言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

ラッファー・カーブ理論

2011-02-21 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.42 )

 減税が経済成長を促すというサプライサイド経済学の基本的な考え方は、とくに目新しいものではなく、またすこしも過激ではない。この理論を発明したのが自分ではないことを、ラッファー自身がまず指摘している。経済学の知識の大半がそうであるように、税金が行動におよぼす影響についても、最初に説いたのはかのアダム・スミスだった。『国富論』(邦訳日本経済新聞社刊)の中の外国商品に課される関税を取り上げた下りには、次のように書かれている。
「関税率を高くすると、一方では消費が減少し、他方では密貿易が増加して、関税率がもっと低かったときより関税収入が減少することが多い」(*5)
 私たちに反対の人は驚くかもしれないが、ジョン・メイナード・ケインズでさえ、ラッファー・カーブの論理を理解していた。ケインズが政府支出の拡大を推奨する学説を発表し、これが二〇世紀の大半を支配したことは改めて言うまでもない。そのケインズは一九三一年に、いつもながらの修辞的な言い回しで次のように書いている。
「税金が高くなりすぎると、所期の目的を達成できないことがある。果実を集める時間が十分にある場合には、財政均衡を図るために増税をするより減税をする方がよい結果をもたらすだろう。今日唱えられている反論は、赤字のために値上げを決意した製造家によく似ている。値上げをすると売れ行きが落ちるので、赤字は一段と増える。すると単純な算術に凝り固まったこの男は、もっと値上げをすればよかろうと考えるのである」(*6)
 アメリカ建国当時と言えば、思慮深い偉人が一堂に会した点で史上稀なる黄金期だが、彼らも税金を低く抑える賢明さを持ち合わせていた。いまにして思えば、トーマス・ジェファーソンはサプライサイダーである。ジェファーソンは「賢明でつつましい政府は、人々が自由に産業を興し育てていけるようにする。労働者が苦労して得たパンを、その手から横取りするような真似はしない。よい政府とはそういうものだ」と述べている(*7)。
 こうした理由から建国の父たちは所得税に反対し(合衆国憲法は労働者に対する「直接税」を禁じた)、アメリカの歴史が始まった最初の一〇〇年ほどは、ほんとうに所得税がなかった。そして全部の税金を合わせた税負担が一〇%を超えることも、めったになかったのである。だが第二次世界大戦中から戦後にかけて所得税率が七〇%、八〇%、さらに九〇%以上へと上がるにつれ、税金は次第に経済を蝕み始める。高い税金が生産意欲を削いだからだ。

(中略)

 単純に考えると、税率を上げれば直ちに税収が増えそうなものである。税率を二倍に引き上げれば税収は二倍に、半分に引き下げれば半分になるはずであり、課税側はそう考えている。だが数年、数十年にわたって追跡してみると、必ずしもそうとは言えないことがわかる。実際には、歴史が実証しているのは別の真実だ。政治家は増税による税収拡大効果を過大評価し、減税による税収縮小効果も過大評価しているのである。
 なぜそうなるのかを説明しよう。まず現実の世界では、増税は労働意欲を失わせる。…(中略)…政府が所得の半分か、それ以上を持っていってしまうなら、なぜ苦労して働かなければならないのか。次に、税金が高くなると、高額所得者は高い金を払って税理士や弁護士を雇い、節税対策を考えさせ、あれこれ策を弄して税負担を軽くしようとする。さらに、もっと税金の安いところへ逃れる人も現れる。反対に税金が低ければ、まったく逆のことが起きる。起業家も労働者も一生懸命働いて蓄財に励むようになり、税金逃れに頭を悩ませなくなる。この過程で雇用が創出され、利益も増える。そうなれば税収は、減税時に予想されたよりも増えることになる。

(中略)

