されています。



 上記引用には、
スムート=ホーリー法は大恐慌の原因となったのか、という議論にはいまだに結論が出ていない。経済学者や歴史家には、この法律が大暴落を引き起こしただけでなく、大恐慌を悪化させたと主張する人も少なくない
と書かれていますが、

 大恐慌の原因となったかどうかはともかく、大恐慌を悪化させたことは間違いない、とみてよいのではないかと思います。



 その理由を著者は、
保護貿易主義が大恐慌を招く、と経済学者が考える理由は何だろうか。答えは、企業が海外市場でシェアを失うからであり、またアメリカの労働者が安価な輸入品の恩恵を受けられなくなるからである。つまり高い関税は、労働者の実質所得を押し下げることになる。
と書いています。

 保護貿易主義をとれば、「企業が海外市場でシェアを失っても、自国市場でシェアを拡大する」はずですし、「労働者が安価な輸入品の恩恵を受けられなくなっても、雇用が手に入る」はずであるにもかかわらず、他国の報復関税によって「企業も労働者も困る結果になる」のはなぜなのか。それが気になりますが、

 要は、

   (企業にとっては) 自国の国内市場よりも
       海外の市場のほうが (規模が) 大きい、

   (労働者にとっては) 雇用・給与の拡大・増額よりも
       安価な輸入品が手に入る利益のほうが大きい、

ということではないかと思います。ほとんどすべての国にとって (おそらく世界最大の市場であるアメリカにとっても) 自国の国内市場よりも海外の市場 (…の合計) のほうが規模が大きいことは明らかであり、保護貿易主義によって企業が利益を失うことは明らかです。とすれば、企業で働く労働者にとっても、保護貿易主義の結果として国内市場のみを相手にする場合よりも、広く市場を開いていたほうが利益が大きくなるのではないか、と考えられます。



 保護貿易主義 (高い関税) によって大恐慌が悪化した (または発生し、さらに悪化した) という事実がある以上、保護貿易主義 (高い関税) は好ましくない、と考えてよいのではないかと思います。



 現在、日本がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定、Trans Pacific Partnership) に参加すべきか否かをめぐって賛否が分かれているようですが、

 「どの程度まで自由化するか」はともかく、「市場を完全に閉ざす」選択はあり得ないと思われます。

原子力損害賠償法の免責規定

2011-04-29 | 日記
日本経済新聞」の「東電社長、賠償免責規定「該当可能性も」」( 2011/4/28 19:38 )

 東京電力の清水正孝社長は28日、賠償範囲の第1次指針が出たことについて「指針を分析、精査しながら公正に進めていく」と述べ、補償手続きを急ぐ姿勢を示した。東電は補償負担に上限を設けるよう求めているとされるが「具体的にどういうレベルかというのはない」と明言を避けた。

 原子力損害賠償法には、異常に巨大な天災などの場合は電力会社は免責になるとの例外規定がある。政府は同法の原則通り、補償責任は東電にあると判断している。これに対して清水社長は「(免責理由に当たるという)理解もあり得ると考えている」と政府に再考を求める考えを示した。


 東京電力の清水社長は「(原子力損害賠償法の免責理由に当たるという) 理解もあり得ると考えている」と述べた、と報じられています。



 これは東京電力としては当然の主張だと思います。この主張をしなければ、株主から訴えられるでしょう。

 そこで重要になってくるのは政府の対応です。政府の対応は下記のように報じられています。



時事ドットコム」の「東電の賠償免責なし=細野補佐官」( 2011/04/28-22:30 )

 細野豪志首相補佐官は28日、「政府は震災、津波の事由をもって、事業者としての東京電力の責任が免れるという考え方は採っていない」と述べ、福島第1原子力発電所の事故に伴う損害賠償で東電が免責されることはないとの見解を示した。政府と東電による対策統合本部事務局長としての記者会見で語った。細野氏は「一義的な責任は東京電力にあり、当然、賠償の責任は負うべきだ」と強調した。


