言語空間+備忘録

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福島第一原発事故、「レベル7」の実質

2011-04-14 | 日記
REUTERS」の「再送:福島原発事故「レベル7」、専門家は評価制度に異論」( 2011年 04月 13日 19:07 JST )

 [ニューヨーク 12日 ロイター] 東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)福島第1原子力発電所の事故の深刻さを示す国際評価が引き上げられたことを受け、海外の専門家からは疑問や評価制度自体の見直しを求める声が出ている。
 日本の原子力安全・保安院と原子力安全委員会は12日、福島第1原発事故の「国際原子力事象評価尺度(INES)」を放射性物質の放出量を踏まえて「レベル5」から2段階引き上げ最悪の「レベル7」にしたと発表した。これまでに「レベル7」に判定されたのは1986年に起きたチェルノブイリ原発事故のみ。福島第1原発事故が、欧州に大量の放射性物質をまき散らし、周辺に数十人の死者を出し、その後多数のがん患者を出したチェルノブイリ事故と同じくらい深刻と判定されたことになる。

 しかし、異論も出ている。

 南カリフォルニア大学のNajmedin Meshkati教授(土木環境工学)は「福島の事故はチェルノブイリほど深刻ではない。福島がレベル7なら、評価尺度を見直しレベル8か9まで作る必要がある」と言う。

 INESは、チェルノブイリ事故を受け、原発事故の深刻さを一般に示すために国際原子力機関(IAEA)などによって1989年に策定された。地震の規模を示すマグニチュードと同様、事故の深刻さが高くなるほど数字が上がり、最高がレベル7「深刻な事故」となっている。

 米カーネギー国際平和財団のアソシエート、ジェームズ・アクトン氏は、福島とチェルノブイリの比較上の不一致は「『7』が広範な罪をカバーする」という事実からきていると指摘する。

 福島とチェルノブイリがレベル7とされたのは、事故の深刻さが同程度という理由ではなく、放射性物質の放出量が規定値に達したためだとしている。 

 <混乱を招く評価付け> 

 事故の本当の深刻さをめぐる混乱は、評価する当局が定まっていないことにも関係する。評価は、原発を運営する企業、政府の所管機関あるいは科学研究機関など、当該国によって異なる。
 カリフォルニア大学のケネス・バリッシュ教授(物理学)は「明らかに(福島の事故)はチェルノブイリほど深刻でない」と主張。

 「放射性物質の放出量がチェルノブイリと同程度としても、事故の内容や対応の違いから人体への影響は福島の方がはるかに小さい」との認識を示した。

 しかし福島は、3基の原子炉および使用済み燃料棒プールが関係する事故。地震発生から1週間以内に水素爆発も起きている。チェルノブイリは原子炉1基の事故だった。

 原子力業界で長い経験を持つフェアウィンズ・アソシエーツのチーフエンジニア、アーニー・ガンダーセン氏は、3基の原子炉と燃料棒プールが冷却機能を失うという事態は明らかにレベル7に相当すると指摘した。 

 <政府・東電は説明不足> 

 今回の評価引き上げについて、専門家からは、日本政府は国民や近隣諸国がそういう事態も想定できるような措置を取ることができたはずだ、との声も出ている。

 IHSエナジー・アジア・パシフィックのアナリスト、トマス・グリーダー氏は「日本政府と東電は、危機が発生した時に原子炉の燃料棒プールの状況をほとんど把握できていないことを強調できたはず」と指摘する。

 政府と東電は、当初の評価はその時点で入手している極めて限定的なる情報に基づいたものであり、放射性物質の放出量のデータを収集するには時間を要し、評価はより深刻な方向に修正する可能性もあると説明できた、という。
 専門家は、福島第1原発の問題はまだ完全に制御できておらず、水素爆発など事態がさらに深刻化する可能性があると警告している。

(Scott DiSavino/Eileen O'Grady記者;翻訳 武藤邦子;編集 吉瀬邦彦)

*本文4段落目の表記を修正して再送します。


 福島第一原発事故が (深刻さを示す指標上限の)「レベル7」とされたことに関し、専門家の間で異論が出ている、と報じられています。



 この報道で重要なのは、
 カリフォルニア大学のケネス・バリッシュ教授(物理学)は「明らかに(福島の事故)はチェルノブイリほど深刻でない」と主張。

 「放射性物質の放出量がチェルノブイリと同程度としても、事故の内容や対応の違いから人体への影響は福島の方がはるかに小さい」との認識を示した。

 しかし福島は、3基の原子炉および使用済み燃料棒プールが関係する事故。地震発生から1週間以内に水素爆発も起きている。チェルノブイリは原子炉1基の事故だった。

 原子力業界で長い経験を持つフェアウィンズ・アソシエーツのチーフエンジニア、アーニー・ガンダーセン氏は、3基の原子炉と燃料棒プールが冷却機能を失うという事態は明らかにレベル7に相当すると指摘した。
という部分だと思います。