 ラッファー・カーブは、図2・1のような形になる。
 このカーブのポイントは、税収がゼロになる税率が必ず二つあることだ。一つは考えるまでもない。税率がゼロなら税収がゼロなのは、火を見るよりも明らかである。問題は、もう一つだ。それは、税率が一〇〇%のときなのである。稼いだ分を全部政府が取り上げてしまうなら、誰も働かなくなる(実際には働かないと食べていけないから、働きはする。だが誰も所得を申告しないから、税収はゼロになる)。
 ラッファー・カーブのもう一つのポイントは、税率ゼロから一〇〇までの間には、税収が同じになる税率がつねに二つあることだ。課税ベースの小さい高い税率と、課税ベースの大きい低い税率である。
 したがってラッファー・カーブは、減税をすれば税収が増えることも、減ることも、意味しない。税率を変えたときに税収がどうなるかは、その時々の租税制度次第だし、税収の変化をどの程度のスパンで見るかによってもちがってくる。また、節税・脱税がしやすいか、法の抜け穴が大きいかどうかにも左右される。カーブをたどっていくと、税収が最大になる点を通過すると、その後は税収が減り始めることがわかるだろう。ここが、ポイントだ。ラッファー・カーブが意味するのは、税収が最大になるときの税率(最適税率)を上回ったら、生産や労働の意欲は失われてしまうこと、それに尽きる。最適税率を上回る税金はもはや重税であり、避けるべきである(図の危険区域)。このような税率の下では、いずれは税収は減少する。重要なのは、働き、投資し、リスクをとり、金儲けをしたくなるように、つまり意欲を刺激するインセンティブとなるように、税率を設定することである。


 税率が高くなると、インセンティブが失われ、かえって税収は減る。税率と税収の関係はラッファー・カーブで示される、と書かれています。



 ラッファー・カーブがどのようなものか。引用文中の「図2・1」を下に示します(↓)。



100 %

*
*****
**********
*****************
********************
*********************
____________________*
___________________*
________________*
__________*
____*
*

0 %



 グラフの縦軸が税率、横軸が税収です。つまりグラフが横に広がっているほど、税収が大きいことを示しています。

 このグラフでは、税率が100%のときと税率が0%のとき、税収が0になり、真ん中あたりの税率で、税収が最大になる様子が示されています (なお、いうまでもありませんが、このグラフは税率が50%のときに税収が最大になるという意味ではなく、たんに「税率と税収のおおまかな関係」を示しているにすぎません) 。



 常識的に考えて、このラッファー・カーブは正しいと思います。

 とすれば、財政赤字解消のために税率を上げるべきだ、といった主張は、「単純すぎる」ということになります。税率を上げればかえって財政赤字が拡大してしまう可能性があるからです (図の ***** 部分) 。

 また、逆に、税収を増やすために税率を下げるべきだ、といった主張も、「単純すぎる」ということになります。税率を下げればかえって税収が減ってしまう可能性もあるからです (図の _____ 部分) 。

 とすると、税収を最大にするために(財政赤字解消のために)、税率を上げるべきか下げるべきか、それは現在の税率がラッファー・カーブのどの位置にあるか、によって決まってくることになります。

   現在の税率が
     ***** 部分であれば税率を下げれば税収は増え、
     _____ 部分であれば税率を上げれば税率は増える

はずだからです。



 ところで、「消費税」とは「形を変えた所得税」だと言ってよいと思います。商品価格に税金を含めず、利益に課税すること(所得税)と、商品価格に税金を含めること(消費税)とは、実質的にみて同じだといってよいからです。

 したがって、引用文中で直接的に述べられているのは所得税についてですが、消費税についても(程度の差はあれ)同様のことがいえると考えられます。

 いま、日本では「財政赤字解消のための消費税増税」論が主張されていますが、ひょっとすると、財政赤字解消のためには消費税「減税」が正しい対策かもしれない、という可能性も考えなければならないと思います。

自由貿易の利点と弊害

2011-02-17 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.36 )