 細野豪志首相補佐官は「政府は震災、津波の事由をもって、事業者としての東京電力の責任が免れるという考え方は採っていない」「一義的な責任は東京電力にあり、当然、賠償の責任は負うべきだ」と述べた、と報じられています。



日本経済新聞」の「首相、原発賠償「国が最後まで面倒みる」 衆院予算委 東電免責は否定 東北の高速無料化「復興へ有力な選択肢」」( 2011/4/29 12:12 )

 衆院予算委員会は29日午前、東日本大震災の復旧に向けた2011年度第1次補正予算案の基本的質疑を行った。首相は東京電力福島第1原子力発電所の事故について「一義的には東電に責任があるが、原発を推進する立場で取り組んできた国の責任は免れない」として国の責任を認めた。避難住民や事業者らへの損害賠償は「最後の最後まで国が面倒を見る」と表明した。

 東電の清水正孝社長が大津波は賠償責任の免責理由に該当する可能性があるとの認識を示したことに関しては「免責となると東電には賠償責任は無く、国がすべての賠償責任を負う。それは少し違うのではないか」と否定した。

 復興財源の確保に関しては「日本が国際的にもマーケットからも信任を得る中で復興を進めるためにはどう進めていくかを考えなければならない」と述べ、財政再建との両立を強調した。同時並行で進めている社会保障と税の一体改革を巡る議論については「復興と社会保障の問題は考え方を区分し、それぞれをしっかり進めていく必要がある」と表明し、消費税増税と復興財源の確保は区別する考えを示した。

 東北地方の高速道路無料化を復興の起爆剤とする案には「極めて有力な選択肢ととらえ、検討していきたい」と前向きな姿勢を示した。今後の震災対応については「政府としてできることは何でもやる、金のことは心配するなというつもりで取り組む」と強調した。

 民主党の渡部恒三氏、橋本清仁氏、畑浩治氏、自民党の石破茂氏の質問への答弁。29日から大型連休が始まったが、衆院予算委は復旧予算の早期執行のため、異例の休日返上で審議を開いた。


 菅首相は「一義的には東電に責任があるが、原発を推進する立場で取り組んできた国の責任は免れない」として国の責任を認めつつも、東電の清水社長の発言については「免責となると東電には賠償責任は無く、国がすべての賠償責任を負う。それは少し違うのではないか」と否定した、と報じられています。



 ここで問題になっている原子力損害賠償法の免責規定とは、次の規定です。



法令データ提供システム」の「原子力損害の賠償に関する法律(昭和三十六年六月十七日法律第百四十七号)」( 最終改正:平成二一年四月一七日法律第一九号 )

(無過失責任、責任の集中等)
第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
2  前項の場合において、その損害が原子力事業者間の核燃料物質等の運搬により生じたものであるときは、当該原子力事業者間に特約がない限り、当該核燃料物質等の発送人である原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。




 常識的に考えれば、今回の原発事故が「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるとき」( 原子力損害賠償法第3条第1項 ) にあたることは明白です。

 そして政府の言っていることは、要するに「異常に巨大な天災地変」によって損害が生じた場合には、「当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる」という規定が適用されなくなるのは「おかしい」ということです。「普通の天災地変」であれば東京電力は損害を賠償しなければならないのに、「異常に巨大な天災地変」の場合には「まったく賠償しなくてよい」というのは「おかしい」ということだと思います。

 政府の主張も当然といえば当然の主張です。

 とすると、おそらく、「普通の天災地変」であったなら生じたであろう損害を東京電力は負担し、それを越えた部分、すなわち今回の震災が「異常に巨大な天災地変」であったために生じた「特別の損害」は政府が負担する、ということになるのではないかと考えられます。

 このように考えれば、東京電力の負担する賠償額は、意外と少なくなる可能性があることになります。



 もっとも、東京電力に「原発の安全管理上の過失」があれば、話は変わってくる可能性があると思います。「異常に巨大な天災地変」であったなら「やむを得ない」ので電力会社は損害を賠償しなくてよい、というのが法の趣旨であると考えられるところ、

