言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

「増税なき復興」の具体策

2011-09-30 | 日記
産経ニュース」の「東日本大震災 国会は「増税なき復興」を まず公務員人件費削減せよ」( 2011.9.30 02:47 )

 野田佳彦政権は東日本大震災の復興財源に充てる臨時増税案をまとめ、自民、公明両党に3党協議を提案したが、国会が今、取り組むべきは「増税なき復興」の具体策作りである。

 提示されている増税総額11兆2千億円は、27日発表された9兆2千億円を修正したものだが、「腰だめ」の数字といわざるを得ない。しかも国民に厳しい負担を強いる一方、政府・与党の歳出削減努力は極めて不十分だ。凍結したはずの新たな国家公務員宿舎の建設再開や国会議員の定数削減の放置など枚挙にいとまがない。

 ≪議員の定数減は放置≫

 さらに、増税はデフレから抜け出せない日本経済に決定的な打撃を与えかねない。国会議員の中にも増税への強い異論があるのは、日本を衰退させることへの危機感によるものだろう。

 臨時国会は30日閉会されるが、与野党は増税ありきの方針を修正し、増税の前にやるべきことを実行してほしい。

 増税なき復興の具体策はどうなのか。

 27日の衆院予算委員会で興味深い質疑があった。みんなの党の江田憲司幹事長が民主党のマニフェスト(政権公約)を引用して「国家公務員の人件費2割カットで1兆円の財源を捻出するとの約束は実現するのか」と野田首相にただした。首相が「平成25年までに取り組む。旗は降ろしていない」と答えると、江田氏は「だったら、1兆円×10年で、10兆円の財源が増税せずとも捻出できるではないか」とたたみかけた。

 江田氏は安住淳財務相にもただしたが、回答は要領を得ないままだった。年間1兆円以上の歳出削減を生む国家公務員の人件費削減という自らの約束を果たそうとせずに、増税に走る姿勢は国民の理解を到底得られない。

 政府は公約の代わりに国家公務員給与を時限措置で約8%引き下げる法案を国会に提出したが、これでは合計でも6千億円しか捻出できない。また、人員削減に向けた中央省庁出先機関の地方移管も進んでいない。

 公務員人件費の削減を地方にも広げれば、さらに大きな歳出削減効果が見込める。肥大化する地方交付税の圧縮にもつながる。首相が強調する財政規律の維持や財政再建にも貢献するだろう。

 増税を前提にしてしまうと、国会議員や国家公務員の人件費削減など、自ら身を削ろうとする推進力は失われる。阪神大震災では増税せずに復興を果たした事実を思い起こす必要がある。今回も、これを達成する政治の決意を示すことを優先すべきである。

 幅広く財源を探す努力も問われる。国債整理基金特別会計の活用も検討課題だ。野党の中には10兆円の剰余金を使うことや一般会計からの定率繰り入れの停止を求める意見がある。

 ≪国債基金活用もある≫

 定率繰り入れ停止は、これまでにも財政事情が悪化した際などに何度も使われてきた手法だ。今年度予算に計上した20兆円余りの国債費のうち、元本償還に充てる約10兆円の繰り入れの一部を停止すれば復興費用に回せる。

 政府は復興債について、10年程度での短期償還を前提に臨時増税を打ち出してきた。だが、再建された道路や橋、港湾などのインフラは将来世代も広く利用できる。現役世代だけで返済する理由はない。自民党からも60年で償還する建設国債の利用を求める声が上がっている。再検討すべきだ。

 民主党は次の臨時国会の早期召集を野党に約束し、与野党協議再開を呼びかけているが、増税路線を改めずに額を調整する内容にとどまるなら、何も変わらない。

 6月には超党派議連の「増税によらない復興財源を求める会」が日銀による復興債買い取りなどを求める声明を発表した。デフレ脱却や成長戦略を重視する賛同者は民主、自民両党を中心に210人に達している。

