言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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表向きの工場と、ウラ工場

2010-04-30 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.62 )

 二〇〇六年のある晴れた朝、深南中路沿いにゆっくりと走るセダンには、ウォルマートの女性役員が落ち着いた様子で乗っていた。彼女は同社に納品された製品を生産している工場の監査に行く途中であった。その目的は、工場が同社の倫理規定に基づいて業務を遂行しているかどうかを確認することだ。具体的には、児童労働や奴隷的労働の厳禁をはじめ、労災、労働時間、最低賃金などの各種規則が遵守されているかどうかを見る。同社が役員による監査を実施しているのは、現在の労働集約的製品におけるグローバルサプライチェーン推進上の矛盾した二つの理由からである。すなわち、消費者や取引先は低価格製品を求めるが、悪い話は嫌がる。そこで、工場側で過去にあったかもしれない不都合な情報が流出することを懸念し、「搾取工場」ではないことを確かめることになるのである。

(中略)

 監査担当役員は工場長に賃金台帳など諸記録の提出を求め、その日の午前中に面接をするので、生産ラインで働く従業員を一五人選ぶように要請し、次のように締めくくった。
「できるだけ早くやってください。遅くとも午後一時までには終わらせたいのです」
 クリップボードを手に、彼女は工場内を手際よく見て回り、面接する従業員の職責を念頭に置いて仕事の内容を質問し、消化器や救急箱も細かく点検した。また、倉庫も点検した。生産ライン責任者の事務室に飾られている品質管理活動の記録にも目を通した。
 工場長は彼女が何か見つけはしないかと用心深く見ていた。監査終了後、彼女が下した評価は「極めて良好」であった。工場長はこれを聞いて安心し、彼女を近所のレストランで広東スタイルの昼食 (回転テーブルに載せた蒸し魚、ご飯、スープ、野菜) で接待したが、彼女は食事もそこそこに次の工場の監査に向かった。
 このレストランから車を飛ばして一〇分の場所では、同じ工場長の運営する別の工場が繁忙を極めていた。この工場も、先ほど監査を受けた工場と同じ製品をウォルマート向けに生産していたが、労働条件はまったく異なり、しかもその存在は秘密のベールに隠されていた。
 この工場は門で閉ざされた工業団地内の目立たないところに建てられており、広東省政府には登録されていない。五〇〇名の労働者が平屋建ての工場で働いているが、ここには安全設備や労災保険はなく、法定労働時間を超過した勤務も日常的になっている。賃金の支払いは月給制よりも日給制が好まれている。この工場のオーナーによれば、ウォルマートはこの工場の製品を大量に仕入れているが、同社からは今まで誰一人として訪れたことはないという。そもそも、この工場は公的には存在していないことになっている。


 ウォルマートは ( 製品納入工場に適用される ) 倫理規定を定めており、工場が倫理規定を遵守しているかどうかを監査している、と記し、監査の様子が描写されています。これに対し、工場側は、本来の工場 ( 秘密の工場 ) のほかに、( 監査を受ける ) 表向きの工場を用意することで対処している、と書かれています。



 この記述を読むかぎりでは、

   中国企業 ( 工場 ) には問題がある、
   中国企業 ( 中国人 ) は狡猾である、

と考えられます。



 これに対して、( この記述からは ) ウォルマートは倫理を重視する、良心的な企業であると思われます。ウォルマートによる監査は厳しく、厳格になされている、と考えられます。

 もっとも、「できるだけ早くやってください。遅くとも午後一時までには終わらせたいのです」 という監査担当役員の言葉や、「彼女は食事もそこそこに次の工場の監査に向かった。」 という行動からは、「監査は、型通りの、形式的なものになっているのではないか」 とも考えられます。現に、監査担当役員は、「公的には存在しないことになっている」 秘密の工場の存在には、気づいていません ( したがって秘密の工場に対する監査は行われていません ) 。