 東京電力に過失がなければ (今回の震災であっても) 発生しなかったはずの損害が、東京電力の過失によって発生した、ということになれば、

 「やむを得ない」とは「いえない」ことになるからです。



 「過去に発生した津波の規模を、東京電力も原子力安全・保安院も知っていた」以上、東京電力に過失がなかったとはいえないのではないかと個人的には思いますが、

 政府側 (原子力安全・保安院) にも過失がなかったとはいえないわけで、全額東京電力が負担すべきだということにもならないでしょう。

 とすると、「普通の天災地変」であったなら生じたであろう損害を越える部分をも東京電力は賠償するが、損害の全額は賠償しなくともよい (=越える部分の一部は政府、一部は東京電力が負担する) といったあたりが適切なのではないかと思います。



■関連記事
 「原発事故の損害を負担する者は…



■追記
 予測可能であったなら「異常に巨大な天災地変」とはいえないのではないか、という主張も考えられます。

相続税の是非

2011-04-29 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.278 )

 ここに六〇代後半の二人の人物がいるとしよう。片方は浪費家、片方は倹約家である。浪費氏は、豪華絢爛な退職生活を送っている。毛皮のコートを買い、フェラーリを乗り回し、毎晩のようにキャビアで大宴会。ハバナから取り寄せた葉巻をくゆらせ、ドン・ペリニヨンのシャンパンで満たした浴槽につかる。出かけるときは若い女を両脇に従え、ねだられるままに何でも買ってやる。世界のあちこちに家があり、気が向けば遊びに行く。二五万ドルのクルーズを計画し、優秀なクルーを雇い、女たちと乗り込む。愛犬のラブラドールレトリーバーは、毎日ステーキのごちそうだ。こうして最後の一ドルを使い果たしたとき、浪費氏はぽっくりと死んだ。なんという絶妙のタイミング。彼の放蕩は、相続税ゼロという形で報われる。これほどお見事な税逃れはめったにない。しかも完全に合法。というより、法律はこうした浪費を奨励している。
 さて、倹約氏である。倹約氏の人生は、浪費氏とは全然ちがう。彼は家業を二人の息子に譲って引退した後に、自分の資産の一部をその事業に再投資した。何くれとなく息子たちの力になり、顧客を紹介する。事業は順調に拡大して、従業員二〇〇人を数えるまでになった。それでも倹約氏は、三〇年前に買った質素な家に住み続けた。彼は友人が始めた事業にもいくらか出資し、そちらも軌道に乗って、資産はいつの間にか倍になる。しかし倹約氏のいちばん大切な資産は何と言っても子供たちであり、愛する息子や娘に遺産を残すことが何よりの望みだった。こうしてつつましく暮らし、その貯蓄や資産や投資がどれほどの額になるのかを誰も知らないまま、倹約氏は亡くなる。残された資産は、なんと四〇〇〇万ドルに達していた。経済に貢献し、雇用を創出し、尊敬すべき人生を送った倹約氏。しかしその終着点に用意されていたのは、一五〇〇万ドルの相続税の通知書だった。遺族はそれを葬儀の場で渡された。だが四〇〇〇万ドルの資産と言っても、その大半は事業に直結している。誰かに、たとえばウォーレン・バフェットのような投資家に事業を売らない限り、相続税を払う術はなかった。こうして、家業を代々受け継いでいくという倹約氏の夢は、あえなく国税庁に潰されてしまったのである。
 相続税は道義に外れた税金であり、アメリカ人の道徳観にも反すると私たちが主張する理由が、これでおわかりいただけただろうか。大方の人は、倹約氏の人生の方が浪費氏よりはるかに立派で好ましいと考えるだろう。だが倹約氏は最後の最後に相続税で打ちのめされた。一方の浪費氏は、一銭もとられていない。これが公正だと考えるアメリカ人は、ほとんどいないはずだ。
 左派は、家や農場を売らなくても相続税は払えるというおとぎ話をまことしやかに口にするが、現実はまったく逆である。アメリカン・ファミリー・ビジネス研究所の資料を見ると、家族経営の事業がこの税金で潰されている実態がよくわかる。本章を執筆している最中にも、アメリカンフットボールのピッツバーグ・スティーラーズが身売りした。NFLの歴史の中でもとりわけ魅力的でファンの多いチームだが、オーナーの遺族が相続税を払いきれなかったためである。また家族経営の会社のオーナーが議会証言し、長年続いてきた家業が競売にかけられる切ない話で胸がつぶれるような思いがしたことも、一度や二度ではない(*6)。最近の公聴会では、ウォーレン・バフェットが相続税の引き上げに同意した後、隣に座っていた中小企業のオーナーが意見を聞かれた。相続税率が引き上げられたらどうなると思うか、と尋ねられたこの経営者は、バフェットを指して言ったものである。「会社を売らざるを得ないでしょう。ここにいるこの御仁のような買い手にね」。だから、『無一文で死ね』といった本がベストセラーになるのだ。この本では、死ぬまでに資産をいかにしてゼロにするかのノウハウが、明らかに脱税すれすれの行為を含め、盛りだくさんに紹介されている(*7)。まったく嘆かわしいことに、こうした税逃れに使われるお金は、経済にほとんど貢献しない。