 予算委で首相は「経済が良くなったときに増税するのでは、償還の道筋を明らかにしたことにならない」との立場を崩さなかった。復興費用がかさんだ場合の増税幅拡大についても「可能性はある」と答弁した。

 これが最高指導者の言葉だろうか。「歳出削減や税外収入でまかなえない分は国民に負担してもらう」という首相の説明も、詭弁(きべん)というしかない。


 「増税なき復興」の具体策が報じられています。



 上記報道のうち、次の記述が(とくに)興味深いと思います。
 27日の衆院予算委員会で興味深い質疑があった。みんなの党の江田憲司幹事長が民主党のマニフェスト(政権公約)を引用して「国家公務員の人件費2割カットで1兆円の財源を捻出するとの約束は実現するのか」と野田首相にただした。首相が「平成25年までに取り組む。旗は降ろしていない」と答えると、江田氏は「だったら、1兆円×10年で、10兆円の財源が増税せずとも捻出できるではないか」とたたみかけた。

 江田氏は安住淳財務相にもただしたが、回答は要領を得ないままだった。年間1兆円以上の歳出削減を生む国家公務員の人件費削減という自らの約束を果たそうとせずに、増税に走る姿勢は国民の理解を到底得られない。
 これによれば、民主党がマニフェストで主張していた公約「政治家、幹部職員などが率先し、国家公務員の総人件費を2割削減します。」を守るだけで増税なき復興が可能になるにもかかわらず、(野田政権は)それを推進しようとしていない、ということになります。

 ううむ…。 この指摘は鋭いですね。国家公務員の人件費2割削減が「適切」といえるのか(=削減しすぎではないか)という疑問はあるものの、野田首相自身が「平成25年までに取り組む。旗は降ろしていない」と答えたというのですから、「それならなぜ、ただちに実行しないのか」という話になりますね。。。

 また、
 政府は復興債について、10年程度での短期償還を前提に臨時増税を打ち出してきた。だが、再建された道路や橋、港湾などのインフラは将来世代も広く利用できる。現役世代だけで返済する理由はない。自民党からも60年で償還する建設国債の利用を求める声が上がっている。再検討すべきだ。
という主張も説得的です。



 「増税はやむを得ない」と政府は主張していますが、「増税なき復興」の道筋は、たくさんあるわけですね。。。

 私は
 6月には超党派議連の「増税によらない復興財源を求める会」が日銀による復興債買い取りなどを求める声明を発表した。デフレ脱却や成長戦略を重視する賛同者は民主、自民両党を中心に210人に達している。
という方法を想定していましたが、「増税なき復興」の方法が多数あるなら、「なぜ増税に固執するのか」が問題になると思います。
 予算委で首相は「経済が良くなったときに増税するのでは、償還の道筋を明らかにしたことにならない」との立場を崩さなかった。復興費用がかさんだ場合の増税幅拡大についても「可能性はある」と答弁した。
 ということであれば、私が「官僚にもインセンティブを!」で主張しているアイデアが実現する見込みはなさそうです。

 野田政権は実質、勝栄二郎(=財務省事務次官)政権である、という話がありますが、上記報道を読むかぎり、それは否定し難いように思われます。

石油の市況商品化

2011-09-29 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.39 )

萱野 繰り返しになりますが、途上国の交易条件が一九七〇年代以降よくなっていったことの背景には、資源国における資源ナショナリズムの勃興がありますよね。それまではセブン・シスターズとよばれる石油メジャーが、油田の開発権を独占し、国際カルテルをむすんで価格を仕切っていました。これによって先進国はひじょうに安いお金で原油を買うことができた。