 しかしながら、本来、このような監査は、中国政府 ( または地方政府 ) が行うべきものだと思います。したがって、ウォルマートの監査が多少、「型通りの、形式的なもの」 であったとしても、とくに問題にするにはあたらないと思います。どちらかといえば、この種の監査をウォルマートが行っていることには、ウォルマートの良心、倫理に対する姿勢が現れているとみるべきだと思います。



 「ウラ帳簿・オモテ帳簿」 とは異なり、「表向きの工場」 を建設するには、膨大なコストがかかります。それにもかかわらず、「表向きの工場」 を用意せざるを得ないほどに、中国での競争は激烈なのでしょう。したがって、

   これはたんに、狡猾、というレベルを超えています。
   やむを得ない、そうせざるを得ない、のだと思います。

 そしてまた、このような中国企業と競争せざるを得ない、中国以外の国々の企業も、大変厳しい立場に立たされている、といってよいと思います。
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文字コードと文字化け

2010-04-29 | 日記
 以前、「ブログ記事の検閲・自動書換えが行われているらしい」 に掲載した記事ですが、

   政治的な問題ではなく、技術的な問題 ( 文字コードの問題 ) ではないか、

ということで、話が収まったようです。



 しかし、もともとのブログ、「ひねくれ老耄記」 の HTML ソースを見ると、

   <meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=euc-jp" />

とあり、EUC-JP で記述されていることがわかります。



Kawa.netxp Shift_JIS に含まれない文字をエスケープ (Jcode.pm編)

下記の『』『』『』の3文字は
現在は Unicode を使って表現できますが、
Shift_JIS には含まれない文字のため、
クライアント環境によっては表示できない場合は依然多く、文字化けしやすいです。


 「とう小平」の「とう()」は、Shift_JIS には含まれない文字であるが、EUC-JP には含まれる (定義されている) 、と解説し、次の表が掲げられています。


漢字CP932EUC-JPUCS2UTF8補足
FAB1-FA11EFA891山+立+可
FBB98FE2C79127E984A7とう小平
FBFC-9AD9E9AB99ハシゴ高




 とすると、なぜ、EUC-JP で記述されているサイト、「ひねくれ老耄記」 において、「とう()」を原因とする文字化けが発生するのか、という疑問が残ります。

 どなたか、ご存知のかたがおられましたら、ぜひともご教示ください。



 なお、当ブログでは、「深圳」の「圳」など、日本語にない文字 ( または文字コード上問題の発生しそうな文字 ) については、原則として、

   「深圳 (シンセン)」

といった表記を行っています (「中国の技術力」に実例があります ) 。
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中国製品の競争力と世界の状況

2010-04-28 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.24 )

