言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

告白されました!!

2010-01-30 | 日記
 一週間ほど前、告白されました。

 直接、言われたのではなく、メモを受け取りました。メモは直接、渡されたのではなく、私のところに置かれていたのですが、



 どうも、人違いではないかと思います。

 人違いではなく、私あてなのかもしれませんが、「男性から」 告白される日がくるとは、思ってもみませんでした ( 私は女性ではありません ) 。



 そこで今日は、告白された立場 ( 女の立場 ) から、意見を書いてみたいと思います。




  1. 直接、「好きです」 と言うべき。せめて、( メモは ) 手渡しにすべき。

     告白されても、「相手がどんな人なのか」がわからなければ、返事のしようがありません。直接、( 私を見ながら ) 言われれば、その際に、相手がどんな人なのか、なんとなくわかります。

  2. メモには、ある程度、個人情報を記すべき。

     私が受け取ったメモには、名前が書かれていましたが、名字が書いてありませんでした。また、学生なのか社会人なのか、( 学生であれば ) どんな部活をしているのか、など、「どんな人なのか」 についての情報が、まったくといってよいほど、書かれていません。
     
     これでは、告白された側としては、返事のしようがありません。

  3. 連絡先には、電話番号を書くべき。

     「どんな人なのか」 について書かれていなくても、電話番号が書かれていれば、返事、あるいは、「告白ありがとう」 の連絡をする際に、「相手がどんな人なのか」 について、相手の雰囲気や話しかたなどから、多少は推し量れます。
     
     しかし、連絡先がメールアドレスでは、ほぼ間違いなく、無視されるのではないかと思います。「相手がどんな人なのか」 がわからなければ、返事をしづらいです。
     
     すくなくとも、「つき合う」 展開には、ならないと思います。

  4. どこが好きなのか、多少は具体的に書くべき。

     「どこが好きなのか」 が具体的に書かれていなければ、告白されても、「人違いかもしれない」 と考えてしまいます。告白する際、相手の名前がわからなければ、相手の名前を書けないのはしかたありませんが、

     「どこが好きなのか」 を具体的に書けば、告白された側としては、( 人違いではなく ) 「私が」 好きなんだ、ということがわかります。

     また、「どこが好きなのか」 が具体的に書かれていなければ、「本当に好きなのか」 、疑問を持ってしまいます。ある程度の具体性がなければ、告白に、説得力がありません。


 これでは、告白が空振りに終わってしまいます。どうせなら、「つき合う」 展開にしたいですよね? 誰かの参考になればと思います。

正義の過信とフラストレーション

2010-01-29 | 日記
よそ行きの妄想」 の 「他人は思い通りにはならない

勝手にこしらえた自分ルールを押し付けても、他人というものはなんの理由もなくそれに従ったりはしない。

デール・カーネギーは、他人を動かすために我々ができることは、十分な動機を与え、自ら動きたくなるような気を起こさせる以外にはないと言った。そのとおりである。

こんなことは今どきアタリマエといってよく、得意げに吹聴したところでうんざりされるのが関の山といった類いの話ではなかろうか。


ところが、そんなアタリマエのことも忘れ、多くの人が他人の行動について、何故言うとおりにならないのかと憤ってしまう局面がある。

子育ての局面である。

「はやく寝なさい」、「お風呂に入りなさい」、「静かにしなさい」、そして「どうして言うことを聞かないの」。

冒頭に記したような前提に立てば、こうした言わば「命令」をしたところで、なんの効果もないということを我々はすでに知っているはずである。

その証拠に、我々は大のオトナを相手に、こうした安易な命令口調は用いない。普通は、相手がそうすることの必要性に気がつくまで待つか、そうでなければ必要性を与える必要があるということに気がつくだろう。そのほうが合理的だから。


子供が相手だと途端に勝手が変わってくるのは、正義は自分にあるとの過信故ではないか。

正義は自らのうちにあるという過信は、言うとおりにならないことによるフラストレーションを、「過った行いを正すべきだ」という正義感に変換する。

この過った正義感が、合理的な判断を曇らせ、他人を動かすという目的の達成を阻害する。

そしてさらに悪いことは、「過った行い」を続ける相手には天罰が下るべきだと思い込んでしまうことだろう。こうした思い込みは人を暴力へと駆り立てる。暴力によって相手を屈服させ、そして言うのだ。「ほら見たことか」と。


 他人は思い通りにはならない。当たり前である。しかし、子育ての局面においては、正義は自分にあるとの過信から、多くの人が憤ってしまいがちである、と書かれています。



 これはその通りだろうと思います。

 人は、「自分が正しい」 と確信していなければ、あるいは、「自分は格上の人間である」 と確信していなければ、なかなか、「命令」 をしたり、憤ったりできるものではありません。



