言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

宜野湾市長の主張もおかしい (普天間基地移設問題)

2011-04-19 | 日記
YOMIURI ONLINE」の「「解決まで普天間使用を継続」米軍司令官」( 2011年4月7日12時39分 )

 【ワシントン=小川聡】ウィラード米太平洋軍司令官は6日午前(日本時間同日深夜)、下院軍事委の公聴会に出席した。

 同時に提出した書面証言の中で同司令官は沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題について、「進展がないことには失望しているが、そのことが太平洋軍の即応能力を損なうことはない。米軍は、日米両国にとって受け入れ可能な解決策を見つけるために日本と協議する間、現存する普天間飛行場での活動を継続するつもりだ」と述べた。

 東日本大震災で、移設問題を巡る日本政府と沖縄県の協議が中断し、早期の進展が望めない状況になっていることを踏まえ、当面は普天間飛行場を継続使用することを示唆したものだ。


 ウィラード米太平洋軍司令官は、普天間移設問題に「進展がないことには失望している」と述べ、解決策が見つかるまで「現存する普天間飛行場での活動を継続するつもりだ」と述べた、と報じられています。



時事ドットコム」の「普天間、決着まで継続使用=難航に「失望」-米司令官」( 2011/04/07-00:08 )

 【ワシントン時事】ウィラード米太平洋軍司令官は6日、下院軍事委員会に提出した書面で、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題の難航に関し、日米間で決着するまで「米軍は現在の施設を使って部隊運用を続ける」と表明、代替施設の完成まで現飛行場を継続使用する考えを示した。
 移設問題が目に見える進展を欠いていることについては「失望している」と強調。一方で、こうした現状は「太平洋軍が担当地域での即応力を維持し、日本防衛の義務を果たすことを阻害しない」と指摘した。


 ウィラード米太平洋軍司令官によれば、米軍の継続使用は「日本防衛の義務を果たす」ためである、と報じられています。



 つまり米軍は「日本を守るため」に普天間飛行場を継続使用する、と言っています。

 米軍は今回の福島第一原発事故に際しても、日本のために「トモダチ作戦」を実行してくれています。米軍には、「日本を守る」意志があるのは間違いないと思います。

 ところが、



YOMIURI ONLINE」の「普天間の早期閉鎖を…返還合意15年で市長訴え」( 2011年4月12日20時02分 )

 米軍普天間飛行場の全面返還を決めた1996年の日米合意から15年を迎えた12日、同飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の安里猛市長が記者会見し、「市民は騒音と墜落の危険に脅かされ続けている」として早期の閉鎖・返還を改めて訴えた。

 安里市長は、返還が実現しない理由について、「(県民世論に反し)県内に代替施設を造ろうとしているため」と指摘し、同県名護市辺野古への移設を決めた日米合意の見直しを求めた。

 また、米太平洋軍司令官が6日に米議会で移設実現まで継続使用すると発言したことについては、「脅しに乗ってはいけない」と反論。東日本大震災の復旧支援に際し米軍側が沖縄駐留の重要性を強調したことには、「普天間がなくても、米軍の展開は可能」とした。


 普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の安里猛市長は記者会見で、米太平洋軍司令官が移設実現まで継続使用すると発言したことについて、「脅しに乗ってはいけない」と述べ、東日本大震災の復旧支援について「普天間がなくても、米軍の展開は可能」と述べた、と報じられています。



 米軍は「日本を守ろう」とし、「日本のために」活動してくれているにもかかわらず、

   なぜ、米軍の「脅し」だと受け取るのか、

それが不思議でなりません。私には、宜野湾市長の主張は「歪んでいる」のではないかと思われてなりません。



 この市長さんは、東日本大震災の復旧支援について、「普天間がなくても、米軍の展開は可能」だと述べておられます。つまり、宜野湾市長は「東日本大震災における米軍の活動を評価・肯定している」ということです。

 米軍の活動が「日本のため」であると評価・肯定しておきながら、同時に、米軍が沖縄を(=日本を)「脅している」と判断する。私には、この市長さんの思考・判断が不思議でなりません。