 つまり、状況を整理すると次のようになります。

   個々の原発(原子炉)についてみれば、
         状況は「さほど」悪くない  ……(*1)

   しかし、今回は、
   3基の原子炉と燃料棒プールの事故なので、
    (全体的な) 危険度は高くなっているし、……(*2)
    (全体的な) 放射性物質の放出量が多い ……(*3)



 ひとつひとつの原子炉についてみれば、状況は「レベル7」といえるほど悪くないが (*1) 、複数の原子炉の事故であるために、放出された放射性物質の「合計」が多くなった (*3) と考えられます。

 しかし、それでは「安全なのか」といえば、「複数の原子炉が一か所で、同時に事故になっている」ために、「事故が拡大し続ければ、となりの原子炉にも影響が及んだり、対処が難しくなるおそれ」がある (*2) と考えられます。

 この状況は、

   取りようによっては「深刻だ」ともいえるし、
   取りようによっては「深刻ではない」ともいえる

はずです。そのために、専門家のあいだで「深刻度」の評価が異なっているのではないかと思います。



 したがって、

   これ以上、状況が悪化しなければ
     「レベル7」というほど危険ではない

と考えてよいのではないかと思います。



■関連記事
 「福島第一原発事故、レベル7に引き上げ
 「福島第一原発事故、重大だが、チェルノブイリ級ではない

行政による「風評被害」の定義と、その疑問点

2011-04-14 | 日記
「最先端似非(?)科学のリバネスって、隠蔽も素早いんだな!!」社長のブログ」の「風評被害とは(農水省への電凸レポート入り)

あちこちで「風評被害」という言葉を聞くのだけれど、新聞とかで語られている「風評被害」と、僕が思っている風評被害がかけ離れている感じなので、まず、農水省に電話して風評被害の定義について聞いてみた。そのまとめ。

(中略)

最初に「風評被害の定義を教えてください」と質問したら早速モゴモゴ。「特に決めていないのだが、科学的知見に基づいていない流言飛語などがあるおかげでものが売れない状態が風評被害だ」というので、「朝日新聞に掲載された「千葉県産の魚が風評被害で売れない」という状態は風評被害ではないですよね、これは安全性が科学的知見によって証明されていないんですから」と突っ込んでみた。すると、「農水省はこの件については「風評被害」という言葉は使っていない」というので、「では、朝日新聞の記事は、朝日新聞が勝手に間違った言葉を使ったということですか」と聞くと、「私たちはそこまで関知していない」とのこと。続けて、「大臣も風評被害という言葉を使っているが、では、その定義はないということか」と聞くと、もごもごもごもご(笑)。その上で「総務課に聞いてくれ」とのことなので、わかりました、身分とお名前をお願いします、と聞いたら消費者の部屋の水産安全専門官だそうで。じゃぁ、総務課に聞くかなぁ、と思い、「念のため今の回答を文書でください。文責をはっきりさせたいので」と言ったら、他の部署に回された(笑)。文章にするのは嫌みたいです。

#僕が元役人だからって、役人が嫌がりそうなところをわざとついているなんてことはないですよ(笑)

次に回された先は総合食料局技術課というところ。消費者の部屋は酷い部屋だったけれど、こちらはちょっとマシな感じ。

それで、「風評被害という言葉の定義を教えてください」と質問したら、例によって「科学的知見に基づかずに噂などが流れて、ものが売れなくなる状態のことです」とのこと。なので、僕が「朝日新聞に千葉の魚が風評被害という言葉が載っていたけれど、これは風評被害じゃないですよね。だって、そもそも安全だってことがわからないんだし」と聞いたら、「そのあたりの受け取り方はそれぞれです」だって。おいおい、言葉はそれぞれなのかよ。朝日新聞が勝手に風評被害という言葉を使ったから仕方がないってか?

