言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

コンテスタブル・マーケットの論理

2009-08-31 | 日記
内橋克人とグループ2001 『規制緩和という悪夢』 ( p.74 )

 アメリカの航空業界の経験は、ビジネスは新規参入者にではなく、結果的には大手企業にとって広がっただけだということを物語っている。
 そのもっとも雄弁な証拠が寡占の進行である。一九七八年に六八・八パーセントだった大手五社の市場占有率は、九二年までには七九・七パーセントまで上がった。これを大手十社でみてみると、七八年には八八・九パーセントだったものが、九九・七パーセントまで上昇している。
 こうした寡占化の指摘に対して『福音』論文はこう噛みついている。
〈アメリカの航空業が規制緩和前に比べて「航空会社の数が減った」という意味で寡占化したのは事実である。しかしそれが消費者にとって良いことである可能性がある。なぜなら、生き残った会社の数は減っても、常に新規参入の圧力があるため、規制下にあった時のように容易に運賃を上げることができないからである。常に潜在的な新規参入圧力がある状態にあるマーケットをコンテスタブル・マーケットという。この場合、表面的な寡占状態は必ずしも競争の欠如を意味しない〉
 前回のレポートでは、議論が複雑になるので触れなかったが、カーター政権に航空自由化のために集まった当時の経済学者、政策スタッフが認める彼らの最大の誤算が、実はこの『コンテスタブル・マーケットの論理』が、自由化後の予想もできない変化により破綻したことだった。

(中略)

 カーハンが語る。
「私たちが当時考えた『コンテスタブル・マーケットの論理』とは、航空産業の場合、固定費が低く参入障壁が低い、大手が有利だという規模の経済性はない、だから、たとえ寡占になっても、既存の会社は、外からの競争者の参入の圧力があるため、サービスの低下や運賃の上昇をできないというものでした。
 しかし、それは規制緩和後の驚くべき変化、FFP、CRSなどによって破綻したのです。コンテスタビリティの理論は分析上の最大の失敗をおかした理論でした」


 規制緩和によって、( 競争が激化した後 ) 寡占化が進行した。理論上 ( 「コンテスタブル・マーケットの論理」 ) 、たとえ寡占化が進行しても、新規参入圧力は存在し続けるために、価格が上昇することはなく、寡占の弊害は発生しないはずだった。ところが、実際には弊害が発生した、と書かれています。



 一般に、規制には、事業者を保護するための規制と、消費者を保護するための規制があると思います。規制緩和というとき、通常は、事業者を保護する規制の緩和を指しており、その種の規制緩和は、競争によって価格が下がることから、消費者にとっては好ましいもの、と評価されます。

 アメリカ航空業界の規制が、どちらの種類の規制だったのか、引用した部分には書かれていないのですが、「コンテスタブル・マーケットの論理」 が成立するので消費者利益に反しない、と説かれていたことからみて、事業者を保護する規制だったのではないかと思われます。



 そこで、事業者を保護する規制だった、と考えたうえで、話を進めます。

 規制を緩和しても問題ないはずだった事業者保護規制を緩和したところ、価格が上昇して、消費者に不利益が生じた、というのです。

 これを読むと、いかにも、規制緩和はよくない、という感じがします。実際、この本、『規制緩和という悪夢』 は、その書名からして、規制緩和はよくない、と主張しています。

 しかし、「コンテスタブル・マーケットの論理」 が機能しなかったからといって、規制緩和はよくない、とは、必ずしもいえません。理論が破綻して価格が上昇したのなら、「価格のみを規制すればよい」 のであり、規制緩和前に戻って、「新規事業者の参入そのものを規制する必要はない」 からです。

 アメリカの航空業界では、新規参入業者が競争に敗れ、既存の大手企業が勝利したかもしれない。しかし、再び、別の事業者が新規参入すれば、今度は、その新規参入業者が、競争に勝利するかもしれません。その可能性を奪ってはならないのであり、その可能性が存在しているかぎり、寡占に成功した企業にも、一定の緊張感が保たれ、 ( たとえ、わずかであろうと ) 価格の上昇を抑制する効果がある、と考えられます。つまり、「コンテスタブル・マーケットの論理」 は、( 業界によっては ) 効果はわずかかもしれないが、まったく認められないわけでもない、と思います。