(中略)

 相続税は、別の観点からみても不公平な税である。と言うのも、課税対象になる資産は、すでにそれを取得したときに税金がかけられているからだ。オプラが鋭くも批判したのは、この点である。収入があった時点で連邦にも州にも地方自治体にも五〇%近い所得税を納めている。そして何とか残った五〇%にも、死ぬときになって五五%の税金が課されるというわけだ。オプラが愛する人たちに一ドル残すとき、政府は三ドルを召し上げる計算である。
 しかも相続税は納税にも徴税にもコストが膨大にかかり、経済効率がいいとはとても言えない。シートン・ホール・ロー・レビュー誌によると、一九九二年の遵守コストは税収の半分以上に達したという(*9)。

(中略)

 相続税賛成論者の論拠は、おおむね次のようなものである。相続税はコストをかけてでも徴収する価値がある。何となれば資産家の子供は、ただその家に生まれたというだけで先祖代々蓄積してきた財産を受け継ぎ、さらに巨万の富を成すことができるからだ。相続税にはこうした理不尽を阻む働きがある。相続税の対象になる資産の多くは、自ら精励刻苦して築き上げた財産ではない、云々。だが南カリフォルニア大学法科大学院のエドワード・マカフェリー教授はちがう意見だ。「富の集中を防ぐことが相続税の狙いなら、それは無惨な失敗に終わっている」(*11)。最富裕層は大金を払って相続税プランナーなるものを雇い、相続税をゼロにする手だてをあれこれ教えてもらう。アメリカでいちばん裕福な家系と言えばケネディ一族とロックフェラー一族だが、彼らが納める相続税は、たしかに意外に少ない。弁護士や会計士がつきっきりで、用意周到に賢い節税法を考えてくれるおかげである。統計は、相続税の納税者が誰なのかをはっきりと教えてくれる。一〇億ドル以上の巨額の資産を受け継ぐ人々は、年々巧みな税回避手段を講じる傾向にある。だから、相続税に直撃されるのは中規模の資産だ。納税した人の相続財産のほぼ半分は、一〇〇〇万ドル以下である(*12)。