 チャイナ・プライスは世界中で製造業の空洞化に対する不安を招いた。例えば、二〇〇四年には、米国通商代表部 (USTR) の求めに応じ、米国の労働組合中央組織であるアメリカ労働総同盟産業別労働組合会議 (AFL-CIO) は中国に対し、「労働者を酷使することで安価な労働力を生み出し、最大で一二〇万人の米国人労働者から職を奪っている」と非難した。
 その後、ワシントンのシンクタンクである経済政策研究所は、二〇〇一年以降、米国の対中国貿易赤字により一八〇万人の就業機会が失われたと見ている。チャールズ・シューマー上院議員 (民主党、ニューヨーク州選出) とリンゼイ・グラハム上院議員 (共和党、サウスカロライナ州選出) は、中国通貨の人民元が低く抑えられているために、米国の製造業界ではこの五年間で三〇〇万人もの失業者が出た、と指摘している。
「製造業の新興勢力たる中国は米国を犠牲にして出現したものである以上、我々は経済安全保障の面で深刻な懸念と疑念を抱かざるを得ない。すなわち、物としての製品を生産する能力を失った国家は果たして経済力を長く保てるのであろうか」
 これはシューマー上院議員の事務所が発表した予言的なプレスリリースである。
 米国の製造業者の多くはこれと同意見である。彼らは中国のライバル企業による米国でのダンピング行為に対し、米国政府が中国製のテレビ、家具、繊維製品に関税を課すように求める訴訟を次々と起こしている。
 ウィスコンシン州ウォータータウンの小型部品メーカーであるフィッシャー・バートン社のリチャード・L・ウィルキー社長は下院歳入委員会で次のように証言した。
「これだけは言わせてもらいたい。わが社の周囲の企業が事業から撤退していくのを数多く見てきたが、その中には私の取引先が何社もあった。全部が全部時代遅れの企業ではなかった。技術分野に巨額の投資を行っていた企業もあれば、近代的なビジネス手法を導入して競争力を維持していたところもあった。彼らの動きはどれも間違っていなかった。だが、それでも中国のために不利な状況に追い込まれたのだ」
 筆者がチャイナ・プライスの存在に初めて気づいたのは、英国の経済紙フィナンシャル・タイムズの記者として東京に派遣されていた頃のことであった。一九九九年、日本のシャーナリスト・グループが本田技研 (ホンダ) の中国生産拠点を視察するというので、筆者もこれに参加した。ホンダは広東省広州市にある工場を買収し、同社の厳格な方針の下に経営していたのである。現地生産車のアコードがフルスピードで飛ばすのを間近に見て、中国には強力な製造国家としての潜在能力があることを肌で感じた。現地生産車であることを知らなければ、少なくとも門外漢の筆者には外観を見ても運転しても日本製のアコードとの違いがわからなかったほどだ。
 それからまもなく、電子機器分野の話を書くことになり、半導体企業の日本人経営者二人に取材した。余談ながら、どちらも中国語を学習中だというので、その理由を尋ねると、「将来、僕たちの仕事を奪いそうな人間のことを深く知っておきたいからね」という答えが返ってきた。
 筆者が今まで耳にしていたのは、「日本人が仕事を奪っている」という話であった。ワシントンの近くで育った頃は日本株式会社に対する脅威が高まっていたし、日本の投資家がロックフェラーセンターやゴルフで有名なペブルビーチを買収したことで米国中が大騒ぎになった時代のことを覚えている。また、日本車は米国で飛ぶように売れていたのに、米国車は日本でそれほど売れなかった。
「日本人は我々とは別の土俵を作って勝負している」
 そんな話も耳に入ってきた。高校では日本語を学んだが、これは我々米国人の経済的なライバルを深く知ろうとしたからである。
 今度は日本が恐れをなす番であった。新聞雑誌は中国が世界に向けて「デフレ輸出」を続けていると批判した。中国は日米双方にとって本物の脅威であるように思えた。そこで、筆者は中国語を学ぶために中国に渡ることを決意した。二〇〇三年、フィナンシャル・タイムズ紙は中国南部 (華南地域) を取材するために筆者を香港へ移動させた。
 他の国々も似たような思いであった。数年後、スペイン製靴業界の中心地エルチェでは、住民数百人が自分たちのビジネスを奪っているのは競合相手の中国企業であると糾弾し、暴力的な抗議行動にまで至った。イタリアでは、家具と製靴の両業界が中国にビジネスを奪取されて大混乱に陥っていた。同じく、スコットランドの漁業関係者も打撃を受けていた。
 貧しい国々も同様であった。メキシコのマキラドーラ (保税加工区) は仕事が中国に流れていくのを落胆しながら見守るしかなかった。ポーランドの製造業者は安価な生産コストで知られていたが、今やそれ以上の低コストを武器とする中国のライバル業者に市場を奪われつつあった。さらに、中国はナイジェリアの繊維工場よりも低価格で勝負してきたのである。


 中国製品の圧倒的な競争力と、中国製品によって駆逐され、仕事が奪われつつある世界各地の状況が描写されています。



 上記記述のうち、次の証言が重要だと思います。

「これだけは言わせてもらいたい。わが社の周囲の企業が事業から撤退していくのを数多く見てきたが、その中には私の取引先が何社もあった。全部が全部時代遅れの企業ではなかった。技術分野に巨額の投資を行っていた企業もあれば、近代的なビジネス手法を導入して競争力を維持していたところもあった。彼らの動きはどれも間違っていなかった。だが、それでも中国のために不利な状況に追い込まれたのだ」

