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レーガン減税

2011-04-19 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.116 )

 一九八〇年代前半まで、サプライサイド経済学は共和党からも民主党からも攻撃されていた。レーガンは、自分の新しい経済政策を議会と学界の頭の固い連中に説明するのに、ひどく苦労したものである。なにしろほぼ全員が、そんな政策は無益だと決めてかかっていた。だが一つだけ、レーガンに明らかに有利な点があった。前任者がアメリカ経済を悲惨な状況に追いやった結果、国民はそれまでとは全然ちがう新しい経済政策を試したい気分になっていたことである。一九八〇年のインフレ率は二桁に達していた。住宅ローン金利は二一%というすさまじい高率で、住宅産業は壊滅寸前である(*2)。インフレに伴う中間所得層のブラケット・クリープにより、多くのアメリカ人が高い所得階層区分に押し上げられ、手取りの給与は目減りしていた。これ以上悪くなることは考えられないほどである。
 こうした経済の停滞が、レーガン減税案にとって追い風となったことはまちがいない。この法案は一九八一年八月にめでたく可決成立する。だがそのときですら、上院で指導的立場にあった共和党のハワード・ベーカーは大勢の議員の前で、大統領の財政計画はギャンブルのようなものだと言い放った(*3)。
 翌年、事態は一段と悪化し、ギャンブルは失敗したように見えた。景気は一向に上向かず、大恐慌以来の深刻な不況がしぶとく続く。株式市場では一九八二年の夏に、ダウ平均が七七七ドルという最低値を記録した(*4)。
 一九八二年春から夏にかけての失業率は、多くの州で一〇%の大台に達した。しかも職を失ったのは中間所得層が多く、一家の大黒柱の失業という事態が少なからぬ世帯を襲っている。大学を卒業した若者でさえ、ハンバーガーショップに働き口が見つかれば幸運と考えなければならなかった(*5)。倒産件数は、大恐慌中の一九三三年に記録された最高水準を突破。一九八一年半ばから八二年夏にかけての不動産市場の落ち込みは激しく、新築住宅の販売戸数は、一年足らずの間に一〇%も減少した(*6)。

(中略)

 レーガンの側近ですら自信を失い、政策を転換して増税しようと言い出すようになる。かつてはレーガン政権きってのサプライサイダーで、行政管理予算局長官を務めていたデービッド・ストックマンでさえ。ストックマンはジャーナリストのウィリアム・グレイダー(ベストセラーになった『アメリカ民主主義の裏切り――誰が民衆に語るのか』(邦訳青土社刊)の著者でもある)に向かって、財政赤字は増える一方でコントロール不能だ、減税の規模は大きすぎる、ホワイトハウスにいる連中は、津波のように押し寄せる赤字に対処する術を知らないとこぼしたという。そして、彼らのやっていることはすべて「宗教まがいの信念に基づいているだけ」と発言した、とザ・アトランティック誌に書かれた(*7)。有望な若手筆頭と目されていたストックマンが、レーガンを裸の王様だと告発したのである。新政権の体面を大いに損なう失態だった。

(中略)

 レーガンは雄々しくもこうした雑音をすべてシャットアウトし、国民には「われわれは正しい軌道に乗っている」と言い続けた。だがボブ・ドールやストックマンに加えて首席補佐官のジェームズ・ベイカーまで増税を強く奨めたため、ついに根負けした大統領は、一九八二年に増税に同意する。これで、一九八一年の減税に含まれていた法人税の優遇措置の一部がなくなってしまった。のちになってレーガンは、だまされたと言っている。今後議会は財政規律を守るとの約束と引き替えに増税を呑まされた、というのが真相らしい。一ドルの減税につき三ドルの政府支出削減を行うとの約束だった。以後、財政赤字圧縮の目的で新たな税金が提案されるたびに、レーガンはきっぱりとこう言って議論を打ち切っている。「議会が約束した三ドルの支出削減を、私はいまだに待ち続けている」(*11)
 一九八一年のレーガン減税が成立した直後に、ラッファーは大統領に次のように警告した。「減税のペースが遅いのは重大な誤りです。これでは景気回復は遅れるでしょう」。と言うのも、減税の大半は一九八三年まで実施されないことになっていたからである。「たとえば買い物をするとき、その店が翌日セールをするとわかっていたら、今日は買わないでおくでしょう」。レーガンの当初の減税案では、所得税の二〇%引き下げは就任初年度に行われることになっていた。しかし法制化されたときには、一九八一年の引き下げ幅は一・二五%にとどまり、翌八二年に一〇%という具合に修正されている(*12)。これでは、景気がすぐに回復しないのは明らかだった。
 一九八三年一月、ウォールストリート・ジャーナル紙の冒頭ページに大見出しが踊る。「待ちに待った減税」(*13)。それでもレーガン批判派は、サプライサイド経済学は失敗だったと言い続けた。プリンストン大学教授のアラン・ブラインダー(のちにクリントン政権で大統領経済諮問委員会の委員を務めた)は、ニューヨーク・タイムズ紙に、さもうれしそうにこう書いている。「失敗に終わったサプライサイド経済学実験は、経済学者には到底できないような方法で、ケインズ経済学に対する信頼を回復してくれた」(*14)。レスター・サローは「経済成長のエンジンは世界中で回転を止めた。この状態がこの先何年も続くだろう」と述べ(*15)、ワシントン・ポスト紙は「白日の下にさらされたレーガノミクスの失敗」と書き立てた。だが批判派がサプライサイド経済学を葬り去ろうとしているまさにそのときに、アメリカ経済は息を吹き返したのである。それも、おそらくはレーガンでさえ思いもよらなかったような爆発的な勢いで(*16)。
 一九八三年の経済成長率は三・五%、そして翌八四年には驚異の六・八%に達する(いずれもインフレ調整済み)。六・八%というのは、過去五〇年間で最高の数字だった。しかもインフレ率は三分の一に下がっている(*17)。レーガンはこの年の一〇月に、いつもながらのウィットを効かせてこう言ったものだ。「みんながレーガノミクスを褒めそやすのをやめれば、きっとうまくいくとわかっていたよ」(*18)
 だがそれまでの深刻な景気後退に加え、軍事支出の大幅増加により、財政赤字は想像を絶する規模に膨らんでいった。あれよあれよという間に一〇〇〇億ドルを超え、二〇〇〇億ドルに達したのである。