 相続税は不公平な税である。倹約ではなく浪費を奨励しているうえに、二重課税の問題も抱えている。しかも相続税には富の集中を防ぐ効果もあまりない、と書かれています。



 私は相続税について、著者の意見には反対です。理由を述べます。

 まず、倹約ではなく浪費を奨励している、という点についてですが、「倹約が道徳的に好ましく、浪費が好ましくない」ことは認めるものの、だからといって浪費が「経済的に悪い」というわけではありません。浪費する人がいなければ、経済成長はあり得ないのではないかと思います。世の中が生産者ばかりで消費者がいなければ、(勤勉で倹約家の) 生産者が困ってしまいます。したがって、(道徳的にどうかはともかく) 経済的な観点でみれば、「相続税が倹約ではなく浪費(=消費)を奨励している」ことは、問題にはならないと思います。

 次に、相続税には二重課税の問題がある、という点についてですが、これに対しては「公平上、最適なキャピタルゲイン税率」に書いたものと同じ反論が成り立ちます。要は、「まとめて」課税しようが「分けて」課税しようが「おなじ」なので、とくに公平上の問題は生じない、ということです。

 また、相続税の徴税コストの問題ですが、これは徴税を合理化すればこと足ります。徴税コストがかかるから相続税は廃止すべきだといった主張は、「効率化」を重視する経済学者らしからぬ主張ではないかと思われます。これも相続税の不当性を訴える根拠としては、「弱い」と思います。

 最後に、相続税には富の集中を防ぐ効果があまりない、という点についてですが、これに対しては、「法律の抜け穴」をふさぐ作業を行えばよいと思います。最富裕層は弁護士や会計士を雇って節税法を考えるが、中規模の財産を有する中小企業のオーナー等はそのような活動をしない(する余裕がない)というのであれば、相続税を廃止するのではなく、「法律の抜け穴」をふさぎ、弁護士や会計士が活躍する場面をなくす努力をすべきだと思います。

 ( 著者は事業継承が不可能になると言っていますが、相続税は銀行借入れで支払えばよいと思います。高額の相続税が発生するほど経済的価値のある事業なら、銀行借入れは可能だと思います )



 基本的に、相続税に反対する人々は、「相続される人=亡くなる人」の立場で物事を考える傾向にあるのではないかと思います。倹約ではなく浪費を奨励している、といった批判は、まさに「相続される人」の立場で考えています。しかし、「相続する人=生き残る人」の立場で考えれば、先祖(親や親の親など)が勤勉だったか、先祖(親や親の親など)が浪費家だったかという、自分にはどうにもならない事情で、財産の多寡が決まるのは「不公平である」と考えることになると思います。

 「相続される人=死んだ人」と「相続する人=生きている人」と、どちらを重視して「公平」を考えるべきかといえば、やはり、「生きている人」ではないでしょうか。「すでに亡くなった人にとっての公平感 (死んだ人が公平だと思うか)」は、ほとんど問題にならないのではないかと思います。



 以上により、相続税は「積極的に肯定」すべきだと思います。



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 「増税・贅沢税のもたらす結果

公平上、最適なキャピタルゲイン税率

2011-04-28 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.270 )