 要は、「コンテスタブル・マーケットの論理」 は、( アメリカの航空業界においては ) 効果がわずかだったとはいえ、そのアイデアは完全に否定してよいものではない。したがって、新規参入の余地を認めつつ、価格の上昇を抑えることが適切である、と考えられます。すなわち、

   参入規制は緩和し、寡占の弊害が現れたなら、そのときに、価格の上限を規制すればよい、

と考えるのが、もっとも適切なのではないかと思います。


 なお、FFP・CRSが具体的にどんなものかは、( 論旨と無関係なので ) ここでは省略します。必要であれば直接、本をお読みください。

雇用問題の根源 ( 転職は可能か )

2009-08-31 | 日記
内橋克人とグループ2001 『規制緩和という悪夢』 ( p.52 )

 平岩研究会のメンバーだった連合顧問の山田精吾はこう考えている。
「私は繊維の組合の出身ですからね。繊維や石炭という産業の労働者が、製造業などの新業種へ構造転換していくのを見てきました。だからそれはできないことではないんです。ただし、その失業の過程の受け皿である社会的政策をきちっとしておかなくてはならない。そのことが重要なんです」
 しかし、ワシントンにある日本経済研究所の所長、アーサー・アレクサンダーはこう指摘する。
「日本が、戦後、繊維やアルミニウムなどの非効率産業の労働者の転換をうまくやっていけたのは、年間の成長率五パーセントという、全体のパイが広がっていったからこそできたことなのです。三菱重工業の資料を私は検討させてもらいましたが、彼らは、実にうまく、系列内で、従業員を非採算部門から採算部門に移していっていた。つまり、日本の会社は同じ系列内、企業内で、非効率部門から効率部門に労働力を移していくことで終身雇用制を維持してきたのです。しかし、それがもう一度できるか? 私は、三菱マテリアルの永野健さんに最近聞いたことがあります。彼はもうそれはできないと言っていた。そうです。なぜなら、日本の成長は七〇年代のアメリカのようにピークをうち、全体のパイはこれ以上広がっていかないからです」


 規制緩和によって、非効率な産業部門の競争が厳しくなり、人員整理がなされたときに、労働者は転職が可能かどうかについて、正反対の見解が紹介されています。



 規制緩和を行えば、競争が厳しくなりますから、当然、効率化のために、人員削減がなされます。終身雇用制が崩壊するのも、ここに原因があります。

 それでは、労働者は転職 ( または業種転換 ) が可能なのか、それを検討しなければならないのですが、上記、ふたつの見解は、正反対の内容になっています。それでは、どちらの意見が適切なのでしょうか。

 両者の結論は、労働者が ( 異なる業種の ) 新たな仕事に移ることは可能である、不可能である、と、正反対ではあります。しかし、仔細に見れば、

   連合の山田さんは、労働者には柔軟性があるから、異なる業種 ( 職種 ) の仕事に移れる、

と言っており、

   三菱マテリアルの永野さんは、新しい仕事がない以上、労働者の転換は不可能である

と言っているのですから、両者の意見は、なんら矛盾していません。



 上記、ふたつの意見を併せ考えれば、「要は、新しい仕事があるのか、ないのか、が重要であり、( たとえ別業種であれ ) 仕事があれば、なんら問題はない」 と考えられます。それでは、新しい仕事はあるのでしょうか。これについて、現状をみると、「規制緩和の第一次的効果」 で述べたように、なかなか 「新産業」 が生まれてこない。ここに、問題の原因があります。

 したがって、雇用対策として、「公的教育訓練・就業支援制度」 も必要ではありますが、それ以上に、新産業を生みだすことが重要だと考えられます。「雇用対策としての道路建設」 は一時的なものにすぎず、新しい産業が生まれてこないかぎり、雇用問題はなくならない。

 新しい産業をいかにして生みだすか。それが鍵になると思います。

更新料無効判決

2009-08-30 | 日記
MSN産経ニュース」 の 「マンション賃貸契約に影響も 更新料返還訴訟で借り主逆転勝訴」 ( 2009.8.27 19:40 )

