ときどきアクセスして、数日分まとめて読んでいるブログにコメントした際に、私の言いたいことがどうも相手に伝わっていないのではないか、と思ったので、こちらでもすこし説明することにします (「元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記」の「「割りに合わない」という対応」) 。
弁護士増員に反対している人々は、
私はこの論理には納得しかねます。その理由は、
では、弁護士を増員した場合には、どうなるでしょうか?
次のようになるはずです。
両者 (弁護士を増員する場合と、増員しない場合) を比較すると、次のような違いがあります。
一、価格
当然、弁護士の数が多いほうが価格は下がります。
もちろん、「ボランティア価格」で依頼できる「一部の例外的な人」を考えれば、多少、価格が高くなる可能性はあります。しかし、「適正価格」がどの程度になるかによっては、かならずしもそうとはいえません。増員前の「ボランティア価格」が、増員後の「適正価格」と同じ価格になるかもしれませんし、逆に、増員後の「適正価格」のほうが安くなるかもしれません。
従来の「ボランティア価格」と、今後の「適正価格」、どちらが高いか安いかは自然に決まる(需要と供給によって決まる)のでわかりませんが、どちらであれ、従来「通常価格」だった大多数の場合については、弁護士の数が多いほうが価格が下がる、といえます。
したがって結論としては、弁護士の数が多いほうが価格が下がる、と考えてよいと思います。
二、弁護士の助力を得られる人々の数
弁護士の数が増えれば、価格は下がります。弁護士料金が下がれば、いままで弁護士が「割に合わない=報酬が少なすぎる」として受任しようとしなかった事件も、弁護士にとって「割に合う=適正な報酬である」事件になり、受任する弁護士は増えます。
したがって、「ボランティア価格」によって弁護士が「選択的に」事件を引き受ける場合に比べ、より多くの国民が、弁護士の助力を得られることになります。つまり、弁護士を増員したほうが、弁護士の助力を得られる人々の数は増えます。
なお、かりに価格が変わらなかった場合を考えてみても、「利益率の高い」仕事の数には限りがありますから、
したがって、弁護士料金が下がっても下がらなくても、弁護士の数を増やしたほうが、弁護士の助力を得られる人々の数は増えることになります。
三、依頼者と弁護士の間の関係
弁護士が「ボランティア価格」で「選択的に」事件を引き受ける場合、どうしても弁護士の側は「特別に引き受けてやっている」という意識になりがちです。このような状況は、依頼しようとする人々にとって「好ましい」でしょうか?
弁護士増員の結果、価格が下がって「適正価格で」事件を依頼する場合には、このような「いびつな関係」は発生しません。
つまり、弁護士を増員したほうが、依頼者と弁護士の関係が「適切な」ものになりやすい、といえます。
以上のとおり、弁護士を増員する場合としない場合、両者を比較したところ、ほとんどの人々(いわゆる大衆)にとっては、弁護士の数が増えたほうがよい、という結論になります。
ところで、上記、私のような見解に対しては、弁護士の数が増えて「適正価格」が下がっても、その「適正価格」を払えない人がいる、という批判が考えられます。
しかし、
したがって、弁護士を増員したほうが、市民(国民)にとって利益になる、という結論になります。
弁護士増員に反対している人々は、
- 弁護士のなかには、大衆のために「ボランティア価格」で仕事を引き受けている弁護士がいる
- 弁護士を増員すれば、「ボランティア価格」で受任してくれる弁護士がいなくなる
- したがって増員は大衆の利益にならない
私はこの論理には納得しかねます。その理由は、
「ボランティア価格」で受任するかしないか、弁護士によって「恣意的に」選択されるなら、弁護士の助力を得られない者が「必然的に」現れる。受任してもらえない者のほうが多いはずである。という点にあります。
では、弁護士を増員した場合には、どうなるでしょうか?
次のようになるはずです。
- 大衆のために「ボランティア価格」で仕事を引き受ける弁護士はいなくなるかもしれない。
- しかし、弁護士間の競争によって、「価格」(=弁護士に支払う報酬) が下がる。
- したがって「小さな事件」も弁護士にとって「割に合う」ことになり、弁護士に依頼しやすくなる。
両者 (弁護士を増員する場合と、増員しない場合) を比較すると、次のような違いがあります。
一、価格
当然、弁護士の数が多いほうが価格は下がります。
もちろん、「ボランティア価格」で依頼できる「一部の例外的な人」を考えれば、多少、価格が高くなる可能性はあります。しかし、「適正価格」がどの程度になるかによっては、かならずしもそうとはいえません。増員前の「ボランティア価格」が、増員後の「適正価格」と同じ価格になるかもしれませんし、逆に、増員後の「適正価格」のほうが安くなるかもしれません。
従来の「ボランティア価格」と、今後の「適正価格」、どちらが高いか安いかは自然に決まる(需要と供給によって決まる)のでわかりませんが、どちらであれ、従来「通常価格」だった大多数の場合については、弁護士の数が多いほうが価格が下がる、といえます。
したがって結論としては、弁護士の数が多いほうが価格が下がる、と考えてよいと思います。
二、弁護士の助力を得られる人々の数
弁護士の数が増えれば、価格は下がります。弁護士料金が下がれば、いままで弁護士が「割に合わない=報酬が少なすぎる」として受任しようとしなかった事件も、弁護士にとって「割に合う=適正な報酬である」事件になり、受任する弁護士は増えます。
したがって、「ボランティア価格」によって弁護士が「選択的に」事件を引き受ける場合に比べ、より多くの国民が、弁護士の助力を得られることになります。つまり、弁護士を増員したほうが、弁護士の助力を得られる人々の数は増えます。
なお、かりに価格が変わらなかった場合を考えてみても、「利益率の高い」仕事の数には限りがありますから、
- 弁護士の数が少なく、弁護士が高額の報酬を得られる「利益率の高い」仕事を大量に抱えていて「忙しい」場合と、
- 弁護士の数が増えて、弁護士が高額の報酬を得られる「利益率の高い」仕事を抱えつつも、「時間に余裕がある」場合
したがって、弁護士料金が下がっても下がらなくても、弁護士の数を増やしたほうが、弁護士の助力を得られる人々の数は増えることになります。
三、依頼者と弁護士の間の関係
弁護士が「ボランティア価格」で「選択的に」事件を引き受ける場合、どうしても弁護士の側は「特別に引き受けてやっている」という意識になりがちです。このような状況は、依頼しようとする人々にとって「好ましい」でしょうか?
弁護士増員の結果、価格が下がって「適正価格で」事件を依頼する場合には、このような「いびつな関係」は発生しません。
つまり、弁護士を増員したほうが、依頼者と弁護士の関係が「適切な」ものになりやすい、といえます。
以上のとおり、弁護士を増員する場合としない場合、両者を比較したところ、ほとんどの人々(いわゆる大衆)にとっては、弁護士の数が増えたほうがよい、という結論になります。
ところで、上記、私のような見解に対しては、弁護士の数が増えて「適正価格」が下がっても、その「適正価格」を払えない人がいる、という批判が考えられます。
しかし、
- 弁護士の数が少ない場合にも、弁護士に「ボランティア価格」で引き受けてもらえない人々は存在する
- 上で比較したとおり、弁護士の数が多いほうが弁護士に事件を依頼できる人の数は多くなる
- 「適正価格」すら払えない場合については、(たとえば国がいったん費用を立て替えて分割払いにするなど) 制度的に対応すればそれでよいし、それが適切である
したがって、弁護士を増員したほうが、市民(国民)にとって利益になる、という結論になります。