 そもそも、

   米軍には「日本のために活動してほしい」が、
       「沖縄にはいてほしくない」

という主張が「多少、身勝手な感がある」ことは否めません。

 もちろん基地を「沖縄にばかり押し付けるな」という気持ちは、私にもわかります。しかし、(私に) どうしてもわからないのは、

   宜野湾市長の任務・職責は、
   宜野湾市民の利益を代弁し、守ること

であるにもかかわらず、なぜ、宜野湾市長が
返還が実現しない理由について、「(県民世論に反し)県内に代替施設を造ろうとしているため」と指摘し、同県名護市辺野古への移設を決めた日米合意の見直しを求め
るのか、です。

 繰り返しますが、宜野湾市長の任務・職責は、「宜野湾市民の利益を代弁し、守ること」であって、「沖縄県民の利益を代弁し、守ること」ではありません。それにもかかわらず、なぜ、宜野湾市長が「みずからの権限を超えて」沖縄県全体の利益を代弁し、守ろうとするのでしょうか。これは宜野湾市長による「越権行為」ではないでしょうか。



 宜野湾市長みずからが述べているように、

   「県内に代替施設を造る」ということでよければ、
   ただちに普天間移設問題は解決する

わけです。とするならば、

   「宜野湾市民の利益を代弁し、守ること」を
     その任務・職責とする宜野湾市長が

   沖縄県外への移設に「固執する」ことは、
           宜野湾市民の利益に反する

わけです。とすれば、宜野湾市長は (みずからの立場を超えて県知事の立場で主張しているという)「越権行為」を行っていると同時に、(宜野湾市民の利益・立場を守るという宜野湾市長としての)「職務怠慢」である、ということになります。



 「普天間問題の根本的原因」を考えれば、あまり強く宜野湾市長を批判すべきではないのかもしれませんが、

 宜野湾市長が、市長としての任務・職責を果たそうとしていないことも、間違いないのではないでしょうか。

 とすれば、やはり宜野湾市長の発言は、批判されてもやむを得ないのではないかと思います。



■関連記事
 「沖縄県知事選の結果と、普天間移設問題の見通し
 「那覇市長の主張はおかしい (普天間基地移設問題)

「中国を特別扱いするな、台湾を特別扱いしろ」という「偏った」主張

2011-04-19 | 日記
J-CAST ニュース」の「菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由」( 2011/4/12 20:24 )

東日本大震災で、日本に対する海外からの支援に対して菅直人首相からの「謝意」が、海外主要紙に掲載された。英語やフランス語、中国語など5つの言語に訳されている。

日本向けに多額の義援金を集めた台湾の新聞は入っていなかったが、「別の形」で感謝を表した。だがそこには、中国への配慮も見え隠れする。

★「義援金の金額で広告掲載決めたわけではない」

震災から1か月の2011年4月11日、各国の主要紙には菅首相のメッセージ広告が掲載された。外務省によると、国際英字紙「インターナショナル・ヘラルドトリビューン」をはじめ米紙ウォールストリートジャーナル、英紙フィナンシャル・タイムズ、韓国の朝鮮日報、中国共産党機関紙の人民日報など7紙。有料広告の扱いだが、その後シンガポールやベトナム、ミャンマーから「無料でも掲載したい」との申し出があったという。

いずれも「絆に感謝します(Thank you for the Kizuna.)と英文のタイトルが付けられ、各国の言語で謝意が続く。地震と津波で甚大な損害を被った地域で「海外の皆さんの助けが私たちを勇気づけてくれました」と感謝。日本に来て災害援助活動に携わった人々にも「一杯のスープが、一杯の毛布が、冷えた心と体を温めてくれました」と称え、「私は復興へ全力を尽くしてまいります」と決意を示して締めくくっている。最後は首相直筆の署名が入り、その下には「まさかの友は真の友」と添えられた。