 「行政指導は明確でなければならない」 に、いくつか、私の体験談を記載していますが、そのときのことが思い出されます。

 そこで、今日は、あらたな事実を 「追加」 します ( 事実の概要は上記リンクを参照してください ) 。



 私は、「アドバイスを求めていないにもかかわらず」 、弁護士さんから 「一方的に」 、「トンチンカンな」 アドバイスをされ、( トンチンカンであるがゆえに話にならない内容だったので ) そのアドバイス (?) に従おうとしなかったのですが、その時、

   「アドバイスしてやってるんだ!!」

と怒鳴られたりもしました。これは、こちらに従う意思がないのが ( 当該 ) 弁護士にわかったから、出てきた言葉だとは思いますが、「なにがなんでもアドバイスに従え!!」 と言わんばかりの態度には、疑問を禁じ得ません ( 当然ですが、私には、アドバイスに従う義務は一切ありません ) 。

 私は、世間で一般的に、弁護士は社会的地位が高い、とされていることは承知していますが、こちらが 「求めてもいない」 アドバイスを、「一方的に」 したうえで ( しかもアドバイスの内容がトンチンカン ) 、

   「アドバイスしてやってるんだ!!」 はないだろう、

と思います。



 「我々は大のオトナを相手に、こうした安易な命令口調は用いない。」 、「子供が相手だと途端に勝手が変わってくるのは、正義は自分にあるとの過信故ではないか。」 と書かれていますが、

 やはり、「規制緩和は構造改革の一環にすぎない」 に引用した記事 ( 引用元記事 ) にあるとおり、弁護士には、「世の指導者意識」 があるのかもしれません。

 「大のオトナを相手に、こうした安易な命令口調」 が用いられたわけですから…。



 「言うとおりにならないことによるフラストレーション」 と書かれていますが、逆に、「無理強いしようとされるフラストレーション」 もあります。

 人間関係は、難しいですね。

金融危機防止に向けた規制

2010-01-28 | 日記
竹森俊平 『資本主義は嫌いですか』 ( p.180 )

 繰り返しになるが、問題の根本は金融機関の報酬体系がアップサイドに感応的である一方で、ダウンサイドに対して非感応な点にある。そのために、リスク・テーキングが過剰になされるのである。そうであるなら、報酬体系をアップサイドに対しても、ダウンサイドに対しても、同じように感応的なものに改めればよい。金融機関が自発的にそうするというなら、それが一番望ましいが、もし、金融機関が自らの意思では報酬体系を改めることを望まないというのであれば、政府が規制して、報酬体系をそのように改めさせればよい。
 具体的な方法としてはこういうふうにする。ある金融機関のファンドマネージャーが 「基準利率」 を上回る利益を上げた場合には、その成果に対する報酬をすぐに現金で渡す代わりに、その金融機関の株式の形で渡し、さらにその株式は金融機関が設ける基金に委託させて、一定期間はファンドマネージャー本人による株式の売却が不可能なようにする。そうすれば、もしそのファンドマネージャーの取った 「テール・リスク」 が実現して、金融機関が損失を被った場合、その金融機関の株価は下落し、ファンドマネージャーが自動的に制裁を受ける。完全とはいえないが、このような方法によって、「リスク・テーキング」 のダウンサイドを報酬に反映させることができる。そうラジャンは提案する。
 もし、金融機関のインセンティブ体系を規制するという提案が過激すぎるならば、従来の金融機関に対する安全規制を強化する選択もある。たとえば、何人かの経済学者が提案しているように、従来の 「自己資本規制」 を景気感応型に改める選択がある。住宅ローンの供与に対する自己資本率の規制基準は、住宅価格の上昇率に応じて引き上げ、また、不動産業や建設業に対する貸し出しについては、不動産価格の上昇率に応じて自己資本率の規制基準を引き上げるように規制するのである。このようにすれば、高くつく資金調達の手段である 「増資」 を嫌う金融機関は、住宅ローンや不動産投資への貸し出しに対してより慎重になるはずだ。


 金融危機の根本には、過剰なリスク・テーキングがある。過剰なリスク・テーキングがなされるのは、ファンド・マネージャーの報酬体系に原因がある。報酬体系を改めるべきである。それが難しいならば、金融機関に対する自己資本規制を、景気感応型に改めればよい、と書かれています。



