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公平上、最適なキャピタルゲイン税率

2011-04-28 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.270 )

 かれこれ三〇年近く、キャピタルゲイン減税が提案されるたびに、いわゆる税の公正の問題が議論の的になった。キャピタルゲイン減税で得をするのは誰で、損をするのは誰なのか。ブッシュ大統領が二〇〇三年に減税を提案したとき、反対陣営はこう主張した。減税分の六割は、アメリカ人のたった一%を占めるに過ぎない富裕層へ行ってしまう、と。
 なるほどキャピタルゲインを手にする人の大半は富裕層に属する。だが納税申告書にキャピタルゲインを書き入れるのは、富裕層だけではない。アメリカに何百万人もいる中間所得層も、キャピタルゲイン税をとられている。二〇〇五年の内国歳入庁のデータを見ると、キャピタルゲインを申告した人の四七%が、年収五万ドル未満だった。ちなみに納税申告者(ご存知のとおり、アメリカでは給与所得者でも個人で確定申告をしなければならない)の七九%が年収一〇万ドル以下、その半分は五万ドル以下となっている(*13)。しかもこのデータでは、キャピタルゲインがあった人の年収が大幅に実態より過大評価されている。というのも、家屋敷などの資産の売却は、ふつうの人にとって一生に一度あるかないかの特殊な出来事だからだ。たとえばある人が持ち家または農園を売り、一〇〇万ドルを売却代金として受け取ったとしよう。この人の年収は通常の年には五万ドルほどなのだが、生涯一度の資産売却をしたがために、この年だけ「富裕層」になってしまう。
 キャピタルゲイン税は、ほんとうの儲けではなく、単なる物価上昇による「ゲイン」にまで課税される点で、きわめて不公平な税である。キャピタルゲイン税は物価スライドでないため、インフレ下では実効税率が法定税率を大幅に上回ることになる。中立的な民間組織タックス・ファウンデーションの調査では、こうした実態がキャピタルゲイン税を大きく歪ませ、場合によっては投資家が「手にしたキャピタルゲインの一〇〇%を大幅に上回る実効税率を適用されることもある」という(*14)。プリンストン大学教授で元FRB副議長のアラン・ブラインダーは、一九八〇年に、「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない。物価が上昇する中で売らずに持っていたというだけだ」と指摘している(*15)。幸いにもインフレ率は一九七〇年代に比べればだいぶ低くなったが、資産を長く保有するほどインフレの悪影響が積み上がることに変わりはない。議会は長期保有が好ましいと言っているが、皮肉なことにキャピタルゲイン税が物価スライドでないがために、資産の回転が促される結果となる。
 キャピタルゲイン税には、もう一つ、きわめて不公平(かつ非効率)な点がある。資本形成の過程で二重課税になっていることだ。政府は、資産価値に課税するか、利益に課税するか、どちらかを選んでよいが、両方に課税すべきではない。たとえば、ある会社の株にキャピタルゲイン税が課されるとしよう。この株の価値は、会社の将来の収入を現在価値に割り引いたものと考えることができる。仮にこの会社が今後二〇年にわたって毎年一〇万ドルの利益を上げるとしたら、株価にはそれが反映されているはずだ。したがってこの会社の株を売って得た利益にも、こうした将来の利益が反映されることになる。となれば、株を売った人が払うキャピタルゲイン税は、将来の予想利益にかかる税金にほかならない。ところがこの会社が将来に上げる年間一〇万ドルの利益には、法人税が課される。したがって、一〇万ドルには二度税金がかけられているのだ。一度目はこの会社の株主が株を売ったときに期待利益に対して、二度目は会社が現実に上げた利益に対して。租税専門家の多くが、キャピタルゲイン税の最も公平かつ経済的に最適な税率はゼロだと主張するのは、このためである。マイナスならさらに経済効率がよいはずだとラッファーは考えているが、もちろん税率ゼロに喜んで賛成する。


 公平を考えるなら、キャピタルゲイン税は税率ゼロにするべきである、と書かれています。



 キャピタルゲイン減税というと、富裕層だけが得をするかのようなイメージがあります。しかし、一般大衆も持ち家を売却した場合などにはキャピタルゲイン税が課されるのであり、

   キャピタルゲイン税をとられるのは富裕層だけではない、

という著者の指摘・批判は鋭いと思います。



 次に、
プリンストン大学教授で元FRB副議長のアラン・ブラインダーは、一九八〇年に、「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない。物価が上昇する中で売らずに持っていたというだけだ」と指摘している(*15)
という部分についてですが、

 戦後の上場企業の株価上昇をみるかぎり、「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない」という主張には違和感があります。株価の上昇が物価上昇に比例しているとは、(すくなくとも私には) とても信じられません。

 もちろん倒産した企業もたくさんありますので、「全体的にみれば」アラン・ブラインダーの主張は正しいのかもしれません。しかしそれは「ほとんどのキャピタルゲインは、実質購買力の増大を反映するものではない」と評すべきものではないと思います。



 最後に、キャピタルゲイン税は「二重課税になっている」という部分、これには説得力がありません。

 たしかに著者が主張するとおり、

   株を売った人が払うキャピタルゲイン税は、
    将来の予想利益にかかる税金にほかならないし、

   会社が将来に上げる利益には、
    法人税が課されるので、

   会社が上げる利益には、
    二度税金がかけられている

というのは本当です。

 しかしだからといって、「キャピタルゲイン税の最も公平かつ経済的に最適な税率はゼロ」だということには「ならない」のです。



 それはなぜでしょうか? 理由は簡単です。政府は、キャピタルゲイン税と法人税、どちらか片方に課税する代わりに、

   キャピタルゲイン税と法人税、
    それぞれ半分ずつ課税してもよい

からです。どちらか片方に課税するのではなく、両方に半分ずつ課税してもよいのです。単純化していえば、一度にまとめて10%課税することと、5%ずつ2回に分けて課税することは「おなじ」だということです (正確には数値が微妙に異なりますが、おおよそこのような関係が成り立ちます) 。

 もちろん6対4の割合でもよいし、2対8の割合でも構いませんが、「どちらか片方への課税でなければ不公平である」とは「いえない」ことは、あきらかです。



 「二重課税は不公平である。したがってキャピタルゲイン税か、法人税か、どちらか一方に課税せよ。両方に課税してはならない」という主張は、一見、説得的であるかに映ります。現に、このような主張をしている本はときどき見かけます。

 しかし、上に述べた理由により、著者 (または同様の主張をしている他の本の著者ら) の主張には説得力がない、と言ってよいと思います。



 以上により、
  • 税率が適切でありさえすれば、キャピタルゲイン税には「公平」の問題はなく「不公平」だとはいえない。したがってキャピタルゲイン税の税率をゼロにする必要はないが、
  • キャピタルゲイン税をとられるのは富裕層だけではないことから、
  • キャピタルゲイン税の税率は低いほうがよい
と (私は) 考えます。



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