 この証言は、巨額の技術投資を行ったり、近代的なビジネス手法を導入したりしても、中国製品に太刀打ちするのは困難である、と主張しています。つまり、中国製品に太刀打ちするのが困難である理由は、中国製品の技術レベル・ビジネス手法が圧倒的に優っているからではなく、中国製品が安いからです。このことは、

「労働者を酷使することで安価な労働力を生み出し、最大で一二〇万人の米国人労働者から職を奪っている」

という主張からもわかります。



 ここからわかるのは、「多少、高性能・高品質の製品であっても、安い製品には負ける」ということです。

   「( ほとんどの ) 消費者は、多少性能が低くとも、安いほうを選ぶ」

のです。



 このように書くと、いかにも、「中国製品に太刀打ちするのは不可能である」といわんばかりですが、実際には、そんなことはないと思います。競争に勝ち残る方法はいくつか存在します ( …と、私は思います ) 。

 しかし、それは「企業のレベルで」競争に勝ち残る方法がいくつかある、ということであって、「社会全体のレベル・国家のレベルで」考えてどうなのかは、私には、よくわかりません。さらに考えたいと思います ( このブログの趣旨は、後者の視点、つまり、「社会全体のレベル・国家のレベルで」考えてどうか、「世界全体のレベルで」考えてどうか、です ) 。
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中国の技術力

2010-04-27 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.21 )

 付加価値的に見た場合、中国の生産シェアは過去一〇年以上も世界最速の成長を遂げている。すなわち、一九九〇年時点では世界の生産高の二・四パーセントを占めていたが、二〇〇六年には一二・二パーセントに拡大し、米国と日本に次いで世界第三位の生産大国になった。
 一九九〇年以降、中国の輸出は毎年平均二桁成長を実現しており、一九八四年の二六〇億米ドルから二〇〇六年には九六九〇億米ドルもの製品を世界に輸出している。米国の経済コンサルティング会社であるグローバルインサイト社は、中国が二〇二〇年に米国を追い抜き、世界最大の生産国になると予測している。二〇〇四年、中国は日本を凌駕し、米国、ドイツに次いで世界第三位の輸出大国に躍り出た。この調子で行けば、中国は二〇〇八年に米国を追い越し、世界最大の輸出国になる。
 中国は伝統的な比較優位の貿易理論 (生産面で得意な分野に特化し、それ以外は他国から輸入することがお互いのメリットになるという理論) に挑戦し、基本的な消費財 (第二次大戦後の輸出ブームで他のアジア諸国が生産してきた靴、衣服、玩具など) からハイテク製品 (コンピュータ用モニター、iPod、携帯電話など) まで、あらゆる製品を生産してきた。
 この挑戦が成功したのは、中国の労働力と外国資本の組み合わせによるところが大きい。中国が国際ビジネスに意欲を示したことにより、世界中の製造業者がその門戸のすぐそばに引き寄せられた。広東省の広州、東莞、深圳 (シンセン) など南方の都市は、自社工場の立ち上げや中国製品の海外売り込みのために中国に移り住んだインド人、ブラジル人、日本人、イスラエル人、英国人、アイルランド人、イタリア人、フランス人、米国人で溢れている。ウォルマートの世界調達センターは香港と境界を接している深圳 (シンセン) に設立されている。IBMも調達部門の最高責任者を深圳 (シンセン) に配置している。
 一九九〇年、中国は三五億米ドルの外国直接投資を受け入れたが、国連貿易開発会議 (UNCTAD) によれば、この金額が二〇〇五年には七二〇億米ドルに激増している。さらに、二〇〇二年から二〇〇五年までの外国直接投資の累積額だけで二三九二・八億米ドルに達している。これらの投資が「世界の工場」の生産設備導入に役立っている。
 ウォルマートは中国から毎年少なくとも一八〇億米ドル相当の製品を仕入れている。二〇〇五年、韓国のサムスンは中国から一五〇億米ドル相当の部材を購入した。自動車メーカーの間でも、特に米ゼネラルモーターズと独フォルクスワーゲンは中国から部品を調達している。今では米航空機メーカーのボーイングでさえ中国から飛行機の部品を買っている。一九八九年から二〇〇五年までの間に、中国は米国向けの輸出シェアを四一分野で拡大した。
 二〇〇六年、米国向け輸出で最大の分野は家電製品や発電機などの電気機器であったが、玩具、スポーツ用品、衣服、家具、靴なども相当輸出した。この年、米国の中国からの輸入額は二八七八億米ドルに達したが、中国への輸出高はわずか五五二億米ドルであった。