 二〇〇七年八月、オバマは自由貿易の存続にかかわる重大な発言を行った。
「安いTシャツを買ったら、誰かが失業する。それがわかっていたら、みなさんは安いTシャツを欲しいとは思わないでしょう。誰かが失業しないようにするためなら、Tシャツにもうすこしお金を出してもいいと考えるのではないでしょうか。アメリカ人ならきっとそう考えるにちがいありません」(*26)
 ほんとうにそうだろうか。もう一歩進めて考えてみよう。アメリカ人労働者の雇用を維持するために、アメリカ人は国産自動車に「もうすこしお金を出してもいい」と考えるとしよう。プラズマテレビについても、家電や衣料品や食品についても、そう考えるとしよう。その行き着く先は何か。答えはもうわかっている。アメリカでは国際競争力のない製品が作り続けられることになるのだ。そうなれば輸出はできない。すると、雇用はどうなるだろうか。
 貿易保護主義は民主党の専売特許ではない。たとえば共和党の大統領候補マイク・ハッカビーは、保護主義を訴えてアイオワ州党員集会で勝利を収めた。
 だが貿易障壁や関税によって誰よりもひどい目に遭うのは、貧しい人々である。そして自由貿易がもたらす物価下落の恩恵を誰よりも多く享受するのも、この人たちだ。二〇〇一~〇六年に食品、衣料品、家電などが軒並み値下がりしたが、これは、グローバルな競争が価格押し下げ圧力として働いたからである。中国からの安価な輸入品のおかげで家計が楽になるのは、ウォルマートで買い物をする庶民なのだ。あらゆる社会保障プログラムをひっくるめた以上に貧困軽減に貢献したのは自由貿易であり、輸入品を扱うウォルマートのような量販店である。大統領も、ナンシー・ペロシ下院議長も、ハッカビーも、労働組合の幹部も、なぜこんな簡単なことがわからないのだろうか。


 保護貿易主義をとれば競争力のない製品が作り続けられることになる。そうなれば、雇用は失われ、価格の高い製品を買わざるを得なくなる。自由貿易こそが、雇用を維持し、物価を下げる。自由貿易でもっとも恩恵を受けるのは、貧しい人々である、と書かれています。



 著者の主張が「正しい」といえるためには、自由貿易の下で、アメリカ人の雇用を生み出す(新しい)仕事が次々に生まれなければなりません。

 しかし、本当に次々に雇用を生みだせるものでしょうか。この部分に、やや疑問があります。



 一般に、先進国では物価も給与も高い傾向にあります。したがって、自由貿易を続ければ「要素価格均等化の定理」によって、

   たしかに物価は下がるが、
   同時に給与も下がる

ことになります。

 それでは、どこまで給与水準が下がるのか。「アジア各国の賃金例」に引用したデータを見てください。衝撃的な数字が並んでいます。現実問題として、

   いかに物価が下がろうとも、こんな給与水準はイヤだ、

という人が多いのではないかと思います。



 もちろん、発展途上国では作れない高度な製品もあり、先進国にも国際競争力のある仕事はあります。国際競争力を失い、いままでの仕事がなくなった人は、べつの新しい仕事、国際競争力のある仕事に就けばよい、とも考えられます。

 しかし、発展途上国といえども、いつまでも現状に安住しているわけではありません。着実に、技術水準を上げて先進国の仲間入りをしようとしています。

 とすれば、先進国にある国際競争力のある仕事は、次第に失われてしまう傾向にある、と考えてよいと思います。



 とはいえ、保護貿易主義をとれば (著者が述べているように) 国全体の競争力が失われてしまうこともあきらかだと思います。難しい問題なので、さらに考えたいと思います。



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フラット税は公平ではない

2011-02-16 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.34 )