外務省に聞くと、広告を載せた7紙を選ぶにあたっては「その国の規模や、近隣地域の影響を考えた」という。「広告効果」を最大限高めることをねらったのだろうか。

中国や韓国といった東アジアの主要紙が選ばれるなか、台湾の新聞は「対象外」となった。日本と台湾は、1972年の日中国交正常化以降、正式な外交関係をもたない。それでも今回の震災で、台湾による日本支援の動きは活発だ。台湾の「駐日大使館」の機能を果たしている「台北駐日経済文化代表処」によると、4月8日までに台湾の民間団体が集めた日本への義援金の合計は約101億1000万円に上っている。12日までには130億円に達したとの報道もある。各国の義援金を見ると、3月末の時点で赤十字を中心に米国は約90億円、韓国は約16億円、中国は約3億4000万円との話もある。どこまで正確な数字かは微妙だが、これを見る限りでは台湾の義援金の額がいかに大きいかが分かる。このことを外務省にぶつけてみたが、「義援金の金額で(首相メッセージの)広告を掲載する新聞を決めたわけではありません」とそっけなかった。

(中略)

中国との関係を考えて、感謝のコメントにも「特別の配慮」を見せたのかもしれない。


 東日本大震災に伴い、海外から支援がなされたことに対する感謝の気持ちを示した公告が海外主要紙に掲載された。しかし、「義援金の金額が多い」台湾の新聞には感謝の公告が掲載されていない、と報じられています。



 記者は、
中国との関係を考えて、感謝のコメントにも「特別の配慮」を見せたのかもしれない。
と記事を締めくくり、感謝のコメントに「特別の配慮」をすることは「いけない」と暗に主張しています。

 しかし、以下に述べるように、この記者の主張は、説得力に乏しいと考えられます。なぜなら、この記者は、「中国を特別扱いするのはおかしい」と主張しつつも、「台湾を特別扱いしろ」という「偏った」主張をしているからです。



 台湾が中国の一部なのか、それとも中国の一部ではないのか、それは難しい問題ですが、

 すくなくとも、台湾は国家ではありません。現在の世界で、台湾は国家である、と認めている国は、ほとんどありません。「国家」ではない台湾に対して、感謝の公告を掲載すべきかは、微妙な問題だと思います。

 そもそも、記者が問題にすべきは、「台湾の新聞」に感謝の公告が掲載されなかったことではなく、「シンガポールやベトナム、ミャンマーなどの新聞」に、感謝の公告が掲載されなかったことではないでしょうか。なぜなら、

   なぜ、一部の国にのみ感謝の公告を掲載し、
   なぜ、ほかの国には感謝の公告を掲載しないのか ……(a)

という主張には、「強い説得力」がありますが、「シンガポールやベトナム、ミャンマーなど」については無視したうえで、

   なぜ、一部の国にのみ感謝の公告を掲載し、
   なぜ、(国とはいえない) 台湾には
          感謝の公告を掲載しないのか …………(b)

とする主張には、「説得力が乏しい」と考えられるからです。



 したがって、

   (a) ではなく、(b) という「弱い主張」を、
     「あえて」主張している記者は、ズレている

と考えられます。おそらく、上記記事を書いた記者は、「反中・親台湾」なのでしょう。

 べつに、記者が「反中・親台湾」であってもかまいませんが、上記 J-CAST ニュースの記事が「客観性・公平性に乏しい」ことは、たしかだと思います。



 ところで、この J-CAST ニュースの「偏った」主張に影響されたのか、次のような動きがみられるようです。



J-CAST ニュース」の「「台湾に義援金お礼広告出したい」 デザイナーの呼び掛けに賛同者多数」( 2011/4/13 19:10 )

「台湾に義援金のお礼の広告を出したい」。あるデザイナーのインターネットでの呼び掛けが注目を集めている。政府は海外7紙に、支援に対する感謝広告を出したが、台湾の新聞には掲載されなかった。その代わりという意味も込められているらしい。




 不思議なのは、
なぜ、「シンガポールやベトナム、ミャンマーなどの新聞」に、感謝の広告を掲載しようという動きはみられず、なぜ、「台湾の新聞だけ」に感謝の広告を掲載しようという動きがみられるのか
です。

   支援していただいた以上、お礼をするのは礼儀である

といった主張とともに、「台湾の新聞」に感謝の広告を掲載しようとしているようですが、それならなぜ、「シンガポールやベトナム、ミャンマーなどの新聞にも」感謝の広告を掲載しようと主張しないのでしょうか。「台湾の新聞だけ」に、感謝の広告を掲載しようとするのは、「公平ではない」と考えられます。