(中略)

 一九八〇年代を通じて財政赤字が急拡大したため、レーガノミクス批判派は、財政赤字が金利を押し上げると言い続けた。だがそうはならなかった。財政赤字は予想されたほどの打撃を与えなかったと認めた学者はごく少なかったが、その一人が著名な経済史家のロバート・ハイルブローナーである。一九八八年にハイルブローナーは「私が赤字を愛する理由」と題する一文をニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した。「一九八二年に財政赤字が初めて一〇〇〇億ドルを突破したとき(この年の赤字は一二〇〇億ドルに達した)、高格付け社債の利回りは一三・七九%だった。八七年末には、五年分の財政赤字が一兆ドルに達していたが、利回りは九・三八%に下がっていた。クラウディングアウト(財政支出の増大が民間投資を圧迫する現象)などという言葉は聞きたくもない」(*37)
 さすがハイルブローナー先生。私たちではこううまくは書けない。


 レーガン減税によってアメリカ経済は劇的な回復を遂げた。しかしその効果が現れるまで猛烈な批判にさらされ続けた、と書かれています。



 上記引用文中、
プリンストン大学教授のアラン・ブラインダー(のちにクリントン政権で大統領経済諮問委員会の委員を務めた)は、ニューヨーク・タイムズ紙に、さもうれしそうにこう書いている。「失敗に終わったサプライサイド経済学実験は、経済学者には到底できないような方法で、ケインズ経済学に対する信頼を回復してくれた」
という部分が象徴しているように、

   「景気対策 = 公共事業(ケインズ政策)」

という、ある種の公式があります。

 しかし、レーガンが行ったのは「減税」であり、それが成功したことがわかります。



 景気対策として公共事業を行うなら「増税」か「国債発行(借金)」ということになりますが、

 景気対策として「減税」を行うなら、増税も国債発行も必要ありません。

 ちがいはどこにあるのか、といえばもちろん、「国が」事業を行うか、「民間が」事業を行うか、です。一般に、民間のほうが効率がよいとされていることを考えれば、景気対策として公共事業、というケインズ政策は「好ましくない」ということになります。景気対策としては、減税を行って民間に任せるのが最善である、ということになります。



 もちろん「減税」を行えば、税収は減ります。しかし長い目でみれば、景気が回復し、かえって税収は増える、というのがサプライサイド経済学の主張です。

 税収が増えるまでの期間、財政赤字は増えることになりますが、上記引用の最終部分、
 一九八〇年代を通じて財政赤字が急拡大したため、レーガノミクス批判派は、財政赤字が金利を押し上げると言い続けた。だがそうはならなかった。財政赤字は予想されたほどの打撃を与えなかったと認めた学者はごく少なかったが、その一人が著名な経済史家のロバート・ハイルブローナーである。一九八八年にハイルブローナーは「私が赤字を愛する理由」と題する一文をニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した。「一九八二年に財政赤字が初めて一〇〇〇億ドルを突破したとき(この年の赤字は一二〇〇億ドルに達した)、高格付け社債の利回りは一三・七九%だった。八七年末には、五年分の財政赤字が一兆ドルに達していたが、利回りは九・三八%に下がっていた。クラウディングアウト(財政支出の増大が民間投資を圧迫する現象)などという言葉は聞きたくもない」
にあるように、

   財政赤字が急増したにもかかわらず、
   金利が上がるどころか、かえって下がっている

ということがわかります。

 したがって、金利が下がったのは「なぜなのか」という疑問は当然、浮かんできます。しかし「景気対策と減税」から話がそれるので、ここでは省略します。



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