水野 数量も自由ですね。

萱野 はい。好きなだけ採掘して都合のいい価格で販売していました。しかしその状況も、産油国に資源ナショナリズムが起こることで一変する。この資源ナショナリズムによって、多くの産油国では油田が国有化され、石油メジャーはそれらの地域での石油利権を失ってしまったからです。たとえばイラクでも一九七二年に、サダム・フセインのいたバース党政権のもとで石油が国有化されています。そんななか一九七三年にオイル・ショックが起こり、OPEC(石油輸出国機構)の発言力が一気に高まります。それ以降、石油の価格決定権はOPECの手に渡り、それが八〇年代前半まで続く。

水野 その価格決定権をアメリカが取り返そうとして一九八三年にできたのが、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)先物市場ですね。
 石油の先物市場をつくるということは、石油を金融商品化するということです。いったんOPECのもとへと政治的に移った価格決定権を、石油を金融商品化することで取り返そうとしたんですね。

萱野 まさにそうですね。
 六〇年代までは石油メジャーが油田の採掘も石油の価格も仕切っていた。これは要するに帝国主義の名残(なごり)ということです。世界資本主義の中心国が周辺部に植民地をつくり、土地を囲い込むことによって、資源や市場、労働力を手に入れる。こうした帝国主義の延長線上に石油メジャーによる支配があった。その支配のもとで先進国はずっと経済成長してきたわけです。
 しかし、こうした帝国主義の支配も、五〇年代、六〇年代における脱植民地化の運動や、それにつづく資源ナショナリズムの高揚で、しだいに崩れていきます。そして、石油についてもOPECが発言力や価格決定力をもつようになってしまう。当然、アメリカをはじめとする先進国側はそれに反撃をします。ポイントはそのやり方ですね。つまり石油を金融商品化して、国際石油市場を整備してしまう。それによって石油を戦略物資から市況商品に変えてしまうんです。

水野 その変化は何を意味しているのでしょうか?

萱野 OPECが価格決定権を獲得したのは、基本的には帝国主義時代の図式にのっとってでした。つまり、自らの領土や資源に対する主権を宗主国から奪いとるというかたちです。この意味で、OPECが価格決定権を獲得した時点では、石油はいまだ地政学的な枠組みのなかにありました。だからこそ、一九七三年の第四次中東戦争のときに、産油国は石油を政治的な武器につかおうとして、オイル・ショックが起こったわけです。これに対して、石油を金融商品化して国際石油市場を整備するということは、こうした地政学的な枠組みそのものを取っ払ってしまうということです。これ以降、石油はアメリカやロンドンの先物市場で価格が決定され、国際石油市場で自由に売買されるものとなる。領土主権のもとで戦略的に取引されるものではなくなっていくわけですね。

水野 驚くことに、アメリカのWTI先物市場にしても、ロンドンのICEフューチャーズ・ヨーロッパ(旧国際石油取引所)にしても、そこで取引されている石油の生産量は世界全体の一~二%ぐらいです。にもかかわらず、それが世界の原油価格を決めてしまうんですね。

萱野 そうなんですよね。世界全体の一日あたりの石油生産量は、二〇〇〇年代前半の時点でだいたい七五〇〇万バレルです。これに対して、ニューヨークやロンドンの先物市場で取引される一日あたりの生産量は、せいぜい一〇〇万バレルです。

水野 一・五%もありませんね。

萱野 ところが先物取引というのは相対取引で何度もやりとりしますから、取引量だけでみると一億バレル以上になる。その取引量によって国際的な価格決定をしてしまう。価格という点からみると、石油は完全に領土主権のもとから離れ、市場メカニズムのもとに置かれるようになったことがわかりますね。


 アメリカはWTI先物市場を整備することによって、石油から戦略性を奪い、市況商品化することでOPECに対抗した、と書かれています。



 著者らは、OPECから石油の「価格決定権をアメリカが取り返そうとして一九八三年にできたのが、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)先物市場です」と述べています。

 しかし、これはやや誇張がすぎるでしょう。これではアメリカが「自由に」先物の価格を決定しうるかのような印象を与えます。しかし、産油国も先物の売買に参加すれば価格は動きます。

