言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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サプライサイド改革、アメリカには需要があった

2009-05-31 | 日記
野田毅 『消費税が日本を救う』 (p.125)

 今日の構造改革のなかで懸念の一つは、デフレ容認型サプライサイド改革です。それは、アメリカでは意味がありました。常に需要超過の状況ですから、サプライサイドを改革するのが大事だったのです。消費欲旺盛の反面、サプライサイド、つまり産業の競争力が弱かった。だから輸入も増えて貿易赤字になります。それが、双子の赤字の背景であり、それがまた失業の背景でもあるのです。だから、サプライサイド改革をして国内産業の競争力と供給力を強化することが極めて大切な政策であり、意味があったのです。
 ところが日本では、むしろ逆です。資産デフレの直撃がまずあったのです。日本の企業の競争力がなくなって、失業が増加し、それが消費を減退させて不況を招いているわけではありません。国際的な大競争のなかで苦戦しているとはいえ、なお貿易黒字を維持しています。供給力がそんなに衰えているわけではない。サプライサイドがダメだから、外国企業に日本の市場も席巻され、また外国の市場で負けているわけではありません。

(中略)

 サプライサイド改革を推進するときは、一方で需要対策も必要だということです。



 日本の状況は、アメリカの状況とは違う、と書かれています。

 引用文には、いまの状況には当てはまらないと思われる部分もありますが、

 「構造改革のなかで懸念の一つは、デフレ容認型サプライサイド改革です。それは、アメリカでは意味がありました。常に需要超過の状況ですから、サプライサイドを改革するのが大事だったのです。」には、説得力があります。


 ただし、結論は、サプライサイド改革も必要、となっています。
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減税規模の表現

2009-05-30 | 日記
野田毅 『消費税が日本を救う』 (p.110)

 財政問題では、もう一つ申し上げたいことがあります。それぞれの年度の借金額は、当初の予定が必ずと言っていいほど外れて膨らみます。それならば、五年計画ぐらいで借金総額をはじいて、必ずその範囲内に収めるということにしたらどうでしょうか。アメリカ方式です。
 アメリカでは、減税規模というのは五年間の加算数字です。毎年毎年減税額を累積した額なのです。それに比べて日本は、小淵さんが一〇兆円減税を実施しましたが、これがすでに五年間続いているわけですから、五〇兆円減税とも言えたのです。


 アメリカでは、減税規模が大きく表示され、大規模減税だと受け取られやすいが、日本では、減税が小出しに繰り返されるから、規模が小さく受け取られやすい、と書かれているのだと思います。

 日本とアメリカとでは、制度が違う (したがってやむをえない) のでしょうが、日本がアメリカ方式をとれば、景気にも好影響を及ぼしそうです。
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消費税が上がると気分がよくなる?

2009-05-29 | 日記
野田毅 『消費税が日本を救う』 (p.78)

 サラリーマンの給与明細書を見ればわかります。直接税と社会保険料が天引きになっており、それを引いた数字が、手取り額として残るのです。消費も投資も貯蓄も、その源泉は可処分所得です。大切なことはやはり、自分の稼いだものに対して、どこまで自由に裁量できるかという点にあると思います。


 「自分で稼いだものに対して、自由に裁量」する。

 これは、消費税であれば、納税額を調節しうる、と言っているのだと思います。消費の量を減らせば、当然、消費税納税額は減りますから。


 所得が多ければ、「自由に裁量」 する余地は大きいかもしれませんが、大多数の人々にとっては、「自由に裁量」 する余地はほとんどない気がします。生活必需品は買う (買わざるをえない) けれども、貯蓄をする余裕はない、という人にとっては、裁量の余地など、事実上ありません。

 したがって、経済的には、説得力がない気がしますが、(大多数の人は多少は裁量の余地がありますから) 気分的には、いいかもしれません。
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政治が世代間負担を論じるとき

2009-05-28 | 日記
野田毅 『消費税が日本を救う』 (p.20)

 そういう意味で、行革の話はちょっと横に置いておいて、消費税については、それとは切り離して、その使い道を基礎年金、老人医療、介護の三分野、そして、少子化対策に限定しよう、その代わり、現在のレベルの基礎年金の支給と老人医療及び介護のサーヒスは断固として保障する。保険料はいま以上に上げない、自己負担もいま以上に増やさない、だから、老後のために貯金することはしなくてよろしいということを制度としてカチッと据える。そして、名前も「社会保障税」と変えるのです。
 そのときは食料品等についての軽減税率だとか内税にするとか、さまざまなことをやるのは当然のことだと思いますが、そのことによって老後の不安をなくしていくということのほうが、はるかにいいのではないでしょうか。
 そうでないと、年金の額を減らしますという話に毎年なってきます。あるいは老人医療の自己負担をまた引き上げるとか、給付をギリギリまで絞っていくということになっていきます。