 過去 10 年以上、中国経済は急速に成長している。中国経済の特徴は、靴や衣服からハイテクまで、あらゆる製品を生産していることである、と書かれています。



 航空機 ( …の部品 ) を作るには、高度な技術力が不可欠だと思います。( 部品の種類にもよるとは思いますが ) ボーイング社が中国から飛行機の部品を調達していることは、「中国製品の技術レベルは、すでに高い水準に達している」ことを示していると考えてよいと思います。

 もっとも、引用文中に、中国経済が発展したのは「中国の労働力と外国資本の組み合わせによるところが大きい」と書かれているとおり、それらの製品を作っているのが中国企業 ( 中国資本 ) とはかぎらないのですが、外国資本も中国人を雇っているわけですから、

   技術は徐々に ( 中国人に ) 習得され、( 中国に ) 移転しつつある、

と考えるのが適切だと思います。

 中国の技術力を侮ってはならないと思います。



 一般に、経済が発展すると、徐々に高度な製品の製造へと移行する、と考えられています。しかし、中国の場合は、ハイテク分野のみならず、靴や衣服などの ( 比較的単純な ) 製品においても、競争力を有している。とすれば、それはなぜか、が問題になります。

 おそらくは、戸籍制度や、圧倒的な人口など、さまざまな要因によるのであろう、とは思いますが、

 その要因の解明、及び、中国経済の今後を予測するために、次はこの本 『中国貧困絶望工場』 を引用しつつ考えたいと思います。
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完璧な判断ではなかった時の対処法

2010-04-26 | 日記
弁護士こぐまの日記」 の 「弁護力

岡山の弁護士さんの著作です。

誠実であることが大事ということですね。

こういう本は納得できる部分が多いのですが,いつも思うのは,完璧すぎることです。

人間なので,完璧な判断ではないときもあるでしょうが,そういった時の対処法が知りたいなあと思う,このごろです。


 人間なので、完璧な判断ではなかったときもある。そういった時の対処法を知りたい、と書かれています。



 こんな疑問を持たれる弁護士さんがいらっしゃるとは、意外です。

 「誠実であることが大事」である。したがって、「完璧な判断ではなかったときには、謝罪するなり、非を認めて訂正するなりすればよい」、というだけの話ではないかと思います。なにも難しいことはありません。



 もっとも、こぐま弁護士さんのいう、「対処法」とは、「完璧な判断ではなかった」ことについて「謝罪するなり、非を認めて訂正するなりせずに、正当化し、わが身を守る方法」という趣旨なのかもしれません。

 このような意味であるとすれば、たしかに、難しい問題かもしれない、と考えられるからです。



 しかし、このような趣旨であるとするならば、「あまり誠実に振る舞わないほうがよいと考えているので、誠実に振る舞うつもりはない」と主張されているのと ( 事実上 ) 同じであり、いかがなものか、という気はいたします。

 とはいえ、

  「そういう弁護士さんは、やり手の弁護士に違いない!
   あくどい手を使ってでも、有利に解決してくれるはずだ!
   そういう弁護士さんに、ぜひとも依頼したい!」

というニーズもあるかもしれませんし、このあたりは人間の「生きかた」の問題、「価値観」の問題なのかもしれません。
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