 ファンド・マネージャーの報酬体系に原因がある、というのは、その通りだと思います。過剰なリスクをとり、収益があがれば、ファンド・マネージャーは ( 個人的に ) 巨額の利益を手にしますし、逆に、リスクをとったために損失を蒙れば、その損失は会社 ( 金融機関 ) の損失となり、ファンド・マネージャー自身は、金銭的な損失を蒙らないからです。ファンド・マネージャーの損失といえば、せいぜい、会社をクビになるくらいのものでしょう。

 クビになったところで、当該ファンド・マネージャーが巨額の貯蓄を持っていれば、なんら困りません。

 これでは、過剰にリスクをとることを、制度として、推奨している、と考えることも不可能ではないでしょう。ファンド・マネージャーの立場に立って考えれば、リスクを過剰にとろうとするのが、自然ではないかと思います。



 しかし、それでは今回のような金融危機が、また発生する。そこで、報酬体系を変えるべきである、と考えられるのですが、

 ファンド・マネージャーは、民間企業の従業員ですから、民間の契約に、( 労働者にとって不利な ) 規制を設けてよいのか、という疑問は、当然、発生します。契約は自由であるのが原則であり、規制を設ける場合にも、通常は、労働者保護の見地から、労働者に有利になる方向での規制に限られます。

 しかし、いったん金融危機が発生すると、公的資金が注入されることにもなりますし、社会に対する影響は破壊的なレベルに達します。したがって、規制を設けてもかまわないのではないか、と思います。



 次に、金融機関に対する自己資本規制を 「動的に」 変更する、という方法ですが、これは名案だと思います。というか、ぜひとも必要なのではないでしょうか。

 金融危機が拡大した背景には、「金融システムの健全性を確保するための規制が、金融システムを破壊している」 面があります ( 「規制について、再考すべき時期にきている」 参照 ) 。したがって、その原因となった要素、すなわち、「硬直的な」 自己資本規制を変更し、「柔軟な」 規制に変えることは、状況をよくすることはあっても、悪くすることはないと思います。

 もっとも、「柔軟」 といっても、「融通無碍」 では困りますから、一定の規則性 ( 厳格さ ) が必要だとは思います。

 「景気感応型」 にする際に問題になるのは、「景気」 をどうやって判定するのか、です。これは結構、難しいのではないかと思いますが、規制 ( 変更 ) の方向は間違っていないと思います。

総支出の削減に伴う為替変動

2010-01-27 | 日記
竹森俊平 『資本主義は嫌いですか』 ( p.111 )

 ドル価値が大幅に下落する可能性を、サブプライム危機前から指摘していたのもロゴフであった。すなわち二〇〇三年の、著名な国際金融学者、オブストフェルドとの共同論文である。この研究は、もし今の時点で、アメリカが経常収支赤字を一挙に解消しなければならない必要に迫られたら、為替レートはどの程度ドル安に転換しなければならないかという問いかけから出発している。この研究の結論は、二〇%から四〇%のドルの減価ということであるが、ここで興味深いのは、アメリカが経常収支赤字を一挙に解消しなければならない必要とは、具体的にどのようなものと著者たちが考えているかである。
 そのような必要が起こる状況として、著者たちは二つ挙げている。一つは、国債の金利が急騰するとかいった理由によって、連邦政府が早急に財政赤字を削減しなければならなくなり、それが経常収支赤字の縮小をもたらす可能性である。もう一つは、( ここが面白いのだが ) 住宅バブルが崩壊して、アメリカの住宅投資と家計債務が急速に縮小する過程で、経常収支赤字も縮小に向かう可能性である。このように、著者たちはこの二〇〇三年の論文で、四年後に発生するサブプライム危機を見越したような議論をしている。
 それでは、アメリカが経常収支赤字を解消しなければならない必要に迫られた時に、なぜ、為替レートについて二〇%から四〇%の大幅なドル安が起こるのか。これはいかにもロゴフらしい、巧妙な議論である。そもそもこの数字を計算するに当たって著者たちは、アメリカの経常収支赤字の解消自体は、為替レードのドル安への変化ではなくて、消費、投資、財政支出の合計である 「総支出」 の削減によってのみ可能だという立場を取っている。それにもかかわらず、ドル安はやはり必要である。なぜなら、アメリカの 「総支出」 の削減に伴って、相対価格の調整が必要になるからだ。
 要するに各国の支出に 「自国財への偏向」 があるという事実が、相対価格調整の必要性を生む。いずれの国も、海外から輸入された財よりは、自国で生産された財に、支出の大部分を振り向ける傾向がある。そうだとすれば、アメリカが大規模な 「総支出」 の削減をした場合には、輸入財よりも、アメリカ国内で生産された財に対する支出がより大きく減少する。そうなると、商品の国際市場において、アメリカ製品が売れ残る状態が発生する。どうすれば、需給の均衡を回復できるのか。答えは、アメリカ製品の相対価格の大幅な下落である。これを実現する手段が、すなわちドル安ということである。彼らの議論をより正確に伝えるならば、「アメリカが経常収支赤字を解消するために総支出の削減に出るならば、大幅なドル安は避けられない」 ということになる。