 これはつまり、

   支援していただいた以上、お礼をするのは礼儀である
     という「道理」に従って、
    「台湾の新聞」に感謝の広告を掲載しようとしている

のではなく、本当は、

   台湾が好きだから
     という「個人的感情」によって、
    「台湾の新聞」に感謝の広告を掲載しようとしている

ということにほかなりません。

 民間レベルであれば、「個人的感情」によって「台湾の新聞だけ」に感謝の広告を掲載することも「認められる」とは思いますが、それはすなわち、

   台湾以外の人々に対して、
     きわめて非礼な行為である

ということも、忘れてはなりません。「台湾の新聞だけ」に広告を掲載しようとしている人々は、「台湾を特別扱いする」と主張し、行動していることになるからです。



 なお、最初に引用した報道、

菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由

のコメント欄には、「台湾人」と名乗る次のような書き込みがあります。引用します。

026台湾人です 2011/4/17 00:19

僕は日本に住んでる台湾人です。地震が起こった日のよるにテレビを見ながら涙がこぼれました。日本が大好きだから、まるで地震が自分の国で起こったように悲しく思ってます。翌日にすぐ寄付しました。台湾に住んでる家族も友達もみんななにも考えずに寄付しま
した。みんな別に寄付金が多いから偉いとは思わない
です。単純に日本を手伝いたいわけです。なのに、日本政府は中国のクレームを遠慮するために台湾人の心
を傷ついたんです。もし、日本は台湾を手伝って、そして、台湾政府が韓国にありがとうって言ったら、日本の皆さんどう思います?日本政府はこんなことをやって、ニュースを見た台湾人はまぁーしょうがないを言いながら募金活動をやり続けます。日本の皆さんはこんな優しい台湾人がいることが知ってます?正直で日本政府のやりかたにがっかりしました!今日は
皆さんのコメントを見て嬉しいです。皆さんは
バカな政府と違います!


 日本に親近感をもったり、寄付したりしてくださるのはありがたいですし、感謝しますが、

   日本人ではない「台湾人」が、
   日本の政府を「バカな政府」というのは、非常識

だと思います。外国人が、日本国民の代表である日本政府を「バカな政府」などというのは、「非礼きわまる行為」です。

 この台湾人は、自分(たち)のことを「こんな優しい台湾人」と書いていますが、他国の政府を馬鹿にしておいて、「こんな優しい台湾人」はないだろう、と思います。この台湾人は、(おそらく)「自分が何を言っているのか、わかっていない」のでしょう。



 台湾人は「比較的親日」だといわれていますが、「本当に親日なら、日本政府(日本人の代表)を馬鹿にしない」はずです。台湾人は本当に親日なのか、考えてみる必要があるのではないかと思います。



■関連記事
 「台湾人の対日感情

レーガン減税

2011-04-19 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.116 )

 一九八〇年代前半まで、サプライサイド経済学は共和党からも民主党からも攻撃されていた。レーガンは、自分の新しい経済政策を議会と学界の頭の固い連中に説明するのに、ひどく苦労したものである。なにしろほぼ全員が、そんな政策は無益だと決めてかかっていた。だが一つだけ、レーガンに明らかに有利な点があった。前任者がアメリカ経済を悲惨な状況に追いやった結果、国民はそれまでとは全然ちがう新しい経済政策を試したい気分になっていたことである。一九八〇年のインフレ率は二桁に達していた。住宅ローン金利は二一%というすさまじい高率で、住宅産業は壊滅寸前である(*2)。インフレに伴う中間所得層のブラケット・クリープにより、多くのアメリカ人が高い所得階層区分に押し上げられ、手取りの給与は目減りしていた。これ以上悪くなることは考えられないほどである。
 こうした経済の停滞が、レーガン減税案にとって追い風となったことはまちがいない。この法案は一九八一年八月にめでたく可決成立する。だがそのときですら、上院で指導的立場にあった共和党のハワード・ベーカーは大勢の議員の前で、大統領の財政計画はギャンブルのようなものだと言い放った(*3)。
 翌年、事態は一段と悪化し、ギャンブルは失敗したように見えた。景気は一向に上向かず、大恐慌以来の深刻な不況がしぶとく続く。株式市場では一九八二年の夏に、ダウ平均が七七七ドルという最低値を記録した(*4)。
 一九八二年春から夏にかけての失業率は、多くの州で一〇%の大台に達した。しかも職を失ったのは中間所得層が多く、一家の大黒柱の失業という事態が少なからぬ世帯を襲っている。大学を卒業した若者でさえ、ハンバーガーショップに働き口が見つかれば幸運と考えなければならなかった(*5)。倒産件数は、大恐慌中の一九三三年に記録された最高水準を突破。一九八一年半ばから八二年夏にかけての不動産市場の落ち込みは激しく、新築住宅の販売戸数は、一年足らずの間に一〇%も減少した(*6)。