 かれこれ三〇年近く、キャピタルゲイン減税が提案されるたびに、いわゆる税の公正の問題が議論の的になった。キャピタルゲイン減税で得をするのは誰で、損をするのは誰なのか。ブッシュ大統領が二〇〇三年に減税を提案したとき、反対陣営はこう主張した。減税分の六割は、アメリカ人のたった一%を占めるに過ぎない富裕層へ行ってしまう、と。
 なるほどキャピタルゲインを手にする人の大半は富裕層に属する。だが納税申告書にキャピタルゲインを書き入れるのは、富裕層だけではない。アメリカに何百万人もいる中間所得層も、キャピタルゲイン税をとられている。二〇〇五年の内国歳入庁のデータを見ると、キャピタルゲインを申告した人の四七%が、年収五万ドル未満だった。ちなみに納税申告者(ご存知のとおり、アメリカでは給与所得者でも個人で確定申告をしなければならない)の七九%が年収一〇万ドル以下、その半分は五万ドル以下となっている(*13)。しかもこのデータでは、キャピタルゲインがあった人の年収が大幅に実態より過大評価されている。というのも、家屋敷などの資産の売却は、ふつうの人にとって一生に一度あるかないかの特殊な出来事だからだ。たとえばある人が持ち家または農園を売り、一〇〇万ドルを売却代金として受け取ったとしよう。この人の年収は通常の年には五万ドルほどなのだが、生涯一度の資産売却をしたがために、この年だけ「富裕層」になってしまう。
 キャピタルゲイン税は、ほんとうの儲けではなく、単なる物価上昇による「ゲイン」にまで課税される点で、きわめて不公平な税である。キャピタルゲイン税は物価スライドでないため、インフレ下では実効税率が法定税率を大幅に上回ることになる。中立的な民間組織タックス・ファウンデーションの調査では、こうした実態がキャピタルゲイン税を大きく歪ませ、場合によっては投資家が「手にしたキャピタルゲインの一〇〇%を大幅に上回る実効税率を適用されることもある」という(*14)。プリンストン大学教授で元FRB副議長のアラン・ブラインダーは、一九八〇年に、「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない。物価が上昇する中で売らずに持っていたというだけだ」と指摘している(*15)。幸いにもインフレ率は一九七〇年代に比べればだいぶ低くなったが、資産を長く保有するほどインフレの悪影響が積み上がることに変わりはない。議会は長期保有が好ましいと言っているが、皮肉なことにキャピタルゲイン税が物価スライドでないがために、資産の回転が促される結果となる。
 キャピタルゲイン税には、もう一つ、きわめて不公平(かつ非効率)な点がある。資本形成の過程で二重課税になっていることだ。政府は、資産価値に課税するか、利益に課税するか、どちらかを選んでよいが、両方に課税すべきではない。たとえば、ある会社の株にキャピタルゲイン税が課されるとしよう。この株の価値は、会社の将来の収入を現在価値に割り引いたものと考えることができる。仮にこの会社が今後二〇年にわたって毎年一〇万ドルの利益を上げるとしたら、株価にはそれが反映されているはずだ。したがってこの会社の株を売って得た利益にも、こうした将来の利益が反映されることになる。となれば、株を売った人が払うキャピタルゲイン税は、将来の予想利益にかかる税金にほかならない。ところがこの会社が将来に上げる年間一〇万ドルの利益には、法人税が課される。したがって、一〇万ドルには二度税金がかけられているのだ。一度目はこの会社の株主が株を売ったときに期待利益に対して、二度目は会社が現実に上げた利益に対して。租税専門家の多くが、キャピタルゲイン税の最も公平かつ経済的に最適な税率はゼロだと主張するのは、このためである。マイナスならさらに経済効率がよいはずだとラッファーは考えているが、もちろん税率ゼロに喜んで賛成する。


 公平を考えるなら、キャピタルゲイン税は税率ゼロにするべきである、と書かれています。



 キャピタルゲイン減税というと、富裕層だけが得をするかのようなイメージがあります。しかし、一般大衆も持ち家を売却した場合などにはキャピタルゲイン税が課されるのであり、

   キャピタルゲイン税をとられるのは富裕層だけではない、

という著者の指摘・批判は鋭いと思います。



 次に、
プリンストン大学教授で元FRB副議長のアラン・ブラインダーは、一九八〇年に、「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない。物価が上昇する中で売らずに持っていたというだけだ」と指摘している(*15)
という部分についてですが、

 戦後の上場企業の株価上昇をみるかぎり、「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない」という主張には違和感があります。株価の上昇が物価上昇に比例しているとは、(すくなくとも私には) とても信じられません。

 もちろん倒産した企業もたくさんありますので、「全体的にみれば」アラン・ブラインダーの主張は正しいのかもしれません。しかしそれは「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない」と評すべきものではないと思います。