 オバマの税制改革案(詳細は自身のウェブサイトに掲載されている)によると、所得税率は最高五〇~六〇%に戻される見通しである。「我が国の税体系は歪んでいる。国民はブッシュ減税を必要としていなかったし、望んでもいなかった。したがって、減税を縮小していく必要がある。そうすれば国民皆保険などに取り組む財源ができる」(*24)というのがオバマの考えだ。
 だがもっと過激なことになる可能性もある。たとえば民主党の知恵袋と言われクリントン政権で労働長官を務めた経済学者のロバート・ライシュ(CNBCテレビで毎週スティーブ・ムーアと討論する「ダイナミック・デュオ」の相棒)は、「経済ポピュリズム」の必要性を説く仰天論文を二〇〇六年一二月に発表している。この中でライシュは教育、医療、労働の「均等な機会」を提供すべきだとして、次のように主張した。
「そのための財源を確保し、国民一人ひとりに地位向上の機会を保証するためには、現在よりも累進制をきつくする必要がある。社会保障税は、年間所得二万ドルまで免除する一方で、現在一〇万ドルに設定されている上限を撤廃する。最高所得層に適用される限界税率は、アイゼンハワー政権やケネディ政権のときの七〇~九〇%に戻す」(*25)
 私たちが考える解決策は、これとは全然ちがう。私たちは、フラット税、すなわち国民全員に均一の低い税率を課す方式を提唱する。所得が増えれば税金の絶対額は増えるが、税率は変わらない。そうなれば、節税だの税金逃れだのもなくなる。一律一二%の所得税を法人と個人に課税するだけで、十分な歳入が確保できるはずだ。考えてみてほしい。所得税がたったの一二%である。経済は俄然活気を取り戻すにちがいない。
 ところが左派のお好みは、所得が増えるほど税率が上がる累進課税である。アイゼンハワー政権では、最高税率が九一%にも達したが、ライシュはあの時代に戻ろうと言うのだ。最後の一ドルを手にするたびに政府に九一セント取り上げられるとしたら、誰がもっと稼ごうという気になるだろうか。これはもう、税金という形で所得を没収するようなものである。民主党の指導的立場にある人がこのような租税制度の復活を示唆するとは、考えただけでぞっとする。
 なぜ、フラット税を考えてみようともしないのだろうか。


 税体系はフラット税がよい。そうすれば「節税だの税金逃れだのもなくなる」。累進課税制度では「誰がもっと稼ごうという気になるだろうか」、と書かれています。



 これは一見、もっともな主張です。

 しかし、この主張には問題があると思います。



 たしかに「努力して」お金を稼いでいる人もいます。しかし、所得が多いことと「努力」とは、かならずしも関連しているとはいえません。

 昨年、鳩山総理(当時)の「子ども手当」が話題になりましたが、株主に対する配当は、株主の「努力」に対して支払われているものではないと思います。「もっと稼ごう」という気になろうがなるまいが、自動的に配当金は支払われるのであり、フラット税にして株主に「もっと稼ごう」という気になってもらう必要はありません。

 そもそも、「誰がもっと稼ごうという気になるだろうか」という問題提起そのものが、おかしいのではないかと思います。ここには、「いや、誰も稼ごうとは思わないはずだ」と読者に思わせ、読者を累進課税反対・フラット税賛成派にしよう、という意図が込められています。

 しかし、累進課税で「もっと稼ごう」という気にならなくなる可能性があるのは、社会の「ごく一部の人」であり、読者(国民)の多くを説得するには、やや力不足だと思います。

 さらにいえば、所得を多くするには仕事を全部自分でするのではなく、人を雇って(従業員に)任せることが重要ですが、いわゆる高所得者が「もっと稼ぐ」ために、雇っている従業員の給与を「もっと下げる」ということにもなりかねません。それなら高所得者層に「もっと稼ごう」と思ってもらいたくない、という人が多いのではないかと思います。



 著者は、ライシュは教育、医療、労働の「均等な機会」を提供すべきだとして、
「そのための財源を確保し、国民一人ひとりに地位向上の機会を保証するためには、現在よりも累進制をきつくする必要がある。社会保障税は、年間所得二万ドルまで免除する一方で、現在一〇万ドルに設定されている上限を撤廃する。最高所得層に適用される限界税率は、アイゼンハワー政権やケネディ政権のときの七〇~九〇%に戻す」
という仰天論文を発表している、と書いていますが、