(中略)

そこで、別の方向から突っ込んでみた。「基準内であっても、気分で買いたくないというのは普通の話ですよね。例えば中国産の餃子やにんにくは国産に比較して安いわけで、それは「もしかしたら何か変なモノが入っているかも知れない」と思うからですよね。安全は確認されているけれど、安全な範囲でも、食品としての価値は異なるわけです。ということは放射能でも同じです。仮に基準値が5000ベクレルとして、九州産が0ベクレル、千葉産が2000ベクレルとして、両者は食品としては妥当だけれど、消費者が九州産を選ぶのは当たり前ではないですか?また、千葉産が売れ残ったとしても、それは風評被害とは言えないのではないですか?」と質問。「個人的にはそれは消費者判断だと思うが、省としては回答不能です」と言っている。「じゃぁ、千葉の魚がちょっとでも放射能に汚染されていれば、これが売れないのは風評被害ではないですよね?」とたたみかけたら、「個人としてはそう思う」とのこと。

「個人的には」という枕詞付きではあるけれど、一応自分の考えを提示したところは評価できる。おそらく、農水省からはこれ以上突っ込んでも有益な話は出てこないだろうと思ったので、電話を切った。

さて、結局のところ、「風評被害」という言葉に定義はないことがわかった。今後、賠償金の支払いなどで重要になってくると思うし、定義がないなら政治家も気安くこの言葉を使うなよ、と思う。何でもかんでも「風評被害」で片付けられて批判されてしまったら生活者だって迷惑だ(風評被害は、要は「生活者がバカなんだよ、ちゃんと勉強しろよ」という意味だからね)。


 「風評被害」の定義について、農水省に電話をして質問したところ、「(確定的な定義は定めていないものの) 科学的知見に基づかずに噂などが流れて、ものが売れなくなる状態のことです」という回答を得た、と書かれています。



 上記定義によれば、「九州産の」農水産物が売れなくなる (価格が下がる) のは「風評被害」だが、「福島産や茨城産の」農水産物が売れなくなる (価格が下がる) のは「風評被害ではない」と考える余地が残ることになります。

 なぜなら、上記ブログ主が書いているように、あるいは私が以前、「「風評被害」の定義」で述べたように、

   いかに「安全な」レベルであるとはいえ、
     放射性物質を含まないほうがいいに決まっている

からです。



 そもそも、「安全な」レベルであるにもかかわらず、(売れなくなったり) 価格が下がれば「風評被害」だということになれば、たとえばクルマについても、
「表面に多少、傷がついていても安全」なのに、クルマの売れ行き・価格が下がれば「風評被害」
ということになってしまいます。また、たとえば不動産については、
「以前、その部屋で誰かが自殺していても安全」なのに、物件の人気・価格が下がれば「風評被害」
ということになってしまいます。



 やはり、「科学的に安全」である以上「同じ価格で」売れなければ「風評被害」である、といわんばかりの風潮は「おかしい」と考えてよいのではないでしょうか。

 いかに「科学的に安全」なレベルの放射性物質しか含まれていないとはいえ、含有する放射性物質の量が少ないほうが (もっと)「科学的に安全」である、と考えてよいはずです。



 そもそも、日本は資本主義社会のはずです。価格は「市場」によって決定されるのが当然で、価格を「行政」が決定 (または操作) しようとすること自体、「おかしい」のではないかと思われてなりません。



 なお、不動産の場合、「以前、その部屋で誰かが自殺していた」場合、(貸主・仲介業者には) その事実を告げる「告知義務」があると (一般に) 解されています。つまり、過去に誰かが自殺した部屋は「科学的に安全」だが、物件の人気・価格が下がるのは当然であって「風評被害」ではない、ということです。

地震予知は不可能である

2011-04-14 | 日記
REUTERS」の「地震予知は「不可能」、国民は想定外の準備を=東大教授」( 2011年 04月 14日 11:03 JST )

 [香港 14日 ロイター] 東京大学のロバート・ゲラー教授(地震学)は14日、現代の科学技術では地震の予知は不可能であるとし、日本政府は国民に対し予測不可能な事態に備えるよう呼び掛けるべきだと強調した。英科学誌ネイチャー(電子版)に掲載された論文について、ロイターが電話取材を行った。
 ゲラー教授は、地震学者が現在使用している予知器などは、差し迫った地震を予知するには不十分だと指摘。「理論的には一両日中に地震が起きると予知しようとしているが、私の考えではこのシステムは科学的に完全ではなく、中止されるべきだ」とし、「(地震の予知は)無益な努力だ。不可能なことを可能であると見せかける必要はない」と切り捨てた。