 最後に、キャピタルゲイン税は「二重課税になっている」という部分、これには説得力がありません。

 たしかに著者が主張するとおり、

   株を売った人が払うキャピタルゲイン税は、
    将来の予想利益にかかる税金にほかならないし、

   会社が将来に上げる利益には、
    法人税が課されるので、

   会社が上げる利益には、
    二度税金がかけられている

というのは本当です。

 しかしだからといって、「キャピタルゲイン税の最も公平かつ経済的に最適な税率はゼロ」だということには「ならない」のです。



 それはなぜでしょうか? 理由は簡単です。政府は、キャピタルゲイン税と法人税、どちらか片方に課税する代わりに、

   キャピタルゲイン税と法人税、
    それぞれ半分ずつ課税してもよい

からです。どちらか片方に課税するのではなく、両方に半分ずつ課税してもよいのです。単純化していえば、一度にまとめて10%課税することと、5%ずつ2回に分けて課税することは「おなじ」だということです (正確には数値が微妙に異なりますが、おおよそこのような関係が成り立ちます) 。

 もちろん6対4の割合でもよいし、2対8の割合でも構いませんが、「どちらか片方への課税でなければ不公平である」とは「いえない」ことは、あきらかです。



 「二重課税は不公平である。したがってキャピタルゲイン税か、法人税か、どちらか一方に課税せよ。両方に課税してはならない」という主張は、一見、説得的であるかに映ります。現に、このような主張をしている本はときどき見かけます。

 しかし、上に述べた理由により、著者 (または同様の主張をしている他の本の著者ら) の主張には説得力がない、と言ってよいと思います。



 以上により、
  • 税率が適切でありさえすれば、キャピタルゲイン税には「公平」の問題はなく「不公平」だとはいえない。したがってキャピタルゲイン税の税率をゼロにする必要はないが、
  • キャピタルゲイン税をとられるのは富裕層だけではないことから、
  • キャピタルゲイン税の税率は低いほうがよい
と (私は) 考えます。



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キャピタルゲイン減税の効果

2011-04-27 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.264 )

 一九〇〇~九八年にアメリカの実質賃金は六倍になった。言い換えれば一九九八年の労働者は、一九〇〇年の労働者が一時間かけて得た賃金を、わずか一〇分で稼ぎ出す(*6)。何がアメリカの労働者の所得水準をこれほど押し上げたのか。答えは、資本と生産性である。
 資本に対する懲罰的な課税は、誤解に基づいて支持されることが多い。そうした税金に賛成する人は、資本から上がる収益が資本家のものになり、資本家だけが労働者よりも裕福になると思い込んでいる。キャピタルゲイン減税が往々にして「金持ち減税」とみなされるのは、そのためだ。だが先ほどの例でも明らかなように、労働者の生産性は、どれほどの資本を与えられるかによって大きく左右される。これは、どんな経済学者も同意する点だ。たとえば、ケネディ政権下で経済諮問委員会のメンバーを務めたノーベル賞受賞経済学者のポール・サミュエルソンは、労働者の生活向上において資本形成がいかに重要かについて、次のように論じている。
「労働者がより多くの資本財を与えられると、賃金水準はどうなるだろうか。仕事に使う資本財が増えれば、その労働者の生産高(または生産性)は上がる。したがって、資本家にとって労働者の価値が高まり、競争環境では実質賃金は上昇して、市場の賃金水準まで押し上げられることになる」(*7)
 資本形成が労働者に利益をもたらすという、サミュエルソンが述べたこの経済の原則は、事実によっても裏付けられている。過去五〇年間における賃金水準の変動の九〇%は、資本労働比率で説明できるのである。この比率が上がれば賃金は上がり、横這いなら賃金も横這いになる。したがって資本形成は、賃金上昇の主要因だと言うことができる(*8)。
 財務省で働いた経験を持つヘリテージ財団のギャリー・ロビンスは、資本蓄積の影響について、さらに驚くべき発見をしている。「資本ストックの増加がもたらす利益の大半は、資本家ではなく労働者のものになる。なぜなら、より多くの資本を手にした労働者の賃金は上がるからだ」(*9)

(中略)