「流れを決定づける大きな一里塚」「最高裁まで戦い続ける」。賃貸マンションの更新料契約を無効とする判断を下した27日の大阪高裁判決を受け、双方の代理人が大阪市内で会見した。借り主側は「一見安い印象を与える家賃表示の一掃につながる」と評価し、家主側は「一定の歯止めがないと契約制度が崩れる」と反論した。更新料が習慣になっている地域では今後、返還請求の増加や契約内容の変更といった影響が出る可能性もある。

 家主側の「貸主更新料弁護団」によると、更新料は京都や滋賀、首都圏で40年以上にわたって続いており、現在も100万契約以上あると推計される。

 仮に更新料がなくなれば、家賃を上げざるをえなくなるうえ、(1)敷金礼金などの初期費用がかさむ(2)低所得者層向けの公的補助が打ち切られる-などのデメリットが生じるという。

 家主側の弁護団代表の田中伸弁護士は「借り主は自由に物件を選べるが、家主は契約を信頼して貸す。疑問があるなら契約時に尋ねるべきで、選んだ後に金を返せという理屈は通らない」と憤る。東京共同住宅協会の谷崎憲一会長も「多くが個人事業主である家主にとって、判決内容はリスクの増大と脅威につながり、大きな影響が出るだろう」と懸念を示した。

 一方、逆転勝訴した借り主側の「京都敷金・保証金弁護団」は、借り主が情報量や交渉力の格差を背景に、不当な条項を一方的に押しつけていると反論した。更新料がなくなれば家賃が上がるという家主側の主張を「まさに詭弁(きべん)。更新料があるから家賃が低いという証拠はない」としたうえで、家賃を安く見せかける不当表示につながっていると主張した。

 団長の野々山宏弁護士は「最終的に家主にいくら払わねばならないか不明確なのが問題点。家主側が一方的に都合のいい契約書を作るのを司法がチェックする方向になればいい」と述べた。


 大阪高裁は更新料の返還を命じた、と報じられています。



 さらに、

毎日jp」 の 「賃貸マンション:更新料訴訟控訴審 貸主に返還命じる判決」 ( 2009年8月27日 16時14分(最終更新 8月27日 23時35分))

賃貸マンションの更新料は消費者契約法に違反し無効だとして、借り主の会社員男性(54)=京都市=が貸主に更新料5回分など約55万円の返還を求めた訴訟の控訴審判決で大阪高裁は27日、男性の請求を棄却した1審・京都地裁判決を変更し、貸主に45万5000円の返還を命じる逆転判決を言い渡した。成田喜達裁判長(亀田広美裁判長代読)は「更新料の条項は消費者の利益を一方的に害しており、消費者契約法に反し無効」と指摘した。【北川仁士】

 更新料返還を認めたのは、別のマンションを巡る京都地裁判決(7月)以来2件目で、高裁では初めて。貸主側は上告の方針。

 判決によると男性は00年8月、同市左京区のマンションを借りる契約を貸主と締結。契約書には月額家賃4万5000円、更新料毎年10万円と記載された。男性は06年11月に退去するまで6回更新し、うち最後を除く5回更新料を支払った。

 1審判決は「更新料は賃料の前払いで、消費者の利益を一方的に害するものではない」としていた。

 これに対し成田裁判長はまず「契約時に更新料の説明は全くなく、賃料との認識はなかった」と指摘。そのうえで「借地借家法によれば、貸主側は正当な理由がなければ自動更新を拒絶できず、借り主に更新料支払い義務はないが、貸主側が説明していないため対等・自由な取引条件とはいえない」と述べ、更新料条項の違法性を認定。消費者契約法施行(01年4月)後の4回分の更新料と、男性が求めた敷金の一部の返還を命じた。

 判決後、男性側代理人の野々山宏弁護士は「貸主は、家賃を安く見せかけるための不当契約をやめるべきで、国も規制すべきだ」と訴えた。一方、貸主側代理人の田中伸弁護士は「消費者契約法を拡大解釈した不当判決だ」と批判した。


 判決内容には、01 年 4 月以降、4 回分の更新料と、敷金の一部返還が含まれている、と報じられています。



 この判決が、消費者 ( 借主 ) に有利な状況をもたらすかどうか、それはわかりませんが、

 不動産価格は下落すると予想されます。したがって景気はさらに悪化すると思います。

規制緩和のもたらすもの

2009-08-30 | 日記
内橋克人とグループ2001 『規制緩和という悪夢』 ( p.45 )