 したがって、著者が最後に述べているように、「石油は完全に領土主権のもとから離れ、市場メカニズムのもとに置かれるようになった」といえばそれで十分だと思います。



 とはいえ、石油はつねに市場価格で取引されているわけではないようです。

 政治的な理由から、産油国が「一部の国」に対してのみ「特別価格」つまり「割安価格」で石油を供給している、という話があります。この話がどこまで本当なのか、私にはわかりませんが、これはありうる話だと思います。



 この話が本当であるとすれば、

   産油国の資源ナショナリズムに対し、
   先進国は先物市場を整備して対抗したが、

   産油国は「二重価格」で対抗している

ということになります。つまり、

   石油は依然として、戦略物資である

ということです。



 とはいえ、「すくなくとも先進国向けの石油については、市場メカニズムのもとに置かれるようになった」ということは、重要だと思います。



■関連記事
 「資源価格の上昇がもたらす交易条件の悪化
 「交易条件の悪化がもたらす所得の低下

官僚にもインセンティブを!

2011-09-27 | 日記
日本経済新聞」の「復興増税、住民税5年で調整・相続税は除外 民主税調 3次補正は12兆円規模に」( 2011/9/27 2:00 )

 民主党税制調査会(藤井裕久会長)は26日の総会で、東日本大震災からの復興財源に充てる臨時増税の役員会案を提示した。所得税と法人税、個人住民税、たばこ税を増税し、当初検討していた相続税は除外する。増税期間は所得税が2013年1月から10年間、法人税が12年4月から3年間、個人住民税が13年6月から5年間。総会では増税反対論が続出したため、27日に改めて協議する。

 一方、政府・与党は11年度第3次補正予算案の規模について、12兆円程度とする方向で調整に入った。政府案では震災復旧・復興費と円高対策などで11兆円程度とする方針だったが、民主党が上積みを求めていた。

 民主税調の役員会案によると、法人税は12年度から実効税率を5%引き下げたうえで3年間に限り減税幅の範囲内で増税する。たばこ税は12年10月から増税し、国税分は10年間、地方税分は5年間とする。ただ、たばこ増税の影響を受ける葉タバコ農家や小売業者に配慮する方針も示した。

 相続税増税も検討していたが「臨時増税の期間中に死亡した人の遺産だけ増税対象となるのは不公平」との意見を踏まえて見送った。

 藤井会長は総会で「復興は喫緊の課題だ。与党として一つの結論を出すことが大きな責任で、協力をお願いする」と強調。出席者からは「デフレ下での増税は官僚主導だ」などと反対論が噴出した。個別の税目や増税時期を巡る意見より、増税自体への反対論が相次いだ。

 藤井会長は26日の一任取りまとめを目指していたが、27日に改めて総会を開いて意見集約を目指す。


 民主党税制調査会(藤井裕久会長)が提示した臨時増税案 (役員会案) が報じられています。



 「所得税と法人税、個人住民税、たばこ税を増税し、当初検討していた相続税は除外する」ということなのですが、

 「法人税は12年度から実効税率を5%引き下げたうえで3年間に限り減税幅の範囲内で増税する」というのですから、要は、
個人「のみ」増税
ということになります。実際、上記報道には、たばこ税について、「たばこ増税の影響を受ける葉タバコ農家や小売業者に配慮する方針も示した」とあります。つまり、
喫煙者(=消費者)に配慮する気持ちはさらさらないが、葉タバコ農家や小売業者には配慮する
わけです。
民主党税制調査会の「個人(=消費者)には配慮しないが、業者には配慮する」という姿勢はいかがなものか
と思わざるを得ません。

 しかし、民主党も捨てたものではないようです。



毎日.jp」の「民主税調:「増税反対」一色 結論先送り、「税と社会保障」再現」( 2011年9月27日 東京朝刊 )