 それではここで、キャピタルゲイン減税がどのような経路をたどって平均的な労働者に恩恵をもたらすのか、簡単にまとめておくことにしよう。税率が引き下げられると、次のことが起きると予想される。
 1 キャピタルゲイン税が引き下げられると、税引き後投資収益が拡大する。
 2 投資収益の拡大は、起業意欲を高める。また既存企業でも、機械設備や新技術など資本財への投資意欲が高まる。
 3 資本コストが低くなるので、生産コストも下がる。
 4 労働者にはより多くの物的資本が与えられるので、労働生産性(一時間で生産できる財やサービスの量)が向上する。
 5 賃金は究極的には生産性に比例するので、賃金も上昇する。
 このように、資本形式が増えれば大勢が恩恵を被る。では、どうすれば資本形成を増やせるのか。一つの答えが、資本に対する税金を下げることだ。一九六四年のケネディ減税と七八年のスタイガー減税は、こうした意図から実施された。レーガン減税、クリントン減税、ブッシュ減税も、すべてそうである。

(中略)

 図10・1に、キャピタルゲイン税率と課税対象キャピタルゲインの関係をグラフ化した。最近では一九八一年、一九九七年、二〇〇三年にキャピタルゲイン減税が行われているが、その後に必ず税収が増えていることがおわかりいただけるだろう。となれば、当然の疑問が湧いてくる。増税をすれば国庫に入ってくる税金は減るとわかっているのに、なぜオバマ大統領は税率を引き上げようとしているのだろうか。私たちにはどうしても理解できない。
 政府の税収予想担当者は、毎度のようにこのラッファー・カーブ効果に驚く。どうやら政府の経済モデルは、減税の成長促進効果をすこしも取り込んでいないらしい(あるいは、減税には何の効果もないという前提になっているのかもしれない)。キャピタルゲイン税を引き下げれば株取引が活発になるが、引き上げれば手持ちの株をそのまま保有する傾向が強まることも、計算に入れていないようだ。株にせよ他の資産にせよ、投資家は売るのをやめさえすれば、キャピタルゲイン税を払わずに済むのである。そうなったら、政府には一銭も税金は入ってこない。


 キャピタルゲイン税にも、ラッファー・カーブ効果が認められる。それにもかかわらず、なぜオバマ大統領は税率を引き上げようとしているのか。キャピタルゲイン減税は、資本家のみならず、労働者にも (賃金上昇という形で) 利益をもたらす、と書かれています。



 「オバマの「増税=公正」論」は、要はキャピタルゲイン税を引き上げるのは、「損得」計算に基づくものではなく、「公正」のためである、というものです。増税こそが公正なのだ、とオバマ大統領は考えているわけです。

 ところが著者はキャピタルゲイン「減税」によって、投資家も労働者も政府も「得をする」にもかかわらず、なぜオバマ大統領は「増税」するのかと述べています。著者の主張には、強い説得力があると思います。



 「ラッファー・カーブ理論」は、減税によって税収が増える場合・減る場合の両方があることを示しています。「オバマの「増税=公正」論」のところで、私がオバマ大統領の主張に理解を示した理由はここにあります。

 しかし考えてみれば、キャピタルゲイン税の場合には、投資家には「売らない」という選択肢があり、投資家は「売らなければ、キャピタルゲイン税を負担しなくてすむ」わけです。ここのところが、他の税とは決定的に異なります。

 「(個人) 所得税を払いたくないので、働かない」という人は (おそらく) 一人もいないと思いますが、「キャピタルゲイン税を払いたくないので、売らない」という投資家は多いはずです。とすれば、キャピタルゲイン税については (他の税に比べて) ラッファー・カーブが大きく偏った形をしていると考えられます。税率ゼロの近くにカーブのピークがきているはずです。

 したがって、(いまでも) 私はオバマ大統領の主張が「完全に」つまり「理論的に」誤っているとは思わないものの、(キャピタルゲイン税についてのラッファー・カーブの特徴を考慮すれば)「事実上」誤りであると言ってよいのではないかと思います。



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