( 註: 引用文冒頭の 「そういう意味」 とは、「行革を徹底的にやって、徹底的に無駄遣いをなくして、役人の数も政治家の数も、国も地方も徹底的にスリム化して、それでなおかつ財政が足りないというなら、消費税の増税も仕方がない」 などと言っていたら、いつまでたってもキリがない。行革をしている間に、どんどん少子高齢化は進み、赤字国債は増えていって、財政破綻になる、という意味です )


 消費税を増税しなければ、日本の財政赤字はなくならない、年金・老人医療・介護のために、消費税を増税すれば、国民のためになります、と書かれています。


 気のせいかもしれないのですが、この文章、国民のなかでも、とくに、お年寄りに向けて書かれているのでしょうか。高齢者の利益を守ります、と言っているように受け取れます。
 もちろん、若い人も、いつかは高齢者になるのですから、すべての国民の利益になる、といえなくもないのですが、この種の話は、費用の 「世代間負担」 の話だともいえるので、高齢者の受け取る利益を (さらに) 減らす可能性を、排除しないほうがよいと思います。
 もともと、年金・老人医療・介護などの費用が不足している、国債の発行も限界に近い、という話なのですから、その費用を削らなければ、どう転んでも、若い世代の負担を増やす話になってしまいます。高齢者も含めた、すべての世代が負担する消費税に財源を求めることは、負担が偏ることを避けるうえで、有益だとは思いますが、同時に、高齢者の受ける利益を削減する可能性も、残しておいたほうがよいでしょう。「年金給付減額の論理」 は、その方向での論理構成のひとつです。


 高齢化社会が進展すると、お年寄りの人数は、若年世代に比べて、どんどん多くなります。したがって、選挙で当選しなければならない政治家は、どうしても、票の多い高齢者世代に有利な政策をとろうとする傾向があるのではないか、と思われてなりません。


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第三次ポエニ戦争の教訓

2009-05-26 | 日記
是本信義 『経済大国カルタゴ滅亡史』 (p.200)


 さて、ローマに後押しされたヌミジアの傍若無人の侵略に耐えかねたカルタゴは、ついにヌミジアに対し開戦した。
 これを条約違反としたローマは、紀元前一四九年、マンリウス、センソリウス両執政官の指揮のもと、八万のアフリカ遠征軍を編成して、シシリー島西端リリベウムに進出させた。
 驚いたカルタゴは、再度、使節を派遣して弁解につとめたが、ローマ元老院は、
「貴国がもし名家の子女三〇〇名を人質としてローマに送るならば、今回の罪を許し、その独立を保証する」
 と通告した。
 とにかくどんなことをしてもローマの怒りをなだめようとするカルタゴは、この理不尽な要求に屈し、カルタゴの子女たちは泣く泣く故国をあとにローマに送られたのであった。
 この人質をうけとったローマは、その約束を反故にし、さらにアフリカに兵を進め、かつて大スキピオが陣を張ったウチカに上陸した。
 この約束違反に強く抗議するカルタゴに対しローマは、
「貴国をヌミジアの侵略から守るため、わざわざアフリカに渡った。以後の貴国の安全はローマが保障するので、貴国は無用となった武器すべてを差し出せ」
 と厳命した。
 いまはローマの意をうかがうのに汲々とするカルタゴ政府は、愚かにもいわれるままに、その持てる武器である鎧、楯、鎗、剣など一式二十万組、投石機(カタパルト)二千基を差し出した。
 この武装解除により、カルタゴの防御力を奪ったローマは、最後の難題を吹きかけた。
 彼らは、カルタゴが常にことを起こして地中海の平和をそこなうのは、その海洋国家としての対外進出にあるとし、現在のカルタゴ本市をすて、内陸十二マイルに移転すべしと命じた。

(中略)

この期に及んでようやくローマの本心を知ったカルタゴは、もはやこれまでとローマと一戦することに決し、かつて死刑を宣告した勇将ハスドルバルを呼びもどして全権をあたえ、あらためて戦備に狂奔するのであった。

(中略)

 カルタゴ本市の市民七十万のうち、生き残った者わずかに五万。この者たちは、のちにすべて奴隷に売られた。


 引用部分は、第三次ポエニ戦争開戦の経緯と、終戦後の状況を示しています。

 要は、ローマから難癖をつけられたカルタゴは、譲歩に譲歩を重ねたあげく、やむなく戦争に至り、負けた。ほとんどすべての住民が死に、わずかに生き残った者も、奴隷として売りとばされた、というのです。

 ローマに目をつけられたのは、カルタゴが金持ち国で、繁栄していたのが原因。

 この話から導かれる教訓は、
  ・他国を侵略しなければ戦争にはならない、攻撃されない、というのは幻想である
  ・降伏すれば国民は助かる、というのも幻想である
  ・他国 (国際社会) の目があるから理不尽な攻撃を受けるはずがない、というのも幻想
ではないかと思います ( もっとも、現代にはあてはまらない可能性はあります ) 。

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