 所得格差の背景には、ひとりひとりの「能力」や「努力」による差のほかに、「スタートラインが違う」という問題があります。恵まれた家庭環境で育った者と、そうではない家庭環境で育った者とが、同一のスタートラインに立って「競争」しているのが現実の社会であり、このことを考えると、ライシュの主張は「仰天論文」どころか、その正反対だということになります。おそらくライシュにすれば、著者らの主張こそが「仰天論文」になるのでしょう。



 とはいえ、著者の述べるフラット税の長所について考えることも重要だと思います。そこで読み進めつつ、フラット税の是非について考えたいと思います。

オバマの「増税=公正」論

2011-02-14 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.20 )

 それではここで、二〇〇八年大統領予備選中のちょっとしたエピソードをご紹介しよう。これを読めば、いまの政策姿勢がいかに成長と逆方向を向いているか、おわかりいただけることと思う。フィラデルフィアで開かれた民主党の討論会で、ABCニュースのチャーリー・ギブソンがキャピタルゲイン課税についてオバマ候補に質問した。



ギブソン キャピタルゲイン税の引き上げに賛成だとお聞きしましたが、CNBCのインタビューに応えて、「ビル・クリントン政権のときの水準以上には上げない」と言われました。当時のキャピタルゲイン税の税率は二八%、現在は一五%ですね。ただし実際にはクリントン元大統領は一九九七年に、税率を二〇%に引き下げる法案に署名しています。

オバマ そのとおりです。

ギブソン その後、ジョージ・W・ブッシュ大統領が一五%に引き下げました。そして税率が引き下げられるたびに、税収は増えています。税率が二八%だった一九八〇年代の方が、税収は少なかった。となると、なぜ引き上げるのですか。しかも現在のアメリカでは一億人以上が株を買っていて、増税の影響を被るというのに。

オバマ 私が言いたいのは、引き上げを考えるとすれば、それは公正のためだということです。上位五〇人のヘッジファンド・マネジャーが去年一年間で稼いだ額は二九〇億ドルに達する、と今日の記事に書かれていました。たった五〇人で二九〇億ドルですよ。そんなことができるのも、キャピタルゲインには、彼らの秘書より低い税率しかかからないことが一因です。これは公正とは言えないでしょう。

ギブソン しかし過去の例を見れば、税率を下げると税収が増えているのですよ。

オバマ そうですね、そういうことはあるかもしれない。しかし、そうならない可能性もあるでしょう(*17)。



 この驚くべき会話を聞いて、私たちは頭をかきむしった。たぐいまれなる資質に恵まれ、七万人以上の熱狂的な支持者でスタジアムを満員にすることができ、「大いなる希望」を実現しようとしているこの政治家は、現実の世界で経済がどのように機能するかについて、ひょっとすると全然わかっていないのではあるまいか。どうすれば雇用が創出されるのか、起業する人、リスクをとる人がどのように富を生むのか、理解しているのだろうか。全国のテレビ視聴者の前で、たとえ税収が減るとしてもキャピタルゲイン税を引き上げるかもしれないとオバマは認めた。なぜならそれが「公正」だからだという。誰にとっての公正なのだろう。増税で税収が減ったら、誰もが、文字通り国民全員が、損をする。政府も、納税者も、経済も、労働者も。
 だがこれは、襲撃のほんの始まりに過ぎない。今後数年間で、キャピタルゲイン税だけでなく所得税、配当税、社会保障税、固定資産税などまで、広い範囲にわたる増税が行われるのではないかと私たちは懸念している。小さい政府に賛同する友人の多くでさえ、今後五~一〇年は増税やむなしと考えている。増える一方のメディケア(高齢者向け医療保険制度)とメディケイド(低所得層向け医療扶助制度)、さらにその他諸々の社会福祉コストをまかなうためには、それしかないというのだ。また、あのいやらしい代替ミニマム税(AMT)は、いまのところ高所得層五〇〇万人が納めているが、二〇〇九年には課税対象が中間所得層二五〇〇万人にまで拡大しそうである。ここ数十年ほどは、世界では減税が主流だった。アイスランド、アイルランド、英国、スウェーデン、そしてフランスでさえも減税を実施している。だがアメリカは二〇一〇年までに、投資、貯蓄、企業利益、株式保有にかかる税金が世界一高い国になりそうだ。そんな重石を載せられたら、グローバルな競争にどうやって打ち勝つことができるだろう。高い税金がアメリカ経済を健全化するとは思えない。
 一つ確実なのは、政府が経済政策の方向性を誤ったら、経済成長を生み出すエンジンはストップしてしまうということだ。朝が来れば日が昇るのと同じぐらい、これは確実である。政策は一国の経済を左右するからこそ、私たちは本書を書いた。繁栄は偶然の産物ではなく、成長は成り行きで実現するものではない。大切なのは経済政策であり、企業努力や労働意欲を高めるようなインセンティブである。