(中略)

 レーガンの側近ですら自信を失い、政策を転換して増税しようと言い出すようになる。かつてはレーガン政権きってのサプライサイダーで、行政管理予算局長官を務めていたデービッド・ストックマンでさえ。ストックマンはジャーナリストのウィリアム・グレイダー(ベストセラーになった『アメリカ民主主義の裏切り――誰が民衆に語るのか』(邦訳青土社刊)の著者でもある)に向かって、財政赤字は増える一方でコントロール不能だ、減税の規模は大きすぎる、ホワイトハウスにいる連中は、津波のように押し寄せる赤字に対処する術を知らないとこぼしたという。そして、彼らのやっていることはすべて「宗教まがいの信念に基づいているだけ」と発言した、とザ・アトランティック誌に書かれた(*7)。有望な若手筆頭と目されていたストックマンが、レーガンを裸の王様だと告発したのである。新政権の体面を大いに損なう失態だった。

(中略)

 レーガンは雄々しくもこうした雑音をすべてシャットアウトし、国民には「われわれは正しい軌道に乗っている」と言い続けた。だがボブ・ドールやストックマンに加えて首席補佐官のジェームズ・ベイカーまで増税を強く奨めたため、ついに根負けした大統領は、一九八二年に増税に同意する。これで、一九八一年の減税に含まれていた法人税の優遇措置の一部がなくなってしまった。のちになってレーガンは、だまされたと言っている。今後議会は財政規律を守るとの約束と引き替えに増税を呑まされた、というのが真相らしい。一ドルの減税につき三ドルの政府支出削減を行うとの約束だった。以後、財政赤字圧縮の目的で新たな税金が提案されるたびに、レーガンはきっぱりとこう言って議論を打ち切っている。「議会が約束した三ドルの支出削減を、私はいまだに待ち続けている」(*11)
 一九八一年のレーガン減税が成立した直後に、ラッファーは大統領に次のように警告した。「減税のペースが遅いのは重大な誤りです。これでは景気回復は遅れるでしょう」。と言うのも、減税の大半は一九八三年まで実施されないことになっていたからである。「たとえば買い物をするとき、その店が翌日セールをするとわかっていたら、今日は買わないでおくでしょう」。レーガンの当初の減税案では、所得税の二〇%引き下げは就任初年度に行われることになっていた。しかし法制化されたときには、一九八一年の引き下げ幅は一・二五%にとどまり、翌八二年に一〇%という具合に修正されている(*12)。これでは、景気がすぐに回復しないのは明らかだった。
 一九八三年一月、ウォールストリート・ジャーナル紙の冒頭ページに大見出しが踊る。「待ちに待った減税」(*13)。それでもレーガン批判派は、サプライサイド経済学は失敗だったと言い続けた。プリンストン大学教授のアラン・ブラインダー(のちにクリントン政権で大統領経済諮問委員会の委員を務めた)は、ニューヨーク・タイムズ紙に、さもうれしそうにこう書いている。「失敗に終わったサプライサイド経済学実験は、経済学者には到底できないような方法で、ケインズ経済学に対する信頼を回復してくれた」(*14)。レスター・サローは「経済成長のエンジンは世界中で回転を止めた。この状態がこの先何年も続くだろう」と述べ(*15)、ワシントン・ポスト紙は「白日の下にさらされたレーガノミクスの失敗」と書き立てた。だが批判派がサプライサイド経済学を葬り去ろうとしているまさにそのときに、アメリカ経済は息を吹き返したのである。それも、おそらくはレーガンでさえ思いもよらなかったような爆発的な勢いで(*16)。
 一九八三年の経済成長率は三・五%、そして翌八四年には驚異の六・八%に達する(いずれもインフレ調整済み)。六・八%というのは、過去五〇年間で最高の数字だった。しかもインフレ率は三分の一に下がっている(*17)。レーガンはこの年の一〇月に、いつもながらのウィットを効かせてこう言ったものだ。「みんながレーガノミクスを褒めそやすのをやめれば、きっとうまくいくとわかっていたよ」(*18)
 だがそれまでの深刻な景気後退に加え、軍事支出の大幅増加により、財政赤字は想像を絶する規模に膨らんでいった。あれよあれよという間に一〇〇〇億ドルを超え、二〇〇〇億ドルに達したのである。