 民主党税制調査会(藤井裕久会長)が26日開いた総会は増税反対一色に染まり、東日本大震災からの復興財源を賄う臨時増税を巡る意見集約は27日以降に持ち越された。民主党は「税と社会保障の一体改革」の消費増税でも議論が難航し、増税時期などをあいまいにして決着した経緯がある。増税論議が難航して本格復興に向けた11年度第3次補正予算案の編成作業が遅れれば、震災の復旧・復興に影響を及ぼす可能性もある。

 「選挙区で企業や町工場、有権者の声を聞いている。税調幹部や財務省は誰の声を聞いているのか」「企業の生産拠点の海外流出を食い止めないといけない。デフレ下の増税は絶対反対だ」--。26日夕に始まった党税調の総会は、事前の役員会でまとめた「所得税・個人住民税と法人税、たばこ税を増税する」という案への反論が噴出、会合は予定していた1時間を大幅に超えて3時間強に及んだ。藤井会長は臨時増税を実施することで会長一任を取り付ける考えだったが、断念せざるを得なかった。

 民主党が野田政権で党税調を復活させたのは、党の権限を強化するとともに、増税などの痛みを伴う政策決定で党に責任感を持たせる狙いもあった。しかし、この日の総会は「税と社会保障の一体改革」の消費税増税論議の再現となり、反対論が続出。重鎮の藤井会長は所得税増税を1年間先送りするなど譲歩し、「責任与党」として増税の決断を促したが、「経済情勢の好転が条件だ」との反論にかき消された。

 民主党は政策調査会で、増税圧縮に向け、税外収入や歳出削減による財源調達を政府案の5兆円からさらに上積みできないか検討しており、増税に慎重な議員は日本郵政株売却などによる財源調達に期待する。しかし、五十嵐文彦副財務相は26日の会見で「5兆円から(の上積み)は無い」との見方を示した。「上積みもできず、増税も許さず」では、3次補正の増税論議が頓挫するのは必至で、政策決定での「党高政低」にかじを切った党執行部が、財源論議をどう決着させるのか注目される。【小倉祥徳、赤間清広】


 民主党税制調査会(藤井裕久会長)が26日開いた総会は増税反対一色に染まり、東日本大震災からの復興財源を賄う臨時増税を巡る意見集約は27日以降に持ち越された、と報じられています。



 上記報道には、
「選挙区で企業や町工場、有権者の声を聞いている。税調幹部や財務省は誰の声を聞いているのか」「企業の生産拠点の海外流出を食い止めないといけない。デフレ下の増税は絶対反対だ」
といった意見が報じられており、

   民主党税制調査会は
     業者寄りで、庶民はおかまいなし

というわけでもなさそうです。要は、民主党税制調査会の「役員会」が業者寄り・庶民無視、ということなのだと考えられます。



 どうしてこうなるのでしょうか? 「役員」になると、つまり「偉く」なると、庶民のことは「どうでもよくなる」のでしょうかね? もしそうだとすれば、嫌な話です。



 とはいえ、「批判ばかり」していたのでは、建設的な話にはなりません。このブログでは、税制についての話は「始めたばかり」で、まだ、「自分の意見」を言える段階にはないのですが、日本の財政状況を考えると、「どこかの時点で」増税せざるを得ないとは(私も)思います。

 そこで、「増税のタイミング」が問題になります。

 マスコミの報じる世論調査によれば、「増税もやむを得ない」という声が半数を超えているそうですが、それは「仲間(=東北の人々)を見捨てたくない」という、日本人の「優しさ」から出た数値でしょう。私も、「仲間(=東北の人々)を見捨てたくない」という気持ちをもっているので、そういう気持ちはわかります。

 しかし、過去の(日本経済の)経験から考えて、「デフレ下の増税は論外」だと思います。いま増税を行えば、経済状況は「さらに悪化」します。これでは、「仲間(=東北の人々)を助けるどころか、かえって苦しめてしまうことになる」と思います。つまり、「優しさがアダになる」のです。