 七〇年代終わりから始まったアメリカの規制緩和の波はアメリカの社会をどう変えていったのだろうか?
 整理をすると次のようなことになる。
 (1) まず、規制緩和の中で、アメリカの終身雇用制は終わりを告げていった。
 実はアメリカでも、一九六〇年代までは、…(中略)…大学を出たらずっとひとつの企業に勤め続けるという終身雇用制の企業文化がごく普通にあった。それが、規制緩和による競争の激化で変わっていったのである。
 アルフレッド・カーンが再び語る。
「アメリカの終身雇用制が終わりを告げていったことに、七〇年代末からの規制緩和が大きな役割を果たしたことは間違いありません。むろん、規制緩和だけでなく、同時期に始まった自動車や、電子機器などの国際的な競争も大きな役割を果たしているでしょう。大事なのは、それが規制緩和による国内的な競争であれ、国際的な競争であれ、競争のあるところでは労働力の移動の柔軟性は不可欠のことだったのです。つまり、規制緩和と終身雇用制は両立しない二つの概念だったのです」
 (2) 富の分配の不均衡が増大した。
 ワシントンのブルッキングス研究所のクリフォード・ウィンストンは、「規制緩和成功」論の急先鋒エコノミストだが、その彼でさえ、一九九三年に発表した自著『経済的規制の緩和』で次のように書いている。
〈一九八〇年代に賃金の不均衡が急激に増大した。規制緩和は、米国の労組を弱体化させ、企業および労働者階層間の賃金格差を増大させた。規制緩和は価格を限界費用に近づける一方で、賃金を限界生産に近づけたため、最も低い熟練度しか有さない労働者と、収益のもっとも低い企業の労働者の相対的賃金を減少させた〉

(中略)

 アメリカ労働統計局のデータによれば、一九七〇年に週給二百九十八ドルあったアメリカ人の平均の実質給与は、一九九二年には二百五十五ドルまで目減りしてしまっていることがわかる(一九八二年の貨幣価値で計算)。アメリカ人の平均の実質賃金は、一九四七年から一九七〇年までは、七〇パーセント増と、成長しつづける一方だったのが、その後の二十年間では、約一五パーセントも減ってしまったのである。
 こうして中流の所得者層の賃金が目減りする中で、金持ちはますます富んでいった。「フィラデルフィア・インクワイアラー」紙のジェームス・スティールとドナルド・バーレットは、内国歳入庁の三十年にわたる所得データから、アメリカの所得分布がどう変化したかを、コンピューターで計算している。それによると、一九五九年には、アメリカのトップの四パーセントの総収入は、アメリカの下から三五パーセントの総収入と同じだった。ところが、一九九一年には、これが、五一パーセントの収入と同じになってしまうのである。
 スティールとバーレットは、一年間にわたる調査の結論として、こうした富の二極分化は、八〇年代に行われた税の簡素化(累進課税の大幅な見直し)と規制緩和、国内製造業の空洞化がもたらしたとしている。


 アメリカでは、(1) 規制緩和は終身雇用制の終焉と、(2) 富の二極分化をもたらした、と書かれています。



 (1) 規制緩和が終身雇用制の終焉をもたらす、というのは、競争が激しくなると、終身雇用を維持していたのでは、競争に勝ち残れない、ということなのだろうと思います。

 この話 ( アメリカで起きた現実 ) は、終身雇用を維持してこそ、労働者は熱心に働くので、効率が上昇する、という考えかたが、成り立たない可能性が高いことを、物語っています。ここで、次のニュースがひっかかります。

MSN産経ニュース」 の 「派遣社員1000人を正社員化 レンゴー」 ( 2009.1.19 19:53 )

 段ボール大手のレンゴーは19日、工場で働くすべての派遣社員約1000人を今年4月から正社員として採用する方針を明らかにした。派遣社員の多くが今春、最長3年間の契約期限を迎えるが、期限後3カ月間は同じ派遣契約ができないため、正社員化で人材を確保する。新たに年間数億円の人件費が必要となるが、大坪清社長は「安易な派遣切りではなく、士気向上で生産性効率を高める」と説明した。