 過去のデータは、税率を下げると税収が増えることを示している。それにもかかわらず、オバマ候補(現大統領)は税率を上げると主張している。なぜならそれが「公正」だからだという。誰にとっての公正なのか、増税で税収が減ったら、誰もが、文字通り国民全員が、損をする。政府も、納税者も、経済も、労働者も、損をするというのに、と書かれています。



 税率を下げると税収が増えるという(著者の)主張の是非は、今後、この本を読み進めていく過程で検討します。

 今回は、オバマの主張の是非について、意見を述べます。



 オバマ候補(現合衆国大統領)は、次のように述べています。
ギブソン しかし過去の例を見れば、税率を下げると税収が増えているのですよ。

オバマ そうですね、そういうことはあるかもしれない。しかし、そうならない可能性もあるでしょう(*17)。
 このオバマの回答は、どう考えるべきなのでしょうか。

 「税率を下げると税収が増える」という経済学者の研究成果をオバマは理解していない、とも受け取れます。

 常識的に考えれば、税率を下げれば税収が減ってしまうはずであり、税率を上げれば税収が増える、ということになるはずです。日本で消費税増税論が出ているのも、「税率を上げれば税収が増えるはず」だという前提があります。

 とすれば、オバマは経済理論を理解しておらず、常識的な発想にとらわれているにすぎないとも考えられます。



 しかし、この本を読み進めればわかるのですが、「税率を下げると税収が増える」場合もあるけれども、「税率を下げると税収が減る」場合もあることがわかります。

 つまり、オバマの「そうですね、そういうことはあるかもしれない。しかし、そうならない可能性もあるでしょう」は、理論的にみて「正しい」発言です。もちろんオバマが経済理論を知らず、常識的な発想で「そっけない返事をした」可能性も否定しきれませんが、オバマは経済理論を理解しており、そのうえで「理論が成立する範囲」を考慮しつつ「的確な返事をした」可能性もあるわけです。



 著者は「全員が損をする」にもかかわらず、オバマは「公正」を理由に「全員が損をする」政策を主張しているが、それは「誰にとっての公正」なのか、それは本当に「公正」といえるのか、を疑問視しているのですが、

   増税で「全員が損をする」場合もあれば、
      「全員が損をしない」場合もある

わけで、著者の主張は「公平さを欠く」のではないか、著者の主張のほうが「おかしい」のではないか、と考える余地があります。

 オバマは「そうならない可能性もあるでしょう」=「増税で税収が減らない可能性もあるでしょう」と言っているにもかかわらず、著者は「たとえ税収が減るとしてもキャピタルゲイン税を引き上げるかもしれないとオバマは認めた」と述べています。たしかに、このように言えないこともないのですが、オバマは「的確な返事をした」可能性もあります。その可能性を考慮すれば、著者のオバマ批判は一面的にすぎるのではないかと思います。