 やはりここは、「当面」増税以外の手段を考えざるを得ないのではないかと思います。



 しかし、日本の財政状況を考えると「そんな悠長なことは言ってられない」という反論もあり得ると思います。これに対しては、「日本は財政破綻しない」と考えられる以上、すくなくとも現段階では、さほど財政状況を気にする必要はないのではないかと思います。

 もちろん、「それでは財政状況が悪化するばかりだ」とも考えられます。そこで、

   デフレが終わり、
    (緩やかな)インフレが始まれば増税する

と「法律で定める」方法をとればよいのではないかと思います。べつに法律で定めることに固執するつもりはありません。国会決議でもよいし、内閣による宣言または約束でもかまいません。

 「デフレが終わる」とはどういう状態か、あるいは、「(緩やかな)インフレが始まる」とはどういう状態か、など「技術的な(細かい)」ことについては、専門家たる経済学者が詰めてくだされば、それで十分です。



 このような方法をとれば、「日本の財政はどうなるのか」という「不安がやわらぐ」と思います。そしてなにより、日本の優秀な官僚が「財政再建のために日本を好景気にしよう!」と、全力で知恵をしぼってくれるでしょう。いまの官僚の発想、すなわち「財政再建のために増税しよう!」が変わり、「財政再建のために日本を好景気にしよう!」という方向に向かうだけでも、状況は大きく変わるのではないでしょうか。

 官僚にも、「日本経済を好景気にする」ためのインセンティブが必要なのではないかと思います。



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 「経済学の十大原理
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ダライ・ラマ、90歳頃に輪廻制度の存否決定

2011-09-25 | 日記
時事ドットコム」の「90歳で輪廻制度の存否決定=ダライ・ラマ、中国けん制か」( 2011/09/24-23:58 )

 【ニューデリー時事】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)は24日、声明を出し、数百年の歴史を持つダライ・ラマの輪廻(りんね)転生制度について、「私が90歳ごろになった時に制度を存続させるかを決定する」と明言した。この発言は、当面はチベット亡命政府の現体制を維持する意欲を示した上で、自分が死去した後の後継者選びに介入しようとする中国をけん制し、主導権を握る強い意志を表明したものとみられる。
 チベット仏教の伝統ではダライ・ラマ14世が死去した場合、亡命政府は生まれ変わりの15世を探す必要がある。しかし、チベット支配を固めたい中国はこれに対抗し、自ら認定した親中派のパンチェン・ラマ11世を通じ、独自に15世を選ぶと予想されている。


 ダライ・ラマ14世が、数百年の歴史を持つダライ・ラマの輪廻(りんね)転生制度について、「私が90歳ごろになった時に制度を存続させるかを決定する」と明言した、と報じられています。



 中国の介入を阻止し、対抗したいという気持ちはわかります。

 しかし、輪廻転生制度を否定してしまえば、チベット仏教の否定になってしまうのではないかと、それが気がかりです。



 とはいえ、「生まれ」によって身分(指導者)が決定される「伝統」は、いかがなものか、という感じもします。他の人々は、どんな努力を行ったところで、決して最高指導者にはなれないわけで、そこのところに疑問は感じます。

 また、「生まれ変わり」を見つけたと思っていたら、「間違えていた!」ということも考えられますし、

 そもそも、「すぐに」生まれ変わるとはかぎらないと思いませんか? 数十年後に生まれ変わるかもしれませんよね。



 このように考えてくると、再考し「制度を存続させるかを決定する」ことは、よいことだともいえるのかもしれませんが、それはすなわち、これまでのチベット仏教(…の伝統)を否定することにもつながりかねず、ダライ・ラマ14世の「正当性」(=最高指導者であることの正当性) にも疑問を投げかけることになります。