(中略)

 一九八〇年代を通じて財政赤字が急拡大したため、レーガノミクス批判派は、財政赤字が金利を押し上げると言い続けた。だがそうはならなかった。財政赤字は予想されたほどの打撃を与えなかったと認めた学者はごく少なかったが、その一人が著名な経済史家のロバート・ハイルブローナーである。一九八八年にハイルブローナーは「私が赤字を愛する理由」と題する一文をニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した。「一九八二年に財政赤字が初めて一〇〇〇億ドルを突破したとき(この年の赤字は一二〇〇億ドルに達した)、高格付け社債の利回りは一三・七九%だった。八七年末には、五年分の財政赤字が一兆ドルに達していたが、利回りは九・三八%に下がっていた。クラウディングアウト(財政支出の増大が民間投資を圧迫する現象)などという言葉は聞きたくもない」(*37)
 さすがハイルブローナー先生。私たちではこううまくは書けない。


 レーガン減税によってアメリカ経済は劇的な回復を遂げた。しかしその効果が現れるまで猛烈な批判にさらされ続けた、と書かれています。



 上記引用文中、
プリンストン大学教授のアラン・ブラインダー(のちにクリントン政権で大統領経済諮問委員会の委員を務めた)は、ニューヨーク・タイムズ紙に、さもうれしそうにこう書いている。「失敗に終わったサプライサイド経済学実験は、経済学者には到底できないような方法で、ケインズ経済学に対する信頼を回復してくれた」
という部分が象徴しているように、

   「景気対策 = 公共事業(ケインズ政策)」

という、ある種の公式があります。

 しかし、レーガンが行ったのは「減税」であり、それが成功したことがわかります。



 景気対策として公共事業を行うなら「増税」か「国債発行(借金)」ということになりますが、

 景気対策として「減税」を行うなら、増税も国債発行も必要ありません。

 ちがいはどこにあるのか、といえばもちろん、「国が」事業を行うか、「民間が」事業を行うか、です。一般に、民間のほうが効率がよいとされていることを考えれば、景気対策として公共事業、というケインズ政策は「好ましくない」ということになります。景気対策としては、減税を行って民間に任せるのが最善である、ということになります。



 もちろん「減税」を行えば、税収は減ります。しかし長い目でみれば、景気が回復し、かえって税収は増える、というのがサプライサイド経済学の主張です。

 税収が増えるまでの期間、財政赤字は増えることになりますが、上記引用の最終部分、
 一九八〇年代を通じて財政赤字が急拡大したため、レーガノミクス批判派は、財政赤字が金利を押し上げると言い続けた。だがそうはならなかった。財政赤字は予想されたほどの打撃を与えなかったと認めた学者はごく少なかったが、その一人が著名な経済史家のロバート・ハイルブローナーである。一九八八年にハイルブローナーは「私が赤字を愛する理由」と題する一文をニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した。「一九八二年に財政赤字が初めて一〇〇〇億ドルを突破したとき(この年の赤字は一二〇〇億ドルに達した)、高格付け社債の利回りは一三・七九%だった。八七年末には、五年分の財政赤字が一兆ドルに達していたが、利回りは九・三八%に下がっていた。クラウディングアウト(財政支出の増大が民間投資を圧迫する現象)などという言葉は聞きたくもない」
にあるように、

   財政赤字が急増したにもかかわらず、
   金利が上がるどころか、かえって下がっている

ということがわかります。

 したがって、金利が下がったのは「なぜなのか」という疑問は当然、浮かんできます。しかし「景気対策と減税」から話がそれるので、ここでは省略します。



■関連記事
 「ラッファー・カーブ理論
 「減税が税収増をもたらした例