 レンゴーの決断は、( 社会的には好ましい、とは思いますが ) 本当に生産性効率が高まるのかが、問題です。今後の業績が気がかりです。



 なお、(2) 規制緩和が富の二極分化をもたらす、というのは、競争が激しくなる以上、当然だと思います。



 ところで、労働者は、なぜ、終身雇用に固執するのでしょうか? 私には、それがどうしてもわからないのです。

規制緩和の第一次的効果

2009-08-29 | 日記
内橋克人とグループ2001 『規制緩和という悪夢』 ( p.20 )

 一九九四年六月二十一日、円がついにニューヨークで百円をわった。それに呼応するかのように、翌日、アメリカ大使館は「規制緩和の推進」を日本政府に強く要望する異例の声明を発表した。
 ――日本でも欧米なみの、生活者、消費者が重視される社会をつくっていきたい――
 そう国民に公言して、当時首相だった細川護熙が、経済界、官界、労働界、学界、マスコミから選りすぐりの人材を集め、首相の私的諮問機関「経済改革研究会」を組織したのは九三年八月のことである。研究会は座長・平岩外四(経団連会長=当時)の名をとって平岩研究会と呼ばれる。
 三ヵ月後、日本の "ベスト・アンド・ブライテスト" が「消費者重視の社会を」という首相の問いかけの答えとして出したのが「大胆な規制緩和の必要性」だった。

(中略)

 たとえば、「細川首相のたっての希望で」(田中秀征)平岩研究会のメンバーに迎え入れられた経済学者の中谷巌(一橋大学商学部教授)は自著『経済改革のビジョン』(東洋経済新報社)の中で次のように書く。
 ――大胆な規制緩和が実行されるとすれば、日本の物価と欧米諸国との物価の格差が大幅に縮まることになる。たとえば、半分に縮まったとして、約四十三・二兆円分が消費者の実質購買力の増加につながる。この新たな需要めがけて、これまで存在していなかったニュービジネスが生まれることになる。このニュービジネスが新たな雇用を生み出し、非効率産業で生まれた失業者を吸収していく。――
 だが、本当に規制緩和によって、
一、物の値段が下がり、
二、消費者の実質的な所得が上昇し、
三、消費者の新たな欲望が生まれ、その欲望を満たす新産業が生まれ、
四、雇用は増大するのだろうか?
 平岩研究会のあるメンバーは規制緩和を「日本経済の壮大な実験」と評した。


 規制緩和の目的が、物価を下げることだった、と書かれています。より正確には、規制緩和→物価下落→実質的購買力上昇→新産業の発生→雇用増大、という流れ図が想定されていた、と書かれています。



 物価は、たしかに下落しました。いまも、デフレが進行しています。また、物価の下落によって、実質的な購買力も上昇しました ( といってよいと思います ) 。

 しかし、新産業が生まれ、雇用が増大したといえるか、が問題です。新産業として生まれたのは、主として、労働者派遣業などではないかと思います。これは労働者に対して、従前の仕事を、以前よりも安い賃金で働かせているにすぎず、とてもではありませんが、雇用が増える新産業とはいえません。また、「今後の雇用情勢 ( 予想 )」 でみたように、たしかに非正規労働者は増えましたが、これは上記、労働者派遣業を介した雇用であり、規制緩和が本来、想定していた雇用ではありません。



 問題は、( 本来の ) 新産業が生まれてこないところにあります。新産業が生まれれば、すべての問題は消えてなくなるのですが、なかなか、新産業が生まれない。「実験」 は失敗だったのかもしれません。

 新産業が生まれればよいのですから、規制緩和は失敗だった、とは言い切れない。けれども、「万一、このまま新産業が生まれなかったときには、どうすべきか」 を考えなければなりません。これはおそらく、「再び規制するほかないのではないか」 と思います。規制緩和によって物の値段が下がり、デフレになったのですから、再び規制すれば、物の値段が上がり、デフレが終わる可能性があります ( デフレが終わるとはかぎりません ) 。

 私は、再び規制しても元には戻らないと思いますが、実際どうなるか、試してみないことにはわかりません。再規制も、一考の余地があるのかもしれません。