 ダライ・ラマ14世(76)が「私が90歳ごろになった時に」制度存続の可否を決定する、と言っているのも、このあたりのことが考慮されているのかもしれません。



■関連記事
 「チベット亡命政府の方針

このブログについて

2011-09-21 | 日記
 このところ、このブログ開設の趣旨に外れたコメントが続いたので、

 以前書いた「このブログについて」の内容を更新します。



一、名称

 このブログの名称は『言語空間+備忘録』です。

 言「論」空間ではなく、言「語」空間です。この名称には、「言論というほどのものではないですが…」といった気持ちが込められています。

 「言語空間」というのは私の造語です。

 「言論空間」と間違えられやすく、「偉そう」な印象を与えないか、すこし気になっていますが、いったんつけた名称ですし、変更せず、このまま行こうと思っています。



二、目的

 「書く」ことによって、意見を形成することを目指しています。「書く」作業には、思索が伴うのが常で、「書く」作業によって、私なりの意見が形成されやすくなるのではないかと思っています。

 したがって、コメント欄には、反対意見を書き込んでくださってもかまいません。かまわないどころか、期待しています。

 私は、「公平・公正な」意見を形成することを目指しています。自分 (の利益) にとって都合のよい意見を主張しつつ、賛同者を増やすことを目指しているのではありません。



三、意見の変更

 私は、(私の) 意見を「形成すること」を目指しています。したがって、ときどき意見を変えます。その場合には、意見を変えた根拠も示すことにしています。

 なお、「形成中の」意見を公開してどうする、とも考えられます。しかし、「どんな人のどんな意見も」その時点での意見にすぎないと思います。一生、意見の変わらない人なんていないと思います。



四、コメント欄の取り扱い

 ブログ開設の「目的」とも関連しますが、このブログは「ネットでの友達作り」や「なれあい」を目的として開設しているものではありません。したがって、コメント欄には「原則として」記事内容に関連のある事柄を書き込んでください。

 なお、このブログでは、「コメントの事後承認方式」を採用しています。これは、あまりにもコメント欄設置の趣旨に反するコメントがなされた場合や、問題がある可能性が高いと考えられるコメント(誹謗中傷等)が書き込まれた場合(等)には、コメントを削除する、ということです。

 事前承認方式に比べ、事後承認方式では、私による「不当な」コメント削除が生じ難いと思います。



五、著作権について

 ここでいう「著作権」とは、「私の」著作権ではありません。私が引用する書籍等の著者らが有する「著作権」です。

 私は、記事を書く際に、原則として、「書籍や新聞等の内容を引用し、その後に自分の意見を述べる」というスタイルをとっています。これは著作権法上、問題はないと思いますが、

 まれに、「重要だと思われる内容なので引用したいが、その内容には批判すべき部分もなく、また、とくに意見を付け足す必要性も感じない」という場合があります。その場合も、私は引用しています。これは、このブログの「ひとつの記事」にのみ着目すれば問題になりうる行為です。

 しかし、このような場合であっても、私は引用を行っています。なぜなら、このような場合であっても、このブログの「他の記事」において参照・批判等を行っていることから、「ブログ全体」に着目すれば問題にはならないと考えられるからです。



六、過去記事の変更

 原則として、いったん公開した記事は変更しません。

 なお、このブログは、「修正 24 時間ルール」のもとで運営しています。最初は「24 時間ルール」に基づいて運営していましたが、実際上の必要性から、ルールを修正しています。

 修正版ルールの要点は、
  1. 記事の修正・訂正は原則、 24 時間以内にかぎり行う。
  2. 事実関係の誤認等、やむを得ない場合には、上記にかかわりなく訂正を行う、
です。その際には、誤字脱字の訂正等を除き、

   ■追記  ← 24時間以内の場合

 または

   ■追記 ( 2011-09-21 )

という形で修正を行ったことを明示しています。