 アメリカの 「総支出」 が減れば、ドル安になる。なぜなら、各国の支出には、「自国財への偏向」 があるからである、と書かれています。



 現在、アメリカの 「総支出」 は減ってきている、と考えてよいと思います ( ここでは、「総支出」 とは、「消費、投資、財政支出の合計」 であると定義されています ) 。

 したがって、上記引用において紹介されている論文、すなわち、ロゴフとオブストフェルドとの共同論文の内容が 「正しい」 ならば、ドル安が進むはずである、と考えられます。20 ~ 40 %もドルが減価するとなれば、大幅なドル安といってよく、影響は大きいと思われます。



 そこで、その根拠が重要になるのですが、要は、どの国にも、「自国財への偏向」 がある、というのが、根拠のようです。

 「自国財への偏向」 があれば、輸入財の消費が大幅に減る、と考えるのかと思えばそうではなく、その逆、すなわち、自国財の消費が大幅に減る、となっています。もともと消費支出に占める割合の大きかった自国財は、消費の落ち込みに伴い、消費が減る度合いも大きい、ということなのでしょう。

 これには意外性があります。そこで考えるに、「自国財への偏向」 などというからわかりにくいのであって、

   ( 全体の ) 消費が減れば、もともと消費に占める割合の大きかった財ほど、消費が減る

と考えれば、それでよいのではないかと思います。消費が、すべての財につき 「同じ割合」 で減れば、もともと消費に占める割合の大きかった財ほど、( 絶対額でみた場合の ) 消費が減るからです。



 上記引用によれば、自国財が大幅に余り、余った分は輸出に回される。その結果、為替レートが下がる、と論じられているものと考えられます。

 しかし、もともと消費に占める割合が小さいとはいえ、輸入財に対する消費も 「同じ割合で」 下がるならば、為替レートには影響が出ないのではないかとも考えられます。

 実際には、「自国財への偏向」 の結果、輸入財は自国財に比べて、「より大きな割合で」 消費が冷え込むと考えられ、

   大幅なドル安ではなく、わずかにドル高になるはずである

と思います。



 以上をまとめると、私は、

 「アメリカが経常収支赤字を解消するために総支出の削減に出るならば、大幅なドル安は避けられない」 どころか、実際にはその逆になる。すなわち、

   「アメリカが経常収支赤字を解消するために総支出の削減に出るならば、わずかにドルは上昇する」 はずである、

と考えます。



 そもそも、アメリカの 「総支出」 が減れば ( 経常収支赤字が減れば ) 大幅なドル安になる、という論理は 「おかしい」 のではないでしょうか。経常収支赤字が減れば 「ドル高になりこそすれ、ドル安にはならない」 と考えるのが、自然ではないかと思います。



■追記
 輸出云々は ( 私の ) 考えすぎでした。余った米国製品を米国市場で消化するために、米国製品の国内価格は、輸入製品の国内価格に比べ、相対的に下落する。すなわちドル安になる。これが論文の趣旨だと思います。
 とすると、本当に経常収支赤字は減るのか、などが問題になりうると思います ( 経常収支赤字が減ってドル安になる、というのは、やはり変だと思います ) 。

回転行列の覚えかた

2010-01-26 | 日記
私は、なかなか回転行列が覚えられず、いつも ( 疑似的に ) 導いていました。たったいま、回転行列の覚えかたが閃き ( ひらめき ) ましたので、ここに記します。

大学入試の時期でもあり、誰かの役に立つかもしれません。



覚えたい式 ( 回転行列の式 ) は、これ ( ↓ ) です。

R(θ) = | cosθ -sinθ |
| sinθ  cosθ |




この式の右辺が、xy 平面上に置かれているとイメージします。原点は、行列の中央です。そのうえで、

  • 第 1 象限から順に、sin, cos, sin, cos を埋め込み、
  • 第 1 象限に、負号 ( マイナス記号 ) をつける。


これで回転行列が完成します。



普通、三角関数といえば sin, cos なので ( cos, sin の順ではない ) 、これで覚えられると思います。