 同教授は論文で、東海地域で今後想定される地震に対する日本政府の防災計画についても触れ、3月11日に発生した東日本大地震が予測できなかったように、東海地震も予測できないとした。東海地域では1498年、1605年、1707年、1854年に大地震が発生している。同地域で新たな大地震が起きた場合、死者数は数千人、数百万棟単位での建物倒壊が予想されており、中部電力浜岡原発への懸念も高まっている。

 同教授は「予知できる地震はない。これは鉛筆を曲げ続ければいつかは折れるのと同じことだ。それがいつ起きるのか分からない」と指摘。地震は予知不可能であることを率直に国民に告げる時期が来たとし、日本全土が地震の危険にさらされており、地震科学では特定地域でのリスクの度合いを測ることはできないと述べた。「われわれは(地震を予知するのではなく)想定外の事態に備えるよう国民と政府に伝え、知っていることと知らないことを明らかにすべきだ」と提言した。

 またゲラー教授は論文で、東日本大震災で津波の被害を受けた東北地域では過去にも巨大津波が2度発生していたと指摘し、沿岸部の原子力発電所はそうした津波にも耐えうる構造に設計すべきだったと批判。1896年の明治三陸地震で起きた津波は最大38メートルに達したほか、869年の貞観地震の発生時でも東日本大震災と同等の津波が観測され、明治三陸津波では2万2000人が犠牲になったとしている。

 1カ月以上にわたって放射線物質の流出が続く東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)福島第1原子力発電所は、最大6メートルの津波を想定して設計されており、3月11日に観測された14メートルだけでなく、過去に発生した大津波の高さを下回っている。

 同教授は電話取材で、「この地域ではこれまでに発生した大規模な津波の記録が多数残っている」とし、すべては東日本大震災で福島原発を襲った津波を防ぐには十分な大きさだったと強調した。「(高い津波が)以前にも発生していたことはよく知られており、記録もある。原発設計時には想定する津波の高さを過去と同レベルに設定すべきだった」との見解を示した。

 また、日本で運転中の原発は大半が沿岸部に建設されており、大規模な津波に対応できるよう「これらの原発はすべて津波対策を見直すべきだ。冷却には大量の水が必要になる」と指摘した。


 東京大学のロバート・ゲラー教授(地震学)は14日、地震学者は「理論的には一両日中に地震が起きると予知しようとしているが」「無益な努力」であり、現代の科学技術では地震の予知は不可能であると述べた、と報じられています。



 地震予知が不可能である、という点については、私も同感です。私は地震の専門家ではありませんが、常識的に考えて不可能だと思います。以下、その根拠を述べます。

 地震を予知するためには、地盤の動きを計算・予測しなければなりません。しかし、計算・予測することは不可能です。なぜなら、地盤の「性質が一様ではない」からです。

 地盤を構成する「物質(または分子)」の密度が一様であれば、それらの動きを計算・予測することは (比較的) 簡単です。しかし、地盤を構成する岩石の種類・密度は一様ではありません。

 ということは、「膨大な量の」物体の動きを (簡単かつ正確に) 計算・予測する統計力学などの手法は使えない、ということです。したがって、数十年以内に地震が起きるといったレベルのおおざっぱな予測であればともかく、現実的に意味のある予測、すなわち「何月何日頃に地震が起きる」といったレベルの予測をするためには、原理的にいって、「地面の中のすべての分子」の動きを計算しなければならないことになります。

 しかし、「地中のすべての分子」の数はあまりにも膨大ですから、(かりに個々の分子の位置が正確にわかったとしても) 計算=予測することは不可能です。



 もっとも、地震の予知が不可能であるからといって、「研究しなくてよい」とまでいえるかどうかは、私にはわかりません。つまり、ロバート・ゲラー教授のように、「現代の科学技術では地震の予知は不可能である」から「地震学者が現在使用している予知器など」の「システムは科学的に完全ではなく、中止されるべきだ」とまでいってよいのかは、私にはわかりません。

 なぜなら、不可能であると知りつつも、「すこしでも正確な予測をするために」研究を継続すべきである、とも考えられるからです。

 このあたりは「費用対効果」の話になると思います。(実用性に疑問のある研究に) 巨額の資金をかける価値があるか、という話です。



 なお、原発の津波対策としては、個人的には「低いところ」がよいのではないかと思います。これについては、「原発の津波対策、「低いところ」がよいのでは?」に述べています。よろしければお読みください。



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